3022日目・文字霊日記
 古代支配階級≠現代支配階級の中国人=国家反逆罪の末裔
 2021/3/18
   旧2/ 6
 啓蟄3/菜虫化蝶
 仲春3/先勝 /8
  觜宿/乙丑
ーーーーー
 「孫子」、「呉子」・・・「実践論・矛盾論・遊撃戦論・持久戦論」・・・
 ・・・殺しアイの研究・・・?
ーーーーー
 1917年
 「孫文」の同志
 アジア主義
 「宮崎滔天」が
 「毛沢東」の故郷
 湖南省を訪れ、講演
 「毛」はこの講演会に出席し、
 日本が
 欧米白人の
 アジア支配を打破したことを聞いて喜んだ
 後に
 「毛沢東」は
 米国記者
 エドガー・スノーに・・・恵土賀亜
             雪・雪辱・ソソグ
 日露戦争当時の
 日本の歌詞を紹介
 「雀は歌い・・・・・すずめ・ジャク
  鶯は踊る・・・・・うぐいす・オウ・ヨウ
  春の・・・・・・・はる・シュン
  緑の野は美しい・・みどり・リョク
  ざくろの花は・・・柘榴・石榴
           タクリュウ・セキリュウ
           木+石+木+留(卯+田)       
  紅にそまり・・・・くれない・あか・べに・コウ
  柳は・・・・・・・やなぎ・リュウ
  青葉にみち・・・・あおば・セイヨウ
  新しい・・・・・・あたらしい・シンしい
           振恣意・思惟・示威・詞意
  絵巻になる」・・・えまき・カイカ
           禍遺憾・可為漢・掛如何
 「当時わたしは
  日本の美を知り、感じとり、
  このロシアに対する勝利の歌に
  日本の誇りと力を感じたのです」・・・?
 「日本賛美のデブッチョ」は「ジポン」に憧れた
 「戦術論者の毛」・・・駄作・・・
 なんで、「太秦(うずまさ)」なんだか・・・太い葉多・・・?
 いずれは「紛いモノ=擬い物(まがいもの)の始皇帝」の「蓁」も枯れる・・・

f:id:naiegorou:20210318141106j:plain

 「徐福(ジョフク)=徐巿(ジョふつ)」のイキサキ・・・

f:id:naiegorou:20210318141159j:plain
  蓁=「艸・艹・艸」+「秦」
  =艹+ 秦(はた・シン)
   艹+ 𡗗+ 禾(のぎ・カ・いね・あわ
         わら=藁・稿
            和良・和羅・咍・咦・原
         穀物の総称
         のぎ・のげ・穀物の穂先にある細い毛)
   艹+ 三+ 人+ 禾
   艹+ 二+ 大+ 禾
   艹+ 一+ 夫+ 禾
   艹+ 龵+ 乀+ 禾
   艹+ 三+八+ 禾
   艹+ 三+丿+乀+禾
   しげみ(繁実・稠)・草むら・おおい・多く集まるさま
   多い・濃い・こみあう・しげる・稲が密生
ーーーーー
 宮崎 滔天(みやざき トウテン)
 本名 寅蔵(虎蔵)
 號  白浪庵滔天
 浪曲師 桃中軒 牛右衛門(とうちゅうけん うしえもん)
 明治三年十二月三日
 1871年1月23日
 ~
 大正十一年
 1922年12月6日
         大運1915年3月(44歳)甲午比肩
                   ┣三合丙
  庚 ┏午(丙 丁)偏官・正財 死⇔壬戌偏印
 ┏己 ┣丑(癸辛己)正財・正財冠帯⇔辛亥正官
 干合戊 支合己
 ┗甲 ┗子(壬 癸)  ・印綬沐浴⇔戊申偏財
  甲 ┗子(壬 癸)比肩・印綬沐浴⇔壬子偏印
     戌亥空亡
     室宿・甲子     鬼宿・戊申
ーーーーー
 喧嘩の仕方・・・訝刃留途至上主義・・・Gewalt・・・
 ・・・「孫子」、「呉子」・・・
 「実践論」・「矛盾論」・「遊撃戦論」・「持久戦論」・・・
ーーーーー
 孫文の同志
 アジア主義
 宮崎滔天
ーーーーー
 宮崎 滔天(みやざき トウテン)
 明治三年十二月三日
 1871年1月23日
 ~
 大正十一年
 1922年12月6日
         大運1915年3月(44歳)甲午比肩
                   ┣三合丙
  庚 ┏午(丙 丁)偏官・正財 死⇔壬戌偏印
 ┏己 ┣丑(癸辛己)正財・正財冠帯⇔辛亥正官
 干合戊 支合己
 ┗甲 ┗子(壬 癸)  ・印綬沐浴⇔戊申偏財
  甲 ┗子(壬 癸)比肩・印綬沐浴⇔壬子偏印
     戌亥空亡
     室宿・甲子     鬼宿・戊申
 ↓↑
 肥後国
 玉名郡
 荒尾村(熊本県荒尾市
 郷士
 父 宮崎政賢
 母   佐喜
 の末子として誕生
 兄 宮崎八郎・宮崎民蔵・宮崎彌蔵
 山東家伝 二天一流
 熊本で
 「徳富蘇峰
 の私塾
 「大江義塾」で就学
 キリスト教自由主義思想を学び
 ↓↑
 明治十九年(1886年
 東京専門学校(早稲田大学)入学
 中退
 キリスト教会で
 牧師の妻から英語を習い
 キリスト教に帰依し、すぐ棄教
 アジア革命(アジア主義運動)に傾斜
 明治二十二年(1889年)
 長崎ミッションスクール
 「加伯里(カプリ)英和学校」在学
 スウェーデン人の
 イサク・アブラハム・・・意作・阿武等葉務?
 と知り合い
 彼の学校建設資金援助を
 ↓↑
 「前田下学(前田 案山子の長男)」・・・?
       ・・・案山子=アンザンシ・かがし
          鹿 驚=ロクキョウ・かかし
            驚=敬+馬=キョウ(キャウ)
              おどろく・おどろかす
              馬が急に暴れる
              驚異・驚愕・驚喜・驚嘆
              驚倒・喫驚・驚天動地
            敬=苟+攵(攴)
              茍=苟
              苟=卝(丱・羊の角)
                +
                句
               =羌人=羗⇔姜
                恵比寿=胡人・西蔵
           鹿敬馬=鹿が馬を敬う?
             =久延毘古(くえびこ)
                   句會借比拠
       ↓↑ ↓↑
       蝦蟇(ひきかえる)・・・引き換える
       の
       多邇具久(たにぐく)・・他似求句
       が
      「久延毘古」が知っていると云い
       尋ねると
      「その神は
       神産巣日神・・・換纂(簒)素比巻?
       の子
       少名毘古那神」・・証明備拠納巻?
       と答えた
       久延彦神社
       古事記
      「久延毘古=山田の曾富騰
              (そほど・そほづ)」
       騰=月+駦
         月+龹+馬
         月+丷+二+人+馬
         月+八+二+人+馬
         月+丷+一+人+馬
         月+八+一+人+馬
         龹=丷+夫=𠔉
         龹・眷=俗作「𢍊・勬」
         巻=卷
          =カン・ケン・まく・まき
          「釆+両手+身をまるめる」
           釆(ハン)=獣の手
                 獣皮の手
           両手のついた「龹(ケン)」
           獣皮を両手で巻き込むこと
           皮の紙=羊皮紙
 ↓↑          (parchment・vellum)
 「前田 下学」
 に申し込み
 「下学」の妹
 「槌」と出会い交際、婚約
 学校計画は
 「イサク」
 がアメリカに強制送還され頓挫
 ↓↑
 明治二十四年(1891年)
 初めて上海に渡航
 翌年
 「槌」と結婚
 長男の
 「龍介」誕生
 朝鮮で「東学党の乱」
 明治二十八年(1895年)4月
 渡米旅券を神奈川県で取得したが
 同年
 7月頃
 神戸の
 「岩本千綱」と連絡し
 9月末
 広島の海外渡航株式会社の
 在バンコク代理人に就職し
 タイに渡航
 明治二十九年(1896年)6月
 タイから帰国
 外務省の命で
 中国秘密結社の革命党員と往復接触
 ↓↑
 明治三十年(1897年)
 「孫文孫逸仙)」
 に出会い
 中国大陸の「革命運動」を援助
 亡命してきた
 「孫文
 「蔣介石」
 池袋で援助
 ↓↑
 明治三十一年(1898年)
 「戊戌の政変」
 香港に逃れた
 「康有為」
 をともなって帰朝
 「フィリピン独立革命
 に参画
 ↓↑
 「哥老会・三合会・興中会」
 の3派大同団結
 明治三十三年(1900年)
 恵州義軍が革命の反旗をひるがえすと
 新嘉坡(シンガポール)滞在の
 「康有為」
 を動かし
 「孫文」と提携させようとしたが
 刺客と疑われて追放命令になり
 香港に向かったがそこでも追放令
 船中にで
 「孫逸仙
 と密議
 日本国内における計画は全て失敗
 半生記
 『三十三年の夢』著述
 明治三十五年(1902年)
 『狂人譚』と共に、國光書房より出版
 『三十三年の夢』
 が
 『孫逸仙
 という題で中国で抄訳として紹介され
 「革命家 孫逸仙孫文)」
 の名が一般に知られ孫文の元に同志が結集
 ↓↑
 アジア主義運動に挫折し
 「桃中軒 雲右衛門」
 に弟子入りし
 「桃中軒 牛右衛門」
 の名で浪曲師となる
 ↓↑
 明治三十八年(1905年)
 「孫文」らと東京で「中国同盟会」を結成
 「滔天」
 「朝鮮開化党」の
 「金玉均
 の亡命を支援していたが
 「金玉均」が上海で暗殺
 日本人有志で浅草本願寺で葬儀
 ↓↑
 明治三十九年(1906年
 「板垣退助
 の秘書である
 「和田三郎」や
 「平山周」
 「萱野長知」
 らと「革命評論社」を設立
 明治四十年(1907年)
 『革命評論』創刊
 「辛亥革命」を支援
 ↓↑
 大正十一年(1922年)12月6日
 腎臓病、尿毒合併症で病没
 享年51
 ↓↑
 上海で
 「孫文」らが追悼会
 山田良政・山田純三郎兄弟
 とともに
 「辛亥革命」支援者・・・
 ↓↑
 大正十年(1921年
 「白蓮事件
 柳原白蓮
 伊藤伝右衛門
 宮崎龍介
 ↓↑
 孫文の友人
 「井戸を掘った人」・・・を利用する輩?
 申し和解ない・・・参考原文は
 殆どが『ウィキペディアWikipedia)』」・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「緯度を辿ったヒト」・・・
           イト・意図・怡土・糸・・・?