海豚=いるか=入鹿・・・鞍作太郎・・・カント?

 3174日目・文字霊日記
 カルクチ・・・?・・・じゃぁ、オモクチは・・・
 乙亥(イッシ)の変⇔645年がヘン・・・
 乙=乚=L=ℓ=л=Р+猪(豚・豕)・・・海豚=いるか=入鹿

  ↓↑
  輕=軽=かる⇔珂瑠皇子=文武天皇孝徳天皇
  ↓↑
 「輕皇子=珂瑠皇子=「文武&孝徳」天皇+「木梨の輕皇子」
  ↓↑                   「允恭天皇」の第一皇子
 「軽皇子孝徳天皇」へ譲位
 「軽皇子孝徳天皇
  ↓↑
 「軽 口」・・・「重 口」・・・?
  ↓↑
 「軽皇子孝徳天皇」へ譲位
 「軽皇子孝徳天皇」・・・?
 ↓↑
 皇極三年(644年)・・・6+4+4=14・・・1+4=5・・・考語句纂念?
    ・・・皇=白+王
       極=木+亟
           亟=キ・キョク
           すみやか・はやく・急いで
           あわただしい
           しばしば・くりかえして・何度も
         木+丂+叹+一
       叹=ため息・嘆息・歎息  
         木+了+叹+一
         木+丂+口+又+一
           丂=曲がった釘・小刀・さまたげられる
             異体字「于 ・考」・・・巧=工+丂
         木+乛+亅+口+又+一
         十+八+乛+亅+口+又+一
 「蝦夷」・・・支持豪族の根拠地
        物部麤鹿火(もののべのあらかい)
        物部荒甲
        関東・東北⇔阿倍比羅夫の遠征の根拠?
 と
 「入鹿」・・・鹿=覇王に入る・海豚・鞍作・・・渡島半島男鹿半島
 が
 「甘樫丘」
 に邸宅を並べ
 「上の宮門」
 「谷の宮門」
 と称し
 入鹿の子供を「王子」と呼ばせた
 「蝦夷
 の
 「畝傍山」の「東の家」も武装化・・・?
 ↓↑
 「乙亥の変」
 皇極天皇四年六月十二日
 645年
 7月10日
 「入鹿」暗殺
 ↓↑
 皇極天皇四年六月十三日
 645年
 7月11日
 「蝦夷」自殺 
  ↓↑
 「蝦夷」は舘に火を放ち
 『天皇記』
 『国記』・・・焼かれた・・・?
 その他の珍宝を焼いて自殺
 「船恵尺」
 がこの内
 『国記』
 を火中から拾い出して・・・焼かれなかった?
 「中大兄皇子天智天皇
 へ献上
 ↓↑
 皇極天皇四年六月十四日
 645年
 7月12日
 皇極天皇
 「軽皇子孝徳天皇」へ譲位
 「軽皇子孝徳天皇」は
 「中大兄皇子」    =皇太子=立太子
 「阿倍内麻呂」    =左大臣
 「蘇我倉山田石川麻呂」=右大臣
 「中臣鎌足」     =内臣
 に任じられた
 ↓↑
 斉明天皇元年(655年)
  ・・・斉明天皇皇極天皇
         =寶媛重祚
        祚=示+乍
          ソ
          くらい
          さいわい・しあわせ
          とし=年
          天から授かった幸福
          天子の位  
          乍=イ+三
            丿+丨+三
            𠂉+丨+二
            サ
            たちまち・急に・さっと・ふと
            ながら
            ~したり~したり
            ~したかと思うと~する
            ~ではあるが
            ~にもかかわらず
            ~しつつ
 に
 「つがる」
 「津刈蝦夷」で初見・・・津軽=津刈・・・?
 に難波宮
 「捕養の蝦夷九人
  掌刈(つかる)・・・津軽=津刈=掌刈・・・手軽?
  蝦夷六人
  に
  冠各二階を授く(日本書紀)」

 ↓↑
 掌=龸+口+手
   ⺌+冖+口+手
   丨+丷+冖+口+手
   ショウ
   たなごころ
   つかさどる
   てのひら
   役目を担う・管理する
   掌(たなごころ)=手の平
   掌(つかさど)る
   掌(てのひら)

 ↓↑
 鞅掌(オウショウ)=多忙で暇なし
 合掌(ガッショウ)=両手を合わせて拝むこと
 車掌(シャショウ)
 手掌(シュショウ)=手を握った内側の部分
           手の平・たなごころ
 掌握(ショウアク)=権力を握る
 掌中(ショウチュウ)=手中
 ↓↑
 易如反掌(イジョハンショウ)
  物事を簡単に成し遂げることができること
  手の平を返す程度の難易度
  「易きこと掌を反すが如し」

 ↓↑
 孤掌難鳴(コショウナンメイ)
  何かを成そうとしても
  一人ではどうすることもできないこと
  孤掌=片手の手の平
     拍手は片手ではできない
    「孤掌鳴り難し」
 ↓↑
 掌上明珠(ショウジョウのメイシュ)
  非常に大切にされている人や物
  両親に可愛がられる子どものこと

 ↓↑
 掌中之珠(ショウチュウのたま)
  自分の中で一番大切なもの
  自分の妻と子ども
  手の平の中にある宝石

 ↓↑
 孤掌鳴らし難し
 掌上に運(めぐ)らす
 掌中に収める=手中に収める
 掌中の珠
 掌(たなごころ)の内
 掌(たなごころ)を合わす

 ↓↑
 斉明天皇四年(658)四月条
 「阿倍引田臣比羅夫が180般の船を率い
  て
  欝田(秋田)
  浮代(能代)
  の蝦夷を伐ち
  淳代
  津軽の郡領を定め
  有間濱で
  渡島蝦夷らを
  聚めて大饗」
 ↓↑
 斉明天皇五年条
 180艘を率いた比羅夫が
 「飽田・淳代・津軽
  膽振鉏(いぶりさえ・いぶりすき)
  の蝦夷とその虜を聚めて
  饗たまひ禄賜う」
 「後方羊蹄(しりべし)を以って政所とすべしJ
 斉明天皇六年条
 「比羅夫が200艘で粛慎を討った」
 ↓↑
 斉明五年(659)
 「遣唐使が道奥の蝦夷男女二人を
  唐の皇帝に詔介」
  ↓↑
 「都加留(つかる)蝦夷
 「麁(あら)蝦夷
 「熟(にぎ)蝦夷
  ↓↑
 「行基圖」
 には
 「津軽大里」
 と記録
  ↓↑
 「新井白石」の
 「蝦夷志の序」
 「鰐田=秋田」
 「柵養=城養」
 「津刈=津軽=都加留」
 「後方羊諦=之利邉之
       今
       南之利邉之J
  と解釈
 明治
 「新撰陸奥国誌j
 「ツガルと辻津借の意味で
  むかし蝦爽が松前島から渡ってきて
  この聞の津を倍ちて住んだ
  この地は日本の尽頭にあたるから
  酉の野鳥に対して
  東方蕃国の津所とし
  都加留の意味をあらためて
  津加留とした
  津刈・津軽の津は正字
  刈は復字で
  日東流=東日流とあるのは誤用か
  荒服最遠(あらふくサイエン)
  の意味で
  日東=日本
  流=荒服最遠
  処の意味で
  津軽をあるいは津加呂ともよんだらしく
 「日露轄朝臣集」
  の歌などにそれがみえる
  都加留
  ツカルとは
  都我留となるのである」・・・説
 「ツカル=夷(アイヌ)語
      夷語のトカリ=海豹(あざらし)」
 ・・・?・・・「訳借」・・・ 
 ↓↑
 トガル=尖る=先端・・・?
 津=氵+聿(シ・はじめ・ふで)
 軽=車+圣(コツ)・・・?
             輕皇子=珈瑠皇子=「文武&孝徳」天皇
             か る=蝦留
                 蝦夷(えぞ・カイ)が、に留まる
 津⇔津波・・・津波が軽い車輪のような様
 ↓↑
 平安時代には「津軽」と記録
  ↓↑
  つかる
 「水に漬かる」
 「尽きる」
 ・・・所という説

 ↓↑
 津軽
 青森県の西半分にあたる地方の俗称
 古くは
 「津借」と書記録・・・
 蝦夷松前から渡って
 津を借りて住んだとの説
 15~16世紀
 南部氏が青森県全域を支配
 16世紀末
 「大浦為信」
 が津軽地方を統一
 「津軽氏」を名のって
 「弘前」藩をおいた
 ↓↑
 十三湖・十三湊
 日本海と湖の間の狭い水路を
 「と(門)」+「さ(狭い)」=「十三(とさ)」
 の字をあて
 「ジュウサン」
 とも読ませた
 ↓↑
 膽=月+詹=胆・肝・・・記模・模擬?
   月+厃+儿+言
   月+⺈+厂+儿+言
   タン
   トウ
   きも=胆嚢(タンノウ)・内臓の一
   気力・きもったま・きもだま
   度胸・判断力・勇気
   心・本心
   ↓↑
   懸胆=ケンタン=・懸膽(けんたん)
      自らを苦しめて励むこと
      肝を懸ける
ーーーーー
 ・・・???・・・
   ↓↑   ↓↑
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2022/5
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
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 追加添文
 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2006%E5%B9%B4%EF%BC%91%EF%BC%91%E6%9C%88%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%8E%E9%A0%83%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB