かわせみ(翡翠)・鷸蚌之争・・・鷸(しぎ)・鷸子(つぶり)

 3036日目・文字霊日記

 見栄を張る・・・見ない・見えない・見えず・・・三重
 ↓↑
 「猫の魚辞退」・・・満腹なら当然だが・・・欲張りな奴もいる・・・
 ↓↑
 見ない・見えない・見えず
 覶=愉し気に美瑠・・・縣・懸・県・・・
   亂・辭・氄・鷸

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 鷸=矞+鳥・・・・・橘=木+矞
   矛+冏+鳥
   予+丿+冂+㕣+鳥
   予+丿+冂+儿+口+鳥
   龴+乛+亅+丿+冂+八+口+鳥
   龴+乛+亅+丿+冂+儿+口+鳥
     矞=錐で穴をあける・穿つ
       矞雲(イツウン)=三色のめでたい雲
       動物が驚くさま
       騙す・誑(たぶら)かす
   イツ
   しぎ・・・試技・仕儀
        私擬・死儀
         擬=扌+疑
           扌+匕+矢+龴+疋
           扌+匕+矢+龴+乛+龰
           扌+匕+矢+龴+乛+止
           ギ
           なぞらえる
           はかる
           まがい
           もどき
           なぞらえる・にせる・まねる
           はかる・おしはかる
           考えをめぐらす
           まがい・もどき・・・ガンもどき
           本物に・・・・・・・本の物
           似せて作ること・偽造
           似せて造作したもの
           擬(なぞらえる)
           擬(はかる)
           擬(まがい)
           擬(もどき)
           擬音
           疑似・擬似
           擬餌(ギジ)=疑似餌
           擬人
           擬(ギ)する
           擬制(ギセイ)
           私擬憲法

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   かわせみ(翡翠)・・・川蝉・翆・鴗
        ヒスイ(翡翠・jade・ジェイド)
   しぎ(鴫)・水辺にすむシギ科の鳥
  「鷸蚌(イツボウ)」
        ・・・蚌=虫+丰
             ボウ・ホウ
             どぶがい・からすがい・はまぐり
             溝貝   鴉貝    蛤・浜栗
             イシガイ(石貝)科の二枚貝
             「蚌貝」
             「蚌蛤(ボウコウ)」

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   かわせみ(翡翠
   水辺にすむ「カワセミ」科の鳥
  「鷸冠」・「鷸」
  鷸蚌(イツボウ)
  鷸蚌の争い(イツボウのあらそい)
 『戦国策』「燕(ヱン)策」の故事
 「漁夫の利」
  甲乙両者の争いが共倒れになり第三者の利益になる
  第三者が甲と乙に喧嘩を煽り自己の利益とする
  鷸(しぎ)・鷸子(つぶり) 

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 ↓↑
 美努王(みぬおう・みのおう)
  ・・・みど王・・・水戸・三津・美都・・・大日本史
 敏達天皇の後裔・・・敏=毎+攵(𠂉乂)
 四位・栗隈王の子
 官位
 従四位下・治部卿
 『六国史
 弥努王=美奴王=美弩王=三野王
 ↓↑
 美濃王(みののおおきみ)
    「みののおほきみ」
 御野王・三野王・弥努王・美努王
 系譜は不明
 672年
 「壬申の乱」で
 「大海人皇子天武天皇)」
 に加担
 ↓↑
 生没年?~708(和銅一年)
 敏達天皇
 孫または曾孫という
 「栗隈王」の子
 「県 犬養 三千代」
 との間に
 「葛城王(諸兄)」
 佐為王
 牟漏女王
 をもうける
 三野王・弥努王
 「壬申紀」の
 「美濃王」は別人・・・?
ーーーーー
 美濃王(みののおおきみ)
 壬申の乱
 吉野宮の大海人皇子
 東国で兵を集めさせ
 菟田(大和国宇陀郡)で
 「美濃王」は呼び出され
 「美濃王」は一行に従った
 内戦での美濃王の行動の記録はない
 天武天皇二年(673年)十二月十七日
 「美濃王」は
 「紀 訶多麻呂」
 とともに
 造高市大寺司に任じられた
 「高市大寺」は
 「大安寺」の前身
 美濃王の冠位
 小紫
 「大安寺伽藍縁起并流記資財帳」
 「御野王」と記録
 ↓↑
 天武天皇四年(675年)四月十日
 「美濃王」は
 「佐伯広足」とともに遣わされ
 「竜田(奈良県三郷町立野)」
 で風神を祀った
 「竜田風神」
 「広瀬大忌神」
 の祭りは
 『日本書紀』に連年記録
 初見がこの年のもの
 ↓↑
 天武天皇十年(681年)三月十七日
 天皇帝紀と上古の諸事を記録、確定
 『日本書紀』編纂の始まり
 詔を受けたのは
 川島皇子忍壁皇子
 広瀬王・竹田王
 桑田王・三野王
 「上毛野 三千」
 忌部首
 安曇稲敷・難波大形
 中臣大島・平群子首
 ↓↑
 天武天皇
 新都を(信濃・長野)に作る目的で
 「三野王」
 を選び
 十一年(682年)三月一日
 宮内官の大夫たちとともに
 地形を見るよう命じられ
 十三年(684年)二月二十八日
 「采女筑羅」
 とともに
 「信濃国」に遣わされ
 帰ってきた
 「三野王」は
 閏四月十一日
 「信濃国の図」を提出した・・・
 信濃令制国の一
    領域は長野県とほぼ一致
    科野国
ーーーーー
 「科野国造」・・・『古事記
 「神野国造」・・・『先代旧事本紀
  ↓↑
 『古事記(中巻)』
 神武天皇の皇子
 「神八井耳命」が
 科野国造などの祖
 『先代旧事本紀(国造本紀)』
 崇神天皇(第十代天皇
 「神八井耳命」の孫
 「建五百建命(たけいおたつ の みこと)」
 が初代科野国造(神野国造)に任命された
  ↓↑
 「建五百建命」
 「建御名方神」の御子
 「神出早雄命」の娘
 「会津比売命」を娶った・・・
 系図史料に
 「建御名方」五世孫の
 「会知早雄命」の娘
 「阿蘇比売命(会知速比売)」・・・阿蘇
 を娶った・・・
 『古代豪族系図集覧』
 『異本阿蘇系図
 「神八井耳命―武宇都彦命―武速前命
  ―敷桁彦命―健五百武命(建五百建命)」
 「建五百建命」は
 「神八井耳命」の4世孫
  ↓↑
 「科野氏(しなのうじ・姓は君・のちに直)」
 鍛冶氏族の
 「多氏(おおうじ)」と同系
 一部は
 朝鮮半島
 「倭人百済官僚」として活動・・・
 国内の国造族では
 「金刺氏(かなざしうじ)」で朝臣
 「他田氏(おさだうじ)」で舎人
 を賜る者もいた
 両氏族は
 信濃国全体に広がり
 律令制移行後も
 小県郡
 伊那郡などの郡領を務めた
 駿河国で郡司を務めた
 「金刺氏」は
 「物部氏」に由来する
 「珠流河国造」の後裔で
 欽明天皇朝に奉行した
  ↓↑
 国造の本拠地
 信濃国
 小県郡
 『和名類聚抄』
 小県郡には
 「安宗(あそ)郷」があった
 上田市
 古安曽(こあそ)に
 「安曽神社」が存在
 初代
 「科野国
  建五百建命」
 のもとの居住地
 九州の「阿蘇(あそ)」・・・
 「曽・曾」と「蘇」は
 上代特殊仮名遣においては別音・・・?
 ・・・ジャぁ、近現代の同音だろう・・・?
 生島足島神社
 埴科古墳群の
 更埴地域を国造の本拠・・・説
  ↓↑
 信濃国
 埴科郡
 更級郡
 の
 「しな」は、科野の「しな」と同じ・・・
  ↓↑
 科野国造の支配領域
 科野国の地域
 令制国
 水内郡、埴科郡小県郡
 長野県
 長野市千曲市坂城町上田市付近
 本拠は北信
 諏訪湖以南は
 洲羽国造の領域・・・
  ↓↑
 元は
 「しなぬ」で・・・・死なぬカモ・・・?
 「しなの」に変わり
 「科野」の字が当てられた
 『古事記』で
 「大国主神」の子
 「建御名方神」が諏訪に入国
 「科野国の洲羽海」に至ると記録
 『日本書紀』で
 欽明天皇十四年(553年)
 百済が朝廷に遣じた使者
 「上部徳率 科野 次酒」
 「上部奈率 科野 新羅」・・・新羅
 が記録
  ↓↑
 大国主神の長男
 出雲の国譲りに
 反対
 「建御名方神
 が大和方の
 「建御雷神」と相撲をとって敗れ
 科野国諏訪郡に亡命
 諏訪神社が建立
 信濃国一の宮の格式を誇り
 武芸と開拓の神として尊崇
  ↓↑
 古墳時代(4世紀始めから中葉)
 前方後方墳
 弘法山古墳(松本)
 姫塚古墳(長野)
 瀧の峯古墳群(佐久)
 古墳時代後期
 高井郡を中心に
 「高句麗」式の
 積石墳が多数分布する
  ↓↑
 科野国は7世紀
 令制国信濃国となった
  ↓↑
 旧諏訪郡にあり
 信濃国一宮の
 諏訪大社
 下社の大祝は
 科野国造の後裔
 金刺氏がつとめたが
 諏訪氏との抗争後に滅ぼされ
 同族の
 武居氏が明治維新までつとめていた
 「多氏」は皇別氏族であり
 本来の国造の氏神
 皇祖神である
 「生島足島神社」であるとも・・・
ーーーーー
 天武天皇十四年(683年)九月十一日
 天皇
 宮処王
 広瀬王
 難波王
 竹田王
 弥努王
 を京と畿内に遣わし
 武器を検査
  ↓↑
 持統天皇八8年(694年)九月二十二日
 浄広肆
 「三野王」
 は筑紫大宰率に任命
  ↓↑
 美濃王・三野王・弥努王・美努王
 『日本書紀』の記録に
 同じ読みができる
 同時代人
 美濃王・三野王・弥努王・美努王
 同一人物の文字を
 「たがえる」
 美濃=三野=御野
 書紀には
 古い語を
 編纂時点の語に置き換えた
 美濃王=三野王
 らは同名の人物・・・?
  ↓↑
 同名でも同一人と言えない
 壬申の乱
 筑紫大宰
 栗隈王の子
 「三野王」が記録
 「三野王」は中立を保つ父とともに
 筑紫にあり
 距離が離れ
 態度が異なるので
 「美濃王」とは別人
ーーーーー
 「橘 美千代(道代)
  県犬養 三千代(あがたいぬかい の みちよ)」
  ↓↑
 「県 犬養 東人(あずまひと)」
 の娘
 「美努王」と結婚し
 684年(天武十三)
 葛城(かつらぎ)王=橘諸兄
 を生み
 「軽(かる)皇子(文武天皇)」
 の乳母
 「美努王
 と離婚し
 「藤原不比等
 と再婚・・・既に子持ちのバツイチ・・・理由は何?
 子供 「安宿(光明皇后)」を出産・・・
 霊亀二年(716年)
 娘の「安宿」が皇太子「首(聖武天皇)」の妃(光明皇后
 同時期
 「県 犬養 唐」・・・・なんで名前が「唐」なのか?
  の娘
 「広刀自(ひろとじ)」も「首(聖武天皇)」の妃
 ↓↑
 和銅元年(708年)
 十一月
 元明天皇(阿閉)から
 「橘宿禰」姓を賜った・・・
 五月
 前夫の
 「美努王」死去・・・?
  ↓↑
 辞=辭
 舐=嘗・・・臥薪嘗胆
 乱=亂
  ↓↑
 嬾=女+賴
   女+束+刀+貝
   女+束+負
   女+束+⺈+貝
   ラン
   おこたる
   ものうい
   なまける=懶
   だるい・けだるい
  ↓↑
 覶=爫+コ+冂+厶+又+見=覶
   爫+龴+冂+厶+又+見
   ラ=覼=覶
   覶
   事細かいさま・詳しいさま
   順序だてる・順序だてて述べる
   愉し気に見る
 亂
 辭
 ↓↑
 氄=矞+毛
   矛+冏+毛
   予+丿+冂+㕣+毛
   予+丿+冂+儿+口+毛
   龴+乛+亅+丿+冂+八+口+毛
   龴+乛+亅+丿+冂+儿+口+毛
 橘=木+矞
 鷸=矞+鳥
 矞=矛+冏
   イツ
   キツ
   ケツ
   錐で穴をあける・うがつ
  「矞雲(イツウン)」
   三色のめでたい雲
   驚く・動物が驚くさま
   だます・たぶらかす
  ↓↑
  辭=𤔔+辛
    𤔔+立+十
    爫+龴+冂+厶+又+立+十
    ジ
    やめる・辞退・辞職
    ことば・言葉・詞・語彙・word
    ことわる・断る・斷る
    やめる・止める
    拒絶する・しりぞく・退却
    言語・ふみ・文章
    いとまごいをする・暇乞い
    別れを告げる
    辞去する
    訴える・告げる・告訴
    責める・説明を求める
    韻文の一種
    𤔔=爫+龴+冂+厶+又. 発音
      異体字「亂 ・𤔐・乱」
    「辞・乱」・・・舌=𤔔
    「辭・亂」・・・𤔔=舌
 辭=𤔔+辛=辤=辝=辞
      通仮字「治・祠・詞」
      異体字「辞・司・𤔧・𤔲・𦧦
          辝・𨐕・辤・𨐲・𨾱」
   ・・・「𨾱=台+隹」が・・・「辭=𤔔+辛」って?・・・
   字面から共通項があるのか?・・・
  「台」の「ム」と、「𤔔」の「ム」だが・・・「よこしま」・・・?
   爫+龴+冂+厶+又+辛
   爫+龴+冂+厶+又+立+十
   ・・・「辭」が
   辭(やめる)・・・辞任
   辭(ことば)・・・言辞・辞書・辞典
   辭(ことわる)・・辞退
   何故・・・「辭(やめる・ことば・ことわる)」になるんだか?
   怪辞・怪辭
   古辞・古辭
   辞書・辞令・訓辞・言辞
   謝辞・修辞・助辞・措辞
   題辞・遁辞・美辞・名辞
   辞職・辞退・辞任・辞表
   固辞
    辞=舌+辛
      千+口+立+十
 御辞儀(おじぎ)
 お世辞(おせじ)
 怪辞・怪辭
 訓辞・献辞
 言辞
 ↓↑
 一面之辞(いちめんのじ)
 議論で
 双方の言い分を平等に聞かず
 一方の言い分、主張のみを聞くこと
 「辞」=言い分・主張
 外交辞令
 社交辞令
 世辞追従
 端木辞金=納得のできない金銭は
      絶対に
      受け取らない
 孔子の弟子で
 富豪の「端木」は
 他国に売られた
 魯の国の人を買い戻すときに
 公金を使わず
 私財で買い戻した
 「端木金を辞す」
 煩言砕辞
 男は辞儀に余(あま)れ
 女は会釈に余(あま)れ
 空世辞は馬鹿を嬉しがらせる
 辞を低くする
 水火も辞せず
 斗酒なお辞せず
 猫の魚辞退(ねこのうおじたい)
 「猫の精進」
 「猫の魚を食わぬ振り」
ーーーーー
 ・・・・???・・・