哲学者イマヌエル・カント=鞍作の息子?・鞍作太郎=蘇我入鹿・鞍作止利?

 2996日目・文字霊日記
 辟=尸+口+辛・・・しかばねの口はカラシ、ツラシ?
 ↓↑
 近江屋(おうみや)・・・?・・・僻地は避ける「遠江」ヤ・・・避暑地?
 ・・・なんで、「おおみィや・おほミィーや・あぉミぃ~ヤ」・・・?
 ↓↑
 明治維新
 近江国
 滋賀郡
 甲賀郡
 犬上郡
 など
 「琵琶湖」・・・琵=王+王+比(上匕)
         琶=王+王+巴
         湖=氵+古+月(肉)
      琵琶=東洋の弦楽器
         しゃもじ(杓文字)形の木製の胴に
         四、五本の弦を張り
         ばち(撥)で
         掻(搔・か)き鳴らす
      琵琶=びわ枇杷=常緑小高木
            枝葉は春・夏・秋と年に3度伸長
            若枝は、淡褐色の細かい毛に覆われる
            表面が
            白い軟毛に覆われた果実が
            房になっている
            蘆橘(lu ju・loquat)=ロキツ)
            夏蜜柑(ナツミカン)の別名
            金柑(キンカン)の別名
             薫物 (たきもの) の一
            沈香・丁字香・甲香
            その他数種の香を練り合わせたもの
         びわ=美和
            ・・・杉  文・・・文=亠+乂
              (吉田松陰=寅次郎)の妹
               久坂 文・・・久=𠂉+人
                      =丿+ス
                   異体字
                  「镹=镸+久・乆=丩+乀」
                   久しい(ひさしい)
                   幾久しく=いつまでも末永く
              (久坂玄瑞)の妻
               久坂=くさか=日下=草加・孔舎衙
            ・・・楫取 美和子(かとり みわこ)
              (楫取素彦=小田村伊之助)の再婚の妻
               楫=木+咠=木+口+耳=十+八+口+耳
                  こぐ・あつめる
                 シュウ・ショウ
                 異体字「檝・艥」
               梶=木+尾=木+尸+毛(三乚)
                 櫓(ろ)や櫂(かい)
                 船をこぐ道具
                 美和=みわ=見和=三輪
          久・・・久保・窪・・・大久保・大窪
                     大久保 利通
      異体字「镹・乆=丩+乀」
      久しい(ひさしい)
      幾久しく=いつまでも末永く
      永久
      永久歯=親知らずを含め三十二本
       久闊(キュウカツ)=長い間、音沙汰なし
      恒久=永久
      持久・・・持久戦
      永久不変
     耆老久次(キロウキュウジ)
     年老いるまで無昇進、同官職の小役人
      恒久平和
 ↓↑  ↓↑  ↓↑
    曠日持久(コウジツジキュウ)
    長期間耐えること・長い時間耐え続けること
    曠日弥(彌)久(コウジツジビキュウ)
    長期間、無駄な日々を過ごすこと
    意図的に事を長引かせること
 ↓↑  ↓↑
    積日累久(せきじつるいきゅう)
    役人の長期間の功績や功労
    官吏の昇格を
    才能や能力ではなく
    年功序列で昇格させると・・・
 ↓↑  ↓↑
    驕る平家は久しからず
    久闊を叙する=ご無沙汰の詫び
 ↓↑  ↓↑
    久離(旧離)を切る
    親族などの縁を永久に断つこと
    勘当
    江戸時代
    不品行の者の親族が
    連帯責任を逃れるために
    奉行所に願い出て
    絶縁したことから
 ↓↑
 を囲むように
 12の郡に分かれていた
 「滋賀郡」は
 大津市瀬田川以西の領域
 県庁は
 滋賀郡
 別所村
 三井寺
 円満院(大津市園城寺町)・・・円(つぶら)の
                満(みつる)の
                院(イン)
 に移転            ↓↑
 「滋賀県」とした・・・
  滋=水+兹
  滋=氵+兹
    氵+玆
    氵+十+幺+十+幺
    氵+䒑+幺+幺
    氵+玄+玄
    氵+丷+一+幺+幺
    氵+亠+幺+亠+幺
ー↓↑ーーー↓↑ーーーー↓↑ーーーーー↓↑
 院=阝+完
   阝+宀+元
   阝+宀+一+兀
   阝+宀+一+儿
   イン
   かき(垣)
   かこい(囲い)
   かきね(垣根)
   やしき・囲いのある建物
   役所や寺院・学校などの建物
   法皇上皇女院の御所
   法皇上皇女院への敬語
   議会=上院・下院
   兀=一+儿=壹・壱・移置・位置・位地
      +儿=丿+乚(乙)
     コツ
     ゴツ
     たかい
     山などが高くつきでているさま
     高くて上が平らなさま
     草木がないさま。はげ(禿)たさま。
     動かないさま
     一心に物事にうちこむさま
     あしきる=足斬りの刑罰
     ↓↑
     允=ム+儿=㽙=田(囗十)+允(ム儿)
       イン
       まこと
       允文允武(インブンインブ)
       学問と武芸のどちらもすぐれていること
       学問と武芸の
       文武にすぐれている天子の徳を称えた言葉
      「允に文、允に武」
       木戸孝允(コウイン)=桂小五郎
         ↓↑ 拘引・勾引・考音=孝寅(狁)
         獫允(ケンイン)   吉田寅次郎
                    吉田松陰
         中国の北方と西北方に
         位置した古代の民族
         玁允=獫狁=玁狁
         続日本紀延暦二年(783)
         四月乙丑
        「加二徂征於有苗一。奮二薄伐於獫狁一
        〔詩経‐小雅・采薇〕」
         獫狁=「匈奴」の別號
         a+tribe+of+Scythian+nomads
              スキタイ+ノウマドゥ
              素記他意 之宇摩同?
              剝きたい 結う睦民?
              剝ぐ=はぐ=剥ぐ
              はぎ=萩=松下村塾 
         日本では
         服属しない蝦夷・・・?
ーーーー↓↑ーーー↓↑
    吉田寅次郎
    吉田松陰
    文政十三年八月四日
    1830年9月20日
    ~
    安政六年十月二十七日
    1859年11月21日
          1856年11月(26歳)戊子劫財
   ┏庚寅(戊丙甲)傷官・印綬 死⇔己未比肩
   干合辛
   ┗乙酉(庚 辛)偏官・食神長生⇔乙亥偏官
    己丑(癸辛己)  ・食神 墓⇔癸亥偏財
    庚午(丙 丁)傷官・比肩建禄⇔戊午劫財
     午未空亡
    ↓↑
    生地 長門国
ーーーーー↓↑ー↓↑
     尣=八+儿
       オウ
       足や背中が曲がって不自由
       そのような人
       異体字「尢=一+丿+乚(乙)
            =ナ+乚」
             乚(乙・L=エル=Р・Л・л)
                      l・ℓ
     充=亠+允
       亠+厶+儿
 ↓↑   ↓↑
     先=⺧(⽜・牜)+儿
       𠂉+亠(丄=上)+儿
       丿+十+兀
       丿+十+一+儿
       丿+尢
       尢(足や背中が曲がった不自由な人)
       独: Rachitis=佝僂病・痀瘻病・傴僂
       背骨がかがまって弓なりに曲がる病気の人

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       ラクダ=駱駝・🐫・camel(キャメル)
          「月の砂漠」のラクダとカメ
                亀留🐢 脚 痲瘻(瑠)?
                tortoise  珂瑠=軽
                タートル⇔他蛙(阿)とる?
                tortoise は陸の亀
                トータス
                トぉといす=尊意州?
                      東都イス?
       王海・淡海・近江⇔遠江(とおとうみ)?
       
       金の鞍には銀の甕(かめ)
       銀の鞍には金の甕(かめ)
       二つの甕は それぞれに
       紐(ひも)で結んでありました
       ・・・駱駝・ラクダ(camel)、
          甕(かめ)
          亀(カメ)
          金(きん)
          銀(ぎん)の
          クラ(鞍・saddle)・・・
             鞍作太郎=蘇我入鹿・・・鞍作止利?
             宗我大郎・・・

             哲学者イマヌエル・カント=鞍作の息子?
                今 怒得瑠 官 徒?
             1755年春『天界の一般的自然史と理論』刊行
             1793年「理論では正しいかもしれないが
             実践の役には立たないという俗言について」
             1724年4月22日
             ~
             1804年2月12日(79歳没)
                   大運1798年7月(74歳)丙子正財
             甲 辰(乙癸戊)傷官・正官 養⇔甲子傷官
            ┏戊┏辰(乙癸戊)正官・正官 養⇔丙寅偏財
            ┣癸┣卯(甲 乙)  ・食神長生⇔壬辰劫財
            ┗戊┗午(丙 丁)正官・偏官 絶⇔丙午偏財
               辰巳空亡

             鞍作 止利(くらつくり の とり)
             渡来系の仏師、技術者
             鞍作 鳥とも
             姓は村主
             中国南梁の渡来人・・南の梁(コウリャン)
             司馬達等の孫で・・・達等・・・等しく達する
             鞍部多須奈の子・・・多須奈・・足す名

       カメなら浦島太郎と乙姫、龍宮城、玉手箱、白髪
      『丹後国風土記逸文)』
      「筒川嶼子」「水江浦嶼子
       浦島太郎の物語の原型
      「與謝郡日置里、この里に筒川村あり
       その村の筒川嶼子(つつかわのしまこ)は
       容姿と風流が際立ち
       別名「水江浦嶼子」といい
      「日下部首(くさかべのおびと)」
       の先祖
      『日本書紀』『万葉集高橋虫麻呂)』にも記述

       文部省唱歌「浦島太郎」
       1900年『幼年唱歌
       作詞・石原和三郎
       作曲・田村虎蔵
       1911年『尋常小学唱歌
       作詞・乙骨三郎
       作曲者不明
ーーーーーーー↓↑
       「ノートルダムの傴僂(背虫)男」
       「ノートルダム・ド・パリ
       (Notre-Dame de Paris)」
       「ヴィクトル=マリー・ユーゴー
       (Victor-Marie Hugo)
        1802年2月26日
        ~
        1885年5月22日
             大運1884年9月(82歳)辛亥正財
       壬 戌(辛丁戊)偏官・食神 墓⇔乙酉印綬
       壬┏寅(戊丙甲)偏官・偏印長生⇔辛巳正財
       丙┗申(戊壬庚)  ・偏財 病⇔丁丑劫財
       甲 午(丙 丁)偏印・劫財帝旺⇔丙午比肩
         辰巳空亡
ーーーーーーー↓↑
       先輩後輩・・・吾輩・・・輩(やから)
              吾輩は猫背である?
       輩=非+車・・・久留間に非ず=短期間?
       族=方+𠂉+矢=やから=輩
            矢=𠂉+一+人
              カミサシの壹のヒト
                   壹與
      織田信長の妹or従妹?
     「於市」
      浅井長政の継室
      小谷の方(おだにのかた)となった
      お市
      浅井長政との間に
      茶々・初・江
      を儲けた
      小谷城落城後
      脱出したのは
      お市
      と
      娘二人で
     「江」は
      岐阜で出産し・・・?
     「浅井三姉妹」となった・・・
      ↓↑
      天正十一年(1583年)
      賤ヶ岳の戦い
      北ノ庄城落城で
     「市」は
      再婚した
      柴田勝家
      共に自害
     「三姉妹」は
      秀吉により救出され保護
      ↓↑
      江(ごう)=小督 (おごう)=江与(えよ)
          幼名=督
          諡号崇源院
          追號「達子(さとこ・みちこ)」
      は
      第二代将軍
      徳川秀忠
      と再再婚をし
      江の産んだ・・・長男は徳川家光
      娘
     「徳川和子
      は
      後水尾天皇
      中宮となり
      その
      娘は
     「明正天皇=第109代天皇
      諱  興子(おきこ)
      幼名 女一宮
      となった・・・
     「江(浅井+織田)」の女系血統・・・天皇家・・・
ーーーーーーー↓↑
       同族・一家一門・眷属・一族郎党・うから
       同胞・仲間・連中・ともがら
       突き出ている部分=先端・先頭
       形象は
       ・・・「𠂉」=「午・牛」の頭
          「𠂉」=「ノ+一」の
              「ノ」の
              「左先」は「鼻」
              「ノ=鼻面」
       ・・・「杵(きね)=木+午」の形状
          「牛」の突き出た「十」=角
           牛面に角は牛の横面・・・
       時間的未来
       時間的完了・先般、既(已)に~した~
       先ぶれ
       先ずは
       優先順位
       取引の相手方・先方
       功績の先人・先生
     ↓↑
     阢=阝+兀
       阝+一+儿
       ゴツ
       頂上が土で覆われている石山・岩山
       高い・山が高い
       阢陧(ゴツゲツ)
       突き出して危ういさま・不安定なさま
     ↓↑
     兊=公+儿
       八+允
       八+厶+儿
       エイ
       エツ
       ダ1
       タイ
       かえる
       するどい
       よろこぶ
       かえる・とりかえる・交換する
       よろこぶ・楽しむ=悦
       あな・耳・鼻・目・口などのこと
       あな・抜け道
       とおる・達する・通ずる
       易(エキ)の八卦の一つ
       するどい=鋭
       よろこぶ・楽しむ=悦
     ↓↑  
     䆓=宀+ハ+ム+儿=窟
       a+hole;+a+cave;
       a+pit
       to+digthe+ground
       and+build+underground+living+quarters,
       to+make+smooth+of+the+leather(柔皮革)
ーーーーー
 近江・淡海
 ↓↑
 当初は「淡海(あはうみ、あふみ)」
    「淡水の琵琶湖=淡海(あわうみ)」・・・タンスイの湖?
        琵琶湖=竹生島弁才天がもつ
            楽器の琵琶に湖の形が
            似ていることに由来・・・?
            淡海乃海(あふみのうみ)
            鳰海(におのうみ)

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            鳰=にお・かいつぶり
            鳰(にお)=入+鳥
            淡水域で潜水し生息・・・弁足
            数種は飛翔する事ができない
              近江遷都=潜都・潜伏・潜水?
              鸊鷉(ヘキテイ)
               鷉=虒+鳥
               ⺁+虎+鳥
               ⺁+虍+儿+鳥・・・虍=虎
               ⺁+虍+几+鳥・・・虍=寅・図羅・彪
               ⺁+卜+丿+乛+七+儿+鳥
               ⺁+卜+丿+乛+七+几+鳥
              鸊鵜(ヘキテイ)⇔鵜=鸕
               鸕野讃良=持統天皇
              鸊=辟+鳥
         辟=尸+口+辛
           尸+口+立+十
           ヒ
           ヘキ
           かたよる(偏)
           きみ(君)
           さける(避)・・・僻地
           ひらく・・・天地開闢
           めす
           よこしま
           おきて・つみ
           重い刑罰
           治める
           主人・きみ・君主
           のり・おきて
           召す・呼び出す・招く
           開く
           除く・しりぞける
           よこしま=邪=横島
           さける
           むねうつ・叩く
        ・・・「悶絶躄地」=這いつくばる
              躄=辟+足
                いざる

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    「近+淡海(ちかつあはうみ)」
     静岡県浜名湖
    「遠+淡海=遠江(とおとうみ)=遠淡海(とほつあはうみ)」
     と対比して呼んだ・・・
     国府磐田郡の「磐田湖(大之浦)」の説もある・・・
    「あはうみ→おォうみ」ですか・・・?
    「琵琶湖」は
    「淡海・淡海之海・淡海乃海
     近江之海・近江海・相海之海」
     と記録 
    「おほみや」=於保宮⇔大臣(おほみ・おみ)
             (都夫良 意富美=使主)?
 ↓↑
 坂本龍馬
 中岡慎太郎
 が暗殺された
 「近江屋事件」の現場
 京都・河原町通の近江屋
 「醤油屋」
 幕末の井口新助の代に土佐藩の御用達となり
 店の2階(井口邸)が龍馬らの滞在先
 昭和前期まで
 「近新商店」の名で醤油を製造
 ↓↑
 「焼き殺された」のは
 「久坂 玄瑞」・・・「大日下 目弱(眉輪)」
  久坂 玄瑞         繭輪
 (くさか げんずい)      蛾輪(がりん・がきょう)
  1840年天保11年)5月
  ~
  1864年(元治元年)8月20日
 長州藩
 幼名 秀三郎
 諱  通武(みちたけ)
 通称 実甫・誠・義助(よしすけ)
 妻  吉田松陰の妹
    文(後の楫取美和子
 尊王攘夷
 栄典は贈正四位(1891年)
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 熊本で
 宮部鼎蔵・・・鼎(かなえ)の蔵
 を訪ね
 吉田松陰
 に従学することを勧められた
 玄瑞は亡兄の旧友
 月性上人・・・月(肉)の性(さが)の上の人?
 から松陰に従学することを勧められており
 久坂は萩に帰ると
 松陰に手紙を書き
 松陰の友人の
 土屋蕭海
 を通じて届けてもらった
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 玄瑞は全国の
 「草莽の志士糾合」
 文久二年(1862年)正月14日
 坂本龍馬が剣道修行の名目で
 武市半平太の書簡を携え
 玄瑞との打ち合わせのため萩へ来訪
 馬関の豪商
 「白石正一郎」と結び
 白石宅をアジトにして
 薩摩の西郷隆盛
 土佐の吉村寅太郎
 久留米、筑前の志士たちとも謀議
 松門の同志は血盟
 桂小五郎
 藩主親子、藩の重臣たちに
 長井雅楽弾劾を具申
 4月
 玄瑞は同志と共に上京
 長井の弾劾書を藩に提出
 6月
 玄瑞は長井要撃を試み
 藩に長井への訴状も兼ねて
 待罪書を提出し
 京都で謹慎
 桂小五郎らは
 攘夷をもって
 藩主
 毛利敬親
 に対し攘夷を力説
 7月6日
 長井失脚に成功
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 廻瀾條議と解腕痴言
 玄瑞は謹慎中の
 文久2年(1862年)8月
 『廻瀾條議』と名付けた建白書を藩主に上提
 藩主に受け入れられ
 長州藩の藩論となる
 航海遠略策を捨て
 完全に尊王攘夷に変更
 長井は翌年2月自刃を命ぜられた
 翌月
 全国の尊攘派同士に向けた
 実践綱領の書
 『解腕痴言』を書いた
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 『廻瀾條議』
 『解腕痴言』
 「西洋の
  強大な武力に屈服する形で
  開国するのではなく
  対等に交渉する気力を奮い起こすべきであり、
  それによって国力を回復させ
  軍備を整えた後
  対等な立場で条約締結に及ぶ」
 松陰の開国的攘夷論を踏まえたものであるが
 他方
 「攘夷」という主張は
 政権を幕府から朝廷へ回復させる
 倒幕という目的からも有効と力説
 孝明天皇
 「攘夷は希望するが、倒幕には反対する」
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 池田屋事件
 1864年7月8日(元治元年六月五日)
 京都三条
 木屋町(三条小橋)
 の旅館
 池田屋
 に潜伏していた
 長州藩土佐藩などの尊王攘夷派志士
 京都守護職配下の治安維持組織
 新撰組
 が襲撃
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 禁門の変
 元治元年七月十九日
 (1864年8月20日
 武力衝突事件
 蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)
 元治の変(げんじのへん)
 とも
 十九日
 蛤御門(京都市上京区)付近で
 長州藩
 と
 会津桑名藩
 が衝突
 福原隊
 国司信濃
 来島隊は
 筑前藩が守る
 中立売門を突破し京都御所内に侵入
 乾門を守る
 薩摩藩兵が援軍に駆けつけ
 形勢が逆転
 狙撃を受けた
 来島又兵衛
 は自決
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 堺町御門
 真木・久坂隊
 は開戦に遅れ
 来島の戦死
 戦線の壊滅を知ったが
 御所南方の
 堺町御門を攻めた
 防戦の
 越前藩兵を破れず
 久坂玄瑞
 寺島忠三郎
 らは朝廷への嘆願を要請するため侵入した
 鷹司邸で自害
 入江九一
 は鷹司邸脱出時に
 越前藩士に発見され
 槍で顔面を突かれて死亡
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 長州勢は長州藩屋敷に火を放ち逃走
 会津勢も長州藩士の隠れているとされた
 中立売御門付近の家屋を攻撃
 この二箇所から上がった火元が
 大火「どんどん焼け」
 で京都市街は21日朝にかけて延焼
 北は一条通から南は七条の東本願寺
 街区や社寺が焼失
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 天王山で殿となっていた
 益田隊も敗報で撤退、長州へ帰還
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 主戦派
 真木和泉
 は敗残兵と共に天王山に辿り着いたが
 他の隊との合流に失敗
 宮部春蔵
 ら17名で天王山に立て籠もった
 20日
 郡山藩の降伏勧告を無視し
 21日
 会津藩
 新撰組
 に攻め立てられ
 小屋に立て籠もり
 火薬で自爆
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 鷹司輔煕
 江戸時代末期
 生誕 文化4年11月7日(1807年12月5日)
 死没 明治11年1878年)7月9日
 改名 輔煕→ 随楽(法名)・・・ 随の楽
 官位 従一位・関白・右大臣
 主君 仁孝天皇孝明天皇明治天皇
 氏族 鷹司家
 父  鷹司政通
 母  家女房・・・?
 嫡母 徳川清子(徳川治紀の娘)
 ↓↑
 落飾、復帰、関白
 安政五年(1858年)
 日米修好通商条約締結
 の勅許をめぐり
 朝廷と幕府が対立
 水戸藩
 福井藩
 の藩士に説得され
 条約勅許不同意
 将軍継嗣問題
 における
 一橋派の意見に同意
 左大臣 近衛忠煕
 内大臣 三条実万
 とともに献策し
 水戸藩へ勅諚を賜るよう運動
 (戊午の密勅)
 大老に就任した
 井伊直弼
 の安政の大獄の一環で
 幕府の内請により
 翌
 安政六年(1859年)
 辞官
 五月
 落飾し
 随楽
 の法名を称した
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 桜田門外の変
 井伊直弼亡き後
 文久二年(1862年)四月
 宥免され、謹慎を解かれ
 五月
 還俗を命じられ
 十二月
 国事御用掛に補任
 翌
 文久三年(1863年
 近衛忠煕の後を受けて
 関白に就任
 ↓↑
 朝廷は長州藩と結びついた
 尊王攘夷過激派の
 三条実美
 姉小路公知
 らが発言力を拡大
 孝明天皇
 将軍
 徳川家茂を伴っての
 賀茂神社
 石清水八幡宮行幸が行われ
 文久三年八月
 大和行幸
 譲位親征が企図
 尊攘派の増長に
 孝明天皇は不快感を表し
 公武合体派の
 青蓮院宮
 らは
 京都所司代
 松平容保
 薩摩藩と組んで
 八月十八日の政変
 を強行
 輔煕は
 政局に関与できず
 三条実美らの帰京を運動したため
 十二月
 島津久光の建言により
 関白を免ぜられた
 ↓↑
 元治元年(1864年)七月
 禁門の変
 鷹司邸は
 久坂玄瑞
 寺島忠三郎
 ら長州藩兵が立て篭もり
 会津・薩摩・幕府軍の攻撃焼失
 鷹司家
 長州藩と通じていると嫌疑
 輔煕は参朝を停止され謹慎処分
 諸大夫の
 青木吉順
 は京都町奉行に逮捕
 ↓↑
 慶応二年(1866年)
 孝明天皇崩御
 慶応三年(1867年)
 睦仁親王明治天皇
 践祚大赦赦免
 十二月
 王政復古の大号令
 摂関職廃止
 参朝停止
 翌月(慶応四年(1868年)正月)
 解除
 二月
 新政府の議定
 制度事務局督
 閏四月
 神祇官知事
 九月
 議定
 明治二年(1869年)
 留守長官
 十二月
 麝香間祗候・・・?
 を命ぜられる
 ↓↑
 明治五年(1872年)八月
 隠居
 九条尚忠の子
 煕通を養子
 明治十一年(1878年)七月
 薨去・享年72
 嵯峨野の二尊院に葬られた
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 ・・・???・・・アルゼンチン・タンゴ・・・???
 通称 チェ・ゲバラ
 1928年6月14日
 ~
 1967年10月9日
         大運1966年5月壬戌印綬
 戊┏辰(乙癸戊)正財・比肩冠帯⇔丁未食神
 戊 午(丙 丁)正財・傷官長生⇔己酉偏財
 乙┗酉(庚 辛)  ・正官 絶⇔丙午傷官
 壬 午(丙 丁)印綬・傷官長生⇔甲午印綬
   午未空亡
ーーーーー
 ・・・???・・・