秦の始皇帝の末裔・・・和邇吉師(王仁)によって「論語・千字文」が伝わった

 3013日目・文字霊日記
 洋行乨の「やご(水蠆・yago)」・・・Dragon fly
 秦の始皇帝の末裔・・・
 ↓↑
 神功皇后
 応神天皇の時代
 秦氏一族(数千人から1万人規模)
 が当国に帰化
 弓月君
 阿直岐
 王仁
 阿知使主
 秦の始皇帝三世直系
 弓月君
 秦氏の中心的人物で
 和邇吉師(王仁)によって
 論語
 と
 千字文が伝わった(古事記

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 豊前国を拠点に全国に散らばった
 山背国葛野郡京都市右京区太秦
    紀伊郡京都市伏見区深草
 河内国讃良郡(大阪府寝屋川市太秦
 摂津国豊嶋郡
 針間国(兵庫県
 阿波国
 伊予国神野郡
 などに土着
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 丹波国桑田郡京都府亀岡市
 湿地帯の開拓
 雄略天皇の時代
 秦酒公(さけのきみ)が
 秦氏の伴造として
 各地の秦部・秦人の統率者となり
 公の姓を与えられた
 欽明天皇の時代
 紀郡深草里の
 秦大津父(おおつち)が伴造となって
 大蔵掾(おおくらのふびと)に任ぜられた
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 本拠地
 山背国
 葛野郡
 太秦
 桂川中流
 鴨川下流
 を支配
 山背国
 愛宕郡京都市左京区、北区)
 鴨川上流域を本拠地とした
 賀茂氏と関係が深かった
 秦氏
 松尾大社
 伏見稲荷大社
 などを氏神とし
 賀茂氏の創建した賀茂神社とならび
 山背国では創建が最古の神社
 推古天皇30年
 秦河勝
 広隆寺を建立
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 河内国
 讃良郡
 「太秦
 寝屋川市の町丁
 河内国
 太秦
 弥生中期頃の
 高地性集落(太秦遺跡)が確認
 5世紀~6世紀にかけて
 渡来人関係の遺物が出土(太秦古墳群)
 淀川の治水工事として
 茨田堤を築堤する際に協力
 熱田神社大阪府寝屋川市)が
 広隆寺に記録が残る
 河内秦寺(廃寺)の跡だった
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 天智天皇
 秦氏による
 山背国(山城国)へ遷都を薦めていた
 天応元年
 桓武天皇即位
 延暦三年(784年)
 長岡京造営
 延暦十三年(794年)
 和気清麻呂
 藤原小黒麻呂(北家)
 らの提言で
 平安京遷都
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 相模国秦野市)周辺地域に居住
 杉並区
 久我山が拠点
 井の頭池より玉川上水流域の
 北沢分水上堀
 江下山堀を通る用水路を開削
 久我山下流水域には
 八幡山
 幡ヶ谷
 などの地名が残る
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 『新撰姓氏録
 秦の始皇帝の末裔
 漢民族
 応神十四年(283年)
 百済から日本に帰化した
 「弓月君(融通王)」などが祖
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 秦氏族の祖とされる陽父
 秦の血統
 漢民族
 弓月国
 百済を経由して日本へ帰化
 『日本書紀
 弓月君
 百済の120県の人民を率いて帰化
 秦王朝と同じ氏族(種族)
 辰韓滅亡後
 遺民が日本列島に到来
 中国の西に位置する
 天山山脈の麓の
 「弓月国」
 を源とした一族が建国した
 「秦韓(辰韓)」を構成した国王の子孫
 新羅の台頭により国が滅亡し
 王であった
 「弓月君」が日本に帰化
 景教
 (キリスト教ネストリウス派
 徒のユダヤ人が祖とされる
 五胡十六国時代
 羌族が興した後秦に由来
 羌族
 チベットビルマ語派に属する
 チベット系民族で
 同言語において
 ハタは辺鄙の土地
 ウズは第一
 キは長官
 を意味
 『隋書』
 風俗が
 華夏(中国)と同じで
 「秦王国」
 なる土地が日本にあった・・・
 『義楚六帖』
 顕徳五年(958年)
 「寛輔」
 という日本僧侶から聞いた形で
 「徐福」が秦氏の祖となった・・・
 『史記』巻百十八
 「淮南衡山列伝」
 秦の始皇帝
 「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」
 と具申し
 始皇帝の命を受け
 3,000人の童男童女
 百工(技術者)
 を従え
 財宝と財産
 五穀の種を持って東方に船出し
 三神山には到らず
 「平原広沢」を得て王となり
 秦には戻らなかった・・・
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 徐 福(ジョ フク)
 秦の方士
 斉国
 琅邪郡(山東省臨沂市周辺)出身
 別名は
     徐巿(ジョ フツ)・・・
      巿=十+冂=巿≠市(亠+巾)
      巿=一+巾=前掛け・割烹着
            作業用防護服
 扶桑⇔扶余=扶餘・・・百済高句麗の種族
     徐巿・・・
     徐(おもむろ)・・・徐行
     餘(あまる)・・・・剰余・剰餘・磐余
     除(のぞく)・・・・除去・除雪・排除
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 秦の始皇帝
 辰韓の王
 秦韓の王
 斯蘆の王
 新羅の王

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 陽侯史=「陽侯」忌寸
     隋の「煬帝」の子孫
     達率
     楊候
    「阿子王」
     の末裔を称する渡来系氏族・・・
 陽侯氏=ヨウコウシ=要項詞・要綱史・・耶語・・・?
     洋行乨の「やご(水蠆・yago)」・・・Dragon fly
          埜語
     蠆=萬+虫
       艹+禺+虫
       タイ・さそり
     䘍=萬+䖵
       艹+禺+虫+虫
 蜻蛉(セイレイ・とんぼ)
   の幼虫=ヤゴ(水蠆=スイタイ)=蠆・䘍・虿
      =ヤンマ(蜻蜓)
       トンボ目不均翅亜目ヤンマ科
       (Aeshnidae)の昆虫の総称の幼虫
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   タイコウチ(太鼓打・water scorpion
            ウォータースコーピオン)
   カメムシ目タイコウチ科に属する
   水生昆虫の一種

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 若いツバメ(燕・鳦・鷰・津波目・乙鳥)
 と
 年増のライチョウ雷鳥
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 明治時代
 婦人運動・女性解放運動の
 平塚雷鳥=平塚 明(ひらつか はる)
      1886年2月10日
      ~
      1971年5月24日(85歳没)
           大運1968年3月(82歳)辛巳比肩
      丙戌(辛丁戊)正官・比肩冠帯⇔辛亥比肩
      庚寅(己丙甲)劫財・印綬 胎⇔癸巳食神
      辛丑(癸辛己)  ・食神 養⇔己酉偏印
      甲午(丙 丁)正財・正官 病⇔庚午劫財
       辰巳空亡
 ↓↑    ↓↑
      1908年(明治四十一年)3月 戊申
      22歳
      森田草平
      と心中未遂事件(塩原事件)
      1911年(明治四十四年)9月 辛亥
      25歳
      雑誌「青鞜」を創刊
      「元始、女性は太陽であった」
 ↓↑    ↓↑
      森田 草平(もりた そうへい)
      1881年〈明治十四年〉3月19日
      ~
      1949年〈昭和二十四年〉12月14日
            大運1946年9月(65歳)戊戌偏官
      辛 巳(戊庚丙)印綬・偏印 絶⇔丙戌偏財
      辛 卯(甲 乙)印綬・傷官 死⇔庚子偏印
      壬┏子(壬 癸)  ・劫財帝旺⇔壬戌比肩
      丙┗午(丙 丁)偏財・正官 胎⇔丙午偏財
        寅卯空亡
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      本名 万戸 満平・・・萬の戸の 満の平
         夏目漱石の門下生
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 平塚雷鳥
 と
 年下の青年画家
 奥村博史=明治22年10月4日
       1889年10月4日?
      明治24年
       1891年10月4日?
       ~
      昭和39年2月18日
       1964年2月18日
           大運1959年3月(69歳)丙寅正財
      己丑(癸辛己)偏官・偏官冠帯⇔甲辰傷官
      癸酉(庚 辛)比肩・偏印 病⇔丙寅正財
     ┏癸丑(癸辛己)  ・偏官冠帯⇔丁酉偏財
     ┗戊午(丙 丁)正官・偏財 絶⇔丙午正財
       寅卯空亡
 ↓↑
 の恋に由来・・・
 奥村から平塚に宛てた手紙
 「若い燕は
  池の平和のために
  飛び去っていく」
 ↓↑
 ・・・「池(チ・ジ)=氵+也」って、ナンだ?
     池=筂
       いけ・自然にできた水たまり
       ほり・みぞ
       すずり(硯)の水を貯めておく部分
       太陽電池半導体を利用し
       太陽光などの光エネルギーを
       電気エネルギーに変える装置
       ため池・溜池
       灌漑や消火用の水をためておく池
       浄水池
       金城湯池=守りに優れ
            攻めに強い城
            防備堅城
       光禄池台=豪華で、絢爛な屋敷
           「光禄」は高級官僚の役職
           「光禄勲」
           「池台」は庭にある
            池の中の建物
            光禄勲の長官だった
            王根の屋敷の豪華建築
       ↓↑
       池魚(チギョ)=池に住む魚
      「氵(水)+也」の稚魚⇔眞魚⇔真名
       池の「まな(茉菜)⇔真名=漢字」
       氵=サンズイなり=ミズなり
         纂隋(髄・瑞・蘂・頭維)
          隋書の真髄・心髄・神髄
       蓄電池=充電池・バッテリー
           知句伝知?
       乾電池=日本人の発明
           屋井 先蔵(やい さきぞう)
           明治20年(1887年)
          「乾電池」を発明
           特許の第一号は
           高橋 市三郎
           日本初の電池製作者
           佐久間 象山(1811年~1864年)
           液体式の「ダニエル電池」
       ↓↑
       池沼
       池亭=休憩や景色を楽しむために
          池のほとりに建てられた小屋
 ↓↑
 簡狄呑鳦・・・簡狄=カンテキ=韓敵・漢敵・間敵?
        呑鳦=トンイツ=遁何時
           鳦(イツ)=鳥+乙=燕
 ↓↑
 殷の 
 契(セツ・ケイ・ちぎり・チギル)
   楔形(セッケイ)・・・設計・雪渓・赤経
 の母
 簡狄は・・・・狄=テキ=萩=はぎ⇔松下村塾
 有娀氏の娘で
 帝嚳・・・・嚳(コク)
       名は俊(夋)・姓は姫
       黄帝の曾孫
       父は蟜極(キョウキョク)
       祖父は玄囂
       玄囂の父は黄帝
       高辛になって帝位に即いた
       陳鋒氏の女を娶り
       放勛(ホウクン)を生む
       娵訾(シュシ)氏の女を娶り
       摯(シ)を生む
       帝嚳が崩じ
       摯が立ったが不善で崩御
       弟の
       放勳が立って
       帝堯(テイギョウ)となった
       高辛は
       顓頊の族子
       帝顓頊(センギョク)
       高陽は黄帝の孫
       昌意の子
       上古中国神話上の帝王
       名は夋・[夒-巳]
       辛に封じられ、高辛氏と称した
       五帝の一人
       顓頊(せんぎょく)の後を継いで
       帝位に就いた
       摯、堯、后稷、「契」の父
       嚳=𦥯+告
         異体字「俈・喾」
 の次妃である
 女三人で水浴をしている時
 鳦(つばめ・玄鳥=玆鳥)が
 卵を生み落としたのを見
 狄がそれを呑んで孕み
 契が生まれた
 ↓↑
 彼は成長して
 禹の治水事業を助けた
 帝舜は人々が互いに親知せず
 五品(父母兄弟子)の秩序が乱れている
 司徒となり五教(義慈友恭孝)を
 「徐々に天下に弘めよ」
 と彼に命じ
 「商」に封じ
 「子」氏
 の姓を賜った
 「契」は唐虞大禹の時に起こり功業著し
 民生は安定した
 ↓↑
 史記(殷本紀第三冒頭)
 十八史略(巻一・殷王成湯)
 芸文類聚(巻一〇・符命)
 史記所引
 巻九二・燕
 列仙伝(所引)
 太平御覧(巻九二二・燕・史記所引)
 円機活法(巻二三・燕)
 事文類聚(後集巻四五・燕)
 渕鑑類函(巻四二四・燕二・列仙伝所引)
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