ジシン・・・春分の日 ・雀始巣 ・仲春

 3023日目
 恍惚の文字・・・心の立身の光、心がボケる・・・
 春分の日
 雀始巣
 仲春
 井宿・丁卯
 🌓
 ↓↑
 2021/03/20/18:00
 辛┏丑┓(癸・辛・己)
 辛┣卯┃(甲・ ・乙)
 丁┣卯┃(甲・ ・乙)
  冲 三合辛
 己┗酉┛(庚・ ・辛)
 ↓↑
 恍惚の分留卯州・・・ブルース・・・?
 忽=勿+心
   勹+丿+丿+心
   たちまち・にわかに(俄に)・突然
   ゆるがせ・ゆるがせにする・いいかげんにする
   おろそかにする
   数の単位
   一の十万分の一・・・壹の拾萬文の
             移置・位置・市
             異字・意字・医事
             異時・遺事・遺児
   勿=勹+丿+丿・・・「ケ+刀」?
             ケ=「箇・个」の略字
               「介」の略字
             竹の刀=竹刀(しない)?
     ない・なし・否定の意
     なかれ・禁止を表す
     「~するな」の意
     「勹」は「包」の「己」を省いた字で
     まさに
     己(おのれ・よこしま・つちのと・コ・キ)を
     つつむ(勹)だが、勹は被いかぶさっている
    「勿=勹+丿+丿」の二本の「丿丿」は・・・?
     象さん牙、マンモスの牙・・・?

f:id:naiegorou:20210320202621j:plain
     字形は横から見た動物が開けている
    「口」、上顎(あご)と下顎を開いている字形に見える
    「丿丿」は口から二本の突き出した牙に見え
    「勹=丿+𠃌」は象の鼻と背中・・・
    「勿=勹+丿丿」は牙を剥き出した口の字形にも思えるが・・・
   勿=モチ・ブツ
     なかれ
     弓の弦(つる)が切れたさま・・・何故なんだか、この説明?
     勿=「弦=弓+玄」・・・?
     なるほど「玄=亠+幺」
    「亠=音の略字」で
    「音」が鳴る「幺」だが
    「弦」の小さく鳴るで
    「ツル=丨」の切(|)れた音ではない・・・
     弦の振動での「音切れ」はアルか・・・弦楽器
     そして
    「弦」の説明であり
    「勿」の字形説明ではない・・・
    「勿=勹+丿+丿」・・・
     訓読みの「勿=なかれ」ならば
    「弓の弦」は
    「亠」+「幺(おさない・ちいさい)=幼児」に
    「勿=なかれ=泣かれ・鳴かれ・啼かれ・哭かれ」
     の「亠=音声」である・・・甲高い喚き声・・・?
    「勿=フツ・ブツ」の小さな音・・・?
     ↓↑
     弘=弓+ム(腕・厷
           曲げたウデ・肘=ヒジを曲げた腕)
     宆=宀+弓=宄(よこしま)
       宆(あな)・宆きい(おおきい)・宆(おおぞら)
       宆(たかい)・宆(ふかい)
       ドーム状の室・アーチ状の天井
     窮=穴+躬=竆=穴+身+呂・・・弓⇔呂(背骨)
       宀+八+身+弓亠
       きわむる
       永遠無窮・窮猿投林・窮極無聊・窮形尽相
       窮鼠猫を噛む
       窮鳥猟師の懐に入るは殺さず
       窮すれば鈍する
       窮すれば通ずる
       貧すれば鈍する
     匑=勹+躬
       勹+身+弓
       匑匑=身をかがめて謹み敬うさま
     引=弓+丨・弖=弓+__
       弓弦矢の構成部品は
      (+丨+←
      「人の腕(ム・厷)+手」+「→+丨+3」
   「|」は弦(丨)が切れた字形なら
     勿=「弓+|」・・・?
        弓=勹
        丿+丿=丨+丨=|=切れた弦・・・?
     ↓↑
     弓の弦(つる)を鳴らして
     魔よけを行うことから・・・?
     否定・禁止の助字に用いる・・・
ー↓↑ーーー
 勿(な)い・勿(なか)れ・勿(な)し
 なし・ない・否定の助字
 なかれ=勿れ・莫れ・毋れ
 「~してはいけない」・禁止の助字
 勿れ・莫れ・毋れ)
 無・莫・勿=なシ」
 漢文の助字
 「無・毋・亡・莫」と同義
 存在の否定で
 古意では動詞に係り
 禁止を意味する
 ↓↑
 刎
 フン・ブン
 はねる
 首をはねる・首を切って死ぬ
 刎頸
 切る・断つ
 刎=勿+刂
   勹+丿+丿+刂
 ↓↑
 勿+α
 物=牛+勿・・・material(マテリアル)・物質(matter)
   牛=𠂉(髪挿し)+十(拾・足)
     丿+一+十
     勿=勹+
   大物主=大国主=大國主
     物=國
    物=空間のある部分を占め
      人間の感覚でとらえることのできる形をもつ対象
      物体・物品・ 物質・実体
      対象を特定化せず一般的・包括的にいう語で
      人間が知覚し思考し得る対象の一切
      牛に曳かせる
     「犂(犁・すき・レイ・槈)」
      で耕す土地=田畑
             犂=禾+丿+刀(丿𠃌・丆丿)+牛=耕作
             犁=利+牛=耕作
             槈=木+辰+寸=草切る・すく
             耨=耒+辰+寸
             耒・梳・鋤・鍬
 惚=忄+勿+心・・・恍惚・自惚れ
 忽=勿+心=コツ
   たちまち・忽ち・忽然・突然・俄に
   ゆるがせ・忽せにする
   好い加減にする
   疎(おろそ)かにする
   数の単位・一の十万分の一
   高清水 忽滑沢 (宮城県栗原市)
       ぬかりさわ
   千倉町 忽戸 (千葉県南房総市)
   ちくら こっと
   野忽那 (愛媛県松山市)
   のぐつな
 ↓↑
 匆=勿+丶=勹+丿丿+丶・・・匁(もんめ)
   ソウ・ス
   忙しい・多忙
 昜=日+一+勿=ヨウ・あがる・太陽が昇る・太陽
   開放する・とびあがる
 易=日+勿=エキ・やすい・簡単・易占
 笏=竹+勿=シャク・柄杓
 芴=艹+勿=大根やかぶらの類・アブラナ科の植物
   かすかな・ぼんやり
 虝=虎+勿=勇敢・勇猛なもの
       たけだけしい(猛々しい)
       竹嶽(武田家・竹田家)四囲?
       建丈恣意?
 吻=口+勿・・・口吻
 昒=日+勿=コツ・夜が明けきらず薄暗いさま
 㫚=勿+曰=昒・速やかである・急である
       あなどる・うっかりする
 曶=勿+日
 歾=歹+勿=しぬ・命がなくなる・生命が絶える
   くびをはねる・くびを切る
 ↓↑
 勿=複数の吹き流しを描いたもの
   混ざって旗幟が不明になること
   後に否定的意義へと変化
 勿論
 「無・莫・亡・罔・末・靡・勿・毋・蔑・无」
 ~「スルコト・スルモノ」なシ
 ~「スルコト・スルモノ」なかれ
ー↓↑ーーーー
 ・・・甲骨文字・篆書・楷書・・・
 漢字書体
 篆書・隷書・草書・行書・楷書
 発声、発音が異なる・・・古代中國人と現代中国人・・・
 秦漢呉唐の字形の・・・カンジも異なる
 漢字書体
 篆書・隷書・草書・行書・楷書
 楷書漢字構成の部品=「一・丨・丶・亅・・」
  偏・旁・冠・脚・構・垂・繞
 「変 貌 観 客 降 水 尿」・・・?
 六書
 (指事・象形・形声・会意・転注・仮借)
 で
 象形文字指事文字・会意文字・形声文字
 に分類
 「メールのノウ・サブジェクト」
 の漢字の
 「マ・ミ・ム・メ・モ」
 文字化が、またもや、アッチ、コッチと跳んでしまった・・・
 これで・・・ヤメとく・・・
 「メ」も
 「モ」も
 ニッポン古代語には重要な
 「母・喪」
 そして
 「母(はは・ボ・ム)」の類字の
 「毋(ない・なかれ・ブ・ム)」と、
 「毌(つらぬく・カン・貫)」あったかも・・・
 で、明治の文明開化の「も・モ」は
 「模・摸」なんだろう・・・相模・佐賀見・相賀摸・嵯峨模
 以下、勝手、ご自由に漢字を・・・
ーー
 ∖ マ・ミ・ム・メ・モ
   ↓  ↓ ↓   ↓ ↓
 マ→ママ マミ マム マメ マモ・・・豆・守
 ミ→ミマ ミミ ミム ミメ ミモ・・・耳・見目
 ム→ムマ ムミ ムム ムメ ムモ・・・無味・無目・無文
 メ→メマ メミ メム メメ メモ・・・女満・芽美・目亡・眼目・memo
 モ→モマ モミ モム モメ モモ・・・籾・樅・紅絹・揉・桃・百・腿・股
 ↓↑
 「mail」の発音がコトなァるダガや、ッ・・・
 ↓↑
 ミアル・ミァル・ミァール
 ミイル・ミィル・ミィール
 ミウル・ミゥル・ミゥール
 ミエル・ミェル・ミェール
 ミオル・ミォル・ミォール
ーー 
 モアル・モァル・モァール
 モイル・モィル・モィール
 モウル・モゥル・モゥール
 モエル・モェル・モェール
 モオル・モォル・モォール
ーー
 マアル・マァル・マァール
 マイル・マィル・マィール
 マウル・マゥル・マゥール
 マエル・マェル・マェール
 マオル・マォル・マォール
ーーーーー
 ム・メ・・・???・・・ママ、ミミ、ムム、メメ、モモ・・・
 邪馬壹國・・・・・壹=士+冖+豆=壱
 邪馬臺国・・・・・臺=士+口+冖+一+ム+土=台
 『隋書・俀国』・・俀=イ+妥(爫・爪)・・・妥協・采女
 「都於 邪靡堆・・堆=土+隹
  則 魏志所謂
     邪馬臺 者也」
 「壹與遣
  倭
  大夫 率善 中郎將
  掖邪狗
  等二十人送
  政等還。
  因詣臺」
 ↓↑
 倭人 在 帶方東南 大海之中 依山島 爲國邑
 舊 百餘國 漢時 有朝見者 今 使譯 所通 三十國
 從郡 至倭 循海岸 水行 歴韓國
 乍南乍東 到 其 北岸 狗邪韓國 七千餘里
 ↓↑
 始 度一海 千餘里 至 對海國
 其 大官 曰 卑狗
   副  曰 卑奴毋
 離 所居 絶島 方可 四百餘里
 土地 山險 多深林
 道路 如 禽鹿徑
 有千餘戸 無良田
      食海物
      自活
      乗船 南北 市糴
 ↓↑
 又 南渡一海 千餘里
 名曰 瀚海 至 一大國
 官亦曰 卑狗
 副 曰 卑奴毋離
 方可 三百里 多竹木叢林
 有 三千許家 差有 田地
           耕田
           猶 不足食
           亦 南北 市糴
 ↓↑
 又 渡一海 千餘里 至 末盧國
 有 四千餘戸 濱山海居 草木茂盛 行 不見前
 人好捕魚鰒 水無深淺 皆 沈没取之
 ↓↑
 東南陸行 五百里 到 伊都國
 官曰 爾支
 副曰 泄謨觚
    柄渠觚
 有 千餘戸
 世 有王 皆 統屬 女王國
 郡使 往來 常所駐
 ↓↑
 東南 至 奴國 百里
 官曰 兕馬觚
 副曰 卑奴毋離
 有 二萬餘戸
 ↓↑
 東行 至 不彌國 百里
 官曰 多模
 副曰 卑奴毋離
 有 千餘家
 ↓↑
 南 至 投馬國 水行二十日
 官曰 彌彌
 副曰 彌彌那利
 可 五萬餘戸
 ↓↑
 南 至 邪馬壹國 女王之所都
 水行十日 陸行一月
 官有 伊支馬
 次曰 彌馬升
 次曰 彌馬獲支
 次曰 奴佳鞮
 可 七萬餘戸
 ↓↑
 自 女王國以北
 其戸數 道里    可得略載
 其餘 旁國 遠絶 不可得詳
ー↓↑ーー
 邪馬台国
 と対立した
 狗奴国
 を
 熊本(球磨)
 ↓↑
  ・・・邪馬台国自体=横島・玉名?
  玉名市(たまなし)
  熊本県北部に位置する市
  横島町=大園横島
  共栄(1978年・干拓により発足)
 ↓↑
 と比定
 狗奴国の官
「狗古知卑狗」=「菊池彦」
 狗奴国は
 魏志・魏略
 共に
 女王国の南にあると記録
ー↓↑ーー
 字由・事由・時結・字游・自遊
 ↓↑
 次有 斯馬國・・・・揣摩語句
 次有 巳百支國・・・巳(己・已)百支國
 次有 伊邪國・・・・医者語句
 次有 都支國・・・・年語句
 次有 彌奴國・・・・尾努語句・・・呉音=ヌ・漢音=ド
           彌(ビ・ミ)・・三野語句
 次有 好古都國・・・考古徒語句
 次有 不呼國・・・・付加語句
 次有 姐奴國・・・・素努語句
 次有 對蘇國・・・・追訴語句
 次有 蘇奴國・・・・素怒語句
 次有 呼邑國・・・・小結語句
 次有 華奴蘇奴國・・仮名素名語句
 次有 鬼國・・・・・記・紀語句
 次有 爲吾國・・・・異語語句
 次有 鬼奴國・・・・記・紀名語句
 次有 邪馬國・・・・邪魔語句
 次有 躬臣國・・・・球審語句
           躬=身+弓
           躳=の俗字=躬
           キュウ・み・みずから=自ずから
           通仮字「宫 ・ 窮」
           異体字「𧘏・𨈴・躳・躳」
 次有 巴利國・・・・巴里語句
 次有 支惟國・・・・「恣意・思惟」語句
           「惟=忄(心)+隹(スイ・小鳥)」
 次有 烏奴國・・・・「宇土・鵜名・鴉名・加羅州」語句
               鸕野(讃良)
 次有 奴國・・・・・「怒・努・濡・孥・弩・帑」語句
 此 女王境界 所盡
 ↓↑
 其
 南有 狗奴國・・・・獣(犬)句名語句
    男子 爲王
 其
 官有 狗古智卑狗・・・比古・彦=ひこ
            ひご=庇護・肥後・日語
    不屬女王
 ↓↑
 自 郡至 女王國 萬二千餘里
 ↓↑
 女王國 東渡海 千餘里
 復有國 皆倭種
 又有
 侏儒國 在其南 人長 三四尺
 去 女王 四千餘里
 ↓↑
 又有
 裸國
 黑齒國
 復 在其東南 船行一年可至
 ↓↑
 參問
 倭地
 絶在海 中洲島
 之上 或絶 或連
 周旋 可 五千餘里
ーーーーー
 ・・・???・・・
 隈本(隈本)
 令制国肥後国
 有明海不知火海東シナ海
 に面している
 ↓↑
 熊本県
 玉名郡
 横島町
 大字
 横島
 北緯32度56分07秒
 東経130度33分46
 ↓↑
 横島町(よこしままち)
 熊本県の北西部に位置
 干拓の町
 ↓↑
 西は明辰川を挟んで玉名市
 東は唐人川を挟んで天水町
 と隣接
 南は有明海
 北部の小高い丘(外平山)
 元々
 有明海に浮かぶ島
 町域は江戸時代から
 干拓により造成された土地
 江戸時代
 1605年(慶長十年)
 熊本藩藩主
 加藤清正
 の命で
 外平山にあたる島(横島)と
 本土の間の海を
 干拓して陸地とし
 それ以後明治時代中期に干拓を繰り返し
 南側に陸地を拡張
 1967年(昭和42年)
 横島町の最後の干拓が実施
 ↓↑
 4世紀後半期
 宇土半島の基部に
 摺鉢山(すりばちやま)古墳(宇土市、96m)
 迫ノ上(さこのうえ)古墳(宇土市、56m)
 などの
 前方後円墳造営
 玉名郡和水町菊水町)に
 5世紀末~6世紀初頭の
 前方後円
 江田船山古墳がある
 古墳から
 75文字を銀象嵌大刀が出土
 ↓↑
 熊本県肥後国
 古代には
 火国(肥国)
 中心は
 八代郡肥伊郷(氷川流域)
 「多氏」と同系豪族
 「火君(ひのきみ)」が存在
 肥国は
 佐賀県長崎県の地域を含んだが
 7世紀終わり頃に
 肥前国
 肥後国
 に分割
 ↓↑
 中世
 阿蘇神社の神威を利用し
 勢力を拡大した
 「多氏」後裔の
 「阿蘇氏」
 遠江国から地頭として下り
 球磨郡土着の
 「相良氏」
 大宰府の府官
 「菊池氏」
 などの豪族が勢力を張った
 ↓↑
 南北朝時代
 後醍醐天皇の皇子
 懐良親王
 を擁し
 「菊池氏」
 が九州南朝として活躍
 「名和長年」の子孫
 「名和氏」も領地の「八代」に移った
 ↓↑
 戦国時代
 「相良氏」は
 「名和氏」を追い
 肥後国南部を支配
 北部では
 「菊池氏」
 「阿蘇氏」
 の家中は乱れ
 豊後守護の
 「大友氏」
 の介入を招き
 「国人」割拠の状態が続いた
 ↓↑
 近世
 熊本城
 蓮華院 誕生寺
 「豊臣秀吉」の九州征伐
 「佐々成政」が
 肥後の国主を命じられるが
 太閤検地に反対する
 国人たちの一揆
 秀吉は失政を招いた
 成政に切腹を命じ
 一揆の「国人」を弾圧し勢力は一掃
 後
 秀吉は
 北半分を「加藤清正
 南半分を「小西行長
 に分け与え
 「球磨郡」は
 「相良氏」の支配を認めた
 ↓↑
 「小西行長」が関ヶ原の戦いで滅亡
 「加藤清正」がその領地を併せ
 52万石の領主となり
 「熊本城」を築き
 河川・水路を改修し耕地を広げ
 「治水の名人」として評価された
 清正の死後、息子
 「加藤忠広」の代に改易され
 「細川氏
 が54万石の領主となった
 熊本藩支藩として
 宇土藩
 肥後新田藩
 家老の
 「松井家」は八代城の城代として
 3万石を与えられ
 事実上の
 八代支藩の藩主
 他に
 肥後国内には
 「相良氏」の
 「人吉藩」があった
 ↓↑
 天草
 キリシタン大名
 「小西行長
 の領地になったこともあり
 キリシタンが多かった
 関ヶ原の戦い
 「唐津藩」12万石の領主である
 「寺沢広高」の領地となり
 キリシタンを弾圧、過酷な徴税で
 寛永十四年十月二十五日
 (1637年12月11日)
 「島原の乱
 で領民の半分がこれに参加し、全滅
 天草は天領となり
 初代代官
 「鈴木重成
 によって次第に復興
 ↓↑
 近代
 水俣港(水俣市
 明治四年(1871年
 肥後国
 熊本県
 八代県
 となり
 熊本県はその後
 「白川県」と改められ
 1873年(明治六年)
 白川県
 八代県
 が合併して
 「白川県」となった
 1876年(明治九年)
 熊本県に改名
 ↓↑
 太平洋戦争末期まで
 熊本が九州の中心部で
 熊本鎮台
 第五高等学校
 などが設置
 戦況悪化で
 九州統監府を
 福岡に設置
  ↓↑
 第五高等学校教師として
 「夏目漱石
 「小泉八雲
 が住んでいた
 「森鷗外」も
 第12師団軍医部長を務め
 短編小説
 『阿部一族』・・・阿部=阿毎王朝
 を執筆
 江戸時代初期
 肥後藩で実際に起きた
 「阿部一族」が
 上意討ちで全滅した事件が題材
 ↓↑
 by 『ウィキペディアWikipedia)』
ーーーーー

f:id:naiegorou:20210318141159j:plain

f:id:naiegorou:20210318141106j:plain

 ・・・???・・・「よこしま」デ・・・ごめん・・・
  合肥(ゴウヒ・ガッピ)市
 安徽省に位置する地級市
 安徽省省都
 北緯31度51分0秒
 東経117度16分0秒
 紀元前3世紀
 秦が合肥県を置き
 九江郡に属した
 ↓↑
 後漢末期
 「曹操」に派遣された
 揚州刺史
 「劉馥」
 が整備
 「曹操
 と
 「孫権
 の係争地
 208年
 「孫権」は10万の兵を率いて
 百日あまり
 「合肥」を攻撃したが、撤退
 215年
 「曹操」配下の
 「張遼
 「李典」
 が精鋭兵800人で
 「合肥」包囲の
 呉軍を奇襲し気勢を削ぎ
 7千ほどの兵力で篭城し
 呉の10万の大軍を相手に守りきり
 撤退中の呉軍に追撃をかけ
 「孫権」を追い詰めた(合肥の戦い)
 その後も
 「張遼」は呉軍を寄せ付けず恐れられ
 「遼来遼来」
 の言葉を生んだ・・・
 ↓↑
 三国時代
 魏の
 揚州経略の主要拠点
 呉から何度も攻撃された
 230年代初頭
 魏の
 「満寵」
 が老朽化した
 「合肥城」の北西側に
 「合肥新城」を築城
 234年
 呉の「孫権」が同城を攻撃したが
 魏の
 「曹叡(明帝)」が親征で撃退
 253年
 呉の
 「諸葛恪」
 が攻撃するが
 これを撃退
 ↓↑
 後
 隋代に
 「合肥県」に・・・・合して肥を懸ける?
 「廬州府」・・・・・廬の州府⇔鸕の
                周(集・宗)
                夫(符・附)
  が設置
 明清時代まで続いた
 「廬州」の別称でも呼ばれた
 ↓↑
 1949年1月21日
 国共内戦
 中国国民党軍を破った
 解放軍が合肥に入城
 2月1日に県を廃して
 合肥市を建てた
 1952年8月25日
 安徽省人民政府成立
 合肥市に駐在
ーーーーー
 ・・・???・・・「合肥」・・・
 なんで、「合=𠆢一口」+「肥=肉巴」なんだか・・・イド・・・