ムシさん、一所懸命だけれど・・・転生先、ムシはいやだ、ナッ!
3054日目・文字霊日記
やっと、ハル・緑色蔓延の根本、ムシ、ムシが蠢いている・・・
イシの割れ目にもワンサカ・・・転生先、ムシはいやだ、ナッ!
イワレ・・・意 話 例・・・イワのアマリ・・・謂禮・・・
↓↑
トマト、キュウリ、イモ、タマネギ・・・庭の空間に植えた
桜、梨の花が散った・・・
隣の真っ黄色の絨毯のタンポポが散った・・・
水仙も散った・・・八重桜がしぶとく咲いている・・・
昨日、札幌の従姉から電話・・・ワクチンの予約と
コロナ蔓延の近況・・・道内既に1400人死亡・・・
昨夜は皆既日食だったが
眼鏡を兼ね、よろよろと観察場所まで歩いたが
クモがイジワルで観察を邪魔・・・
今日は
お米をカワなくちゃぁ・・・郵便局と農協とスーパーに行ってきた
処方された薬をサボって三日・・・
頻尿は相変わらずだが便通よし、目眩なし・・・
ナンか調子がイイみたいだけれど・・・?
ナガイモを食べたせいなのか・・・体調ヨシ・・・
自転車運転も快調・・・
↓↑
「はらぺこあおむし」・・・「まんぷくあおむし」・・・?
(The Very Hungry Caterpillar )
エリック・カール(Eric Carle)さん
1929年6月25日
~
2021年5月23日
大運2015年10月(86歳)辛酉比肩
己巳(戊庚丙)偏印・正官 死⇔辛丑比肩
庚午(丙 丁)劫財・偏印 病⇔癸巳食神
辛丑(癸辛己) ・偏印 養⇔辛未比肩
甲午(丙 丁)正財・偏印 病⇔甲午正財
辰巳空亡
↓↑
「はらぺこイナゴ」だって・・・もっと食べたい・・・
↓↑
協同生活を維持するには「食糧確保」が必要だ・・・
世界的な「食糧生産状況」を観れば・・・
飢饉・餓死・共同体崩壊・・・
ワクチン不足よりも「食糧不足」・・・
争いは「食い物」から起こる・・・
↓↑
238年
弐百参拾八・238・にいさんはち
爾意纂(編纂・簒・簒奪)の恥(葉知)・・・
新意作務(似簒・爾纂)の・・・持参
鉢(頗地・金+本)を・・・・・葉知
捌(さばく)・・・・・・・・・分別
ゴビ砂漠=乾燥沙(砂)漠・・・・・さばく
「感想・観想・間奏・換装」捌句
「沙漠は生きている(The Living Desert)」
ウォルト・ディズニー1953年製作記録映画
↓↑
戈壁(Gēbi・コービィ・Gobi)サバク(Desert)
↓↑
「語尾・語毘・語微・語琵」を捌(裁・さば)く
↓↑
2+3+8=5+8=13・・・1+3=肆
2×3×8=6×8=48・・・4×8=32=参拾貳
3×2=陸
8-3-2=5-2=3・・・・・参・參
8÷3÷2=1.3333333・・・壹点(comma)・参・參
コンマ (comma)=カンマ
約物の一・文の区切り・数字の区切り・小数点
小音程
音の三要素=「音の大きさ(音波)=音圧
音程=音波の数量・音波数
音色=音の振動・音階」・・・?
↓↑
タクラマカン砂漠
塔克拉瑪干 沙漠・Taklamakan Desert
漢字には「意味」がある・・・当然である
塔=十+一+艹+亼(人一)+口
荅=トウ・こたえる=答
克=十+口+儿・・・克服・克己・克服
相克・超克・下克上
克明・・・明に克つ?
拉=才(扌・手)+立(亠ハ一)
・・・拉致誘拐
瑪=王+馬・・・瑪瑙(メノウ)=赤い石の球
干=丅+一=一+十
・・・干魃=日照り=旱魃
干乾びる
乾=戌亥
中国の北西
干支
干=幹・日
草原~沙漠~草原を支配する
遊牧民の
「汗=氵+干=首領・部族長」⇔干・旱
の意義を知れば
↓↑
「帰れない場所」・・・
『帰らざる沙漠(The Desert of No Return)』
『帰らざる河(The River of No Return)』
マリリン・モンローの姉ちゃん・・・
不帰還河川・・・?
↓↑
Marilyn Monroe
「Dumb blonde」
マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)
1926年6月1日
~
1962年8月5日
大運1954年2月(27歳)庚寅劫財
丙寅(戊丙甲)正官・正財 胎⇔壬寅傷官
癸巳(戊庚丙)食神・正官 死⇔丁未偏官
辛酉(庚 辛) ・比肩建禄⇔乙亥偏財
甲午(丙 丁)正財・偏官 病⇔壬午傷官
子丑空亡
↓↑
大運1954年7月(28歳)庚寅比肩
丙┏寅(戊丙甲)偏官・偏財 絶⇔壬寅食神
癸┏巳(戊庚丙)傷官・偏官長生⇔丁未正官
庚┗申(戊壬庚) ・比肩建禄⇔乙亥正財
壬 午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔壬午食神
↓↑
「ブロンド・ボムシェル
(Blonde bombshell・金髪美女)」?
元々は「brown hair(brunette)」
栗毛色=Chestnut color(チェスナッツ)
Chest=区切られた部屋
カスタネット(castanet)
スペイン語
『カスターニャ(castana)』
ギリシャでは
「栗の木」で作っていた
形が栗の実に似ているから
「丸い貝型」の
木片を2枚合わせ
これを打ち合わせて
音を出す楽器
カスタネア(Castanea)は
実の形から・・・1個~3個
「樽」を意味する「カスク」に由来
栗色=褐色=こげ茶色
褐簾石= (カツレンセキ
アラナイト・Allanite)
褐=衣+曷
=カツ・カチ
ぬのこ
粗い毛で織った衣服
粗=あらい=新井・荒井
褐夫・褐炭
三度栗=年に三回実がなる栗の樹木
桃栗三年、柿八年
梨の馬鹿めが十八年
ユズ(柚子)の馬鹿野郎十八年
梅はすいすい十六年
種を植えてから
実を収穫できるまでの期間の伝承
天津甘栗
江戸時代
サツマイモが伝来
味が栗と比較され
クリ=九里と重ね
『クリに近い』ので『八里半』
クリより(9里+4里)
うまいので
『十三里』等と言われた
褐色
元々は
栗の実の色・・・
栗栽培は
縄文時代
三内丸山遺跡
出土状況から
建築材や燃料材はクリが大半
多数の堅果類
(クリ、クルミ、トチなど)の殻が発掘
栗が「主食」
・・・栗鼠(りす)?
栗=西+木=くり・リツ
鼠=臼+レ+冫+レ+冫+レ=ねずみ・ソ
=子=了+一=終わりの始まり
移鼠=イエス・キリスト
↓↑
ナゼ「くりや=厨・厨房・庫裏」なのかは
「くり(栗)」の調理場・貯蔵庫だった・・・?
↓↑
元=二+儿(ニン・ジン・小児)
二人の児=双子・双生児
=一+兀(ゴツ・ゴチ・高くでっぱった貌)
兀々(コツコツ)と真面目にする
↓↑
『替えラざる掛話(The talk of No Return)』
『換えラざる珂話(The king of No Return)』
『換えラざる歌話(The song of No Return)』
『変えラざる化話(The history of No Return)』
・・・「蛙(かえる)」沙流(猿・猱・猨・猴
狙・申・然る・去る)・・・?
・・・カエらザル(カエレない・カエルことができない)・・・
~ラざる~・・・否定の形容詞?
キカン(帰還)出来ない・戻れない・・・
循環 出来ない・戻=一+尸+一+人
始めの屍は元(二儿・壹)のヒト
水は上流から下流に流れる・・・
雨水は天から地上に落下する・・・
瀧の水は瀧壺に落下する
が
水の形態である
龍巻(竜巻・tornado・トルネード)は
水を空中上方に巻き上げる・・・
↓↑
食糧不足は食糧生産が出来ない原因があると
謂(言+胃・胃=田+肉)うコトだ・・・
オホアメとか、ジシンとか、コウズイとか、ヤマツナミとか・・・
ヒデリとか・・・
ラクライとか、タツマキとか・・・
チャイナコロナとか・・・
ワクチンとか・・・・・危険がワンサカ・・・詭弁?
↓↑
湧く池楙・倭句沈・・・湧水の池の沈澱・・・
泉・和泉・出水の沈澱?
↓↑
稚武・・・わか(稚)たけ(武)・・・若竹⇔筍・笋
竹の子⇔他家の児・筑紫の児?
諡号 雄略天皇
和風諡号 大泊瀬 幼武 天皇
諱 大泊瀬 幼武
大泊瀬 幼武
別称 大泊瀬 幼武 尊
大長谷 若建 命
大長谷 王
倭王武
↓↑
オホヒコ(意冨比垝)・・・?
おほひき
イフヒキ・委付(府・歩)率・・・渉猟跋扈・・・?
・・・垝=土+危=壞牆・垝垣(坏墙)
キ・もろい・毀損した
老朽化した・古びた・朽ちた
dilapidated(デラピデイティドゥ)
ruined(ルーインドゥ)
廃墟・荒廃・破滅・没落・台無し
建物・車などが荒廃した、荒れ果てた、壊れかけた
おんぼろの、ぼろぼろの、くたびれた
毀也・坫也・障壁・食台・食卓
ヲワケ(乎獲居)・・・?
コとりい・カとりいル
小鳥居 榎(柯・樺・架・珂)鳥居留?
榎=えのき
柯=くき・茎・枝
樺=かば・から・椛
↓↑
獲加多支鹵 大王・・・?
わかたける・・・・・・?
とりくわえるおほくささえるしほ(たて・楯)?
↓↑
獲(とる・カク)・獲得・獲物
加(くわえる・カ)・加増・加速・加担・加地・加持
多(おほい・タ)・多大
支(ささえる・シ)・支配・支柱・支援
鹵(しほ・盾・ロ)・鹽・鸕・呂・魯
カクカタシロ
カカタシロ
獲得して加え多くを支配する志雄(魯・太公望)
ーー↓↑ーー
稲荷山古墳出土
鉄剣銘文
(表)
辛亥年七月中記
乎獲居 臣・・・乎・確乎不動・確乎不抜
鳥
居
上祖名
意富比垝
其児 多加利足尼
其児名 弖已加利獲居
其児名 多加披次獲居
其児名 多沙鬼獲居
其児名 半弖比
(裏)
其児名 加差披余
其児名 乎獲居 臣
世々 為 杖刀人首
奉事
来至今
獲加多支鹵大王
寺
在
斯鬼宮 時
吾 左治天下
令作
此百練利刀
記
吾奉事
根原也
ーー↓↑ー
楙=木+矛
木+予+丿
木+龴+乛+亅+丿
ボウ
モ
ム?
しげる・茂
ぼけ
バラ科の落葉低木
↓↑
夏侯 楙(カコウ ボウ・カコウ モ)
「化工・火口・加工・下降」
+某
+摸・模・藻
三国時代の武将
武略に欠け、金儲けが巧い・妾が多
「段黙」
によって
妻の
「清河長」
公主と
弟2人の誣告から免れたが
「諸葛亮」
の策に嵌って
「馬遵」
と共に
「羌族」の土地へ逃亡
↓↑
字 子林
父 夏侯惇(伏波将軍)
・・・伏せる波(頗・葉)?
兄 夏侯充
弟 夏侯子臧・夏侯子江・他数名
従父 夏侯淵(妙才)
↓↑
妻 曹操の娘(清河長公主)
『三国志・魏志・諸夏侯曹伝』
↓↑
太和(タイワ)・・・大和?
三国時代の
魏の
明帝
曹叡
治世の最初の元号
227~233年・・・・・
↓↑
魏
太和 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年
西暦 227年 228年 229年 230年 231年 232年 233年
干支 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥 壬子 癸丑
↓↑
蜀 建興5 建興6 建興7 建興8 建興9 建興10 建興11
呉 黄武6 黄武7 黄武8 黄龍2 黄龍3 嘉禾元 嘉禾2
黄龍元
卑弥呼(生年不明~242年~248年)
↓↑
景初二年(238年)十二月
卑弥呼
難升米
らを魏に派遣
魏から
「親魏倭王」の金印
「銅鏡100枚」を与えられた
↓↑
正始元年(240年)
帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ
詔書、印綬を奉じて
倭王に拝受
正始四年(243年)十二月
倭王
大夫の
伊聲耆・・・為政の耆(キ・シ
おさ・かしら・長老)
掖邪狗・・・脇の役(和記の譯人)
ら
八人を復遣使として魏に派遣
掖邪狗らは
率善中郎将の印綬を受けた
正始六年(245年)
難升米・・・納武将 米
ベイ=兵
マイ=麻委
メ =目
女
芽=艹+牙
苺=艹+母
こめ=乎女
よね=與根
に黄幢を授与
正始八年(247年)
載斯・・・祭司
烏越・・・加羅謁(越地)
らを
帯方郡に派遣
狗奴国との戦争報告
魏は
張政
を倭に派遣
難升米
に
詔書
黄幢を授与
卑弥呼
死亡
男王が立ち
混乱、互いに誅殺しあい千人余が死亡
卑弥呼の
宗女「壹與」
十三歳
を王に立て
鎮定
女王
「壹與」
「掖邪狗」
ら20人に
張政
の帰還を送らせ
「掖邪狗」
らはそのまま
都に向かい
男女の生口 三十人
白珠 五千孔
青大句珠 二枚
異文雑錦 二十匹
を貢いだ
↓↑
238年=戊午
神功皇后摂政 三十八年
皇紀898年
↓↑
中国
魏 景初二年
公孫淵(燕) 紹漢二年
蜀 (蜀漢) 延熙元年
呉 嘉禾七年・赤烏元年
↓↑
朝鮮
高句麗 東川王十二年
新羅 助賁王 九年
百済 古尓王 五年
↓↑
遼東の
公孫淵
237年
魏に謀反し
↓↑
238年
八月
「司馬懿」・・・・・懿徳天皇
の追討軍に敗れ
50年間の
「公孫」氏の・・・・公の孫の淵
遼東支配終焉
ーーーーー
リンゴの皮むき・・・
↓↑
瀧=たき=多岐・多紀・多喜・他記・田記・多伎・・・おたきさん
壷=つぼ=壺・坪・坩・臺・・・
に
磐=いわ
鳴=なき・・・な+(か・き・く・け・こ)
なる・・・な+(ら・り・る・れ・ろ)
に
落下
する
湖沼(ダム・dam・堰堤=エンテイ)
の
水・・・ダメ(駄目・打目・試)・・・?
↓↑
磐の割目・・・違和感があるけれど・・・そんなカンジ・・・
磐=般+石
舟+殳+丆+口
舟+几+又+一+丿+口
ハン
バン
いわ
わだかまる(蟠る)・蜷局を巻く
入り組んで複雑に絡み合う
いわお・大きく厚い岩・平たく大きな岩
とどこおる(滞る)・渋滞
↓↑
いわき(岩城・岩木・磐城・石城・井脇)
↓↑
岩木町(いわきまち)
青森県中津軽郡にあった町
弘前市・相馬村と合併し
名前消滅
↓↑
磐城国(いわきのくに)
戊辰戦争終結直後
1869年1月19日(明治元年旧暦12月7日)
陸奥国が分割設立
東山道に位置
別称は
「磐州(バンシュウ)」・・・播州赤穂・・・
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↓↑
磐余(いわれ・いわよ・バンヨ)・磐盤
謂我・謂和例・石村・石寸
↓↑
神武天皇=磐余彦
日本の初代天皇
諱 彦火火出見(ひこほほでみ)
・・・彦=びこ=毘処なら臍(綣)
・・・火口からの噴火の見物・観察?
狭野(さの・さぬ)・・・狭間・溪(渓)谷
神 日本 磐余彦 天皇
(かみ やまと
いはあれびこ の
すめらみこと)
神 倭 伊波礼毘古 命
若 御毛 沼 命
(わか みけ ぬ のみこと)古事記
話 髪 毛 濡 之見事(いのち・メイ)
意廼知 姪=女+至
女の壹は横嶌の拾位地
豊 御毛沼 命
(とよ みけぬのみこと)古事記
始 馭 天下之 天皇
(はつくにしらす すめらみこと)日本書紀
馭者(ギョシャ)=御者
統べる・治める・馬をあやつる
↓↑
磐保村(いわほむら)
福島県
耶麻郡・・・?邪魔こおり?
に存在した村
猪苗代湖=天鏡湖
・・・磐梯山や猫魔火山の
大規模な噴火活動によってできたカルデラ
瓜の苗場?・・・稲苗平生?
湖北部の沖に縄文土器などの出土
の北岸に面し
東西北の三方を
会津
磐梯山
などの山々に囲まれる
↓↑
秋元湖(あきもとこ)
福島県
耶麻郡
北塩原村
猪苗代町
にまたがる湖
桧原(ひばら・檜ゲン)湖
小野川湖
とともに
裏磐梯三湖を形成
五色沼(ごしきぬま)
磐梯山の北側
裏磐梯地域にある
大小30余りの小湖沼群
緑・赤・青
などの色の沼が点在
↓↑
磐(いわ・いわお・バン)・磐石
磐城国(いわきのくに・福島県)の略字
磐梯山・・・野口英世(てんぼう)の出生地
磐越=福島県と新潟県の総称
常磐=茨城県と福島県の総称
↓↑
磐=舟+殳+石
舟+𠘨+又+石
磐之姫命
磐之媛
磐之媛命
・・・お岩・・・四谷怪談 お岩
四谷左門町に「田宮伊右衛門(31歳)」
と妻の「お岩(21歳)」
↓↑
磐井の乱
527年(継体二十一年)
朝鮮半島南部へ出兵しようとした
近江毛野率いる
ヤマト王権軍の進軍を
筑紫君
磐井(『日本書紀』は筑紫国造)
が
阻(はば)み
528年(継体二十二年)十一月
物部麁鹿火に鎮圧
ー↓↑ーーー
磐井 彦太郎(いわい ひこたろう)・・・ダレ?
明治時代の東京の工業家で
磐井燈(蛍光灯)の発明者
安政六年一月(1859年2月)
「萬代 萬衛門」・・・萬の代 萬を衛る門
の長男
後に姓を
「磐井」に改名
號 望岳・桂嬢
13、4歳頃
に
大阪外国学校に入学、退学
明治12、3年(1879・80年)頃
工部省に出仕
横浜電信局勤務
明治18年(1885年)
欧米に渡航
点灯器の調査
明治22年(1889年)
帰国後
「蛍光灯を発明」・・・?
して特許
「磐井燈」と名付け
製造販売
「狂歌園噪々子」を名乗った
↓↑
以上も以下も「原文」は『ウィキペディア(Wikipedia)』・・・
改行と「・・・」、「?」だけが
ボクの思惟、思考の「自問自答?」です
ー↓↑ーーー
1926年
ドイツの発明家
エトムント・ゲルマー
のグループ
管内の圧力を上げ、蛍光粉末で覆うことで
放たれ~た紫外線を
均一な白い光に変換することを提案
ゲルマーは一般に「蛍光灯の発明者」・・・
↓↑
盤=舟+殳+皿
↓↑
自然界では人間も含め生存競争が激しい・・・
↓↑
常布の滝(群馬県草津町草津)
笛吹川の源流部
広瀬湖(広瀬ダム)
上流にある渓谷
↓↑
建久四年五月二十八日
(1193年6月28日)
癸巳(年)
丁巳(月)
癸巳(日)
丁巳(時刻・9~11時)・戊午~
↓↑
・・・観たよナぁ~ッ・・・
「蘇我兄弟 富士の夜襲」・・・
東映映画・本編 111分
音楽
万城目 正(まんじょうめ ただし)=萬城目 侃
北海道
十勝支庁
中川郡
幕別村
(幕別町)
出身
映画『そよかぜ』の音楽を担当
主題歌
「リンゴ🍎の唄」が
「並木路子」で大ヒット
↓↑
曾我祐成(そが すけなり)=曽我十郎
東千代之介・・・雪之丞変化・「三上 於菟吉」の時代小説
↓↑
曾我時致(そが ときむね)=曽我五郎・曽我時宗
中村錦之助 (萬屋錦之介)・・・萬屋の由来?
1971年(昭和46年)
小川家一門が播磨屋から独立して名乗った
・・・萬屋の由来?・・・「なんでも屋」
三代目中村歌六の妻
小川かめの実家が
市村座の芝居茶屋の
小川吉右衛門の「萬屋」だった・・・
何でも一通りは知っている人
何事も広く浅くこなす人
↓↑
兄弟が
父の仇
工藤祐経
月形龍之介・・・水戸黄門・梅園・大日本史
偕楽園・常陸「太田」市
新宿町不老沢
↓↑
を討とうと
密議をしていたが
滝の轟音
で話が聞き取れない
そこで神に念じて
滝の音が止んだ
曾我兄弟は本懐を遂げた
音止めの滝(おとどめのたき)・・・「音留のタキ」
静岡県
富士宮市にある滝
近くに白糸の滝
↓↑
曾我兄弟が隠れていた
「曾我の隠れ岩(磐・岩・巌・いわ)」
・・・違和・伊波・異話
↓↑
曾我祐成・時致
兄弟が
父の仇
工藤祐経
を討とうと
密議をしていたが
滝の轟音で話が聞き取れない
そこで神に念じて
滝の音が止んで
曾我兄弟は本懐を遂げた
音止めの滝(おとどめのたき)
静岡県
富士宮市にある滝
近くに「白糸の滝」
↓↑
曾我兄弟が隠れていた
「曾我の隠れ岩」
↓↑
工藤祐経
は親族(義理の叔父かつ元義父)の
伊東祐親
に恨みを抱き
一族の先代当主
工藤祐隆
による
所領分割相続の措置・・・領土問題はムカシから
に不満の
祐親が
祐経の所領を奪った上
祐経に嫁いだ祐親の娘
「万劫御前」
とも離縁させたため
↓↑
安元二年(1176年)十月
工藤祐経
は郎党の
大見 小藤太
八幡 三郎
に狩に出た
祐親を待ち伏せさせ殺した
2人が放った矢は一緒にいた
祐親の嫡男
「河津祐泰」
に当たり死亡
2人は暗殺実行後
伊東方の追討により殺された
↓↑
祐泰の妻の
満江御前(満行)・・・満の江の御の前?
その子
「一萬丸」・・・・壱の萬の丸
「箱王丸(筥王丸)」・・・ハコオウのマル?
が遺され
「満江御前」は
「曾我祐信」と再婚
↓↑
「治承・寿永の乱」で
平家方についた
伊東氏は没落し
祐親は捕らえられ自害
一方
祐経は
源頼朝に従って
御家人となり
寵臣となった
↓↑
「一萬丸」は
曽我の家督を継ぎ
「曾我 十郎祐成」
と名乗った
弟の
「箱王丸」は
父の菩提を弔うべく
箱根権現社に
稚児として預けられた
↓↑
文治三年(1187年)
源頼朝
箱根権現に参拝した際
箱王丸は随参した
敵の
工藤祐経
を見つけ
復讐しようと付け狙うが
逆に
祐経に諭されて
「赤木柄の短刀」
を授けられた
五郎時致
は後にこの
「赤木柄の短刀」で
工藤祐経
に止めをさした
↓↑
箱王丸は箱根を逃げ出し
縁者の
北条時政
を頼り(時政の前妻が祐親の娘)
烏帽子親となってもらって元服
「曾我五郎時致」と名乗った
↓↑
仇討ち成就を願い
箱根権現社に赴き祈請
↓↑
「ちはやぶる 神の誓ひの 違はずは
親の敵に 逢ふ瀬 結ばん
曾我十郎祐成」
↓↑
「天くだり 塵に交はる 甲斐あれば
明日は敵に 逢ふ瀬 結ばん
曾我五郎箱王丸」
↓↑
世話になった
「別当」・・・別に当てる・・・カンジ?
の元を訪れ
↓↑
「夢ならで またも逢ふべき
身ならねば 見るおもかげに
袖 朽ちぬべし
箱根の別当」
↓↑
建久四年(1193年)五月
源頼朝は
「富士の裾野」で
「巻狩」・・・「日本書紀・参拾巻」を借りる
を開催
五月二十八日
曾我兄弟は
祐経の寝所に押し入り
酒に酔って遊女と寝ていた
祐経を起こして討ち果たした
騒ぎに集まってきた武士たちに
取り囲まれ
兄弟は10人斬りの後
兄の祐成が
仁田忠常
に討たれ
弟の時致は
頼朝の御前を目指し
向かってきた武士たちを倒し
頼朝の館に押し入ったが
頼朝の近習
御所五郎丸
によって取り押さえられ
頼朝の命は救われた
↓↑
五月二十九日
時致は
頼朝に心底を述べる
頼朝は助命を考えたが
祐経の遺児
「犬房丸」・・・犬のフサ丸・・・伏姫の忠犬「八房」
に請われて斬首を申し渡し
斬られた
↓↑
『曾我物語』
五郎丸が
女装して
時致に接近・・・女形は歌舞伎・京劇の「旦(ダン)」
『吾妻鏡』
『曾我物語』
には女装のことは書かれていない・・・
↓↑
『吾妻鏡』
六月一日
祐成の妾
「虎」
という名の大磯の遊女を召し出して訊問
無罪、放免
十八日
「虎」が箱根で祐成の供養
祐成が最後に与えた
「葦毛の馬」
を捧げて出家を遂げ信濃善光寺に赴いた
十九歳
↓↑
出家して
「律師」と号していた
曾我兄弟の末弟が
鎌倉へ呼び出され
七月二日
甘縄で自害
↓↑
事件の直後
頼朝の消息を確認することができず
「政子」が
「巻狩」に参加せず
鎌倉に残っていた弟の
源範頼が
「範頼が控えておりますので」
と見舞いの言葉を送り
この言質が謀反と取られ
範頼
八月十七日
伊豆修禅寺に幽閉された
その後
範頼は誅殺
二十日
祐成・時致の同腹の兄弟
原小次郎(京の小次郎)
が範頼の縁座で処刑
↓↑
常陸国の御家人が
頼朝を守らずに逃げた
常陸国の
「多気義幹」・・・「多気」の「義幹」
が叛旗を翻した
↓↑
頼朝暗殺未遂
工藤祐経
を討った後
曾我兄弟は
頼朝
の宿所を襲おうとした
兄弟の後援者
北条時政
が黒幕となって
頼朝を亡き者にしようとした・・・
伊東祐親
は
工藤祐経
に襲撃される直前に
外孫の
頼朝の長男
千鶴丸(千鶴御前)
を殺害しており
工藤祐経による
伊東祐親
父子襲撃そのものに
息子を殺された
頼朝による報復・・・
曾我兄弟も
工藤祐経
による
伊東父子襲撃の背後に
頼朝がいたことを知っていた・・・
ーーーーー
???・・・
↓↑
「古事記字源のページの表紙・音楽・動画」
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「古事記字源のページ・2016/12~」
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↓↑ ↓↑
本日の「干支歴」
http://meisiki.bake-neko.net/
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旧「HP」の移転先
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm
ムシさん、一所懸命だけれど・・・転生先、ムシはいやだ、ナッ!
3054日目・文字霊日記
やっと、ハル・緑色蔓延の根本、ムシ、ムシが蠢いている・・・
イシの割れ目にもワンサカ・・・転生先、ムシはいやだ、ナッ!
イワレ・・・意 話 例・・・イワのアマリ・・・謂禮・・・
↓↑
トマト、キュウリ、イモ、タマネギ・・・庭の空間に植えた
桜、梨の花が散った・・・
隣の真っ黄色の絨毯のタンポポが散った・・・
水仙も散った・・・八重桜がしぶとく咲いている・・・
昨日、札幌の従姉から電話・・・ワクチンの予約と
コロナ蔓延の近況・・・道内既に1400人死亡・・・
昨夜は皆既日食だったが
眼鏡を兼ね、よろよろと観察場所まで歩いたが
クモがイジワルで観察を邪魔・・・
今日は
お米をカワなくちゃぁ・・・郵便局と農協とスーパーに行ってきた
処方された薬をサボって三日・・・
頻尿は相変わらずだが便通よし、目眩なし・・・
ナンか調子がイイみたいだけれど・・・?
ナガイモを食べたせいなのか・・・体調ヨシ・・・
自転車運転も快調・・・
↓↑
「はらぺこあおむし」・・・「まんぷくあおむし」・・・?
(The Very Hungry Caterpillar )
エリック・カール(Eric Carle)さん
1929年6月25日
~
2021年5月23日
大運2015年10月(86歳)辛酉比肩
己巳(戊庚丙)偏印・正官 死⇔辛丑比肩
庚午(丙 丁)劫財・偏印 病⇔癸巳食神
辛丑(癸辛己) ・偏印 養⇔辛未比肩
甲午(丙 丁)正財・偏印 病⇔甲午正財
辰巳空亡
↓↑
「はらぺこイナゴ」だって・・・もっと食べたい・・・
↓↑
協同生活を維持するには「食糧確保」が必要だ・・・
世界的な「食糧生産状況」を観れば・・・
飢饉・餓死・共同体崩壊・・・
ワクチン不足よりも「食糧不足」・・・
争いは「食い物」から起こる・・・
↓↑
238年
弐百参拾八・238・にいさんはち
爾意纂(編纂・簒・簒奪)の恥(葉知)・・・
新意作務(似簒・爾纂)の・・・持参
鉢(頗地・金+本)を・・・・・葉知
捌(さばく)・・・・・・・・・分別
ゴビ砂漠=乾燥沙(砂)漠・・・・・さばく
「感想・観想・間奏・換装」捌句
「沙漠は生きている(The Living Desert)」
ウォルト・ディズニー1953年製作記録映画
↓↑
戈壁(Gēbi・コービィ・Gobi)サバク(Desert)
↓↑
「語尾・語毘・語微・語琵」を捌(裁・さば)く
↓↑
2+3+8=5+8=13・・・1+3=肆
2×3×8=6×8=48・・・4×8=32=参拾貳
3×2=陸
8-3-2=5-2=3・・・・・参・參
8÷3÷2=1.3333333・・・壹点(comma)・参・參
コンマ (comma)=カンマ
約物の一・文の区切り・数字の区切り・小数点
小音程
音の三要素=「音の大きさ(音波)=音圧
音程=音波の数量・音波数
音色=音の振動・音階」・・・?
↓↑
タクラマカン砂漠
塔克拉瑪干 沙漠・Taklamakan Desert
漢字には「意味」がある・・・当然である
塔=十+一+艹+亼(人一)+口
荅=トウ・こたえる=答
克=十+口+儿・・・克服・克己・克服
相克・超克・下克上
克明・・・明に克つ?
拉=才(扌・手)+立(亠ハ一)
・・・拉致誘拐
瑪=王+馬・・・瑪瑙(メノウ)=赤い石の球
干=丅+一=一+十
・・・干魃=日照り=旱魃
干乾びる
乾=戌亥
中国の北西
干支
干=幹・日
草原~沙漠~草原を支配する
遊牧民の
「汗=氵+干=首領・部族長」⇔干・旱
の意義を知れば
↓↑
「帰れない場所」・・・
『帰らざる沙漠(The Desert of No Return)』
『帰らざる河(The River of No Return)』
マリリン・モンローの姉ちゃん・・・
不帰還河川・・・?
↓↑
Marilyn Monroe
「Dumb blonde」
マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)
1926年6月1日
~
1962年8月5日
大運1954年2月(27歳)庚寅劫財
丙寅(戊丙甲)正官・正財 胎⇔壬寅傷官
癸巳(戊庚丙)食神・正官 死⇔丁未偏官
辛酉(庚 辛) ・比肩建禄⇔乙亥偏財
甲午(丙 丁)正財・偏官 病⇔壬午傷官
子丑空亡
↓↑
大運1954年7月(28歳)庚寅比肩
丙┏寅(戊丙甲)偏官・偏財 絶⇔壬寅食神
癸┏巳(戊庚丙)傷官・偏官長生⇔丁未正官
庚┗申(戊壬庚) ・比肩建禄⇔乙亥正財
壬 午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔壬午食神
↓↑
「ブロンド・ボムシェル
(Blonde bombshell・金髪美女)」?
元々は「brown hair(brunette)」
栗毛色=Chestnut color(チェスナッツ)
Chest=区切られた部屋
カスタネット(castanet)
スペイン語
『カスターニャ(castana)』
ギリシャでは
「栗の木」で作っていた
形が栗の実に似ているから
「丸い貝型」の
木片を2枚合わせ
これを打ち合わせて
音を出す楽器
カスタネア(Castanea)は
実の形から・・・1個~3個
「樽」を意味する「カスク」に由来
栗色=褐色=こげ茶色
褐簾石= (カツレンセキ
アラナイト・Allanite)
褐=衣+曷
=カツ・カチ
ぬのこ
粗い毛で織った衣服
粗=あらい=新井・荒井
褐夫・褐炭
三度栗=年に三回実がなる栗の樹木
桃栗三年、柿八年
梨の馬鹿めが十八年
ユズ(柚子)の馬鹿野郎十八年
梅はすいすい十六年
種を植えてから
実を収穫できるまでの期間の伝承
天津甘栗
江戸時代
サツマイモが伝来
味が栗と比較され
クリ=九里と重ね
『クリに近い』ので『八里半』
クリより(9里+4里)
うまいので
『十三里』等と言われた
褐色
元々は
栗の実の色・・・
栗栽培は
縄文時代
三内丸山遺跡
出土状況から
建築材や燃料材はクリが大半
多数の堅果類
(クリ、クルミ、トチなど)の殻が発掘
栗が「主食」
・・・栗鼠(りす)?
栗=西+木=くり・リツ
鼠=臼+レ+冫+レ+冫+レ=ねずみ・ソ
=子=了+一=終わりの始まり
移鼠=イエス・キリスト
↓↑
ナゼ「くりや=厨・厨房・庫裏」なのかは
「くり(栗)」の調理場・貯蔵庫だった・・・?
↓↑
元=二+儿(ニン・ジン・小児)
二人の児=双子・双生児
=一+兀(ゴツ・ゴチ・高くでっぱった貌)
兀々(コツコツ)と真面目にする
↓↑
『替えラざる掛話(The talk of No Return)』
『換えラざる珂話(The king of No Return)』
『換えラざる歌話(The song of No Return)』
『変えラざる化話(The history of No Return)』
・・・「蛙(かえる)」沙流(猿・猱・猨・猴
狙・申・然る・去る)・・・?
・・・カエらザル(カエレない・カエルことができない)・・・
~ラざる~・・・否定の形容詞?
キカン(帰還)出来ない・戻れない・・・
循環 出来ない・戻=一+尸+一+人
始めの屍は元(二儿・壹)のヒト
水は上流から下流に流れる・・・
雨水は天から地上に落下する・・・
瀧の水は瀧壺に落下する
が
水の形態である
龍巻(竜巻・tornado・トルネード)は
水を空中上方に巻き上げる・・・
↓↑
食糧不足は食糧生産が出来ない原因があると
謂(言+胃・胃=田+肉)うコトだ・・・
オホアメとか、ジシンとか、コウズイとか、ヤマツナミとか・・・
ヒデリとか・・・
ラクライとか、タツマキとか・・・
チャイナコロナとか・・・
ワクチンとか・・・・・危険がワンサカ・・・詭弁?
↓↑
湧く池楙・倭句沈・・・湧水の池の沈澱・・・
泉・和泉・出水の沈澱?
↓↑
稚武・・・わか(稚)たけ(武)・・・若竹⇔筍・笋
竹の子⇔他家の児・筑紫の児?
諡号 雄略天皇
和風諡号 大泊瀬 幼武 天皇
諱 大泊瀬 幼武
大泊瀬 幼武
別称 大泊瀬 幼武 尊
大長谷 若建 命
大長谷 王
倭王武
↓↑
オホヒコ(意冨比垝)・・・?
おほひき
イフヒキ・委付(府・歩)率・・・渉猟跋扈・・・?
・・・垝=土+危=壞牆・垝垣(坏墙)
キ・もろい・毀損した
老朽化した・古びた・朽ちた
dilapidated(デラピデイティドゥ)
ruined(ルーインドゥ)
廃墟・荒廃・破滅・没落・台無し
建物・車などが荒廃した、荒れ果てた、壊れかけた
おんぼろの、ぼろぼろの、くたびれた
毀也・坫也・障壁・食台・食卓
ヲワケ(乎獲居)・・・?
コとりい・カとりいル
小鳥居 榎(柯・樺・架・珂)鳥居留?
榎=えのき
柯=くき・茎・枝
樺=かば・から・椛
↓↑
獲加多支鹵 大王・・・?
わかたける・・・・・・?
とりくわえるおほくささえるしほ(たて・楯)?
↓↑
獲(とる・カク)・獲得・獲物
加(くわえる・カ)・加増・加速・加担・加地・加持
多(おほい・タ)・多大
支(ささえる・シ)・支配・支柱・支援
鹵(しほ・盾・ロ)・鹽・鸕・呂・魯
カクカタシロ
カカタシロ
獲得して加え多くを支配する志雄(魯・太公望)
ーー↓↑ーー
稲荷山古墳出土
鉄剣銘文
(表)
辛亥年七月中記
乎獲居 臣・・・乎・確乎不動・確乎不抜
鳥
居
上祖名
意富比垝
其児 多加利足尼
其児名 弖已加利獲居
其児名 多加披次獲居
其児名 多沙鬼獲居
其児名 半弖比
(裏)
其児名 加差披余
其児名 乎獲居 臣
世々 為 杖刀人首
奉事
来至今
獲加多支鹵大王
寺
在
斯鬼宮 時
吾 左治天下
令作
此百練利刀
記
吾奉事
根原也
ーー↓↑ー
楙=木+矛
木+予+丿
木+龴+乛+亅+丿
ボウ
モ
ム?
しげる・茂
ぼけ
バラ科の落葉低木
↓↑
夏侯 楙(カコウ ボウ・カコウ モ)
「化工・火口・加工・下降」
+某
+摸・模・藻
三国時代の武将
武略に欠け、金儲けが巧い・妾が多
「段黙」
によって
妻の
「清河長」
公主と
弟2人の誣告から免れたが
「諸葛亮」
の策に嵌って
「馬遵」
と共に
「羌族」の土地へ逃亡
↓↑
字 子林
父 夏侯惇(伏波将軍)
・・・伏せる波(頗・葉)?
兄 夏侯充
弟 夏侯子臧・夏侯子江・他数名
従父 夏侯淵(妙才)
↓↑
妻 曹操の娘(清河長公主)
『三国志・魏志・諸夏侯曹伝』
↓↑
太和(タイワ)・・・大和?
三国時代の
魏の
明帝
曹叡
治世の最初の元号
227~233年・・・・・
↓↑
魏
太和 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年
西暦 227年 228年 229年 230年 231年 232年 233年
干支 丁未 戊申 己酉 庚戌 辛亥 壬子 癸丑
↓↑
蜀 建興5 建興6 建興7 建興8 建興9 建興10 建興11
呉 黄武6 黄武7 黄武8 黄龍2 黄龍3 嘉禾元 嘉禾2
黄龍元
卑弥呼(生年不明~242年~248年)
↓↑
景初二年(238年)十二月
卑弥呼
難升米
らを魏に派遣
魏から
「親魏倭王」の金印
「銅鏡100枚」を与えられた
↓↑
正始元年(240年)
帯方郡から魏の使者が倭国を訪れ
詔書、印綬を奉じて
倭王に拝受
正始四年(243年)十二月
倭王
大夫の
伊聲耆・・・為政の耆(キ・シ
おさ・かしら・長老)
掖邪狗・・・脇の役(和記の譯人)
ら
八人を復遣使として魏に派遣
掖邪狗らは
率善中郎将の印綬を受けた
正始六年(245年)
難升米・・・納武将 米
ベイ=兵
マイ=麻委
メ =目
女
芽=艹+牙
苺=艹+母
こめ=乎女
よね=與根
に黄幢を授与
正始八年(247年)
載斯・・・祭司
烏越・・・加羅謁(越地)
らを
帯方郡に派遣
狗奴国との戦争報告
魏は
張政
を倭に派遣
難升米
に
詔書
黄幢を授与
卑弥呼
死亡
男王が立ち
混乱、互いに誅殺しあい千人余が死亡
卑弥呼の
宗女「壹與」
十三歳
を王に立て
鎮定
女王
「壹與」
「掖邪狗」
ら20人に
張政
の帰還を送らせ
「掖邪狗」
らはそのまま
都に向かい
男女の生口 三十人
白珠 五千孔
青大句珠 二枚
異文雑錦 二十匹
を貢いだ
↓↑
238年=戊午
神功皇后摂政 三十八年
皇紀898年
↓↑
中国
魏 景初二年
公孫淵(燕) 紹漢二年
蜀 (蜀漢) 延熙元年
呉 嘉禾七年・赤烏元年
↓↑
朝鮮
高句麗 東川王十二年
新羅 助賁王 九年
百済 古尓王 五年
↓↑
遼東の
公孫淵
237年
魏に謀反し
↓↑
238年
八月
「司馬懿」・・・・・懿徳天皇
の追討軍に敗れ
50年間の
「公孫」氏の・・・・公の孫の淵
遼東支配終焉
ーーーーー
壹字&萬字、次字か二次か・・・二時は丑ドキ、虹はアメあと
3053日目・文字霊日記
林檎(りんご・来禽・花紅)の重力落下・・・利宇古宇(りうこう・りうごう)
3052日目・文字霊日記
教父の大王・・・恐怖の大王・・・リンゴの落下・・・
林檎の嗚意訳・・・1666年・・・寛文六年・丙午・pest
林檎の重力落下・・・Isaac Newton=艾薩克・牛頓
(アイサーク・ニュートン)
1666年・丙午年
ペスト(独語 Pest・英語 plague )
黒死病(英語 Black Death・独語 Schwarzer Tod)
1858年・戊午年
黒船・ミシシッピ号船員ばらまくコレラ・攘夷
コレラ(Vibrio Cholera・虎列剌)
「虎列刺・コロリ・虎狼痢・虎狼狸」
蔓延・尊王攘夷
桜田門外の変(さくらだもんがいのへん)
安政七年三月三日(1860年3月24日)・庚申年
「庚申講の日」=「三尸(さんし)の虫」
585年・乙巳年・敏達天皇感染死亡
物部神道(新羅)vs蘇我仏教(百済)
渡来人感染者ばらまく
疫病(瘡発・天然痘)蔓延
735(天平七年)~738年(天平十年)
乙亥年 戊寅年
天然痘(英語 Variola・Smallpox)
疱瘡(ホウソウ)・痘瘡(トウソウ)
豌豆瘡(「わんずかさ・えんどうそう)
天平の疫病
737年(丁丑年)6月
国政担当「藤原四兄弟」全員感染死
林檎での原罪・・・・「亜當(アダム)&夏娃(イヴ)」+「它・蛇・蝮・巳」
林檎の花弁の散乱
林檎の齧りかけの「アップルCP」
林檎の皮むき切り分け・・・塩水漬けで食べる
林檎の嗚意訳(おいわけ)・・・?・・・和気清麻呂(汚麻呂)
和気清麻呂の姉=藤野 別 広虫 女
(わけ の ひろむし)
葛木 連 戸主の妻・死別後「法均」として
孝謙-称徳女帝に仕えた
765年(天平神護元年)
「吉備 藤野 和気 真人」
の姓を賜る
768年(神護景雲二年)
「大尼」に任じられた
769年
宇佐八幡宮の
神託を請うための勅使に任じられたが
弟の
「和気清麻呂」に代行
神託が
「道鏡」遺棄の信託をし
天皇の激怒で還俗させられ
「広虫」は
「別部広虫売(わけべ の ひろむしめ)」
(「狭虫(さむし・せまむし)と改名『日本後紀』)
と改名させられ
備後国へ
弟の
「清麻呂」は
「別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)」
と改名させられ
大隅国へ
それぞれ配流
770年(宝亀元年)に帰洛を許され
従五位下
孤児達の養育
774年(宝亀五年)
清麻呂とともに
朝臣(あそん)の姓を賜り昇任し
785年(延暦四年)
従四位上
没後 正三位が贈
↓↑
平安時代
書物に記述
『和名類聚抄』
「利宇古宇(りうこう・りうごう)」
↓↑
「花紅(カコウ)」
「林檎(りんご・リンゴン・リンキン)」
中国の『本草綱目(1578年)』
「林檎の果は味が甘く
能く多くの禽(ことり)をその林に来らしむ
故に林檎、来禽の名がある」
↓↑
安土桃山時代
出羽国(山形県)・・・出葉句似(語句)
纂掲(経・桂・景・)懸
大名・・・・・・・・・題名・代名・太名・替名
「最上義光」・・・・・斎条戯行
の家臣の
「北楯利長」・・・・・仆順李朝(李徴)
が義光に
鮭と林檎を贈って・・・真名掲&記紀語
義光から
北楯への礼状がある
↓↑
近江国(滋賀県)・・・金考・錦江・近郊・均衡
志我懸
戦国大名・・・・・・・撰語句替(他意)名
「浅井長政」・・・・・遷移調整
は、領内の
「木之本の寺」・・・「記の本の史の字」?
から届けられた
リンゴに対する
礼状が現存
↓↑
古名は、リウゴウ・・・理得合・理得号・利烏合
↓↑
「葛飾北斎」・・・・・葛を飾り北に斎(いつく)
物忌み=ものいみ
の絵にリンゴ(林檎)の花・・・?
↓↑
北海道「りんご」
明治元年
ドイツ人
ガルトネルが
七飯町に農場開設
りんご、なし、ぶどう
などを栽培
↓↑
4000年前
スイス地方の先住民族
湖棲民族の遺跡で
リンゴ化石が発見
↓↑
紀元前1300年頃
ナイル川デルタ地帯に果樹園
ギリシャ時代
りんごの野生種と栽培種を区別
「接ぎ木」で繁殖
ローマ時代
りんご品種の掲載本出版
↓↑
19世紀中頃
イギリスが大産地
↓↑
中国の書物
『本草綱目』に
「林檎一名 來禽(ライキン)
言 味 甘熟
則 来禽(ライキン)也」
↓↑
日本
R・ガルトネル
明治元年
箱館戦争の最中
開墾のために
300万坪という広大な土地を
99ヶ年にわたって借り受ける
「七重村開墾条約」
契約を
「榎本武揚」
らと交わっし
七飯町の大部分
彼の農場用地となった
↓↑
明治二年
ガルトネルは
西洋りんご
洋梨
グズベリー
カーレンツ
桜桃
ブドウなどの
苗木22種を海外から取り寄せ
西洋式の大型農器具も持ち込み
開墾・栽培に着手
七飯町
近代農業発祥の地
↓↑
明治三年
日本が列強国の植民地となることを恐れ
多額の賠償金を支払い
ガルトネルから取り戻した土地を
七重開墾場とし
開拓使によって開墾
通称「七重官園」と呼ばれ
ガルトネルの植栽した
りんご68本も引き継がれた
↓↑
明治5年~9年
開拓使が
アメリカ及びカナダから取り寄せた
42万本の果樹苗木のうち
りんご苗木は75種84,239本
輸入りんご
日本の基幹品種
「紅魁・祝・紅玉・国光」
が含まれている
明治10年
青森県りんご栽培の先駆者
菊池楯衛が
七重官園で
りんご栽培を学び
青森県でりんご栽培を広めた
↓↑
明治27年
七重官園廃止
民間果樹園での栽培
第2次世界大戦
りんごは国民食料と認められず
政府は作付統制令を発布
増殖の禁止や伐採の命令
イモやカボチャ
の畑地を増やすため
多くのりんごの木が伐採された
↓↑
戦後
接木法による品種更新
花粉の交配育成による新品種の研究
↓↑
りんご 追分
林威 奥威克
Lin wēi・ao wēi ke
小沢不二夫 曲
:米山正夫 詞
リンゴの花びらが
風に散ったよな
The petal of the apple
It went for wind
月夜に 月夜に
そっと えェ~~~
In a moonlit night in a moonlit night
Obtain it quietly
つがる娘は ないたとさ
The Tsugaru daughter seemed to cry
つらい別れを ないたとさ
It seemed to cry by hard parting
リンゴの花びらが
風に散ったよな あァ~~~
The petal of the apple
It went for wind
お岩木山のてっぺんを
綿みてえな白い雲が
ポッカリポッカリながれてゆき
A top of Mount Iwaki
The white cloud
which wants to look at the cotton
I drift big big
桃の花が咲き 桜が咲き
Peach blossom blooms,
and a cherry tree blooms
そっから早咲きの
リンゴの花ッコが咲く頃は
And
Of the early blooming
When flower of the apple blooms
おら達の
一番たのしい季節だなやー
Of us
It is the happiest season
だども
じっぱり無情の雨こさ降って
白い花びらを散らす頃
But
Of most heartless rain fall
When I scatter fair petals
おら
あの頃東京さで
死んだお母ちゃんのことを想い出して
I
In those days Tokyo
Remember dead mother
おら おら~~
つがる娘は ないたとさ
The Tsugaru daughter seemed to cry
つらい別れを ないたとさ
It seemed to cry by hard parting
リンゴの花びらが
風に散ったよな あァ~~~
The petal of the apple
It went for wind
ーーーーー
來禽花瓣
迎風飄落
在那月夜裏
在那月夜裏
悄悄地
唉唉唉唉
津輕姑娘哭泣了
為那別離的苦澀哭泣著
來禽花瓣
迎風飄落
啊啊啊~~~
岩木山頂的綿綿白雲
輕輕地飄盪著
飄蕩著
飄浮過去
桃花開 櫻花開
緊接著
早開的來禽花開時候
啊 啊
這是我們最快樂的時光
無情的雨點
折落了白花
這時節
令我想起死在東京的媽媽
我 我
津輕姑娘 哭了呀
那別離滋味 哭了呀
來禽花瓣
散落在風中 啊~~~
ーーーーー
リンゴ追分
林檎 的唄
リンゴの 花びらが
林檎 的 花瓣
風に散ったよな
散落為風的yo的
月夜に月夜に
月夜向月夜
そっと えええ
偷偷地 是能得能
つがる娘は 泣いたとさ
津輕 娘 哭了
つらい別れを泣いたとさ
苦的離別 哭了
リンゴの 花びらが
林檎 的 花瓣
風に散ったよな
散落為風的yo的
あああ
那樣啊
綿みてえな白い雲が
看棉胞衣 白的雲
ポッカリポッカリと流れていて
飄飄地 飄飄地 流著
桃の花が咲き
桃子的花開
桜が咲き
櫻花開
そいから
然後
早咲きのリンゴの花っこが
早開的林檎的花ko
咲くころが
開放的時候
おらたちの
我們
一番楽しい季節だなや~
最快樂 是季節的~
だども
能能抱的
じっぱり無情の雨っこさ降って
很多 下无情的雨
しれえ花びらを散らすと
散開白的花瓣
おらあ
我
あのころ
那个时候
東京さで死んだ
在東京死了
お母ちゃんのことをおもいだして
想起媽媽的事
おらあ
我
おらあ
我
つがる娘は泣いたとさ
津輕 娘 哭了
つらい別れを泣いたとさ
苦的離別 哭了
リンゴの 花びらが
林檎 的 花瓣
風に散ったよな
散落為風的
あああ
那樣啊
ーーーーーー
・・・???・・・アァ、アァ、アァ、ッ・・・?
↓↑
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草壁皇子はナゼ「岡宮御宇天皇・岡宮天皇・長岡天皇」、「丘」なのか?
3051日目・文字霊日記
「おか・オカ」の上でナニがあったのか?
草壁皇子=日並皇子
尊号 岡(丘・阜)宮御宇天皇
岡(丘・阜)宮天皇
長岡(丘・阜)天皇
地球人事情・・・恥丘人自浄・・・?
新西洋事情・・・新中東、新東南、新極東ジジョう・・・
「新西洋事情」・・・「新東洋ジヂョう」・・・ハナミズに靡く・・・?
1968年12月10日~1970~1975年~・・・「審窮己之字状」・・・
戊申年(68)・己酉(69)・庚戌(70)・辛亥(71)・壬子(72)~
甲子月(12)~
甲寅日(10)・乙卯(11)・丙辰(12)・丁巳(13)~
庚午時~
↓↑
深田 祐介(ふかだ ゆうすけ・本名 雄輔)
↓↑
1931年7月15日
~
2014年7月14日
大運2013年10月(82歳)丙戌 正官
辛┏未(丁乙己)比肩・偏官衰⇔甲午 正財
乙┏未(丁乙己)偏財・偏官衰⇔辛未 比肩
辛┏未(丁乙己) ・偏官衰⇔丙戌 正官
甲┗午(丙 丁)正財・正官病⇔甲午 正財
戌亥空亡
↓↑
1982年に『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞
1982年に『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞
1976年に『新西洋事情』で第7回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞
ーーーーー
・・・???・・・堀ちえみ(千恵巳・千恵美・智恵美)・・・
燃えて斯当歩児(ISTANBUL)・君府・・・訓符?
伊斯坦布尔・伊斯坦布爾
ボスポラス海峡(ラ語Bosporus・英語Bosphorus)
トルコ北西部の
黒海とマルマラ海とを結ぶ海峡
ヨーロッパ部分(オクシデント:Occident)
アジア部分(オリエント:Orient )
を隔てる海峡
2013年海底鉄道トンネルが日本の援助で開通
土耳古・土耳其・土留古・都児格・都耳格
都兒格・都尓格・度爾格・度兒格・都耳基
都児弧・都児古・都兒・都耳・土国
↓↑
新約聖書
『マタイによる福音書』第5章~7章
『ルカによる福音書』第6章
「サンジョウのスイクン」・・・
真福八端・真福詞
塩と光・豚に真珠・砂上の楼閣
祝福の山・・・Mount of Beatitudes・・・
ガリラヤ湖(ガリラヤ海・ゲネサレト湖
キネレト湖・ティベリアス湖)
カペナウム(Capernaum・カペルナウム・Kfar Nahum)
近郊の丘
人を裁くな、あなたがたも裁かれないために
人を裁くな。
そうすれば、あなたがたも人から裁かれることがない。
人を赦しなさい、そうすれば、あなたがたも赦される
・・・ムリかも・・・
ニホンジンは頑張っているけれど・・・
許すべきは自然災害・・・
ナンジのテキは畏敬すべき自然、天然ではナイ
ナンジのテキはイキカタが違う・・・
ナンジのテキをウラメだから
説教を理解するのはムリなヒトビト・・・
パンを只で呉れるという噂を聴いて集まってきただけ
コロナワクチン注射にも
お誘いにはオマケが必要だ・・・
将来のモウケを見込んだ投資損だから・・・
オマケが「天国でのサイワイ」って・・・喰えんから・・・
死後の生活に望むモノ・・・そんなものアンのか、ねッ・・・?
オマケがなければヤッテこないヤツラだから・・・
スイ、スイ、スイダラだったの説教よりもパンだった・・・
彼らとって
「奇跡」は「魔術」、でなければ「トリック」だから・・・
ヒトビトの「常識」を嘗めんじゃねぇ、ッ・・・
↓↑
シモン・ペテロ=西門彼得・・・漁師・・・マナとり人
アンデレ=安得烈
ヤコブ=雅各
ヨハネ=約翰
フィリポ=腓力
バルトロマイ=巴多羅買
トマス=多馬・多瑪
マタイ=馬太・瑪太・・・元税金徴税人・・・
アルパヨの子ヤコブ=亞勒腓的兒子・雅各
タダイ=達太
シモン=西門・・・黒田如水(シモン)は現実主義者?
ユダ・イスカリオテ=加略人・猶大・・・会計士
奇跡を信じていたのに・・・ウマいハナシがナイ・・・
垂下・垂涎(スイゼン)
↓↑
懸垂
模範を示す
教える
↓↑
「山上の垂訓・垂範」・・・・・炊飯(スイハン)?
↓↑
推古天皇=豊 御食炊 屋姫 尊
554年5月21日
欽明天皇十五年乙巳朔癸丑・四月九日
~
628年4月15日
推古天皇三十六年三月 七日=癸丑
戊子年三月十五日=辛酉(古事記)
大運619年11月(65歳)壬戌食神
┏甲 戌(辛丁戊)偏財・偏印 衰⇔戊子偏印
┗己┏巳(戊庚丙)印綬・偏官長生⇔丙辰偏官
庚┗申(己壬庚) ・比肩建禄⇔癸丑傷官
壬 午(丙 丁)食神・印綬沐浴⇔戊午偏印
子丑空亡
↓↑
諱 額 田部 皇女
(ぬかたべのひめみこ)
諡 豊 御食炊 屋姫 尊
(とよみけかしきやひめのみこと)
豊 御食炊屋 比売 命
父 欽明天皇・・・「欽=金+欠」
「明=日+月」
母 蘇我 堅塩媛・「堅塩=かたしを・かたし
ケンエン
犬猿・倦厭・嫌厭
「嫌厭の情」
「兼燕・懸燕」の「帖」
「蛇蝎 (ダカツ) の
如く(ゴトク)
嫌厭する」
嫌縁・建厭・・・?
皇配 敏達 天皇
子女 菟道貝蛸 皇女
↓↑ ↓↑
菟道 貝 蛸(章魚・多胡・多古・胼胝・凧)
(トドウ バイショウ)
貝=かい・カイ=✕=目+八
甲斐・歌意・魁・隗・海・改・會・解
美唄(北海道空知郡美唄)
美空ひばり(雲雀・skylark)
beauty sky lark
ビューティフル スカイラーク
「りんご追分」
追分(おいわけ)
道が二つに分かれる場所
牛馬を追い、分ける場所
北海道胆振支庁管内
勇払郡に存在した町
室蘭本線と
夕張線(石勝線)の交差、分岐点
蝦夷・開・介・カイ
檜=桧=北海道「檜山」郡江差町字中歌町
蛸=たこ=章魚・多胡・多古・胼胝・凧
追分節
「江差追分」
元々は
信濃追分で
長野県
北佐久郡
軽井沢町
あたりで歌われていた
馬子唄(小諸馬子唄)
↓↑
追分節の特徴=追分形式
明確な拍節を持っていない(手拍子を打てない)
音域が広い
高い声~低い声までのオクターブ
母音を伸ばす
あァ~~
えェ~~
一音多声型・歌詞等の一文字を長く伸ばす
↓↑
「追分形式」⇔拍節感の明白な
「八木節形式」
(一音一声型
シラブル型)・・・白ぶる?
↓↑ ↓↑
子女 菟道貝蛸 皇女
竹田 皇子
小墾田 皇女
尾張 皇子
田眼 皇女
↓↑
「埀訓・埀君・埀薫・埀勲・埀釧」
↓↑
「垂仁天皇」・・・埀訊転向(天功・典項)
埀=丬+壬+七+亠(丄=上)
丄=上・丅=下
異体字「上・𠄞・𨑗・丄(古字)」
うえ
うわ
かみ
あがる・あげる
のぼる・のぼせる
たかい・たかまる・たかめる
ほとり
↓↑
「垂(埀)仁天皇」
第十一代天皇
在位
垂仁天皇元年一月二日
~
垂仁天皇九十九年七月十四日
活 目入 彦 五十狭茅 天皇
(いくめいりびこいさちのすめらみこと・日本書紀)
活 目 天皇
(いくめのすめらみこと・日本書紀)
活 目 尊
(いくめのみこと・日本書紀)
伊久米伊理毘古伊佐知命
(いくめいりびこいさちのみこと・古事記)
伊久米天皇
(いくめ・常陸国風土記)
生 目天皇
(いくめ・『令集解』所引「古記」)
伊久牟尼利比古大王
(いくむにりひこ・上宮記)
↓↑
母 御間城姫
皇后 狭穂姫命
日葉酢媛命
子女 景行天皇 他
皇居 纒向珠城宮
↓↑
崇神天皇(御間城天皇)の第三皇子
母 御間城姫命(みまきひめのみこと
大彦命の娘)
兄の
「豊城入彦命」・・・何処から豊城に入ったのか?
「入彦=いりびこ=伊里卑処」?
入り毘古
(比古・備処・尾処)
をこえて
24才で皇太子・・・ナゼ?
↓↑
垂仁天皇二十三年
鳥取部、鳥養部、譽津部
設置
「狭穂姫」の児
「誉津別命(ほむつわけのみこと・日本書紀)」
本牟都和気 命 ・古事記
本牟智和気 王 ・古事記
品 津別 皇子・尾張国風土記逸文
↓↑
「応神天皇」の名は
「譽田天皇(ほむたのすめらみこと)」
別称 誉田 別 尊
誉田 別 天皇
胎中 天皇
品陀 和気命
大鞆 和気命
品 太 天皇
凡牟都和希 王
「誉津別命
が
「鵠(くぐい)」を観て
初めて
「安藝(あぎ)」
と言葉を発した・・・?
「肥長姫」と結婚
姫は「蛇=它=巳=邪=よこしま」・・・?
↓↑
崇神天皇
崩御の翌年の一月二日即位
彦坐王(伯父)の娘の
「狭穂姫命」を皇后
皇后の兄
「狭穂彦王の叛乱」
兄と共に焼死
即位十五年二月
丹波道主王の女
「日葉酢媛命」を皇后に迎え
景行天皇(大足彦尊)
倭姫命
らをもうけた
即位三十七年
大足彦尊を立太子
即位 99年に140歳で崩御
『古事記』は153歳で崩御
↓↑
即位
二年
「狭穂姫」立后・・・沙本 毘売命
佐波遅比売命(古事記)
三年
纒向珠城宮に遷都
五年
従弟の
「狭穂彦」が妹の
「狭穂姫」皇后を唆し
天皇を暗殺を謀る
皇后は皇子
「誉津別命」
を預け兄と共に焼け死ぬ
↓↑
兄の稲城に逃げた
「狭穂姫皇后」は皇子を妊娠しており
稲城で生まれた皇子を天皇に渡した
兄と共に焼死した(古事記)
↓↑
十五年
「丹波道主王」の女(むすめ)たちと再婚
長女の
「日葉酢媛命」を皇后
末娘の
「竹野媛」は醜かったので戻され
途中、媛は恥じて
「葛野」で輿から投身自殺(書紀)
↓↑
「歌凝比売」
「円野比売」
の二人を故郷に戻される途中
円野比売が
相楽で自殺未遂
弟国で自殺(古事記)
↓↑
二十五年
武渟川別・彦国葺・大鹿嶋・物部十千根・大伴武日
集めて崇神天皇を称えて神を祀ることを誓った
天照大神の祭祀を
日葉酢媛命が生んだ皇女の
「倭姫命」に託し
宇陀、近江、美濃と
周った
倭姫命は
「伊勢」に落ち着き
伊勢神宮を建立(元伊勢伝承)
二十七年
初めて
「屯倉(天皇の直轄地)」を造った
諸神社に武器を献納し神地・神戸を定めた
二十八年
殉死の禁令
三十二年
七月
日葉酢媛命薨去
野見宿禰の進言で
殉死に替えて
埴輪を埋納
三十五年
子の
「五十瓊敷入彦命」
に河内国の
高石池
茅渟(ちぬ)池
を始め諸国に多くの
「池溝=前方後円墳の水郷」
を開設
三十九年
「五十瓊敷入彦命」が
千本の剣を作り
「石上神宮」に納めた
八十八年
天日槍の曾孫
「但馬 清彦」に但馬の神宝を献上させた
九十年二月
「天日槍」の玄孫の
「田道間守」に命じ
常世国の
非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)
を求めさせた
九十九年
崩御
在位53年で辛未年に崩御(『住吉大社神代記』)
干支は
『書紀』の「庚午年没」と1年異なるが
『古事記』では
「崇神天皇没の戊寅年」の
53年後が「辛未」のため一致・・・
景行天皇元年
三月
「田道間守」帰国
ー↓↑ーーーー
睡眠破壊・睡眠崩壊・・・ネコさんの萌芽・・・惰眠破壊情報・・・
「華」の分解・・・「リンゴ」の分解・・・
???・・・りんご・リンゴ・林檎・・・理務語の花弁・・・
蘋果花・・・埜花弁(瓣・英)・・・
蘋果花=薲・・・日下を歩む頁(page・大貝)
日下の賓客・別嬪・・・
↓↑
蘋=艹+頻
艹+頻
艹+步+頁
艹+歩+頁
艹+止+少+頁
艹+止+小+丿+頁
↓↑
頻=頻繁
瀕=瀕死
顰=頻+卑・・・頻繁(斌班)な卑弥呼?
頻+卑
步+頁+甶+丿+十
步+頁+卑
歩+頁+甶+丿+十
歩+頁+卑
止+少+頁+丿+田+十
止+少+頁+卑
止+小+丿+頁+田+十
ト+丄+亅+ハ+丿+頁+卑
ヒン
ビン
しかめる
ひそみ
ひそめる
顔をしかめる
眉間にしわを寄せる
顰める(しかめる)
不愉快な気持ちや苦痛を表す表情
顰(ひそ)み
顰(ひそ)める
↓↑
顰面(しかめづら・しかめっつら・しかめつら)
顰蹙(ヒンシュク)
↓↑
一笑一顰(イッショウイッピン)
しかめたり笑ったり
わずかな表情の変化のこと
↓↑
西施の顰みに倣う
良し悪しを考えず、むやみに人の真似をする
人に倣って物事をする時に謙遜していう言葉
越の西施(セイシ)の美貌
「顰みに倣う」
顰蹙を買う(ヒンシュクをかう)
自己の言動が他人に軽蔑され嫌われる
眉を顰める(まゆをひそめる)
↓↑
嚬=口+頻=顰
口+步+頁
㰋=木+頻=檳
木+步+頁
果木名・檳榔・檳
木頻婆=果名+++
檳榔・棕櫚科・常綠喬木
羽狀複葉・果長橢圓形・橙紅色・可入藥
言相思也
卽 佛書 所謂 頻婆
ビンロウ(檳榔)
ヤシ科の植物
檳榔(ビンラン・bīnlang)
種子は嗜好品・噛みタバコに似た使用
駆虫・血圧降下・縮瞳作用
艹+歩+頁
艹+止+少+頁
艹+止+小+丿+頁
果=田+木
口+十+十+八
花=艹+化=華=艹+丑+十
・・・椛(木+花=もみじ
紅葉・黄葉・栬)
木花之佐久夜 毘売
神阿多都 比売
(かむあたつ ひめ)
嚙み合った 比女(馬・瑪)
秘米(苺・梅・楳)
華=艹+三+丨+丨+十
艹+王・十+王
王 拾 王
王=一十一
拾う
王=一十一
↓↑
華⇔ 樺(かば)
白樺(しらかば)
樺太(からふと・カバタイ)
垂乗崋蓽畢
畢(おわる・網)=田+凵+十+一
畢竟・畢宿=あめふり星=降雨を受ける傘
垂=垂(たらす・たれる・しだれる)・垂(しで)
埀=丿+一+北+丨+二
=壬+北+丄
=千+北+工
=千+丬+匕+工
=千+丬+匕+丅+一
異体字「𡸁・𠄒・𠂹・𠃀・𠣔・埀・𡍮・𡷩
捶・𢛲・陲・𦉈・㪜・搥・棰・箠
𢈹・𢮒・𢴹・𥴓・𦈼・𦉖・𨺪」
蕐=艹+一+仌+十+仌
英=艹+央=花弁・瓣
艹+冂+一+人
花弁
花=艹+イ+匕(𠤎七ヒ)
↓↑
蘋果=薲果
↓↑
薲=艹+賓
艹+賓
艹+宀+一+少+貝
ヒン
うきくさ
かたばみも
水面にうかび生える草の総称
かたばみも(酢漿草・片喰・傍食
かがみぐさ・すいば
しょっぱぐさ
すずめぐさ
ねこあし
もんかたばみ
方波見・片波見
片喰・方喰)・藻
でんじそう(田字草)・・・傳字相・・・電磁層?
四つ葉の
クローバーに似た形の水草
シダ=歯朶・羊歯植物
うきくさ(浮草=フソウ=扶桑?)の一種・・・
ーーーーー
・・・???・・・
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キキの前に「一髪(一カミ)なし」・・・危機切迫、危機目前に遵法なし
3050日目・文字霊日記
耶律楚材?・・・邪理通 素材・粗材・・・?
↓↑
「耶律 大石」・・・なぜか、大石・・・
仇討ち御法度(ごはっと)=禁止・・・?
↓↑
「邪(よこしま)な里の律(法・掟)の大の石」・・・?
「大石 内蔵助 良雄」
の長男
「大石 主税 良金(享年十六歳)」
↓↑
次男
「吉千代→吉之進」
母方
「理玖(りく)」の
石束家一門が
松平伊賀守領分の
「但州」美含郡竹野谷の
順谷村井山
円通寺
「大休」和尚の許で出家させ
「祖練(錬)元快」と名乗り
宝永六年(1709)三月一日
十九歳で死亡
↓↑
「大石 内蔵助 良雄」
の妻
「理玖(りく)」は
現在の豊岡市出身
京極家の家老
石束 宇右衛門(毎公)
と
佐々成政の子孫
快楽院の長女で
討ち入り前に
大石と離婚後
芸州(広島藩)
浅野家より終生百石を得
生き残った子供は
浅野家で厚遇された
大石 大三郎(三男)
大石 るり(次女)
↓↑
・・・「邪(よこしま)の里の彳の聿に通う大の石」・・・?
・・・「邪(よこしま)の里の彳の聿に通う壹の人の丆の口」・・・?
・・・「丆=表面・面・外面・外見」・・・「口」・・・
・・・「寺坂 信行(吉右衛門・きちえもん)筆記」
・・・足軽・戒名 節岩了貞信士・・・?
土佐藩主
山内家の分家
麻布(あざぶ)・・・安詮院(あぜぶ)?
山内家
第三代
山内豊清(主膳)に仕えて
士籍を得た
主人 吉田 忠左衛門
富森 助右衛門
が一行から別れて
仙石
伯耆守
の屋敷へ行った」・・・?
↓↑
耶=耳+阝=邪=牙+阝
ヤ
か
疑問・反語・詠嘆の助字
父親のこと
よこしま=邪
梵語(ボンゴ)の音訳用字・・・意義も採った・・・?
↓↑
耶(か)
耶蘇(やそ)・・・耶蘇教=切支丹=天主教=基督教=邪教
有耶無耶(うやむや)
曖昧・有りや無しや
干将莫耶(カンショウバクヤ)
古代中国の名剣
干将=春秋時代の呉の国の刀工の名
莫邪=刀工の妻の名
干将が炉に妻の髪と爪を入れ
二振りの名剣が完成させ
剣に「干将・莫邪」という名づけて献上
是耶非耶(ぜかひか)
物事の善か悪かの判断の迷い
疑問や反語の「耶」+「是非」
「所謂 天道 是耶 非耶」
天の定める道は正しいのかどうかは・・・?
↓↑
律=彳+聿(肀)
↓↑彳+肀+二
彳+肀+一+一
彳+ヨ(⺕・彐=彑)+肀+一+一
一丨扌ケキ扌
↓↑
辻道
十字路の象形
「行=彳( 廴・チャク・テキ)+亍(チョク)」の
「彳= 廴=佇む・たたずむ・緩めの歩行」
「彳」=左足・左歩
「亍」=右足・右歩
「彳亍」(テキチョク・チーチュー)」
「躑躅(つつじ・踯躅・ジージュー)」
「躊躇(チュウチョ)」
・・・鼠の鳴き声の著・鼠=子=イエス=移鼠
『使徒信行・使徒言行録』
文章の組み立て
キアスムス構造(X字構造・交差法)
キアスムス構成の中心は
「エルサレム」
「イエスの復活(蘇生・蘇我)」
「使徒行伝・使徒行録・使徒信行禄」
「「新約聖書」
早い時期に
ラテン語、シリア語、コプト語
などに翻訳使徒信行録
『マタイ福音書』
マテュー (仏: Matthieu)
マシュー (英: Matthew)
マテウス (独: Matthaus)
マトフェイ (露: Матфей)
「マテオ(伊: Matteo) 」
・・・マテオ・リッチ=Matteo Ricc
1552年10月6日~1610年5月11日
イタリア人イエズス会員
カトリック教会司祭
利瑪竇(Li Mǎdou ・り まとう)
明の万暦帝に置時計などを献じ
北京に定住し
カトリック布教
「幾何学原本」
「坤輿万国全図」
など西洋学術を紹介
Matthew=マチュウ=マタイ
=巻替=交他意=万碓
=真鯛=眞他意=又意・股異
「馬太・瑪他意⇔瑪瑙(めのう)」
・・・メノウ乳鉢・乳棒
乳鉢(にゅうばち・mortar)
に固体を入れ
乳棒(にゅうぼう・pestle)
でスり
粉砕または混和するために
使用
「馬太・瑪太」
の
オリジナルはアラム語で
ヘブライ書も
ヘブライ語版がオリジナルであった・・・」
「アラム語というかヘブライ語でマタイの書が
ジョージ・ハワード教授の本で出版
シェム・トブ・ベン・イサーク・イブン・シャプルト
1385年
「試みを経た石(エヴェン・ボーハン)」
に収録
ギリシャ語本文の元になった原文(写本)」
by ウィキペディア(Wikipedia)
↓↑
手=聿(肀)・弖・氐
肀+二
肀める(おさめる)・肀べる(のべる)・肀(ふで)
↓↑
丮=ケキ・もつ。手に持つ。手でにぎり持つ
両手にものを持つ形・握持
↓↑
丮=‡+⺄・・・𠨭
二+丨+⺄
ケキ・キャク
𠃨・𢩦=乙⺄二十キ=丮
しっかりと(右)手に持つ
手に取りしっかりと握る
同「𡙕=執」・・・
「丮=丸」
逆(左手)=𠨭
𠂡=ホウ・フウ・フ
かぜ・かざ=風・风凮凬𠙊凨𠙈𠙗飌
𠘨二十キ=𠂡
異体字「𠃨・𢩦・𩰊」・・・
丮の左右相対する形=鬥(とう)
=鬭(闘)・鬨(とき)
鼫=鼠+石
臼+𠂡+丆+口
臼+一+丿+口
セキ むささび・リス科の動物
けら・昆虫の名
𠂡=一+丿+㆐+二+𠄌
↓↑
リツ
リチ
のっとる
のり
決まり・法則・規則
のっとる・決まりに従う・手本にする
音階・音楽の調子
漢詩詩型の一
仏教の僧侶の守るべきいましめ
律(のっと)る
律(のり)
一律(いちりつ)
黄金律(おうごんりつ)
戒律(かいりつ)
規律
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう
喼喼如律令(きゅうきゅうじょりつりょう)
軍律(ぐんりつ)
憲律(けんりつ)国家の規則・国家の掟
↓↑
三寸不律(さんずんふりつ)
長さの短い筆
「三寸」は長さが短い
「不律」は筆の別名
千篇一律(せんぺんいちりつ)
「千編一律」
二律背反(にりつはいはん)
雷同一律(らいどういちりつ)
周りの意見にむやみに同調すること
雷の轟きで物が共振
↓↑
必要の前に法律なし
必要に迫られた緊急事態の時は
法律など気にしていられない
律儀は阿呆の唐名
律義者の子沢山
呂律が回らない
「呂律」は和音階の呂律
言葉の調子
↓↑
肀=コ+十
イチ
イツ
おさめる
のべる
ふで
筆・書く
とうとう・ついに
自分から・自ら
修める・述べる
すばやい・すばやく走る
共に・従う
⺻=肀+一
西遼(カラ・キタイ)・・・加羅(~)・記(紀)他意(替・碓・・・?
初代皇帝(グル・ハン)
太祖
「耶律 阿保機」の末子(第4子)の
「耶律 牙里果」の7世の孫
「遼」が滅亡する際
契丹人を引き連れて西へ敗走
モンゴル高原西部
新疆ウイグル自治区
カザフスタン東部
マー・ワラー・アンナフル
までの広大な地域を領有
故地奪回を目指し東征するが挫折
↓↑
『遼史』
天慶五年(1115年)
科挙で
状元となって
翰林院の
「翰林応奉」に就いた
他に
「耶律 蒲魯」
の契丹人による進士
遼朝では
契丹人は支配階級で
科挙の受験は禁止されていたので・・・
推挙によって
北面官の
大林牙院(南面官の翰林院に当たる)
に進み上級の林牙に就いた・・・
↓↑
泰州(黒竜江省泰来県)
祥州(吉林省農安県)
二州刺史
遼興軍(河北省盧竜県)
節度使を歴任
↓↑
保大二年(1122年)
「女真人」の
「金」から攻撃を受け
皇帝
「天祚帝」
は中京から西の雲中の陰山に逃亡
「耶律 大石」
は宰相の
「李 処温」
とともに南京(燕京・北京)で
第7代興宗の孫の
「耶律 涅里(天祚帝の従父)」
を擁立し
「天錫帝」として
「北遼」を建国
天錫帝は
大石を軍事統帥に任じた
大石は
宋
金
2国と戦うことは困難と考え
宋との和平を望んだ
「燕雲十六州」・・・10世紀
↓↑遼が後晋から割譲され支配した16州
朔州・寰州・応州・雲州・蔚州・新州・武州・儒州
媯州・檀州・順州・幽州・薊州・涿州・瀛州・莫州
624年(武徳七年)
唐に
高開道が滅ぼされ
隋の
涿郡
懐戎県の地に
北燕州が設置
634年(貞観八年)
北燕州は
「媯州」・・・媯=女+為
と改称
702年(長安二年)
懐戎県の県治を
清夷軍城に移転
742年(天宝元年)
「媯州」は
「媯川郡」と改称
758年(乾元元年)
「媯川郡」は
「媯州」の称にもどされ
河北道に属し
懐戎・媯川
の2県を管轄
936年(天福元年)
後晋の建国で
「媯州」は
「燕雲十六州」の一つとして
「契丹」に割譲
938年(会同元年)
「契丹」により
「媯州」は
「可汗州」と改称し
「清平軍」が置かれた
「可汗州」は
奉聖州に属し
「ふところらいけん」をかんかつ
北宋
「媯州」は
「雲中府路」に属すが統治の実態はなかった
1122年(天輔六年)
金が可汗州を奪い
翌年
「可汗州」は廃止
1195年(明昌六年)
「懐来県」は
「媯川県」と改称され
徳興府に属した
↓↑
宋は海上の盟に則り
「燕雲十六州」
を攻撃し
「童貫
(ドウカン)」
ワラベのツラヌキ・・・「川上 梟帥(たける)
倭 男具那命(ヤマトオグナのミコト)古事記
日本 童男尊(ヤマトオグナのミコト)日本書紀
の貫き・・・
日本 建(たける=日本童男=倭男具那=大和武)
は
熊襲 梟帥(たける)
の尻を刺し貫いた
長吉 熊襲(くまそ)
「童貫」
の監督下で15万の大軍を動員し攻撃したが
「耶律 大石」
はこれを
「白溝河」
・・・白い溝
(みぞ・漊・渠)のカのワ?
船渠=Dock
=ドック(蘭語 dok)
Dog=ドッグ=犬・狗・戌
渠=氵+巨+木
キョ
みぞ・おおきい
かしら・かれ・なんぞ
みぞ・ほりわり
溝渠(コウキョ)
おおきい・広い・かしら
渠魁(キョカイ)
渠帥(キョスイ)
において打破
北遼は
宋へ和平を持ち掛けたが
「童貫」
は拒絶
「李処温」・・・処温・・・温泉?
の宋との内通が露見
「回離保」・・・回(まわし)離保(保っをハナし)?
は
「李処温」
とその子の
「李奭」・・・奭=大+皕
一+人+百+百
セキ・シャク・カク・キャク
さかん・いかるさま・怒る
猪狩 様子
入鹿 相貌?
異体字「𠁗=十+一+人+百+百」
を捕らえてこれを処刑
天錫帝が崩御し
北遼は
「秦王」・・・秦の王?
「耶律 定(天祚帝の五男で皇太子)」を立て
天錫帝の未亡人の
「徳妃蕭普賢女」が摂政
20万の宋軍は再び侵攻
宋は将軍の
「劉 延慶」
は「燕京=北京」を奇襲
「耶律 大石」
は市街戦で宋軍を撃破
↓↑
「童貫」
は
北遼攻撃は困難と判断し
金に
燕京攻撃を依頼
「阿骨打」・・・阿の骨を打つ?
(アクダ) 金の初代皇帝(在位1115年1月28日(1月1日)
~ 1123年9月19日(8月28日))
女真族
完顔部(ワンヤン部)の族長
「完顔阿骨打・都勃極烈」
は受理し、北方より三路から
燕京を攻撃
「耶律 大石」は
居庸関での迎撃に失敗し
金軍に捕らえられたが
「阿骨打」は
「耶律 大石」らを厚遇・・・
保大三年(1123年)
大石は秦王
「耶律 定」
「徳妃蕭普賢女」
を奉じて
「天祚帝」の元へと逃亡
↓↑
保大四年(1124年)
金軍が迫ると
「耶律 大石」
は200人ほどの
契丹部の重装騎兵を引き連れ
外蒙古
遼の北西部
可敦城に逃れ
モンゴル高原一帯の
十八部の王を招集して自立
1130年
金は
遼の降臣の
「耶律 余睹」
を派遣して攻撃
「耶律 大石」
はこれと交戦したが突然撤退
西へ移動して
アルタイ山脈西部に入り
ビシュバリクに向かった
ビシュバリクを首都とする
天山ウイグル王国の
「ビルゲ可汗」
は
「耶律 大石」
ら契丹王侯を迎え
大量の軍馬やラクダなどの贈物を贈り
大石ら契丹王家に臣従することを承認
1132年
「葉密立」・・・葉を密に立る?
(エミル・新疆ウイグル自治区ドルビルジン県)
で即位し
「天祐 皇帝」と名乗り
元号を
「延慶」
とし
「西遼」を建国
イスラーム史書では
西遼=カラ・キタイ=「黒い契丹」
大石以降の君主たちを
グル・ハン
葛爾汗=「全てのハン・全世界のハン」
・・・「葛(かづら)の
爾(に・ジ)の
汗(あせ・カン)」・・・?
延慶三年(1134年)
ウイグルで
テュルク系の
「カルルク」・・・・「輕・珂瑠」「留矩・留句」
部族による反乱発生
大石(徳宗)は出兵鎮圧
北辺を西遼の直轄地と定め
ベラサグン(八剌沙袞・キルギストクマク付近)
へと遷都し
「クズオルド」・・・「屑・国栖・框・葛」の
「於留都(譯・土・渡)」?
と改めた
「徳宗」
は
天山山脈の南北のシルクロードルートを押さえ
東西に分裂していた
カラハン朝の軍を
康国四年(1137年)撃破
東部を領域に治めた
ベラサグンは
東カラハン朝の
イブラーヒーム2世
によって治められていたが
カルルク部族
カンクリ部族
などへの支配力は低下
諸部族から掠奪や反乱に見舞われ
徳宗
契丹軍の侵攻を許した
イブラーヒーム2世
徳宗に使者を派遣し
首都に招き
政権移譲を伝えた
東カラハン朝の君主は
「ハン」の称号を剥奪され
「イリグ・トルカン」
という称号を与えられた・・・
↓↑
徳宗
北西の
カンクリ
キルギス
諸部族を征服
天山、パミール高原を超えた
フェルガナ地方まで支配
康国四年(1137年)
マー・ワラー・アンナフル
領有の
西カラハン朝
第20代君主
マフムード2世は臣属
康国八年(1141年)
ホラズム・シャー朝
アトスズ
毎年金貨3千ディーナールを納めるよう誓約させ
両王朝を臣従させた
↓↑
康国八年(1141年)
徳宗は
カラハン朝を支援していた
セルジューク朝
第8代スルタン・サンジャル
の率いる大軍を
サマルカンド近郊
カトワーン平原で撃破
中央アジアに覇を唱えた
サンジャルは自らの封土であった
ホラーサーンを拠点として
セルジューク朝君主による
イラン全土の統一的な支配を目論んでいたが
この敗北によって計画は頓挫し
結果、間接支配ながらも
中央アジアの
イスラーム政権は異教徒の傘下となり
テュルクメン諸集団の統制が不可能になった
12世紀後半
テュルクメン諸集団による
イラン各地での騒乱
セルジューク朝諸王家の崩壊
↓↑
故地奪還
徳宗
は金に対する
7万の親征軍を出発させる行軍中に崩御
享年58
徳宗の没後
幼少の
「耶律 夷列(仁宗)」が継ぎ
大石の后妃の
「蕭塔 不煙」・・・蕭塔に不煙?
が称制となった
ー↓↑ーーー
「耶律 楚材」・・・邪の律、楚を材とする?
遼(契丹)
太祖
「耶律 阿保機」
の長男の
東丹国の
懐王(義宗・天譲帝)
「耶律 突欲(トツヨク)」8世の孫
遼の宗族出身
代々中国化、漢化した家系
遼の滅亡後
金の官僚
祖父は
「耶律 聿魯」
父
「耶律 履」
金制で
宰相級の
尚書右丞
の
三男(末子)
↓↑
科挙を免ぜられ
代替の試験を首席で通過し
尚書省の下級官僚に任官
モンゴルが金に侵攻
首都の中都(北京)で
左右司員外郎
1214年
中都が陥落し捕虜
中国の天文と卜占に通じてい
チンギス・カン
に召し出され
中国語担当の書記官(ビチクチ)となり
ハーンの側近に仕えた
1219年
遠征でもチンギスの本隊に随行
カン側近の占星術師として働き
その体験の詩作を
『西遊録』に収めた・・・西遊記・・・石猿?
↓↑
チンギス死後
後継者で
「クリルタイ」
が紛糾
チンギスの遺志を尊重して
オゴデイを立てることを説き
オゴデイの即位に貢献・・・
↓↑
オゴデイ即位
書記として仕え
中書省の書記機構の幹部となり
北中国の金の旧領の統治に携わった
楚材は捕虜たちを
「万戸」・・・萬乎・漫湖・曼子・蔓子・慢子?
と呼ばれる集団に分け
3つの万戸を置き
各万戸ごとに
農民・職人
職業に大別した戸籍をつくり
戸単位に課税する中国式税制を導入
↓↑
1234年
干支 甲午
天福二年
文暦元年十一月五日
皇紀1894年・・・1+8+9+4=22・・・弐拾弐
中国
南宋 端平元年
金 天興三年(旧1月10日まで)
モンゴル帝国 太宗(オゴデイ)六年
朝鮮
高麗 高宗二十一年
檀紀3567年・・・3+5+6+7=21・・・弐拾壱
モンゴルと南宋の連合軍、金を滅ぼす
誕生
阿塔海、元の政治家、軍人(~1289年)
アバカ、イルハン朝の第2代ハン(~1282年)
吉川経高、鎌倉時代の武士(~1319年)
二条教良、鎌倉時代の公卿(~没年未詳)
ベアトリス・ド・プロヴァンス
シチリア王カルロ1世の最初の妃(~1267年)
↓↑
1206年・丙寅・元久三年、建永元年四月二十七日
テムジンが大ハーン
チンギス・カンを称す
↓↑
1260年・庚申・正元二年、文応元年四月十三日
皇紀1920年
南宋 景定元年
モンゴル帝国 中統元年五月十九日
高麗 元宗元年
クビライが大ハーン即位
↓↑
1368年・戊申・南朝 正平二十三年
北朝 貞治七年・応安元年二月十八日
皇紀2028年
元 至正二十八年
明 洪武元年
夏 開熙二年
高麗 恭愍王十七年
朱元璋の
明により中国の地を追われる
↓↑
1635年・乙亥・寛永十二年
皇紀2295年
明 崇禎八年
高迎祥 興武元年
後金 天聡九年
李氏朝鮮 仁祖十三年
モンゴル=蒙古
後金により滅亡
ーーーーー
・・・???・・・
1234年
モンゴルが金を最終的に滅ぼし
北中国を併合
中国式に全土を
ハーン直轄領にするために
モンゴル貴族に
征服した領土を分与することに反対
儒学を家業とする家を
「儒戸」に指定する制度を考案
税を軽減するかわりに
儒教と祭祀を行わせ、実務官僚層の供給源とした
↓↑
オゴデイの晩年
西アジア式に人を単位とする
人頭税制度を
中国に導入することを説く
中央アジア出身の
ムスリム(イスラム教徒)財務官僚層が台頭
行政干渉
楚材らの派と対立
楚材らは信任を失っていった
↓↑
1241年
オゴデイ死没後
発言力をもたず
3年後に死没
詩集『湛然居士集』
↓↑
鄭氏(蘇氏の説)が産んだ末子の
「耶律鋳」が跡を継いだ
その嫡子の
「耶律希亮」
と共にクビライに仕え
中書左丞相に累進
楚材は再評価され
太師、上柱国を贈られ
広寧王に追封
文正と諡された
ーーーーー
・・・???・・・邪(よこしま)の里の都の座居・・・
遼東之豕(リョウトウのいのこ)・・・遼東の以東・南東・・・
3049日目・文字霊日記
詮=言+全・・・
栓=木+全・・・ゴム栓・・・耳栓・口栓・鼻栓・血栓・・・
↓↑
「愚鈍」な「義」を「詮(言+全・あきらかにする)」・・・太の平の記?
↓↑
栓(セン)=ウコギ科の落葉広葉樹
「ハリギリ」の別名
ハリギリ(針桐)
別名、センノキ(栓の木)
ミヤコダラ
テングウチワ
ヤマギリ
木材で「栓(セン)」と呼ばれる
肌が深く裂け
黒ずんだ褐色の木から取れる「オニセン(鬼栓)」
木肌がなめらかな木から取れる「ヌカセン(糠栓)」
に分かれる
鬼栓は加工には向かず
「沈木」=チンボク
しずみぎ・うもれぎ
水中や土中に沈んでいる木
堤防工事の際に水中に沈め
その中へ石を詰める枠木
浮石沈木(フセキチンボク)
一般大衆の無責任な言論が
道理に反して威力をもつ
水に沈むはずの石を浮かせ
水に浮くはずの木を沈める
↓↑
沈木
に用いられる
糠栓の材は軽く軟らかく加工がし易い
↓↑
栓
何らかの器の穴を塞ぐ、ふた(蓋)
穴や器の口などをふさぐもの
穴をふさぐ木の釘(くぎ)
壜・瓶=びんなどの口をふさぐもの
cork(コルク)の栓
活栓(カッセン)・ 血栓(ケッセン)・水栓(スイセン)
密栓(ミッセン)・元栓(もとセン) ・栓塞(センソク)
栓塞(センソク)=血栓や炎症によって血管が塞がること
脳血栓・脳梗塞の一種
脳の血管に、動脈硬化などで
生じた血液のかたまりが
詰まることで起こる病気
そのかたまり
意識障害や半身麻痺などの症状
脳血栓症
心筋梗塞
耳栓(みみせん)
水道栓
活栓(カッセン)=コック(cock)
cook?料理
管などを自由に開閉する装置
バルブ(valve)・・・
↓↑ バブル・bubbl
泡・気泡・シャボン玉
あぶく
↓↑ バルブ・bulb?球根・鱗茎
液体や気体の配管など
流体が通る系統において
設けられる流れの
方向・圧力・流量の制御を行う機器の総称
「弁(ベン)」という語が用いられる
配管・水廻り設備部材
調節器
水廻り部材・ポンプ圧・油圧機器・ホース
↓↑
詮=言+全
言(亠+二+▭)+全
言(亠+二+匚+丨)+全
言(亠+二+匸+丨)+全
言(亠+二+丨+コ)+全
言(亠+二+凵+~~)+全
言(亠+二+冂+_)+全
言(亠+二+「+」)+全
言(亠+二+ㄴ+ㄱ)+全
言+人+王(一+十+一)
言+入+王(干+一)
言+入+王(一+土)
言+亼+土
セン
あきらか
えらぶ
しらべる
そなわる
ものの道理をときあかす・明らかにする
選ぶ・選抜する・はかる
そなわる・そなえる・ととのう
のり・道
せん・しるし・かい
つまり・結局・つまるところ
方法・手段
↓↑
全+α
栓=木+全=木全=きまた=木俣・木又・木股
瓶栓・ゴム栓=護謨栓
護=護憲・護国・援護
謨=言+莫
=ボ・モ
はかる・はかりごと
筌=竹+全=茶筌・茶筅(チャセン)
銓=金+全=秤・量る
痊=疒+全=癒える・癒す・慰安
跧=足+全=跧 伏(センプク)・腹這うこと・這いつくばること
匍匐(ホフク)
輇=車+全=輴・膞・䡅・槫・輲・車輪・円盤状の車
絟=糸+全=細布・細糸
荃=艹+全=からしあえ
拴=扌+全=ロープ・縄・糸などで物体を
つなぐ・つなぎとめる・くくりつける
佺=イ+全=偓佺(アクセン)・仙人の名
槐山に棲み体毛が濃く
足は疾駆する馬のように速い
姾=女+全=古の女子の人名用字
峑=山+全=山頂
恮=忄+全=謹慎
洤=氵+全=いずみ
烇=火+全=火貌
牷=牛+全=いけにえ(生け贄)
硂=石+全=銓・筌・・・掏り棒?
酫=酉+全=醛・鹹葅=漬物
駩=馬+全=黑嘴白毛的馬
くちばし(嘴・喙・觜)
㓌=冫+全=冷氷・・・つらら=氷柱
䀬=目+全=目瞬・目眇視・・・目蓋・瞼(まぶた)
輇=車+全=槫・車輪
㻇=王(玉)+全=拴
↓↑
安詮院=あぜぶ=アンセンイン?・・・案選(撰)韻?
あぜぶ・・・畦布・畔歩・・・汗部・阿施武
ア=丫・蛙・合・倦?
アゼブ=安詮院
熊本県
玉名市に
安心院姓多
↓↑
熊本県
玉名市
伊倉北方
に江戸時代にあった
安心院=アジミ
↓↑
安詮院 貞熊(あぜぶ さだくま)・・・???
安=宀+女
詮=言+全
院=阝+完=阜+宀+元
貞=ト+目+ハ
熊=ム+月+ヒ+ヒ+灬
↓↑
1889年(明治二十二年)4月27日
~
没年不明?
↓↑
1940/6
大運1936年10月(47歳)⇔癸亥比肩
己 丑(癸辛己)偏官・偏官冠帯⇔庚辰印綬
┏戊┏辰(乙癸戊)正官・正官 養⇔壬午劫財
┣癸┗酉(庚 辛) ・偏印 病
┗戊 午(丙 丁)正官・偏財 絶
戌亥空亡
↓↑
熊本県
玉名郡
伊倉町
大字
伊倉
出身
↓↑
大正から昭和時代前期の
台湾総督府官僚
彰化市尹
台中市尹
↓↑
1920年(大正9年)3月
台湾総督府
営林局書記
1932年(昭和7年)
台湾総督府地方理事官
台北州基隆郡守
1936年(昭和11年)12月28日
彰化市尹に就任
1939年(昭和14年)4月~翌年6月まで
台中市尹を務めた
退官後
台湾新聞常務
↓↑
詮(あきらか)
詮ぶ(えらぶ)
詮べる(しらべる)
詮わる(そなわる)
↓↑
所詮
様々なことをしても
最終的に行きつくところ・・・
結局のところ
詮(セン)行いの労力に見合う効果・効き目
詮方・為ん方(センカタ)物事を行う方法・なすべき方法
詮議(センギ)罪人を取り調べたり、捜索したりすること
詮索(センサク)細かい所まで徹底的に調べ求めること
詮ずる所(センずるところ)色々と考えた結果・結局のところ
↓↑
名詮自性(ミョウセンジショウ)
名がそのものの本質を表しているもの
本質に名が相応しいもののこと
「名詮」はその名に備わっている
「自性」はそのものの本質
↓↑
詮=なすべき手段、方法・せんかた
効果・価値・かい・ききめ
煎じつめたところ・結局
明らかにする・詳しく調べる
物事の道理をつき詰めるのこと
つまるところ・結局・所詮・究極
詮(あきらか)
詮ぶ(えらぶ)
詮べる(しらべる)
詮わる(そなわる)
↓↑
「詮=あきら」
「義詮」
「満詮」
その他の人物は
「あき」
「のり」
ー↓↑ーーー↓↑ー
足利 義詮(あしかが よしあきら)
室町時代(南北朝時代)
室町幕府
第二代将軍
初代将軍
足利尊氏
の嫡男
母は
鎌倉幕府
最後の執権
北条守時の妹
正室の
赤橋 登子
姓名 源義詮(みなもとのよしあきら)
↓↑
元徳二年六月十八日
(1330年7月4日)
~
正平二十二年・貞治六年十二月七日
(1367年12月28日)
大運1359年2月(28歳)乙酉正官
庚午(丙 丁)食神・偏印帝旺⇔丁未印綬
壬午(丙 丁)偏財・偏印帝旺⇔辛亥傷官
戊戌(辛丁戊) ・傷官 墓⇔己酉劫財
戊午(丙 丁)比肩・偏印帝旺⇔庚午食神
辰巳空亡
↓↑
改名 千寿王(幼名)→義詮
別名 坊門殿
戒名 宝筐院殿 道権 瑞山
筐=竹+匡
かご・はこ・かたみ・竹で編んだハコ
匡=匚+王
キョウ・ただす・すくう
正しくする・匡正
すくう・たすける・ 匡済
王を匚(箱・凾・はこ)に閉じ込める
曲がったモノを矯正する・・・
曲がった腰(骨)を矯正する・・・
corset(コルセット)・・・?
匚(箱がまえ・囗-丨=匚)
構 え
匸(匿がまえ・一+乚)
隠匿 壹=壱 乚=乙
コ(こ・己-乚=コ)
乚=乙
「かくす=隠」の古字
異体字.「隱 ・⺃」
隱=阝+㥯
阝+爫+工+彐+心
隐・㡥・㥼・䨸・乚(古字)
嶾・濦・蘟・𠃊(同字)
𤔌・𨼆・𨽌
雪隠
乚=「乙(おつ遶)」の異体字
「かくす・人の目に触れないようにする
物で覆ったり、 しまいこんだり する
物事を人に知れないように する
秘密にする」
己(キ)-乙(イツ・おつ・おと)=コ
つちのと
おのれ
ム=私
よこしま-イン=コ
コ=コ・えり
異体字
「滬=氵+扈=戸+邑」
扈従(コジュウ・コショウ)
跋扈(バッコ)
扈(したがう・コ)
扈(つきそう)
扈(はびこる)
扈(ひろい)
起き上がり小法師(扈)
こぼす=零す・翻す・溢す
こぼ(毀)つ
重心を利用した玩具
丸底人形
roly-poly toy
tilting doll
タンブラー
wobbly man
ヤジロベエ(弥次郎兵衛)
balance toy(釣り合い人形)
上海(シャンハイ・申)市
北東を流れる川の名
滬=上海の別称「申」の起因
このころは
今の黄浦江より西に
今の呉淞江(蘇州河)に沿って
ラッパ(喇叭)状の入江が深く入り込んで
滬瀆(コトク)と呼ばれていた
「滬」とは木製の漁具=網代(あじろ)
上海の別名
上海=申・・・サル女=猿女=上海女?
戦国時代
「春申君」の封地だった
で
「申」と称す
「滬(コ)=魚を捕る道具」
とも呼ばれる
えり・あじろ
漁具の一
竹を並べて魚を捕る仕掛け
凵(坎にょう・坎がまえ・受けばこ.)
遶 構 箱・函・匣
遶=辶+堯
辶+垚+兀
辶+土+一+儿
ジョウ・ ニョウ
めぐる・めぐらす
とりまく・かこむ
冂(境がまえ・牧がまえ)
遶=ニョウ=繞・饒・撓・橈・蕘
↓↑
遼=リヨウ=瞭・療・寮・僚・尞
↓↑ ↓↑
遼=辶 +尞
辶 +昚 +小
辶+ 大+丷+日+小
リョウ
はるか
距離や年月のへだたりが大
ゆるめる・ゆるくする
川の名・遼河
王朝の名
↓↑
遼遠(リョウエン)
遼東(リョウトウ)・・・遼東半島←北西(戌亥)←日本
↓↑
前途遼遠(ゼントリョウエン)
これから先の道のりが非常に遠いこと
「前途」はこれから先の道のり、将来のこと
「遼遠」はどこまでも続いているということ
目的を果たすまでに
たくさんの苦労や災難が待ち構えていることをいう
↓↑
遼東之豕(リョウトウのいのこ)
世間を知らずで経験や知識が少なく
取るに足りないことで得意になること
「遼東」
中国にある遼河という河の東の地方
遼河以西の地域を遼西
以東を遼東
「豕=豚」
遼東の農家に頭の白い豚が生まれ
農民は特別なものだと思い
天子に献上しようとしたが
道中で見かけた豚の群れは
皆頭が白く・・・頭白・白髪?
他の地方では
ごく普通のことと知り
自身の無知を
恥じて帰ったという故事・・・恥=耳+心
恥骨・恥垢・恥辱
羞恥心(shame)
↓↑ 「会稽の恥を雪(すす)ぐ」
会計・會計・快慶の恥?
遼東の豕(リョウトウのいのこ)・・・旅順港?
↓↑
隱=阝+㥯
阝+爫+工+彐+心
↓↑
遶=辶+堯
辶+垚+兀
辶+土+一+儿
↓↑
西遼=カラ=キタイ
遼が滅亡したとき
遼の王族
耶律大石が
西トルキスタンに逃れ
1133年に建国国家
1211年にナイマンに滅ぼされた
名意萬(万)?
=黒契丹
カラは黒
キタイは契丹
中国では西遼
契丹人の遼の皇帝の一族
耶律大石(ヤリツダイセキ)
↓↑・・・耶律楚材=明昌元年六月二十日
(1190年7月24日)
~
ドレゲネ称制
三年五月十四日
(1244年6月20日)
モンゴル帝国の官僚
字 晋卿
號 湛然居士
が
金・宋軍に
首都
燕京を攻撃され
1125年に脱出
外モンゴルを経て西進
中央アジアに入り
カラ=ハン朝を倒し
1133年
建国
都はカラ=ハン朝に続き
ベラサグン
1141年
セルジューク朝軍を破り
サマルカンド
ブハラ
などの
西トルキスタン
の主要な交易都市を支配
西トルキスタンに
漢文化の影響を受けた
13世紀
西の
ホラズムに圧迫され
1209年
ホラズム王
ムハンマドに敗れ
東方に移動
チンギス=ハン
に敗れて逃れてきた
ナイマン部
タヤン=ハン
の息子
クチュルク
に
1211年
王位を奪われ滅亡
後
ナイマンは
チンギス=ハンに滅ぼされ
カラ=キタイ
の遺領と遺民は
モンゴル帝国に支配された
モンゴル帝国
カラ=キタイから
中国風統治制度を採り入れた
↓↑ ↓↑
西遼(カラ=キタイ)
キルギスを中心に
トルキスタン全域を支配
王族は仏教徒
中国式の
廟号や年号、貨幣を使用
遼文化を継承
1133年~1211年までの約80年間
西トルキスタンはイスラーム化
東トルキスタンは仏教圏
14世紀後半
チャガタイ=ハン国の頃からイスラーム化
カラ=キタイ(西遼)
1141年
サマルカンド郊外草原で
イスラーム教国
セルジューク朝軍を破った
カラ=キタイ人
はモンゴル帝国に支配され
モンゴルは制度上の枠組みを
活用した
ー↓↑ーーー
源義詮(みなもとのよしあきら)
墓所 神奈川県鎌倉市浄妙寺光明院
神奈川県鎌倉市瑞泉寺
神奈川県鎌倉市円覚寺黄梅院
伝
京都府京都市右京区嵯峨野の宝筐院
伝
静岡県三島市川原ヶ谷の宝鏡院
官位 従五位下、左馬頭
従四位下、左近衛中将
従三位、征夷大将軍
正二位、権大納言
贈従一位 左大臣
幕府 鎌倉幕府→室町幕府第2代征夷大将軍
主君 足利尊氏→後光厳天皇
氏族 足利氏(足利将軍家)
父 足利尊氏
母 赤橋登子
兄弟 竹若丸、直冬、義詮、基氏、鶴王ほか
妻
正室 渋川幸子
側室 紀良子
子 千寿王・義満・満詮
柏庭清祖・廷用宗器・宝鏡寺殿
↓↑
尊氏の幕府開府後
足利家の執事
「高師直」
と尊氏の弟
「足利直義」
の対立で
「観応の擾乱」
が起こり
師直のクーデタにより
直義が失脚
義詮は京都へ呼び戻され
幕府の政務を任される
正平六年(1351年)
八月
尊氏が
直義派に対抗するために
義詮と共に
南朝に降伏し
十一月
年号を
南朝の「正平」に統一
「正平一統」
翌年に南朝方の
北畠親房
楠木正儀
らが京都へ侵攻
義詮は京を逃れて
近江国へ避難
光厳、光明、崇光天皇
の三上皇
皇太子
直仁親王を奪われ
観応の年号を復活させ
兵を募って京都を奪還
三種の神器の無い状態で
後光厳天皇の即位を実現
正平八年(1353年)六月
正平十年(1355年)一月
異母兄の
直冬
山名時氏
らの攻勢により
京都を奪われた
↓↑
正平十三年(1358年)
四月
尊氏死没
十二月
義詮は
征夷大将軍に任命
正平十六年(1361年)
細川清氏・畠山国清
と対立した
仁木義長が南朝へ降り
執事(管領)の
清氏が
佐々木道誉の讒言で南朝へ降った
細川清氏や畠山国清
を滅ぼし
正平十七年(1362年)七月
空席の管領職に
斯波義将を任命
正平十八年(1363年)
大内氏、山名氏
仁木義長、桃井直常、石塔頼房
幕府に帰参
義詮の執奏により
勅撰和歌集の19番目
『新拾遺和歌集』が
後光厳天皇より綸旨
正平二十年(1365年)二月
三条坊門万里小路の新邸に移転
評定衆・引付衆を縮小し
将軍の親裁権の拡大を図った(御前沙汰)
園城寺と南禅寺の争いで
今川貞世に命じ
園城寺が管理する
逢坂関等を破却させた
正平二十二年(1366年)
斯波氏が一時失脚
細川頼之を管領に任命
(貞治の変)
正平二十二年(1367年)十一月
側室の
紀良子との間に生まれた
嫡男
義満を
細川頼之に託し
十二月七日
死去・享年38
↓↑
三条坊門に邸宅を営んだため
「坊門殿」と呼ばれた
室町季顕から「花亭」を買い受け別邸
のちに「花亭」は
足利家より
崇光上皇に献上され
仙洞御所となった
第3代将軍
義満は再び皇室から
「花亭」を譲り受け御所とし
「花の御所」
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