遼東之豕(リョウトウのいのこ)・・・遼東の以東・南東・・・

 3049日目・文字霊日記
 詮=言+全・・・
 栓=木+全・・・ゴム栓・・・耳栓・口栓・鼻栓・血栓・・・
 ↓↑
 「愚鈍」な「義」を「詮(言+全・あきらかにする)」・・・太の平の記?
 ↓↑
 栓(セン)=ウコギ科の落葉広葉樹
      「ハリギリ」の別名
       ハリギリ(針桐)
       別名、センノキ(栓の木)
          ミヤコダラ
          テングウチワ
          ヤマギリ
       木材で「栓(セン)」と呼ばれる
       肌が深く裂け
       黒ずんだ褐色の木から取れる「オニセン(鬼栓)」
       木肌がなめらかな木から取れる「ヌカセン(糠栓)」
       に分かれる
       鬼栓は加工には向かず
      「沈木」=チンボク
       しずみぎ・うもれぎ
       水中や土中に沈んでいる木
       堤防工事の際に水中に沈め
       その中へ石を詰める枠木
       浮石沈木(フセキチンボク)
       一般大衆の無責任な言論が
       道理に反して威力をもつ
       水に沈むはずの石を浮かせ
       水に浮くはずの木を沈める
       ↓↑
       沈木
       に用いられる
       糠栓の材は軽く軟らかく加工がし易い

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 ↓↑
 栓
 何らかの器の穴を塞ぐ、ふた(蓋)
 穴や器の口などをふさぐもの
 穴をふさぐ木の釘(くぎ)
 壜・瓶=びんなどの口をふさぐもの
 cork(コルク)の栓
 活栓(カッセン)・ 血栓(ケッセン)・水栓(スイセン)
 密栓(ミッセン)・元栓(もとセン) ・栓塞(センソク)
 栓塞(センソク)=血栓や炎症によって血管が塞がること
 脳血栓脳梗塞の一種
 脳の血管に、動脈硬化などで
 生じた血液のかたまりが
 詰まることで起こる病気
 そのかたまり
 意識障害や半身麻痺などの症状
 脳血栓症
 心筋梗塞
 耳栓(みみせん)
 水道栓
 活栓(カッセン)=コック(cock)
          cook?料理
 管などを自由に開閉する装置
 バルブ(valve)・・・
 ↓↑  バブル・bubbl
     泡・気泡・シャボン玉
     あぶく
 ↓↑  バルブ・bulb?球根・鱗茎
     液体や気体の配管など
     流体が通る系統において
     設けられる流れの
     方向・圧力・流量の制御を行う機器の総称
    「弁(ベン)」という語が用いられる
     配管・水廻り設備部材
     調節器
     水廻り部材・ポンプ圧・油圧機器・ホース

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 ↓↑
 詮=言+全
   言(亠+二+▭)+全
   言(亠+二+匚+丨)+全
   言(亠+二+匸+丨)+全
   言(亠+二+丨+コ)+全
   言(亠+二+凵+~~)+全
   言(亠+二+冂+_)+全
   言(亠+二+「+」)+全
   言(亠+二+ㄴ+ㄱ)+全
   言+人+王(一+十+一) 
   言+入+王(干+一)
   言+入+王(一+土)
   言+亼+土
   セン
   あきらか
   えらぶ
   しらべる
   そなわる
   ものの道理をときあかす・明らかにする
   選ぶ・選抜する・はかる
   そなわる・そなえる・ととのう
   のり・道
   せん・しるし・かい
   つまり・結局・つまるところ
   方法・手段
 ↓↑
 全+α
 栓=木+全=木全=きまた=木俣・木又・木股
       瓶栓・ゴム栓=護謨栓
              護=護憲・護国・援護
              謨=言+莫
               =ボ・モ
                はかる・はかりごと
 筌=竹+全=茶筌・茶筅(チャセン)
 銓=金+全=秤・量る
 痊=疒+全=癒える・癒す・慰安
 跧=足+全=跧 伏(センプク)・腹這うこと・這いつくばること
          匍匐(ホフク)
 輇=車+全=輴・膞・䡅・槫・輲・車輪・円盤状の車
 絟=糸+全=細布・細糸
 荃=艹+全=からしあえ
 拴=扌+全=ロープ・縄・糸などで物体を
             つなぐ・つなぎとめる・くくりつける
 佺=イ+全=偓佺(アクセン)・仙人の名
          槐山に棲み体毛が濃く
          足は疾駆する馬のように速い
 姾=女+全=古の女子の人名用字
 峑=山+全=山頂
 恮=忄+全=謹慎
 洤=氵+全=いずみ
 烇=火+全=火貌
 牷=牛+全=いけにえ(生け贄)
 硂=石+全=銓・筌・・・掏り棒?
 酫=酉+全=醛・鹹葅=漬物
 駩=馬+全=黑嘴白毛的馬
           くちばし(嘴・喙・觜)
 㓌=冫+全=冷氷・・・つらら=氷柱
 䀬=目+全=目瞬・目眇視・・・目蓋・瞼(まぶた)
 輇=車+全=槫・車輪
 㻇=王(玉)+全=拴
  ↓↑
 安詮院=あぜぶ=アンセンイン?・・・案選(撰)韻?
 あぜぶ・・・畦布・畔歩・・・汗部・阿施武
                  ア=丫・蛙・合・倦?
 アゼブ=安詮院
 熊本県
 玉名市
 安心院姓多
 ↓↑
 熊本県
 玉名市
 伊倉北方
 に江戸時代にあった
 安心院=アジミ
 ↓↑
 安詮院 貞熊(あぜぶ さだくま)・・・???
 安=宀+女
 詮=言+全
 院=阝+完=阜+宀+元
 貞=ト+目+ハ
 熊=ム+月+ヒ+ヒ+灬
 ↓↑
 1889年(明治二十二年)4月27日
 ~
 没年不明?
 ↓↑
                1940/6
     大運1936年10月(47歳)⇔癸亥比肩
 己 丑(癸辛己)偏官・偏官冠帯⇔庚辰印綬
┏戊┏辰(乙癸戊)正官・正官 養⇔壬午劫財
┣癸┗酉(庚 辛)  ・偏印 病
┗戊 午(丙 丁)正官・偏財 絶
   戌亥空亡
 ↓↑
 熊本県
 玉名郡
 伊倉町
 大字
 伊倉
 出身
 ↓↑
 大正から昭和時代前期の
 台湾総督府官僚
 彰化市
 台中市
 ↓↑
 1920年大正9年)3月
 台湾総督府
 営林局書記
 1932年(昭和7年
 台湾総督府地方理事官
 台北州基隆郡守
 1936年(昭和11年)12月28日
 彰化市尹に就任
 1939年(昭和14年)4月~翌年6月まで
 台中市尹を務めた
 退官後
 台湾新聞常務
 ↓↑
 詮(あきらか)
 詮ぶ(えらぶ)
 詮べる(しらべる)
 詮わる(そなわる)
 ↓↑
 所詮
 様々なことをしても
 最終的に行きつくところ・・・
 結局のところ
 詮(セン)行いの労力に見合う効果・効き目
 詮方・為ん方(センカタ)物事を行う方法・なすべき方法
 詮議(センギ)罪人を取り調べたり、捜索したりすること
 詮索(センサク)細かい所まで徹底的に調べ求めること
 詮ずる所(センずるところ)色々と考えた結果・結局のところ
 ↓↑
 名詮自性(ミョウセンジショウ)
  名がそのものの本質を表しているもの
  本質に名が相応しいもののこと
  「名詮」はその名に備わっている
  「自性」はそのものの本質
 ↓↑
 詮=なすべき手段、方法・せんかた
   効果・価値・かい・ききめ
   煎じつめたところ・結局
   明らかにする・詳しく調べる
   物事の道理をつき詰めるのこと
   つまるところ・結局・所詮・究極
   詮(あきらか)
   詮ぶ(えらぶ)
   詮べる(しらべる)
   詮わる(そなわる)
  ↓↑
 「詮=あきら」
 「義詮」
 「満詮」
 その他の人物は
 「あき」
 「のり」
ー↓↑ーーー↓↑ー
 足利 義詮(あしかが よしあきら)
 室町時代(南北朝時代)
 室町幕府
 第二代将軍
 初代将軍
 足利尊氏
 の嫡男
 母は
 鎌倉幕府
 最後の執権
 北条守時の妹
 正室
 赤橋 登子
 姓名 源義詮(みなもとのよしあきら)
 ↓↑
 元徳二年六月十八日
 (1330年7月4日)
 ~
 正平二十二年・貞治六年十二月七日
 (1367年12月28日)
      大運1359年2月(28歳)乙酉正官
 庚午(丙 丁)食神・偏印帝旺⇔丁未印綬
 壬午(丙 丁)偏財・偏印帝旺⇔辛亥傷官
 戊戌(辛丁戊)  ・傷官 墓⇔己酉劫財
 戊午(丙 丁)比肩・偏印帝旺⇔庚午食神
  辰巳空亡
 ↓↑
 改名 千寿王(幼名)→義詮
 別名 坊門殿
 戒名 宝筐院殿 道権 瑞山
      筐=竹+匡
       かご・はこ・かたみ・竹で編んだハコ
       匡=匚+王
         キョウ・ただす・すくう
         正しくする・匡正
         すくう・たすける・ 匡済
         王を匚(箱・凾・はこ)に閉じ込める
         曲がったモノを矯正する・・・
         曲がった腰(骨)を矯正する・・・
         corset(コルセット)・・・?
         匚(箱がまえ・囗-丨=匚)
            構 え
         匸(匿がまえ・一+乚)
           隠匿   壹=壱 乚=乙
         コ(こ・己-乚=コ)
                乚=乙
                「かくす=隠」の古字
                 異体字.「隱 ・⺃」
                     隱=阝+㥯
                       阝+爫+工+彐+心
                 隐・㡥・㥼・䨸・乚(古字)
                 嶾・濦・蘟・𠃊(同字)
                 𤔌・𨼆・𨽌
                 雪隠
                 乚=「乙(おつ遶)」の異体字
                「かくす・人の目に触れないようにする
                 物で覆ったり、 しまいこんだり する
                 物事を人に知れないように する
                 秘密にする」
             己(キ)-乙(イツ・おつ・おと)=コ
             つちのと
             おのれ
             ム=私             
             よこしま-イン=コ
         コ=コ・えり
           異体字
         「滬=氵+扈=戸+邑」
              扈従(コジュウ・コショウ)
             跋扈(バッコ)
              扈(したがう・コ)
              扈(つきそう)
              扈(はびこる)
              扈(ひろい)
              起き上がり小法師(扈)
              こぼす=零す・翻す・溢す
                  こぼ(毀)つ
              重心を利用した玩具
              丸底人形
              roly-poly toy
              tilting doll
              タンブラー
              wobbly man
              ヤジロベエ(弥次郎兵衛)
              balance toy(釣り合い人形)
           上海(シャンハイ・申)市
           北東を流れる川の名
         滬=上海の別称「申」の起因
           このころは
           今の黄浦江より西に
           今の呉淞江(蘇州河)に沿って
           ラッパ(喇叭)状の入江が深く入り込んで
           滬瀆(コトク)と呼ばれていた
           「滬」とは木製の漁具=網代あじろ)
           上海の別名
           上海=申・・・サル女=猿女=上海女?
              戦国時代
             「春申君」の封地だった
              で
             「申」と称す
             「滬(コ)=魚を捕る道具」
              とも呼ばれる
           えり・あじ
           漁具の一
           竹を並べて魚を捕る仕掛け
         凵(坎にょう・坎がまえ・受けばこ.)
            遶    構     箱・函・匣
            遶=辶+堯
              辶+垚+兀
              辶+土+一+儿
              ジョウ・ ニョウ
              めぐる・めぐらす
              とりまく・かこむ
         冂(境がまえ・牧がまえ)
         遶=ニョウ=繞・饒・撓・橈・蕘
 ↓↑
 遼=リヨウ=瞭・療・寮・僚・尞
 ↓↑       ↓↑
 遼=辶 +尞
   辶 +昚 +小
   辶+ 大+丷+日+小
   リョウ
   はるか
   距離や年月のへだたりが大
   ゆるめる・ゆるくする
   川の名・遼河
   王朝の名
 ↓↑

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 遼遠(リョウエン)
 遼東(リョウトウ)・・・遼東半島←北西(戌亥)←日本
 ↓↑
 前途遼遠(ゼントリョウエン)
 これから先の道のりが非常に遠いこと
 「前途」はこれから先の道のり、将来のこと
 「遼遠」はどこまでも続いているということ
 目的を果たすまでに
 たくさんの苦労や災難が待ち構えていることをいう
 ↓↑
 遼東之豕(リョウトウのいのこ)
 世間を知らずで経験や知識が少なく
 取るに足りないことで得意になること
 「遼東」
 中国にある遼河という河の東の地方
      遼河以西の地域を遼西
           以東を遼東
 「豕=豚」
 遼東の農家に頭の白い豚が生まれ
 農民は特別なものだと思い
 天子に献上しようとしたが
 道中で見かけた豚の群れは
 皆頭が白く・・・頭白・白髪?
 他の地方では
 ごく普通のことと知り
 自身の無知を
 恥じて帰ったという故事・・・恥=耳+心
               恥骨・恥垢・恥辱
               羞恥心(shame)              
 ↓↑         「会稽の恥を雪(すす)ぐ」
             会計・會計・快慶の恥?
 遼東の豕(リョウトウのいのこ)・・・旅順港

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 ↓↑
 隱=阝+㥯
   阝+爫+工+彐+心
 ↓↑
 遶=辶+堯
   辶+垚+兀
   辶+土+一+儿
 ↓↑
 西遼=カラ=キタイ
    遼が滅亡したとき
    遼の王族
    耶律大石が
    西トルキスタンに逃れ
    1133年に建国国家
    1211年にナイマンに滅ぼされた
        名意萬(万)?
   =黒契丹
    カラは黒
    キタイは契丹
    中国では西遼
    契丹人の遼の皇帝の一族
    耶律大石(ヤリツダイセキ)
    ↓↑・・・耶律楚材=明昌元年六月二十日
             (1190年7月24日)
              ~
              ドレゲネ称制
              三年五月十四日
             (1244年6月20日
              モンゴル帝国の官僚
              字 晋卿
              號 湛然居士
    が
    金・宋軍に
    首都
    燕京を攻撃され
    1125年に脱出
    外モンゴルを経て西進
    中央アジアに入り
    カラ=ハン朝を倒し
    1133年
    建国
    都はカラ=ハン朝に続き
    ベラサグン
    1141年
    セルジューク朝軍を破り
    サマルカンド
    ブハラ
    などの
    西トルキスタン
    の主要な交易都市を支配
    西トルキスタン
    漢文化の影響を受けた
    13世紀
    西の
    ホラズムに圧迫され
    1209年
    ホラズム王
    ムハンマドに敗れ
    東方に移動
    チンギス=ハン
    に敗れて逃れてきた
    ナイマン部
    タヤン=ハン
    の息子
    クチュルク
    に
    1211年
    王位を奪われ滅亡
    後
    ナイマンは
    チンギス=ハンに滅ぼされ
    カラ=キタイ
    の遺領と遺民は
    モンゴル帝国に支配された
    モンゴル帝国
    カラ=キタイから
    中国風統治制度を採り入れた
 ↓↑  ↓↑
    西遼(カラ=キタイ)
    キルギスを中心に
    トルキスタン全域を支配
    王族は仏教徒
    中国式の
    廟号や年号、貨幣を使用
    遼文化を継承
    1133年~1211年までの約80年間
    西トルキスタンイスラーム
    東トルキスタンは仏教圏
    14世紀後半
    チャガタイ=ハン国の頃からイスラーム
    カラ=キタイ(西遼)
    1141年
    サマルカンド郊外草原で
    イスラーム教国
    セルジューク朝軍を破った
    カラ=キタイ人
    はモンゴル帝国に支配され
    モンゴルは制度上の枠組みを
    活用した
ー↓↑ーーー
 源義詮(みなもとのよしあきら)
 墓所 神奈川県鎌倉市浄妙寺光明院
    神奈川県鎌倉市瑞泉寺
    神奈川県鎌倉市円覚寺黄梅院
    伝
    京都府京都市右京区嵯峨野の宝筐院
    伝
    静岡県三島市川原ヶ谷の宝鏡院
 官位 従五位下、左馬頭
    従四位下左近衛中将
    従三位征夷大将軍
    正二位、権大納言
    贈従一位 左大臣
 幕府 鎌倉幕府室町幕府第2代征夷大将軍
 主君 足利尊氏後光厳天皇
 氏族 足利氏(足利将軍家
 父  足利尊氏
 母  赤橋登子
 兄弟 竹若丸、直冬、義詮、基氏、鶴王ほか
 妻
 正室 渋川幸子
 側室 紀良子
 子  千寿王・義満・満詮
    柏庭清祖・廷用宗器・宝鏡寺殿
 ↓↑
 尊氏の幕府開府後
 足利家の執事
 「高師直
 と尊氏の弟
 「足利直義
 の対立で
 「観応の擾乱
 が起こり
 師直のクーデタにより
 直義が失脚
 義詮は京都へ呼び戻され
 幕府の政務を任される
 正平六年(1351年)
 八月
 尊氏が
 直義派に対抗するために
 義詮と共に
 南朝に降伏し
 十一月
 年号を
 南朝の「正平」に統一
 「正平一統
 翌年に南朝方の
 北畠親房
 楠木正儀
 らが京都へ侵攻
 義詮は京を逃れて
 近江国へ避難
 光厳、光明、崇光天皇
 の三上皇
 皇太子
 直仁親王を奪われ
 観応の年号を復活させ
 兵を募って京都を奪還
 三種の神器の無い状態で
 後光厳天皇の即位を実現
 正平八年(1353年)六月
 正平十年(1355年)一月
 異母兄の
 直冬
 山名時氏
 らの攻勢により
 京都を奪われた
 ↓↑
 正平十三年(1358年)
 四月
 尊氏死没
 十二月
 義詮は
 征夷大将軍に任命
 正平十六年(1361年)
 細川清氏畠山国清
 と対立した
 仁木義長南朝へ降り
 執事(管領)の
 清氏が
 佐々木道誉の讒言で南朝へ降った
 細川清氏畠山国清
 を滅ぼし
 正平十七年(1362年)七月
 空席の管領職に
 斯波義将を任命
 正平十八年(1363年)
 大内氏、山名氏
 仁木義長桃井直常、石塔頼房
 幕府に帰参
 義詮の執奏により
 勅撰和歌集の19番目
 『新拾遺和歌集』が
 後光厳天皇より綸旨
 正平二十年(1365年)二月
 三条坊門万里小路の新邸に移転
 評定衆引付衆を縮小し
 将軍の親裁権の拡大を図った(御前沙汰)
 園城寺南禅寺の争いで
 今川貞世に命じ
 園城寺が管理する
 逢坂関等を破却させた
 正平二十二年(1366年)
 斯波氏が一時失脚
 細川頼之管領に任命
 (貞治の変)
 正平二十二年(1367年)十一月
 側室の
 紀良子との間に生まれた
 嫡男
 義満を
 細川頼之に託し
 十二月七日
 死去・享年38
 ↓↑
 三条坊門に邸宅を営んだため
 「坊門殿」と呼ばれた
 室町季顕から「花亭」を買い受け別邸
 のちに「花亭」は
 足利家より
 崇光上皇に献上され
 仙洞御所となった
 第3代将軍
 義満は再び皇室から
 「花亭」を譲り受け御所とし
 「花の御所」
ーーーーー
   ↓↑
  「古事記字源のページの表紙・音楽・動画」
https://haa98940.wixsite.com/mysite
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 「古事記字源のページ・2016/12~」
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