オオモノのアルジの悩みは「おに」・・・

 3028日目・文字霊日記
 仏じゃない、って・・・イキをしてるってコト?

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 大物主
  ↓
 「出雲国造神賀詞」では
 「大物主櫛甕玉」
 「大穴持(大国主神)」の
 和魂(にきみたま)である
 ↓↑ 和=禾+口
      魂=云+鬼
      鬼=甶+儿+厶
      ノ+田+儿+厶
       田=狩場・狩猟場
      ノ+囗+十+儿+厶
   異体(體=骨+豊)字
   𢇼・𣆠・𩲡・𤱲・𩲚・𩲞・𩳉・𩳹・𩴿
   ⻤・⿁
   ↓↑
   妖怪・モノの怪・怪力の化け物
   『和名類聚抄』
   「鬼
    和名於爾 或説云
    隠 字音 於 爾訛也
    鬼 物隠 而不欲顕形
    故 俗曰 隠也」
    ↓↑
   「モノ=おに」
   「気配すれど姿態は
    視得ずのナニカ」?
   「鬼=視覚以外で感じられる気配」?
    透明なナニモノか・・・
    ジャぁッ
   「隠也」ではなく
   「音也・触也・匂(臭)也」・・・
   「鬼」は嘗(舐・な)めれないダロウ・・・
    ↓↑
   「陰(おん)」説
    貝原益軒(『日本釈名』)
    新井白石(『東雅』)
    ↓↑
   「陰(おん)」説
    大和岩雄(『鬼と天皇』)
    ↓↑
    カンジは「音・乙・尾登」だろう
    ↓↑
   「鬼(キ)」
   死者の霊魂
   人間は
   陽気の霊で
   精神をつかさどる「魂(コン)」
   陰気の霊で
   肉体をつかさどる「魄(ハク)」
   との二つの神霊をもつ
   死後
   魂は天上に昇って「神」
   魄は地上に留まって「鬼」
   となる・・・?
    ↓↑
   ボクが理解していたのは
   「魂魄論」で
    魂=云+鬼=男の「タマ-シイ」
    魄=白+鬼=女の「タマ-シイ」
   の夫婦(めおと)の死に別れで
   「男女」のイズレかが
   先に逝った方が天国の門
   「魂」or「魄」として待機している
   「タマ-シイ」のコトなんだけれど・・・?
   「魂魄のpair(ペア・対)」
   でないと
   「天国の門」は潜(くぐ)れない・・・
   キリストの
   「狭き門」よりは、
   はるかに
   「日本的」な、あの世へとツヅク
   「おやま(女・母)」の
   結界
   「鳥居の門前」である・・・?
   女人禁制は
   「妻・妹・母」=「山神」
   の嫉妬の畏れから・・・?
   これは
   「男女」が
   「不平等」と謂うコトではない・・・
   母親の畏れ、配偶者(女)の畏れ・・・?
   「女性の土偶」の意味は・・・
   サンゴのオソレ・・・
    ↓↑
   伊邪那美伊弉冉
         弉=壯+廾=奘
           爿+士+一+丿+丨
           ジョウ
           ソウ
           ゾウ
           さかん・大きい
          冉=冂+土=冄
            冂+十+一
            ゼン
            ネン
            しなやか・しなやかなさま
            ゆく・すすむ・ゆっくりと進む
          火の神軻遇突智迦具土神カグツチ
          を産んで火傷から
          産後の肥立ち(坐月子)が悪く死没
          『古事記
          出雲と伯伎(伯耆)の境の
          比婆山島根県安来市伯太町
          『日本書紀
          紀伊の熊野の
          有馬村(三重県熊野市有馬・花窟神社
          に葬られた
   ↓↑
   と
   伊邪那岐伊弉諾
          諾=言+若
            亠+二+口+艹+ナ+口
            ダク
            うべなう・承知する・聞き入れる
            こたえる・「はい」と答える
           「諾威(ノルウェー)」
            承諾
   ↓↑
   は
   生きているときは
  「相思相愛」だったのに
  「伊邪那岐伊弉諾
   は
  「伊邪那美伊弉冉
   の
   死後の醜い姿をみて
  「黄泉(よみ)の国」から逃亡した

   黄泉津大神(よもつおおかみ)=黄泉国の主宰神
   道敷大神(ちしきのおおかみ)=黄泉比良坂で
             イザナギに追いついた神?
             道=首+辶
             敷=旉+攵
               甫+亠+勹+攵
               甫+方+攵
              「シキモノ」
             旉=フ・しく
               平らにひろげてのばす
               あまねし・広く行き渡る
               旉布而生也
               異體字(尃)
               旉⇔専(もっぱ)ら・専門・博文
    ↓↑
   和魂(にきみたま)
   漢字専門屋の坊主の知識なら
   「何氏・可視・和氏・瑕疵のタマ」
   「和氏の璧(かしのへき、かしのたま)」
   春秋時代・戦国時代の故事の「名玉」
   『韓非子(和氏篇十三)』の法術士
   卞 和(ベン カ)
   楚の住人
   和氏(カシ)とも
   『史記』の「連城の璧(れんじょうのへき)」
   の「モノ」・・・
    ↓↑
   「中国的」には「連理の比翼」
   「白居易の『長恨歌』」
   「在天願 作 比翼鳥
    在地願 爲 連理枝」
    ↓↑
   祝言
   「高砂
    この浦船に
    帆を上げて
    月もろ共に
    出汐(いでしお)の
    波の淡路の島影や
    遠く鳴尾の沖こえて
    はや 住の江につきにけり
    はや 住の江につきにけり」
   は
   「連理枝=一本のマツのネから
        二本に分枝したエダ」
   である・・・大(一人)→夫(二人)
    ↓↑
   飛鳥時代
   法隆寺金堂釈迦三尊像光背銘
  「鬼前大后(聖徳太子の母の穴穂部間人皇女)」
   ↓↑
  「鬼(もの・しこ・かみ)」と訓示た
   ↓↑
  『出雲国風土記
  「大原郡(おおはらのこおり)
   阿用郷(あよのさと)
   昔 或人
   此処(ここ)に
   山田を
   佃(つく)りて守(も)りき
   その時
   目一つの
   鬼
   来りて
   佃(たつくる)る人の
   男(をのこ)を
   食(くら)ひき」
   鬼=一つ目の人食い
   ↓↑
   鬼(おに・demon)
   頭に角が生えた「鬼」は
   江戸時代の浮世絵師
   「鳥山石燕
   が描いた絵の顔姿=オリジナル
   正徳二年
   (1712年)頃、誕生
   天明八年八月二十三日
   (1788年9月22日)死没
   姓 佐野
   諱 豊房(とよふさ)
   號 船月堂・零陵洞・玉樹軒・月窓
   安永五年(1776年)版本
   『画図百鬼夜行
   安永八年(1779年)版本続篇
   『今昔画図続百鬼』
   安永十年(1780年
   『今昔百鬼拾遺』
   天明四年(1784年)
   『百器徒然袋』
ーーーーー
 悪鬼羅刹(アッキラセツ)
 人に害、災難を与え、人食いの化け物
 「羅刹」=人食いの化け物
 ↓↑
 異域之鬼(イイキのキ)
 異国の地で死ぬこと・その人の魂
 「鬼」=死霊・魂
     故郷から離れ
     異国に留まっている死者の魂
 ↓↑
 有財餓鬼(ウザイガキ)
 「餓鬼」=飢えに苦しむ亡者
      欲深く金銭に執着する人
 ↓↑
 餓鬼偏執(ガキヘンシュウ)
 他人への迷惑や
 他人の意見を考えず
 自身の考えだけにとらわれること
 「餓鬼」=飢えで食べ物をむさぼり続ける意
      強欲な人
 「偏執」=偏った思考
 ↓↑
 鬼家活計(キカカッケイ)
 無駄な努力
 「鬼家」=死人の霊の世界
 「活計」=生活や努力
  死者の霊が死後の世界で行う生活や努力の意
 ↓↑
 鬼瞰之禍(キカンのわざわい)
 良い出来事には邪魔が入る
 富み栄えて付け上がっていると
 周りから妬まれて災いを受けること
 「瞰」=隙を狙う・窺うの意味・・・俯瞰・鳥瞰
 富裕な家に災いを下そうとして
 邪鬼が隙を狙っているという意
 ↓↑
 大物主
 別名
 「三輪明神
 「倭大物主櫛甕魂命
 (ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)
 大国主の分霊であるため
 「大黒天」として祀られる・・・
 明治の神仏分離に際して
 金毘羅三輪一体との言葉が残る
 大物主を正式な祭神とされた
 「古事記」によれば、
 大国主神とともに国造りを行っていた
 少彦名神常世の国へ去り、
 国造に悩んでいた時に、
 海の向こうから光り輝く神様が現れて、
 大和国
 三輪山に自分を祭るよう希望
 大国主神が「どなたですか?」と聞くと
 「我は汝の
 幸魂(さきみたま)
 奇魂(くしみたま)なり」と答えた
 「日本書紀・一書」では
 大国主神の別名
 大神神社の由緒では、
 大国主神が自らの
 和魂を
 大物主神として祀ったと・・・
 ↓
 勢夜陀多良比売
 (セヤダタラヒメ)
 が美人であるという噂を耳にした大物主は、
 「赤い矢」に姿を変え、
 勢夜陀多良比売
 トイレ(便所)で用を足しているとき
 川の上流から流れて行き
 彼女の下を流れ、
 ほと(陰所)を突いた。
 その矢は
 大物主の姿に戻り
 二人は結ばれ
 生れた子が
 「比売多多良伊須気余理比売
 (ヒメタタライスケヨリヒメ)」で、
 後に
 神武天皇の后となった・・・
  ↓
  倭  迹迹日百 襲姫
 (ヤマトトトヒモモソヒメ)は、
 夜ごと訪ねてくる男に
 「顔をみたい」と頼む。
 男は最初拒否するが、
 「絶対に驚いてはいけない」
 という条件で、
 朝小物入れをのぞくよう話した。
 朝になって
 百襲姫が小物入れをのぞくと、
 小さな黒蛇の姿があった。
 驚いた百襲姫が尻もちをついたところ、
 置いてあった箸が陰部に刺さり、死んだ
  ↓
  活 玉 依 比売
 (イクタマヨリビメ)の前に
 突然立派な男が現われ、二人は結婚
 活玉依比売はすぐに身篭ってしまった
 不審に思った父母が問いつめ
 活玉依比売は
 名前も知らない立派な男が
 夜毎にやって来ることを告白
 父母はその男の正体を知りたいと思い、
 糸巻きに巻いた
 麻糸を針に通し
 針をその男の衣の裾に通すように教え
 翌朝、針につけた糸は
 戸の鍵穴から抜け出ており
 糸をたどると
 三輪山の社まで続いていた。
 糸巻きには
 糸が3回りだけ残っていたので、
 「三輪」と呼ぶようになった
 ↓
 意富多多泥古
 崇神天皇
 天変地異
 疫病の流行に悩んでいると
 夢に
 大物主が現れ、
 「こは我が心ぞ。
 意富多多泥古(太田田根子)
 をもちて、
 我が御魂を祭らしむれば、
 神の気起こらず、
 国安らかに平らぎなむ」
 と告げた
 天皇
 活玉依比売の末裔とされる
 「意富多多泥古」を捜し出し、
 三輪山で祭祀を行わせ、
 天変地異も疫病も収まった
 これが現在の
 大神神社である
 「古事記」では、
 三輪大神は
 「意富美和之大神」・・・
ー↓ーー
 俺たちに明日は無い・俺たちの仏じゃない・・・?
 2014-11-25 23:40:48
 古事記字源
 ・・・「賃金」は上げなくてもイイ。「物価」を下げるだけでイイ・・・「俺たちに明日はアル」かも・・・「死者に鞭打つ」のは「日本人の美徳ではない」らしい・・・モチロン、「死者に鞭打つコト」に「意味は無い」・・・「遺体、骸骨、墓」に傷をつけて何になるだろうか?・・・「恨みの八つ当たり」である・・・だが、問題は「死者」ではなく、「死者となった人物の生存期間のナニをヤったのか、の、アル時期の意識と履歴」である・・・「自己反省も自覚もなく、ただ沈黙して逝くコト」にはスベテを水に流してしまうワケにはいかないだろう。そして生き残った人間の「逝った人間への表面上の賛辞(裏のない本音カモ?)」・・・子供向けの「歴史上の人物の伝記」・・・エピソードはあれ、その人物の判断、行動、あるいは信念、信条の殆どが「賛辞」である場合が多い・・・基準は「国家、民族の英雄。国民、民族としての名誉ある人物」・・・そして付け加えられる付録には「人類(?)、人間(?)」としての・・・
 ハリウッド映画には「悪人(アウトロウー= outlaw ?)」でも「物語の主人公(ヒーロー=HERO・ヒロイン=Heroine?)」になってその「身上と心情」に於いて「賛辞(?)」をも受ける。子供のころ、ボク自身「アウトロウー= outlaw」は「英雄の代名詞」であった・・・「心情」は知らんが「日本初の衆議院の女性議長」と、その故人に献花する人間たち・・・「階級社会の裏表」・・・何をヤッタのか・・・
 ・・・五万円は「塾代」にもならんのか・・・僅かなカネ・・・「奨学金」も借金か・・・
ー↓ーー
 アウトロウー= outlaw・・・あうとろぅぉ
 ヒーロー=heroe・・・・・・ひぃろぉ
 ヒロイン=heroine・・・・・ひろいん
 ・・・
 「俺たちに明日はない
 1967年製作のアメリカ映画
 大恐慌時代の実在の銀行強盗である
 ボニーとクライドの、
 出会いと死に至るまでを描いた犯罪映画
 1930年代に各地で強盗を繰り返した
 クライド・バロウとボニー・パーカー
 の「実話」をモノガタリにした映画
ーーーーー
 ・・・アメリカ「黒人暴動」・・・亜米利加で「亜細亜人」が暴力被害
 「人種暴動での略奪」ではなく
 「プチブル社会の階級エゴ意識の暴動」
 「韓国人の仏像仏典の窃盗」・・・
 「天上天下唯我独尊」
 とは
 「天常転嫁唯我独尊=エゴ」・・・
ーーーーー
 かり・・・狩の場=田・・・狩野 派・・・傳・伝・澱?
 ↓
 假=「イ」+「叚」
 仮=「イ」+「反」
 「叚」・・・蝦夷(えぞ・えみし・カイ)・・・
       蝦蟇(がまがえる・カバク)・・・
       「蟇=バ・バク(漢音)、マ(呉音)」・・・
         「ブユ・ぶゆ・蚋」・・・
  ヒキ、ガマガエル、ガマ、イボガエル、蟇蛙、蟾蜍、蟇、蟆
 「多邇具久(たにぐく)
       谷蟆・谷蟇」・・・知り合いは
               「久延毘古=案山子=アンザンシ」
 などの異称をもち
 漢名は
 「蟾蜍(センジョ)」・・・
 「選・撰・択(えら)」んで、「除(のぞ)」け・・・である
 ・・・替える・・・蛙=中のム、土土=十一、十一、壱拾壱
                ・・・イチ、拾う、イチ・・・位置
 『万葉集』巻5・800番
 「山上憶良」・・・この時代の人物なのか?
    ・・・山上(サンジョウ=参帖
          やまがみ=山の神)
          山上・・・垂訓・・・垂仁天皇
       の
       憶(おぼえ)・・・記憶
       が
       良(よい)
  の長歌
 「天雲の向伏極み
  谷蟆の
  さ渡る極み」
 と謳われ
 「天皇の支配領域を指し
  天の雲の
  向こうの果てから
  地上は
  ヒキガエル(多邇具久=たにぐく
             谷蟆
             谷蟇
             谷=ハ+𠆢+口
    蟆=蟇=虫+莫)
        虫=中+ム(シ・よこしま)
          莫=バク・マク
            ない・なく・なかれ
            模造・模擬・幕府
  の歩いているような
  ところはすべて・・・」
  ・・・?
  「引き換える」のは
  多=おほの・・・太安万侶
  ↓↑     ・多治比の誉田別命
          文子天満宮
         「多治比 文子」が
         「菅原 道真」を最初に祀った社
          西ノ京にあったが
          明治時代にこの地に遷宮
          文子天満宮の祭神
          菅原道真
          菅原道真の乳母
         「多治比 文子(たじひのあやこ)」
          自分の家の庭に造った小さな祠 (ほこら)で
          道真公を祀っていた
          天慶五年(942)
         「多治比文子」に
          北野の右近の馬場(北野天満宮の地)
          祀れとの託宣があり
          天暦元年(947)
          北野天満宮が鎮座
          北野天満宮創建の端緒
          文子天満宮
          菅原道真=「天神」として
          最初に祀った神社
          愛称
          ふみこさん
          あやこさん
          あやかさん
          あやのさん
          あやさん
  ↓↑
  多=おほの
  邇=に・ジ
  具=ぐ・そなえる・目一人
  久=く=𠂉+人
     =カミさし(鈿・簪・笄・兂・篸)のヒト
  で、ある仮名?
  何を?「引き換える」のか?
 「久延毘古」の知識では
 「神産巣日神の子の
  少 名毘古那 神
 (すくなびこなのかみ)
  少  彦 名 命」
 (すくなひこなのみこと)
  天  少  彦 根 命
 (あまのすくなひこねのみこと)
  小  比古尼 命
 (すくなひこねのみこと)
  須久那美迦微
  少日子根
ーーーーー
 ・・・???・・・
 アイもカワラズ、オナジことをヤッテいる・・・ハナミズが激しい

 古事記・漢字源の世界(1)
http://meisiki.bake-neko.net/kojiki.htm

 

数学を「コトバ」で説明されるのは難しいカナ・・・図式も難解

 3027日目・文字霊日記
 「コロナ干渉」・・・「神話干渉」・・・
 潮干狩り・・・遠浅の砂浜で
        干潮時・・・干潮⇔満潮
        砂中の貝などを採取すること
        貝拾い・貝掘り
        ↓↑
     ・・・艦長時、順和(すな―お)の忠の?
            蝦夷(カイ)を獲る⇔榎本武揚
                  阿倍比羅夫
               甲斐 武田信玄
                  織田信長徳川家康
               櫂  宮本武蔵
               魁  北斗七星 千葉周作
              花魁  吉原遊廓の高級遊女
                  宝暦(1751年~1764年)以降の呼称
                  以降、明和(1764年~1772年)
                  花魁の教養
                  花魁候補の女性は幼少の頃から
                  禿(かむろ)として古典、書道
                  茶道、和歌、箏、三味線、囲碁
                  などの芸事を仕込まれた
               歌意 百人一首 藤原道真
               隗  隗より始めよ(先従隗始・戦国策)
                 「郭隗」・・・
                  詮索は「郭務悰」のカンジより始めよ?
               解  数学者か・・・関 孝和
                      旧姓 内山氏
                      通称 新助
                      字  子豹・自由亭
         「勘解由」の人物・・・
          「新井 白石」
ーー↓↑ーーー
 「勘解由」の人物・・・
 「新井 白石」の
 主人
 ↓↑
 徳川 綱豊(家宣)・・・綱=糸+岡
             豊=曲+豆
 改名 新見左近・・・新たに見る左の近さ・・・?
    松平虎松(幼名)・・・虎の松
 別名 甲府宰相・・・・・・・甲斐=カイ=✕?
 諡号 文昭院・・・・・・・・文を昭かにするイン?
 戒名 文昭院殿贈正一位大相国公
    文昭院殿順蓮社清譽廓然大居士
 墓所 東京都港区
    三縁山 広度院 増上寺
 官位 従三位
    左近衛権中将兼左近衛将監
    参議
    正三位
    権中納言
    従二位・権大納言
    正二位
    内大臣、右近衛大将
    贈正一位
    太政大臣
 幕府 六代征夷大将軍(1709年~1712年)
 藩 甲斐
    甲府藩主
    延宝六年(1678年)~宝永元年(1704年)
  ↓↑
 「木下 順庵」は
 「新井 白石(37歳)」を
 元禄六年(1693年)
  ↓↑    ↓↑
  ↓↑・・・1600年10月21日
     「関ケ原の戦い
      1600年04月29日
     (慶長五年三月十六日)
      リーフデ号
      大分 
      豊後
      臼杵
      黒島
      に漂着
      5月12日(慶長五年三月三十日)
     「徳川家康」は   
     「三浦按針」
      ウイリアム・アダムス
      (William Adams
      らと引見
      後
      帯刀を許し
      相模国逸見に
      采地を与えた
      1602年(慶長七年)頃
      大伝馬町
      名主で
      家康の御用商人
      馬込
     「勘解由」・・・「新井 白石=勘解由」
      平左衛門の娘
     「お雪(マリア)」と結婚・・・
      1888年明治21年)の「横須賀新報」
      1892年(明治25年)の『日本商業史』
      が初出・・・
 ↓↑    ↓↑
     「勘解由使(かげゆし)
      律令制下の令外官の一
      平安時代初期
      地方行政を監査するために設置」
      勘解由使庁
      太政官の北西
      中務省の南に位置
      和名は
     「とくる よし かんがふる の つかさ」
 ↓↑
 甲府藩主
 徳川綱豊への仕官を推挙
 40人扶持・・・
 「新井 白石」は
 「かの藩邸のこと、他藩に準ずべからず
 (御両典である
  甲府徳川家は
  他の大名家とは訳が異なる)」
 と、順庵に正式に推薦を依頼

 ↓↑
 名  君美(きんみ)
 通称 与五郎・伝蔵
    「勘解由」
 字  在中・済美
 號  白石
    錦屏山人・天爵堂
   「勿斎」
   「紫陽(あじさい・シヨウ)」・・・?

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    シーボルトの現地妻
   「楠本 滝」
   「紫陽花=アジサイ
    を新種記載し
   「Hydrangea otaksa」と命名
   (後にシノニムと判明して無効)
    シノニム(synonym)=別名・異名
   「同義語・同意語・類義語」
    しのにむ
    詞埜似務?
     ↓↑
 ・・・「滝の名」?・・・「鳴滝塾
 ・・・「新井 白石=紫陽」・・・?
 ↓↑        ↓↑
   「hydrangea(ハイドランジア・haidreindʒə)」
    アジサイの一種
   「ガクアジサイ
    (額 紫陽 花)」を改良した園芸品種
    臥句阿字差異・・・?
    従来の
   「アジサイ(紫陽花)より色が鮮やか・・・
    ↓↑
   「お滝」
    17歳の遊女
    長崎の
   「丸山」遊廓
    オランダ人専用の
   「其扇(そのおおぎ)」
    という源氏名の遊女
    ↓↑
   「シーボルトは、週に一度
    出島の外に出て病人の診察をおこなった
    その度に
    美馬順三たちが必ず同行・・・」
 ↓↑
 白石の祖父
 「勘解由」と称し
 常陸国
 下妻城主
 多賀谷宣家に仕えた
 「関ヶ原の戦」の後
 所領を失い
 牢人生活
 慶長十四年(1609)死去
 白石の父
 「正済(まさなり)」は彼の四男
 九歳で父に死別
 新井家の召使であった豪農に養われたが
 十三歳
 養子の事実を知り
 江戸に出奔
 流行の「かぶき者」のような生活で
 居所定まらず
 三十一歳
 上総国
 久留里の城主
 土屋利直
 に仕え
 「目付」の職を務めた
  ↓↑
 「新井 白石」
 明暦三年二月十日
 1657年3月24日
 ~
 享保十年五月十九日
 1725年6月29日
       大運1723年7月(66歳)丙申正財
 丁┏酉(庚 辛)偏財・偏印 病⇔乙巳食神
 癸┗卯(甲 乙)比肩・食神長生⇔壬午劫財
┏癸┏未(丁乙己)  ・偏官 墓⇔丙辰正官
┗戊┗午(丙 丁)正官・偏官 絶⇔甲午傷官
   申酉空亡
  ↓↑
 「白石」も幼時から
 「利直」にかわいがられ側近
 継嗣問題で藩が内紛
 延宝三年(1675)
 「利直」死去
 「頼直」の代に
 「白石」父子は
 延宝五年(1677)
 土屋家を追われ
 他家への奉公も禁ぜられた
 後
 角倉了仁
 河村瑞賢
 から縁組の話があったが
 白石はことわり
 父がかつて養子とした
 相馬藩士
 郡司正信から仕送りを受け
 浪人生活
 延宝七年
 「土屋家」
 廃絶で他家へ仕官も可能となり
 天和二年(1682)
 大老
 「堀田正俊」に仕えた
 貞享元年(1684)
 「正俊」が殺され
 堀田家は
 将軍綱吉に冷遇され
 元禄四年(1691)
 「白石」は
 堀田家を去り浪人生活
 貞享三年(1686)
 三十歳のころから
 「木下順庵」・・・木の下のスナオなるイオリ
          十八のイチの卜(うらない)?
 の門生となる・・・
 将軍侍講(政治顧問)の「新井白石
        側用人の「間部詮房
 政治に「干渉」?・・・
    「正徳の治」・・・「章解くの字」・・・?
    「聖徳」「称徳」「尚徳」「承徳」「頌徳」
ー↓↑ーーーー
 干渉色(interference colour)
 二つの白色光が干渉するとき
 ある波長の光は強めあい
 ある波長の光は弱めあって
 光の組成が変わるため
 「干渉縞」・・・縞(しま・コウ)=糸+高
 に現れるさまざまな色

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  物理学で
  複数の波の重ね合わせによって
  新しい波形ができること
  ↓↑
  ヴィルス干渉
  ウイルスの増殖抑制現象
  ↓↑
  符号間干渉
  デジタル通信で
  隣接する符号が一種のノイズとして働く現象
  ↓↑
  干渉チェック
  建築設計で
  部材同士が
  重複して存在しないか確認すること
  ↓↑
 「干渉現象」・・・干(照)の渉(わた・渡渉)り?
         十干の 交渉=甲乙丙丁戊己庚辛壬癸
         十土の 関渉・渉猟
  干=一+十=壹+拾(足)・・・
  渉=氵+歩
    氵+止+少
    氵+丄(⊥)+卜+亅+ハ+丿
  現=王+見
    一+十+一+目+儿
    壹+拾+壱+目+儿
    壹を拾うイチは
         メの乚(イン・イツ・乙=おつ)
  象=勹+冖+I+豕
    ク+㓁+豕
    ノ+𠃌+㓁+豕
    ショウ
    ゾウ
    かたち
    かたどる
    ぞう・大きな耳と長い鼻を持つ動物
    かたち・ようす・ありさま・しるし
    かたどる・のっとる・なぞらえる
    のり・道理・おきて
    通訳
  干渉現象(intereference phenomenon)
  波動=光や音波など
     二つ以上の波動を重ね合わせたとき
     相互の位相関係によって
     合成波の振幅が
     増加/減少したりする現象
     ↓↑
     干渉現象
     波は正弦波状に
     山と谷「~~~~」が規則正しく繰り返す物理現象
     2つの波を重ねると
     山と山、谷と谷
     が重なり大きな振動になる部分と
     山と谷が重なり
     振動が消える部分が発生する現象

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     水面にある距離を離して
     石を二つ落とすと
     2つの表面波が重なり合う時
     一方の波の峰(山)と
     他方の1つの波の谷が
     同時に出会う時は
     波が弱まり
     山と山が出会うと
     波が強まることが観察でる
     ↓↑
     「ウイルス干渉」
     1つのウイルスに感染すると
     他のウイルスには感染しづらくなる現象
     ↓↑
     二言語併用者における
     「語彙レベルの干渉」現象
  ↓
 干渉現象
  (1)(波動)光や音波など
  二つ以上の波動を
  重ね合わせたときに,
  相互の
  位相関係によって
  合成波の振幅が増加/減少したりする現象
 (2)(流体)流体中に
  二つ以上の物体をおいたとき,
  単独の全体に働く抗力がそれぞれ
  単独の場合の和よりも大きくなる現象
 (3)(通信)電波通信において,
  異なった通信方式や
  不必要な搬送周波数から妨害を受け,
  信号雑音比(S/N比)が低下すること
 (4)(化学分析
  共存物質によって
  目的とする元素や化合物の定量値に
  誤差が生じること
  光分析(原子吸光法など)で用いられる
 ↓
 光の干渉現象
  光は波としての性質(波動性)がある
  これらの複数の波がぶつかり、
  変化すること
 ↓
 干渉 (物理学)
  2波干渉
  物理学における波の干渉(interference)
  複数の波の重ね合わせによって
  新しい波形ができること
  .... これは量子力学に特有の現象で、
  状態の重ね合わせでは
  測定値の確率分布は
  非加算であることに起因する・・・
 ↓
 干渉 (ウイルス学)
  ウイルス学における干渉(interference)
  1個の細胞に
  複数のウイルスが感染したときに
  一方あるいはその両方の
  増殖が抑制される現象
 干渉現象(interference phenomenon)
  さまざまな光の干渉
  波の
  山と山、波の谷と谷が重なると強め合い、
  山と谷が重なると弱め合うという性質
  光は波動の性質を持つ
 世の中の波
  音波
  振動波
  電磁波
  波動の共通性質
  お互いに影響しあうこと
 ↓
 物理学における波の干渉(interference)
 複数の波の重ね合わせによって
 新しい波形ができること
 互いに相関性が高い波のとき
 干渉が顕著に現れる
 このような波は、
 同じ波源から出た波や、
 同じもしくは
 近い周波数を持つ波である
 ↓
 波の重ね合わせの原理とは、
 ある点に生じた
 波の振幅が、
 その点に影響する
 すべての波の振幅の和と一致すること
 同じ点で
 波の山と山または谷と谷が干渉すると
 振幅の絶対値は大きくなり
 山と谷が干渉すると
 振幅の絶対値は小さくなる
 光の干渉の実験(ヤングの実験)
 2つのコヒーレントな光波が干渉しあって、
 干渉縞を形成すること
 1つの波源から発し、
 2つの異なる経路を通って伝播した波に起こりやすい。
 複数の波源からの波では、
 位相関係を調整できるときのみ干渉が起きる。
 位相関係が調整された波は、
 1つの波源から発したのと同じとみなせる
 干渉縞には、
 波が強めあう「明るい」領域と、
 波が弱めあう「暗い」領域が形成される
 エネルギー保存の法則により、
 干渉縞に
 エネルギーの失われた暗い領域が形成されれば
 その分明るい領域が形成される。
 どんな光源でも干渉縞を作ることができる。
 ニュートン環は太陽光でも観察することができる。
 しかし、
 白色光はあらゆる色の
 スペクトルが混ざっているため
 さまざまな幅の縞模様ができ、
 鮮明な干渉縞を得ることができない。
 一方、
 ナトリウムランプは
 単色光に近い光なので、
 鮮明な干渉縞を得ることができる。
 そして、
 最も鮮明な干渉縞が得られるのは
 ほぼ完全な
 単色光を出すことができる
 レーザーである
 ↓
 干渉のしくみ
 2つの波が重なりあうとき、
 形成される波形は
 周波数(または波長)と振幅、
 そして
 位相関係に依存する。
 もし、
 2つの波の振幅が同じ A で波長も同じであるとき、
 2つの波の位相関係に応じて振幅が
  0 と 2 の間の値をとる。
 2つの波が同相(位相差が 0)である場合、
 すなわち
 波の山と山、谷と谷が一致するとき、
 2つの振幅をそれぞれ A1 と A2 とすると、
 干渉後の光の振幅Aは
 A = A1 + A2
 もし、
 2つの波が逆相(位相差が180°)である場合、
 波は互いに打ち消しあうことになる。
 そして干渉後の光の振幅Aは
 A = |A1 - A2| となる。
 A1 = A2 ならば、振幅は 0 である。
 これは、
 減殺的干渉もしくは
 相殺的干渉、
 干渉による弱めあいなどと呼ばれる。
 ↓
 ・・・???
 光同士の干渉で光が「消滅」・・・
 色彩 波長の目安(ナノメートル
 赤 650~770
 橙 588~650
 黄 550~588
 緑 492~550
 青 455~492
 紫 380~455
 波長の
 山(∧凸)と山(∧凸)、あるいは、
 谷(V凹)と谷(V凹)が一致するように
 2つの波が重なり合うと、
 山(∧)の高さが2倍、あるいは、・・・M・出
 谷(V)の深さが2倍の波になる・・・・W・ω
 また、
 山(∧凸)と谷(V凹)が一致するように
 2つの波が重なり合うと・・・凸+凹=囗→○?
 波の高さはゼロになる・・・・∧+∨→W or M
 数字の加算ならば・・・・・・カンジならば
   ↓       ↓
 (+1)+(+1)=(+2)→(++11)=サ(丱)壱拾壱
 (-1)+(-1)=(-2)→(--11)=二(次)壱拾壱
 数字の相殺ならば
 (+1)+(-1)=(0)→零=全・凡・亜・総・統
           すべて=∀→Aの逆字
 (-1)+(+1)=(0)→零=全・凡・亜・総・統
           すべて=∀→Aの逆字
 「A・a→α→〆→Q・q」の逆字・・・∀・9・q→g・g
           ∀=V+一
 「g(ジィ)」は「蛇・巳」の形状?
 ・・・「囜=囗+ム=ジン・ニン・かしこい?」・・・「国+私(ム)」が「賢い」って・・・多分、囗(エ・イ・くに)=国・國・圀、口(くち)がヨコシマか、口のヨコシマ、国の横島だろう・・・
 「アベノミックス」、ナニが「軌道修正」なんだか・・・「食料品価格」の高騰、儲けたのは「輸出の大企業の組織員」、高騰した「株の株主」・・・困るのはダレ・・・「対消滅」でなく「消滅」するのはダレ・・・?・・・「アベコベミックス」・・・
  ↓↑
 クロざる・クロダ如水・蜂須賀の娘
 2014-11-23 23:11:12
 古事記字源
 ・・・ダーウィンが来たインドネシアの「クロざる」の「顔の表情」、大蛇の撃退、仲間との絆・・・すごいなぁ~ッ、撮影スタッフも。敬意を・・・守るモノが「イノチ」しかないヒトは「怖いモノがない?」・・・獲たモノが「タクサン」あるヒトは「怖いモノがタクサンある?」・・・「三輪山(御諸山)の大物主」は「怖いモノがタクサンあった?」・・・大物主は「蛇神(ジャシン→邪神・蛇身→蛇腹→蛇身→寫眞・写真→写心・舎身→舎人)」という伝承がある。拝殿前の「巳さんの杉」に蛇の好物の生卵が供えされるらしい・・・蛇は「水神の化身」とされ、稲作に関わる祭が三輪山を対象にして古来から行われてきた・・・「蛇」は「医学の神」である・・・その象徴が「蛇杖」、同時に「あきんど(商人・秋人)の神」でもある・・・
 サルは猿でも秀吉(日吉丸)、「禿げネズミ・針鼠?」・・・「クロダカンベイ」・・・「中津」・・・蘭学者福沢諭吉など)・・・江戸の戯作者・・・「お栄」・「長政・お菊・お糸」・・・「蜂須賀小六」は何処からやって来たのか?・・・新羅高句麗、高麗・・・
 「major」mode・・・「魔女亜?」→「長音」音階、「minor」mode・・・「三ノ輪・箕輪?」→「短音」音階・・・「major(メジャー)」は「まじょぁ」、「minor(マイナー)」は「みのわ」とヨンでクレ・・・
 以下は例のごとく
 ウイッキペデアや他のブログ記事の原文を抜粋、参照、参考にした・・・
  ↓
 1918年(大正7年)2月10日
 蜂須賀茂韶が死去
 阿波徳島藩
 「蜂須賀茂韶が宮中に参内し応接室で待っていた時
 卓上にあったタバコ(葉巻烟草・葉巻煙草・シガレット)を一本失敬した。
 明治天皇
 「蜂須賀、先祖は争えんのう」
 と言ったと「司馬遼太郎街道をゆく」に記しているらし・・・
 祖先とは血筋のコトなら
 「蜂須賀茂韶」は
 「蜂須賀正勝(小六・小六郎)」の血統一族ではなく
 「徳川の血統」である・・・
 ↓
 蜂須賀氏
 羽柴秀吉に仕えた
 蜂須賀正勝(小六・小六郎)の一族
 元々、「須賀(すが)」氏と呼ばれていた?・・・「須賀神社」は
 ↓
 須賀神社
 牛頭天王須佐之男命を祭神とする
 祇園信仰の神社
 日本全国に存在
 「すが」は「須我・清・酒賀・素鵞」
 などとも表記
 島根県高知県に特に多い
 スサノオ
 「八岐大蛇」を退治して
 クシナダヒメを妻とした後、
 出雲国須賀に至って
 「吾此地に来て、我が御心すがすがし」
 と言ってそこに宮を作った由来
 須賀神社の多くは、
 明治の神仏分離まで
 「牛頭天王社」などと称していた・・・
 ↓
 蜂須賀氏の出自に関しての確証はない
 「武蔵七党の横山氏」と同じ家紋の
 「五割万字(いつつわりまんじ)」
 を使用していることから、
 横山氏の系統・・・
 横山党?
 文献から、
 「小野篁」の後裔・・・
 太田亮の
 「姓氏家系辞典」・・・?
 武蔵国多摩郡横山
 (東京都
 八王子市
 元横山町)を本拠として横山姓を称した
 当時
 「横山」とは「多摩」丘陵を指し、
 「万葉集」に「多摩の横山」と詠われている?
 ↓
 十三代藩主の
 蜂須賀斉裕の実父が
 徳川家斉紀州徳川家出身)
 紀州徳川家
 水戸徳川家と並ぶ屈指の富豪華族
 北海道で大規模農場経営をおこなったが
 失敗
 大正から昭和期に
 十八代当主となった
 蜂須賀正氏は
 「鳥類学者」
 たびたび犯罪に絡んだために
 「華族の品位を落とす」とされ、
 1945年(昭和20年)7月に侯爵位を返上
 戦後は正氏の遺族の間で
 財産争いが起こり、
 暴力団も絡み破産し、
 蜂須賀氏没落・・・?
 蜂須賀藩主は、
 代々
 釣り好きで専用の釣り場を維持
 磯釣りの
 「うきフカセ釣り」は
 「阿波釣法」の発祥
ー↓ーー
 中津
 明治二年1869年
 版籍奉還によって
 府藩県三治制下における
 中津藩の藩庁が置かれる
 明治三年(1870年)
 中津藩士
 福沢諭吉の進言により
 御殿を残し、その他建造物を破却
 明治四年(1871年
 廃藩置県により
 中津県の県庁が置かれ、
 小倉県に併合され中津支庁が置かれる
 明治十年(1877年)
 西南戦争
 西郷隆盛挙兵に呼応した
 増田宋太郎率いる
 中津隊の襲撃により
 中津支庁舎であった御殿が焼失
 ↓
 中津城
 豊前国中津(大分県中津市二ノ丁)にあった城
 黒田孝高(如水)が築城
 細川忠興が完成
 江戸時代の大半は、
 奥平氏の居城
 周防灘(豊前海)に臨む
 中津川(山国川の派川)河口の地に築城
 梯郭式の平城
 水城ともされ、
 今治城
 高松城と並ぶ
 日本三大水城の一つ
 直角三角形をなし、扇形に例えて
 「扇城(せんじょう)」とも
 櫓の棟数は22基、
 門は8棟
 総構には、
 6箇所の
 「虎口」が開けられた
 中津城は、
 冬至の日には、
 朝日は
 宇佐神宮の方角から上り、
 夕日は
 英彦山の方角に落ちる
ーーーーー
 ・・・

「いきものがかり」=金魚に餌あげの「生き物係」のウタ・・・

 3026日目・文字霊日記
 8年前、9年前「己は已に巳」の蜷局に巻かれて・・・
 Flash mob ZORBA - Vino sa traiesti prin muzica si dans!

 ↓↑
 小泉八雲の奥さん・・・「せつ」さん・・・
 「神話干渉現象」を「八雲」に教えた・・・
  ↓↑
 「2014年」の自分のブログに貼り付けてあった
 ユウチューブ(youtube)の
 Pudra(プードラ・パウダー・オシロイ)
 ロシア人のガールズバンド
 を開けたら
 「みそら ひばり」を唄っていた
  ↓↑
 「いきものがかり」=金魚に餌あげの「生き物係」
 の影響・・・そうですか・・・
  ↓↑
 『ブルーバード』・・・車が無い・免許切れ
 『風が吹いている』・・電線が鳴く
 『SAKURA』・・・・・未だ見ぬ蝦夷の地
            弥生サンガツ
 『帰りたくなったよ』・帰って10年
 『ありがとう』・・・・在り 我 問う
 『ふたり』・・・・・・一人+2匹
 『ラストシーン』・・・おふくろ
 『キミがいる』・・・・ダレもいない
 『歩いていこう』・・・息切れ
 『プラネタリウム』・・夜空はヒャッこい
 『ノスタルジア』・・・日記
 『なくもんか』・・・・なきっぱなし
 『風と未来』・・・・・風とともに黄砂
 『YELL』・・・うなぎ=得名義・迂那岐・有哭
        eel=鰻=魚曼
        Ok,ok. You don't have to yell.
 『笑ってたいんだ』・・・余裕がアレバ、ねッ・・・
 「アリシアAlicia Ford」さん
 と
 「マリアランド・Maria Land」さん
 の日本語習得の苦労話の動画でワラった・・・

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 ボクは生まれた時から
 元々「ニホンジン」らしいんだけれど・・・
 ニホンゴ、ワッカリマセン・・・
 「小泉 八雲の奥(セツ)さん」
 に訊いてみたい、ナッ・・・「思い出の記」・・・
 ・・・稲垣家へ養女・・・
 11歳から織子として働き家計を助けた・・・
 18歳、稲垣家は士族の
 前田為二をセツの婿養子に迎えたが、婿が出奔
 1890年(明治23年
 婚姻関係解消し小泉家に復帰・・・出戻り・・・
 1891年8月11日
 22歳 
 「ハーン」が友人に出した手紙には
 「セツ=節子」・・・節=竹+即(艮卩)
           子=了+一・・・仔(シ)
             シ・ス
             こ・ね
 との結婚を報じた
 1981年11月
 八雲の転勤で夫婦は
 「熊本」に転居
 1894年
 夫婦は神戸に移転
 1896年
 「ハーン」が日本国籍を取得し日本人に
 「帰化」・・・「王化」に帰附、帰属
 本人の希望により
 他国の国籍を取得し
 その国の国民となること・・・
 帰=刂+ヨ(⺕・彐=彑)+冖+巾
 化=イ(人)+ヒ(𠤎匕七・牝)
 「帰=歸=皈=㱕」
 「帰=刀で帚(菷・はく・掃除)」の漢字からは
 「帰化人」のイメージは
 「王化の掃討」の「敵対対象」だが
 「帰国」は故国にカエル
 「帰家」ならば
 「婦=娘・嬢・孃」の「出戻り」で
 「元の生まれた家にカエル」である
 「帰化」は「異なった支配者、王化⇔貴化・麾下」・・・?
 漢字を当てるならば
 「既(已・機・喜・鬼・忌)化人」・・・?
      機織=秦織・・・服部半蔵=伊賀者=忍者
 で、帰の異体字
   帰=歸=𠂤+止+⺕+冖+巾
     皈=白+反・・・・・新羅に反する?
     㱕=止+⺕(∃彐彑)+冖+巾
     蘬=艹+歸
     巋=山+歸
 阜・・・岐阜
 フウ・ブ・フ・おか
 峊𨸏𠼛𠻰=丿ノコ㠯𠂤十=阜
 㠯=以=已
 人が物を携えるところの象形
 厶と似ていることから
 耜(すき=㭒・耒・槈・犁)の象形説
 卜文で「率いる」の意

 追放・追報⇔逃亡・事報
 追=𠂤+辶
   ノ+㠯+辶
   阜+辶
 桘=木+𠂤=槌・椎・𣙯・錘
 槌=木+追=きづち
   十+八+ノ+㠯+辶
       㠯・以・已=イ・・・呂=口ノ口=背骨
                曽呂利 新左衛門
               (そろり しんざえもん)
                秀吉の御伽衆
                名 杉森 彦右衛門
                  坂内 宗拾
                鞘師・・・匕首
                ↓↑
              天保13年10月15日
              1842年11月17日
               ~
              大正12年
              1923年7月2日 
              二世 曽呂利 新左衛門もいる
       㠯いる(もちいる)・㠯て(もって)
       以上・以下

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   パトリック・ラフカディオ
  ・ハーン (Patrick Lafcadio
   Hearn)・・・スペルが違う・・・音も違う・・・?
   ハーン(HAAN)=オランダ語・雄鶏・鶏(おんどり・にわとり)
   ハーン(Haan)=ドイツ・ノルトライン
         =ヴェストファーレン州にある都市名
   ハーン(khan)=ペルシア語・「隊商宿」
          キャラバンサライアラビア語
   ハーン(Khaan)=モンゴルで発見された「恐竜=dragon」
   ハーン(HAAN)=オランダ語・雄鶏・鶏(おんどり・にわとり)
ーーー↓↑ーー
   ハグ (hugging・hug) =抱擁
   ハム(ham)=豚のもも肉の塩漬けの燻製
   はむ=食む・塡む・嵌む
   ハンマー(hammer)=磐間婀・・・岩戸隠れの天照大神
              判万婀(蛙・倦・鴉・あ=丫=ワイ)?
              板目倦           倭委
              稗田阿禮・・・肥田・日田
              稗=退きの卑(弥呼)
              田=デン=かりの場
              阿=丫=ア=おもねる
              礼=禮=ライ=示す豊国?
   打撃部分が木製の ハンマー=槌=キ を追う
   打撃部分が金属製のハンマー=鎚=キンを追う
  ↓↑
 𥳔=𥶴=丨阜阝𠂇エ左月隋=𥳔
 媠=女+左+月
   タ・ダ
 嫷=女ナ𠂇エ工左月=媠
   女性が美しいさま
   だらだらとして
   何もしようとはしない
   怠(なま)ける
   同「惰・𡡙」・惰性
 ・・・「むすめ=孃=娘=女」は「隋・随・隨・陏・髄・膸」王朝・・・?
ーー↓↑ーー
 リーガルハイ(legal high)・・・地震・・・仁 or 科学
 2014-11-22 23:42:20
 古事記字源
 ・・・地震も重力の枠内・・・
 「アイシュタインのウソ」・・・「重力波→歪むのは自然(宇宙)諸存在の空間」ではなく、「諸物質存在を包む物質そのもの」、あるいは「諸物質存在を包む物質の粘着(?)強弱度」である・・・
 「内村鑑三のウソ」・・・「キリスト教的愛国→歪むのは人間社会の生活存在」である・・・普遍的な人類救済のキリスト教は「愛国」ではない。歪んでいるのは「国家」であり、「人間社会の意識」である。だが、救済は「天国」である。確認できるのは「天国」に逝ってみないことにはネッ・・・
 イズレも「スコラ観念論」である・・・
 イズレも「認識論(脳ミソ機能)の範疇」の問題であり
 「存在論(認識対象)の範疇」ではない・・・
 「相対論」は「物質存在の論理と認識存在の論理」でもある。
 「新約、旧約聖書」は「人間社会での人間諸関係の相対的契約の論理」である・・・
 いずれの関係でも「干渉現象」を起こす・・・
 だが「消滅現象」ではない・・・
 「存在」に「消滅」はなく、あるのは「変化」である・・・
 地震・・・
 長野周辺・22/22/08・「M6.8」・・・
 白馬村住宅倒壊・・・柏崎原発・・・
 地域の方々、事後処理、余震にご注意!・・・
 ・・・ボクはTVの「リーガルハイ」を観ながら、テロップ文字を・・・今現在、TVをみているボク、地震災害にあっている人々・・・
 気持ちが矛盾しているが「リーガルハイ」にもドキドキ・・・迫力があった・・・「医学」は「仁」か、「科学」か・・・「法律」は「仁」か、「科学」か・・・
 戦場は「プチブル意識の人間社会」の手の平の上である・・・

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 土曜プレミアム
 リーガルハイ・スペシャ
 大病院で起きた突然死…
 医療ミスか不可抗力か!
 白い巨塔に隠された闇?
 愛憎渦巻く裁判の罠?
 堺雅人 新垣結衣 生瀬勝久 小池栄子
 ↓
ーーーーー
 反物質(antimatter)は、
 「質量とスピンが全く同じで、
 構成する素粒子電荷などが
 全く
 逆の性質を持つ
 反粒子によって
 組成される
 物質」
 ・・・「物質」であり、「非物質」ではない・・・
 「逆性で異質な構成の物質」が「反物質」なのである・・・
 ↓
 「例えば、電子はマイナスの電荷を持つが、
  反電子(陽電子)はプラスの電荷を持つ。
  中性子反中性子電荷を持たないが、
  中性子クォーク
  反中性子は反クォーク
  から構成されている」
 ↓
 対消滅(annihilation)は、
 粒子と反粒子が衝突し、
 エネルギーを
 他の粒子に変換される現象
 対生成の逆。
 例えば
 電子
 と
 陽電子(電子の反粒子・電子と同じ質量でプラスの電荷をもつ)
 の衝突では
 電子と陽電子はそれぞれの
 静止エネルギー(それぞれ511keV)と
 それらのもつ
 運動エネルギーの和に等しいエネルギーをもつ
 光子に変換され
 γ線として観測される。
 原子核がβ+崩壊によって放出する陽電子
 原子核の周囲に存在する電子が
 対消滅し光子に変換される。
 対消滅では運動量が保存されるため、
 大きな運動エネルギーをもたない
 電子と陽電子対消滅により
 変換された
 二つの光子は均等に分配された
 静止エネルギーを持つことになる。
 ↓
 ?・・・「消滅」ではなく、「対消滅」は「消滅」ではない・・・
 「静止エネルギー(rest energy)」とはナンゾや?
 ↓
 E0 = mc^2
 で表される「静止エネルギー E0」を持つ。
 運動エネルギーや
 ポテンシャルエネルギーとは異なるもので、
 質量が存在するだけで生じる。
 電子と陽電子を衝突させると、
 これらの
 粒子が「対消滅」し、
 元の質量に応じたエネルギーが発生
 原子核反応でエネルギーが発生する場合には
 反応後の質量は
 わずかに減少するし(質量欠損)、
 一般の化学反応でも、
 非常にわずかではあるが質量が変化する
 ↓
https://www.google.co.jp/?gfe_rd=cr&ei=iw1wVLbzH-vU8gf5kIDwCQ&gws_rd=ssl#q=%E5%B9%B2%E6%B8%89%E7%8F%BE%E8%B1%A1
 「干渉」
  他人のことに立ち入って
  口出しをしたり
  自分の考えを押しつけようとしたり
  自分の意思に従わせようとすること
  ↓↑
  国際法
  一国が他国の内政や外交に介入すること
  内政干渉
 「三国干渉」⇔「臥薪嘗胆」
  ドウ考えても
 「切腹」を「名誉」と心得ている
 「日本人の大部分」は
 「理不尽」な要求の押し付けを・・・
  これらの押し付けを「許さない」・・・
  憶えておけョッ!!
 「臥薪嘗胆」
  フクシュウはオマエラにあるんじゃァないッ、
  ワレにアリ・・・?
  ↓↑
  国際法
  一国が他国の内政や外交に介入すること
  内政干渉
  物理学で
  複数の波の重ね合わせによって
  新しい波形ができること
  ヴィルス干渉
  ウイルスの増殖抑制現象
  符号間干渉
  デジタル通信で
  隣接する符号が一種のノイズとして働く現象
  干渉チェック
  建築設計で
  部材同士が
  重複して存在しないか確認すること

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  呉王
 「闔閭(コウリョ)」
     ・・・闔=門+盍
          門+去+皿
          門+土+厶+皿
          コウ
          すべて
          とじる
          とびら
          門のとびら
          しめる・とざす・おさめる
          みな・全部
         「なんぞ~ざる」
         「どうして~しないのか」
          盍
        閭=門+呂
          リョ・ロ
          さと
          村里の門
          周代
          二十五家の集まりを「里」
          その入り口の門を「閭」
          むらざと
          あつまる・あつまり

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  越国に攻撃を受け
  その復讐で
  越国に侵攻したが敗れて負傷し
  その傷で病死した
  臨終の遺言で
 「闔閭」は
 「夫差(フサ)」在位 前495年~前473年
     ・・・夫=二+人
        差=羊+ノ+エ
        夫の差・・・使用価値? 
  に
 「必ず仇を取るように」と言い
 「夫差」は
 「三年以内に必ず」と答え
  軍備強兵
  自らは
 「薪の上で寝(臥薪)」て
 その痛みで屈辱を思い出し
 復讐を誓った
 『臥薪嘗胆・十八史略
 「夫差」は越国に攻め
 越王
 「勾践(コウセン・句践・クセン)」
     在位期間 前496年~前465年
     ・・・勾=勹+ム=句=勹+口
        践=足+㦮
          口+龰+㦮
          口+止+㦮
         =踐・・・素戔嗚=須佐之男
 の軍を破った
 「勾践」
 は降伏し捕虜となって
 「夫差」の
 馬小屋
 の番人にされた
 後
 許されて越国に帰国し
 「苦い胆(きも)を嘗(な)め(嘗胆)」
 恥辱の復讐を誓って富国強兵
  ↓↑
 呉王
 「夫差」は
 覇者を目指して国力を疲弊させ
 重臣
 「伍子胥
   ・・・伍=イ+五
      子=了+一
      胥=疋+月
       ショ
       ソ
       しおから
       みな
       しおから・塩漬けにした肉
       互いに・あい
       視る・観察する・うかがう
       すべて・ともに
       待つ
       小役人・下級の役人
       語調を整える助字
       「華胥之国(カショのくに)」
       良い夢・昼寝
       「華胥之夢(カショのゆめ)」
 を処刑
  ↓↑
 敗戦捕虜
 帰国後20年目に
 越王
 「勾践」は
 呉国に侵攻
 「夫差」の軍を大破し
 「夫差」は降伏しようとしたが
 「勾践」は
 許さず
 自殺した・・・
  ↓↑
 「臥薪抱火
 (わざわざ危地に入ることのたとえ)
  飛んで火に入る夏の虫」
  ↓↑
  トンで抱き着くハニーかな・・・?
  ↓↑
 「日清戦争講和条約下関条約
 清国から
 日本への
 遼東半島の割譲が決定
 これに対し
 「ロシア・ドイツ・フランス」
 三国は
 日本に
 遼東半島
 清国に返還するように要求
 「三国干渉」
 「三国干渉」に日本政府はしたがい
 清国に遼東半島を返還
 日本国民は
 「三国干渉」に反発し
 「臥薪嘗胆」で
 三国、特に主導したロシアへの復讐を誓った
 反発心が強まっていった。
  ↓↑
 「臥薪嘗胆
  夫差と勾践との
  22年間の戦い」・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・干渉・・・干上がった所を跋渉・・・?
 干→土の逆字形・・・干支のカン、奸(よこしま)=女+干・・・のカン
 乾涸(ひから・干乾)びた女・・・
 「サラ、九〇歳」・・・「この齢で私に何の楽しみがあろうか?(旧約)」
 ↓↑
 交渉、跋渉・・・渉(わたる)川は領域の境、国境・・・
 干渉(カンショウ)
 関渉(カンショウ)
 交渉(コウショウ)・・・性交渉・婚前交渉、和平交渉
 渉外(ショウガイ)
 渉猟(ショウリョウ)
 徒渉(トショウ)
 渡渉(トショウ)
 跋渉(バッショウ)・・・倭王武の上奏文
             宋の昇明二年(478年)五月
             宋の皇帝
             順帝に上表文を奉った
ーーーーー
 ・・・

 3025日目・文字霊日記
 自分の書き込みが一番面白いって・・・嗤って、噎せた
 ・・・以下は友人Yさんの所に
 コメントとして貼り付けたモノです。
 2007-10-17

f:id:naiegorou:20210324091035j:plain

 へぇ~ッ・・・
 2021-2007=14年前の書き込み添付・・・
__________

f:id:naiegorou:20210324091207j:plain

 「イ・マ・イチ」だからね・・・
 ・・・イオから「13代目」の子孫は「13歳」で卑弥呼の後を継いだ「壱與」と言うワケです。
 ・・・「ヘラ(箆=女将さん=ヤマのカミサン=台所・厨房、カマドの女神)」とは「卑弥呼」のコトで、「推古女帝」の「日本語名」で、「推古」は「古(いにしえ)を推理(推しはかる理屈)」
 ・・・「箆・HERA・平良・ヘラ=Juno」で「Helen=ヘレン・ヘレナ(月の女神)=ダイアナ」で「トロイ滅亡の傾城の美女」。
 ・・・一般的に「Hellen・Hellenian」はギリシャ人。
 「hell」は「黄泉(よみ)・冥土」で「メイド」は「made(makeの過去形)」で、寄せ集めた「made in jyapan」
 「Hell・cat」は「凶暴な女」
 「ヘラルド(Herald)」は「国王の死、即位を知らせる伝令官」で、今なら「報道官・広報官」。それに「使者・先駆者」と英和辞典にある。

 The cuckoo is a herald of spring
 (郭公鳥は春の先触れ)
 「郭公」とは「郭務悰」のコト(壬申の乱の唐人)
 「郭」は「則天武后」の父方の「姓」
 タブン、「天武天皇大海人皇子)」自身(?)

 「ヘロ(Hero)」は「溺れ死んだ恋人(Leander)=猿田彦命(エンデンガンメイ)?」の「アトオイ」自殺した女性で「猿女・宇受女(珍女=渦目=鳴門の渦潮)」。宿曜経では「軫宿」。

 「イヨ・イヲ」を最後に助けたのは「マーキュリー(Mercury)」で、「ヘルメス(Hermes)」で、「キューピット(Cupid)」のコト。
 あんまりにも「名前」が重なるけれども、コレ、日本人文化の「常套」で「神仏混交」とか「本地垂迹」と言われているモノです。
 そして、「宿曜経」の「各星(宿)」に「モノガタリ」として重ねられた「登場人物のハナシ」。
 「曼荼羅」は「十二宮・十二星座」の「星の配置」で、「各仏(観音・菩薩)」の「ポジション(位置)」で、その重なる「誕生日の人物」に星座宮と共に「職業と生き方」を示唆している。

 中東シュメール→エジプト・インド→ギリシャ→(ヘレニズム)→インド・ローマ・中国・高麗・新羅百済・大和→アラブ中近東→近世ルネッサンス西欧諸国・イギリス→近世日本→近代日本

 として「異言語」を重ねながら波状的に「拡散伝播」されてきた。
 「ギリシャ(希臘・Greece)神話」って面白いけれど、「ギリシャ語(グリース・Greece・Greek)」自体がワケのワカラン言葉、チンプンカンプンとして英和辞典には説明されている。
 でも、「イマ・イチ」から「ナル・ホド ザ ワ・ァ・ル・ド」になる・・・と言うボクの「モウソウ」でした。

 

「神通力」・・・陣痛・壬通・訊津迂・・・心痛・申通・真通・・・

 3024日目
 712年3月9日0時百合磑=禾口の金同の五年正月二十八日
 ↓↑
 「古事記」上奏の
 年月日は
 和銅五年正月二十八日
 ↓↑
 ・・・和(倭・話・把・捌)
    同
    語撚
    正解通
    貳拾捌比=貮(爾・似)足捌干(肥)
    念捌(葉知・頗地)
 ↓↑  ↓↑     ↓↑
    頗=皮+頁=よこしま・偏頗傾倒・偏頗破廉恥?
         =邪・己・私=ム=横島
    皮衣が斜めに傾くこと
    頭が片一方に傾いた姿勢
    偏る・かたよった意見・傾倒
    すこぶる
    専断偏頗(センダンヘンパ)
    廉頗負荊(レンパフケイ)
   不公平・不平等
    依怙贔屓
    名字
    頗羅墮(はらだ)・・・?
    頗羅堕(はらだ)・・・?
 ↓↑  ↓↑
    釈迦仏の弟子
    十六羅漢の一人
   「神通力」・・・陣痛・壬通・訊津迂
           心痛・申通・真通
    が強かった
    獅子吼(シシク)第一・・・4×4=16
    漢字音写
    賓 頭盧 跋羅堕 闍
   (ビンズル バラダ ジャ)
    賓 頭盧 突羅  闍
   (ビンズル トラ  ジャ)
    賓 頭盧 頗羅堕
   (ビンズル ハラダ
    賓 度羅 跋囉惰 闍
   (ビンドラ バラダ ジャ)
    略称
   「賓頭盧(尊者)」
    ・・・「賓客・来賓」
       「盧=くろい(黒い)
          炭櫃(すびつ・火鉢)
          飯櫃(めしびつ・御鉢・御櫃)
          jar pot(ジャーポット・和製英語
    ヴァンサ国
    コーサンビー(城)
    ウダヤナ(優填・ウデン)王の家臣
    幼時に仏教に帰依
    出家学道し
    沙彌(年少の比丘)となり
   「具足戒」・・・僧が守らなければならない戒律
           比丘 (びく)   250戒
           比丘尼(びくに) 348戒
       具足=甲冑・日本の甲冑(鎧と兜)の別称
           頭・胴・手・足の各部を守る装備
          「具足(そなえたりる・十分に備わっている)」
           に由来
    を受け
    諸処に遊行伝道
   「阿 羅漢 果」
    を得て神通力を得た
    異論反論を許さず
    ライオンが咆哮するように論破
   「獅子吼(シシク)第一」・・・4×4=16
        史詞(誌)句・私試句?
    中国
    像を「食堂(じきどう)」に安置して祀った
    日本
    像を堂の前に置き
    撫でると「除病」の功徳があるとされ
    像を
   「おびんづるさん
    (上方で神仏も観音さん・えべっさん)」
   「おびんづるさま」
    東大寺大仏殿の前にある像が著名・・・
 ↓↑  ↓↑
   「ビンドラ・バラダージャ」
    の漢名
   「賓頭盧   頗羅堕」
   (びんずる)(はらだ)
    の姓の部分「バラダージャ」が由来・・・?
   どうして「堕落」の漢字をあてたんだか、ソンじゃぁ?
 ↓↑  ↓↑
    墮=隋+土=こぼつ・こわす
    堕=陏(うり)+土(十一)
    ズイ  陏=阝+有
          阝+月
    タ
    ダ
    おちる・下におちる=堕・堕落・堕胎
    おこたる・なまける=惰・惰性
    細長い円形・長円形=楕・楕円
          王朝名=隋王
 ↓↑  ↓↑
    堕星(だたぼし)=愛知県常滑市の地名
    隕石落下の地?
   「役行者(ヱンの行者)」が
    壇村に七重の壇を築き
    祈雨の修法を行っ たとき
    この地の上空に
    星が川のように降った
    との地名由来・・・流星群が観えた・・・?
 ↓↑
 西暦712年3月13日00時グレゴリオ・・求例語理乎
 西暦712年3月 9日00時ユリウス・・・百合磑(碓・臼・碾)
   壬子 癸卯 丁酉 庚子~
 ↓↑
 「日本書紀」の上奏は
 養老四年(720年・庚申)だが、月日は「不明」・・・?
   五月=辛巳月?・・・十五日=丙戊日
   5月1日=庚辰月壬申日
       ・・・「壬申の乱=672年」
   ユリウス暦672年7月24日~8月21日
   大友皇子=伊賀皇子→弘文天皇
         648年〈大化四年〉
         ~
          672年8月21日
        〈天武天皇元年7月23日〉
         1870年(明治三年)
         明治天皇
         漢風諡号 「弘文天皇」を贈
         弘=「弓+ム」の
         文=「亠+乂」
         顛
         納  
 ↓↑
 720年  庚申
     養老  四年
 唐   開元  八年
 渤海  仁安  二年

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 水の惑星は地球、「魚座の時代~春分点水瓶座へ移行する時代」・・・?

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 「日本書紀」完成・・・
 「隼人の反乱」
 隼人の反乱
 南西諸島を経由の
 中国との交流活発化・・・ダレが、ナゼ?
 「陽侯(ヨウコウ・ヤコウ)」氏が
 「隼人」に殺された・・・?
 ・・・ヤゴ(水蠆)だから?・・・
 「トンボ(蜻蛉・蜻蜓・dragonfly・damselfly)」の幼虫・・・?
 「ヤンマの子」=「ヤゴ(水蠆)」・・・蠆=萬+虫
         「タイコムシ(太鼓虫・太皷虫)」
            皷=壴+皮・・・・壹=士+冖+豆
              十+豆+皮
            鼔=壴+攴・・・・壹=士+冖+豆
              十+豆+ト+又
            皼=壹+皮
              士+冖+豆+皮
 天敵が「ツバメ(鳦・燕・鷰)・スズメ(雀)
     カマキリ(蟷螂)・ クモ(蜘蛛)・ カエル(蛙・黽)」
 「はやぶさ(隼)」は・・・テンテキか?

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 「ハヤブサ(隼・鶻・鸇・Falco peregrinus)」
  動物食の猛禽類
  獲物は
  スズメ(雀)
  ハト(鳩)
  ムクドリ(椋鳥)
  ヒヨドリ(鵯)」
 などを捕食
 飛翔しながら後肢で捕え
 水面に叩きつけ捕える
 水平飛行時の速度は100 (㎞/h)前後
 急降下時の速度は、390 (km/h)
 和名「速い翼」が転じた・・・はやぶさ
    隼人=はやと=「速・早・疾=とく=渡来」人?
       疾=疒+矢
         シツ
         とく
         とし
         にくむ
         はやい
         やまい
         やましい
         やむ
         やまい・病気
         悩む・苦しむ
         心配する・わずらう
         欠点・くせ・悪癖・傷
         憎む・妬む・怨む
         すばやい・とし
         はげしい・はげしい
         はやく・すばやく・とく
         甲骨文
         会意+形声
         人+矢(シ)→(シツ・や)
         人が矢に当たり
         傷で「やむ(病む・已む・疚)」意
         疾の形声
         疒と、音符 矢(シ)→(シツ)
         借りて「はやい」意
         ↓↑
         㑵=イ+疾=嫉=シツ・ねたむ
         愱=忄+疾=嫉
         嫉=女+疾=㑵=愱
         蒺=艹+疾=ジチ・ジ・シツ・ショク・キ
            はまびし・furze・gorse
         槉=木+疾=屋枅也・柱上欂・枅・㭼
         螏=虫+疾=𧎿=シツ・ジツ
            蛆蜈蚣・螏蟍・蝍蛆
           ショク・蝍蛆=むかで
           蝍𧑙(ショクシュウ)=尺取虫
           蝍蛉=蜻蛉(とんぼ)

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 疾駆(シック)
 車や馬を早く走らせたり、走ったりする様子
 資弁捷疾(シベンショウシツ)
 生まれつき弁がたち、行動も機敏であること
 疾風に勁草(ケイソウ)を知る
 困難に遭遇した際
 はじめてその人の真の価価がわかるということ
 ↓↑
 ・・・「隋=煬帝=楊広=別名は英=小字は阿麼」
          陽侯
       の残党だからだろう・・・?
 朝廷は
 「覓国使(べっこくし・くにまぎのつかい)」
   覓=爫+見=覔=不+見
     ベキ
     もとめる・さがす
     さがしもとめる
 ↓↑
 と呼ばれる調査隊組織し
 九州南部と南西諸島の調査
 ↓↑
 700年(文武天皇四年)
 覓国使が九州南部各地で
 現地住民から威嚇される事件
 ↓↑
 702年(大宝二年)八月
 朝廷は大宰府に武器を集め
 「薩摩・多褹の叛乱」で
 九州南部に兵を送り
 日向国を分割し
 「唱更国(薩摩国)」
 を設置
 ↓↑
 713年(和銅六年)
 「大隅国」が
 「日向国」から分置
 律令制導入の
 「豊前国」から5000人を移住させ
 支配体制強化
 律令制
 国郡制の導入
 班田収授法
 九州南部の
 「隼人」と緊張

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 養老四年(720年)二月二十九日
 大宰府から朝廷へ
 「大隅国国司
  陽侯史麻呂
  が殺害された」
 との報告され
 朝廷は
 三月四日
 「大伴旅人
  を
 「征隼人持節大将軍
 「笠御室
 「巨勢真人
  副将軍に任命し
 「隼人の征討」
  にあたらせた
  ↓↑
  隼人側は
  数千人の兵が集まり
  7ヶ所の城に立て籠もり
  朝廷側は九州各地から
  1万人以上の兵を集め
  九州の
  東側、西側から
  二手に分かれて進軍
  六月十七日
  5ヶ所の城を陥落させた・・・
  残る
 「曽於乃石城(そおのいわき)」
 「比売之城(ひめのき)」
  の2城の攻略に長期戦となった
 「大伴旅人」は
  八月十二日
  都に戻り
  攻略を副将軍らに任せた・・・
  戦争は
  隼人側の敗北
  養老五年(721年)七月七日
  副将軍らは
  隼人の捕虜を連れて都に戻った
  隼人側の
  戦死者と捕虜は
  1400人
  反乱で
 「班田収授法」の適用は延期
  80年後
  延暦十九年(800年)
  適用
  ↓↑
  隼人塚
  隼人七城
  隼人側が立て籠もった7ヶ所の城
  『八幡宇佐宮御託宣集』
  奴久等、幸原、神野、牛屎、志加牟
  曽於乃石城
  比売之城
  曽於乃石城は
  国分城と清水城
  比売之城は
  姫木城と橘木城・・・
  鹿児島県
  伊佐市
  中世まで
 「牛屎院」と呼ばれた
  戦場近くに
 「隼人塚」
  朝廷側の拠点の
 「豊前国」に
 「凶首塚宇佐市百体神社)」
  が建てられた。
 「亀ノ甲」遺跡
  霧島市
  向花小学校拡張工事中に
  刀剣や土器などが発見
  隼人の反乱で殺害された
  「国司墓所」・・・

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 720年
 誕生
 パウルス・ディアコヌス・・・羽生留素・出意阿拠怒州?
 イタリアの歴史家、作家、詩人 (~799年)
 「満願」・・・萬頑?
 僧 (~816年)
 ↓↑
 死去
 9月13日(養老四年八月三日)
 藤原不比等
 藤原鎌足の次男(659年~)
 ウマル2世・・・埋まる?
 ウマイヤ朝・・・旨い也?
 第8代カリフ (682年~)
ーー↓↑ーーー
 稲荷山
 古墳出土
 鉄剣の銘文
 「古墳時代」に漢字を
 「万葉仮名の発音」で読んだか?
  ↓↑
  意=音+心
    立+日+心
    イ
    心
    おもい=思い・想い
    音の心=心の中の音声
    立つ日の心=立身日の心=発つ日の心
    意=音+心
      イ
      立+日+心=意
      心の中にあって
      外(言葉や態度・行動など)
      には出さない思いや考え
      心の動きや働き・気持ち
      物事の内にあって
      表には現れ出ないもの
      内に込められているもの
    愔=忄(心)+音・・・「鼓動・動悸・心拍」音
      イン・オン
      ハ丨忄立日音=愔
      「愔愔(インイン)」
      穏やかで静かなさま
      ひっそりとしているさま
    惒=和+心
      ワ
      丿木禾口和心=惒
      梵語
      音写字
     (他言語の音・呪文
      掛け声・鳴き声
      口やモノから発せられる音
      などを表す字)
     「阿摂惒経(アショウワキョウ
           アッサラーヤナ経)」
     「漚惒拘舍羅(ウワクシャラ
            教えを説く際に
            相手に応じて教え説くこと
            善巧方便)」
     「揵沓惒(ケントウワ・乾闥婆・神の名)」
  ↓↑
 「意富比垝(オホヒコ)」
   ・・・「おほひこ」・・・?
 ~     意富比垝
      「イフヒキ・イフウヒキ」?
      垝=土+危
        土+厃+㔾
        十+一+⺈+厂+㔾
        キ・壊れる・崩れる
        異体字「陒・𨹣」
  ↓↑
 「乎獲居 臣(ヲワケの臣)」
  乎=コ・か・や・かな・を
  獲=カク・獲得・とる・・・武士彠
  居=キョ・住居・おる・いる
  ↓↑
 8人の系図が銘記
 「意富比垝(オホヒコ・イヲヒキ)」
 を
 第八代
 「孝元天皇」の第一皇子
 「大彦命四道将軍の一人)」と比定・・・説
 ↓↑
 「乎獲居(ヲワケ・コカクキョ)」は
 「意富比垝(オホヒコ・イフヒキ)」の孫
 「弖已加利獲居(テヨカリワケ・テイカリカクキョ)」
 とし
 「豐韓別命」は
 「武渟川別」の子と比定・・・
 鉄剣銘文の
 「弖已加利獲居(テヨカリワケテ・イカリカクキョ)」
 は
 「多加利足尼(タカリソク二)」の子・・・?
ー↓↑ーーー
      720年=庚申年
       ・・・庚申講=「三尸(三巳)の虫」の報告
       『雲笈七籤』におさめられている
       『太上除三尸九虫保生経』の
       「三尸の虫=上尸・中尸・下尸」
       『大清経』の
       『庚申縁起』の中では
       「彭侯子・彭常子・命児子」
  720年=庚申年
 「日本書紀・『続日本紀』の記述」が完成、上奏
  ↓↑
 「古事記(712年=壬子年)
     元明天皇・壬子年」
 の使命が終わったとし
 干支歴をイジってアソベば
  ↓↑
 「720年」は「庚申」で「劫財」
          大運714年5月(2歳)壬寅   正官
                    ┣冲己=偏印  
   壬┏子(壬 癸) 傷官・食神長生⇔庚申   劫財
   癸┃卯(甲 乙) 食神・正財 絶⇔
   辛┣丑(癸辛己)   ・食神 養⇔
   庚┗子(壬 癸) 劫財・傷官 病⇔
    辰巳空亡
http://meisiki.bake-neko.net/kansireki14/sikankeix1.html
ー↓↑ーーー
 「意富比垝(オホヒコ・イフヒキ)」
  ~
 「乎獲居臣(ヲワケの臣)」
  ・・・臣(ジン)を「おみ・ほみ・ひみ」と読んだか?
 8人の系図が銘記
 「意富比垝(オホヒコ)」
 を
 第八代
 「孝元天皇」の第一皇子
 「大彦命四道将軍の一人)」と比定・・・説
 ↓↑
 「乎獲居(ヲワケ)」は
 「意富比垝(オホヒコ)」の孫
 「弖已加利獲居(テヨカリワケ)」
   已(イ)を「ヨ」と読んだか?
 とし
 「豐韓別命」は
 「武渟川別」の子と比定・・・
 鉄剣銘文の
 「弖已加利獲居(テヨカリワケ)」
 は
 「多加利足尼」の子・・・
  ↓↑
  記紀=きき=危機・毀棄・嬉々・騏驥
     きく=聴く・規矩・菊・効く・訊く・起句
  ↓↑
 「日本書紀」の名を記した一番古い物は
 「弘仁私記の序文」・・・
 「日本書と日本紀と・折口信夫
 「日本紀の事は
  古事記の出来た満二年後
  和銅七年二月(続日本紀)に
 「従六位上紀ノ
  朝臣清人
  正八位下
  三宅ノ臣
  藤麻呂
  に詔して国史を撰らしむ」」
 ↓↑
 承平の『日本書紀』講書の講者を務めた
 「矢田部 公望」
 の推定
 『釈日本紀』巻
 一
 「開題」所引「日本書紀私記」
 に残るその問答を引く
 ↓↑
 問、此書名 日本書紀、其意 如何
 答、師説、依注 日本国帝王事、謂之 日本書紀
 ↓↑
 問、不謂 日本書、又不謂 日本紀、只謂 日本書紀、如何
 答、師説、(中略)、但 宋太子
          簷事 范蔚宗 撰
          後漢書 之時、
          叙
          帝王事 謂
          之書紀、
          叙 臣下事 謂
          之 書列伝、
          然則 書紀 之 文依此歟
 「師説」=公望の返答
      劉宋の
      范蔚宗=范曄
      が
     『後漢書』を撰した際
     「帝王事」(本紀)を
     「書紀」と称した故事を引用
     「日本書紀」の「書紀」は
      范書の用法に倣った名義
      疑問の助字
     「歟」を文末に配する「推測」で
      公望にも明証のある訣ではない・・・
     『日本書紀』撰上から
      二百年餘が経った言動
      ↓↑
      佛教大学大学院
      紀要 第三五号(二〇〇七年三月)
      (いけだまさひろ佛教大学研究員)
      (指導"宮澤知之教授)
      二〇〇六年十月十九日受理
  ↓↑
  この注記
  当時実在し
  皇円が披見し得た
 「諸皇之系図」に
 「和銅 五年 上奏 日本紀
 「和銅 五年 上奏 日本紀
ーーーーー
 ・・・???・・・二本立てのキキ・・・
 50年~60年代の「エイガ」産業・・・?

 

ジシン・・・春分の日 ・雀始巣 ・仲春

 3023日目
 恍惚の文字・・・心の立身の光、心がボケる・・・
 春分の日
 雀始巣
 仲春
 井宿・丁卯
 🌓
 ↓↑
 2021/03/20/18:00
 辛┏丑┓(癸・辛・己)
 辛┣卯┃(甲・ ・乙)
 丁┣卯┃(甲・ ・乙)
  冲 三合辛
 己┗酉┛(庚・ ・辛)
 ↓↑
 恍惚の分留卯州・・・ブルース・・・?
 忽=勿+心
   勹+丿+丿+心
   たちまち・にわかに(俄に)・突然
   ゆるがせ・ゆるがせにする・いいかげんにする
   おろそかにする
   数の単位
   一の十万分の一・・・壹の拾萬文の
             移置・位置・市
             異字・意字・医事
             異時・遺事・遺児
   勿=勹+丿+丿・・・「ケ+刀」?
             ケ=「箇・个」の略字
               「介」の略字
             竹の刀=竹刀(しない)?
     ない・なし・否定の意
     なかれ・禁止を表す
     「~するな」の意
     「勹」は「包」の「己」を省いた字で
     まさに
     己(おのれ・よこしま・つちのと・コ・キ)を
     つつむ(勹)だが、勹は被いかぶさっている
    「勿=勹+丿+丿」の二本の「丿丿」は・・・?
     象さん牙、マンモスの牙・・・?

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     字形は横から見た動物が開けている
    「口」、上顎(あご)と下顎を開いている字形に見える
    「丿丿」は口から二本の突き出した牙に見え
    「勹=丿+𠃌」は象の鼻と背中・・・
    「勿=勹+丿丿」は牙を剥き出した口の字形にも思えるが・・・
   勿=モチ・ブツ
     なかれ
     弓の弦(つる)が切れたさま・・・何故なんだか、この説明?
     勿=「弦=弓+玄」・・・?
     なるほど「玄=亠+幺」
    「亠=音の略字」で
    「音」が鳴る「幺」だが
    「弦」の小さく鳴るで
    「ツル=丨」の切(|)れた音ではない・・・
     弦の振動での「音切れ」はアルか・・・弦楽器
     そして
    「弦」の説明であり
    「勿」の字形説明ではない・・・
    「勿=勹+丿+丿」・・・
     訓読みの「勿=なかれ」ならば
    「弓の弦」は
    「亠」+「幺(おさない・ちいさい)=幼児」に
    「勿=なかれ=泣かれ・鳴かれ・啼かれ・哭かれ」
     の「亠=音声」である・・・甲高い喚き声・・・?
    「勿=フツ・ブツ」の小さな音・・・?
     ↓↑
     弘=弓+ム(腕・厷
           曲げたウデ・肘=ヒジを曲げた腕)
     宆=宀+弓=宄(よこしま)
       宆(あな)・宆きい(おおきい)・宆(おおぞら)
       宆(たかい)・宆(ふかい)
       ドーム状の室・アーチ状の天井
     窮=穴+躬=竆=穴+身+呂・・・弓⇔呂(背骨)
       宀+八+身+弓亠
       きわむる
       永遠無窮・窮猿投林・窮極無聊・窮形尽相
       窮鼠猫を噛む
       窮鳥猟師の懐に入るは殺さず
       窮すれば鈍する
       窮すれば通ずる
       貧すれば鈍する
     匑=勹+躬
       勹+身+弓
       匑匑=身をかがめて謹み敬うさま
     引=弓+丨・弖=弓+__
       弓弦矢の構成部品は
      (+丨+←
      「人の腕(ム・厷)+手」+「→+丨+3」
   「|」は弦(丨)が切れた字形なら
     勿=「弓+|」・・・?
        弓=勹
        丿+丿=丨+丨=|=切れた弦・・・?
     ↓↑
     弓の弦(つる)を鳴らして
     魔よけを行うことから・・・?
     否定・禁止の助字に用いる・・・
ー↓↑ーーー
 勿(な)い・勿(なか)れ・勿(な)し
 なし・ない・否定の助字
 なかれ=勿れ・莫れ・毋れ
 「~してはいけない」・禁止の助字
 勿れ・莫れ・毋れ)
 無・莫・勿=なシ」
 漢文の助字
 「無・毋・亡・莫」と同義
 存在の否定で
 古意では動詞に係り
 禁止を意味する
 ↓↑
 刎
 フン・ブン
 はねる
 首をはねる・首を切って死ぬ
 刎頸
 切る・断つ
 刎=勿+刂
   勹+丿+丿+刂
 ↓↑
 勿+α
 物=牛+勿・・・material(マテリアル)・物質(matter)
   牛=𠂉(髪挿し)+十(拾・足)
     丿+一+十
     勿=勹+
   大物主=大国主=大國主
     物=國
    物=空間のある部分を占め
      人間の感覚でとらえることのできる形をもつ対象
      物体・物品・ 物質・実体
      対象を特定化せず一般的・包括的にいう語で
      人間が知覚し思考し得る対象の一切
      牛に曳かせる
     「犂(犁・すき・レイ・槈)」
      で耕す土地=田畑
             犂=禾+丿+刀(丿𠃌・丆丿)+牛=耕作
             犁=利+牛=耕作
             槈=木+辰+寸=草切る・すく
             耨=耒+辰+寸
             耒・梳・鋤・鍬
 惚=忄+勿+心・・・恍惚・自惚れ
 忽=勿+心=コツ
   たちまち・忽ち・忽然・突然・俄に
   ゆるがせ・忽せにする
   好い加減にする
   疎(おろそ)かにする
   数の単位・一の十万分の一
   高清水 忽滑沢 (宮城県栗原市)
       ぬかりさわ
   千倉町 忽戸 (千葉県南房総市)
   ちくら こっと
   野忽那 (愛媛県松山市)
   のぐつな
 ↓↑
 匆=勿+丶=勹+丿丿+丶・・・匁(もんめ)
   ソウ・ス
   忙しい・多忙
 昜=日+一+勿=ヨウ・あがる・太陽が昇る・太陽
   開放する・とびあがる
 易=日+勿=エキ・やすい・簡単・易占
 笏=竹+勿=シャク・柄杓
 芴=艹+勿=大根やかぶらの類・アブラナ科の植物
   かすかな・ぼんやり
 虝=虎+勿=勇敢・勇猛なもの
       たけだけしい(猛々しい)
       竹嶽(武田家・竹田家)四囲?
       建丈恣意?
 吻=口+勿・・・口吻
 昒=日+勿=コツ・夜が明けきらず薄暗いさま
 㫚=勿+曰=昒・速やかである・急である
       あなどる・うっかりする
 曶=勿+日
 歾=歹+勿=しぬ・命がなくなる・生命が絶える
   くびをはねる・くびを切る
 ↓↑
 勿=複数の吹き流しを描いたもの
   混ざって旗幟が不明になること
   後に否定的意義へと変化
 勿論
 「無・莫・亡・罔・末・靡・勿・毋・蔑・无」
 ~「スルコト・スルモノ」なシ
 ~「スルコト・スルモノ」なかれ
ー↓↑ーーーー
 ・・・甲骨文字・篆書・楷書・・・
 漢字書体
 篆書・隷書・草書・行書・楷書
 発声、発音が異なる・・・古代中國人と現代中国人・・・
 秦漢呉唐の字形の・・・カンジも異なる
 漢字書体
 篆書・隷書・草書・行書・楷書
 楷書漢字構成の部品=「一・丨・丶・亅・・」
  偏・旁・冠・脚・構・垂・繞
 「変 貌 観 客 降 水 尿」・・・?
 六書
 (指事・象形・形声・会意・転注・仮借)
 で
 象形文字指事文字・会意文字・形声文字
 に分類
 「メールのノウ・サブジェクト」
 の漢字の
 「マ・ミ・ム・メ・モ」
 文字化が、またもや、アッチ、コッチと跳んでしまった・・・
 これで・・・ヤメとく・・・
 「メ」も
 「モ」も
 ニッポン古代語には重要な
 「母・喪」
 そして
 「母(はは・ボ・ム)」の類字の
 「毋(ない・なかれ・ブ・ム)」と、
 「毌(つらぬく・カン・貫)」あったかも・・・
 で、明治の文明開化の「も・モ」は
 「模・摸」なんだろう・・・相模・佐賀見・相賀摸・嵯峨模
 以下、勝手、ご自由に漢字を・・・
ーー
 ∖ マ・ミ・ム・メ・モ
   ↓  ↓ ↓   ↓ ↓
 マ→ママ マミ マム マメ マモ・・・豆・守
 ミ→ミマ ミミ ミム ミメ ミモ・・・耳・見目
 ム→ムマ ムミ ムム ムメ ムモ・・・無味・無目・無文
 メ→メマ メミ メム メメ メモ・・・女満・芽美・目亡・眼目・memo
 モ→モマ モミ モム モメ モモ・・・籾・樅・紅絹・揉・桃・百・腿・股
 ↓↑
 「mail」の発音がコトなァるダガや、ッ・・・
 ↓↑
 ミアル・ミァル・ミァール
 ミイル・ミィル・ミィール
 ミウル・ミゥル・ミゥール
 ミエル・ミェル・ミェール
 ミオル・ミォル・ミォール
ーー 
 モアル・モァル・モァール
 モイル・モィル・モィール
 モウル・モゥル・モゥール
 モエル・モェル・モェール
 モオル・モォル・モォール
ーー
 マアル・マァル・マァール
 マイル・マィル・マィール
 マウル・マゥル・マゥール
 マエル・マェル・マェール
 マオル・マォル・マォール
ーーーーー
 ム・メ・・・???・・・ママ、ミミ、ムム、メメ、モモ・・・
 邪馬壹國・・・・・壹=士+冖+豆=壱
 邪馬臺国・・・・・臺=士+口+冖+一+ム+土=台
 『隋書・俀国』・・俀=イ+妥(爫・爪)・・・妥協・采女
 「都於 邪靡堆・・堆=土+隹
  則 魏志所謂
     邪馬臺 者也」
 「壹與遣
  倭
  大夫 率善 中郎將
  掖邪狗
  等二十人送
  政等還。
  因詣臺」
 ↓↑
 倭人 在 帶方東南 大海之中 依山島 爲國邑
 舊 百餘國 漢時 有朝見者 今 使譯 所通 三十國
 從郡 至倭 循海岸 水行 歴韓國
 乍南乍東 到 其 北岸 狗邪韓國 七千餘里
 ↓↑
 始 度一海 千餘里 至 對海國
 其 大官 曰 卑狗
   副  曰 卑奴毋
 離 所居 絶島 方可 四百餘里
 土地 山險 多深林
 道路 如 禽鹿徑
 有千餘戸 無良田
      食海物
      自活
      乗船 南北 市糴
 ↓↑
 又 南渡一海 千餘里
 名曰 瀚海 至 一大國
 官亦曰 卑狗
 副 曰 卑奴毋離
 方可 三百里 多竹木叢林
 有 三千許家 差有 田地
           耕田
           猶 不足食
           亦 南北 市糴
 ↓↑
 又 渡一海 千餘里 至 末盧國
 有 四千餘戸 濱山海居 草木茂盛 行 不見前
 人好捕魚鰒 水無深淺 皆 沈没取之
 ↓↑
 東南陸行 五百里 到 伊都國
 官曰 爾支
 副曰 泄謨觚
    柄渠觚
 有 千餘戸
 世 有王 皆 統屬 女王國
 郡使 往來 常所駐
 ↓↑
 東南 至 奴國 百里
 官曰 兕馬觚
 副曰 卑奴毋離
 有 二萬餘戸
 ↓↑
 東行 至 不彌國 百里
 官曰 多模
 副曰 卑奴毋離
 有 千餘家
 ↓↑
 南 至 投馬國 水行二十日
 官曰 彌彌
 副曰 彌彌那利
 可 五萬餘戸
 ↓↑
 南 至 邪馬壹國 女王之所都
 水行十日 陸行一月
 官有 伊支馬
 次曰 彌馬升
 次曰 彌馬獲支
 次曰 奴佳鞮
 可 七萬餘戸
 ↓↑
 自 女王國以北
 其戸數 道里    可得略載
 其餘 旁國 遠絶 不可得詳
ー↓↑ーー
 邪馬台国
 と対立した
 狗奴国
 を
 熊本(球磨)
 ↓↑
  ・・・邪馬台国自体=横島・玉名?
  玉名市(たまなし)
  熊本県北部に位置する市
  横島町=大園横島
  共栄(1978年・干拓により発足)
 ↓↑
 と比定
 狗奴国の官
「狗古知卑狗」=「菊池彦」
 狗奴国は
 魏志・魏略
 共に
 女王国の南にあると記録
ー↓↑ーー
 字由・事由・時結・字游・自遊
 ↓↑
 次有 斯馬國・・・・揣摩語句
 次有 巳百支國・・・巳(己・已)百支國
 次有 伊邪國・・・・医者語句
 次有 都支國・・・・年語句
 次有 彌奴國・・・・尾努語句・・・呉音=ヌ・漢音=ド
           彌(ビ・ミ)・・三野語句
 次有 好古都國・・・考古徒語句
 次有 不呼國・・・・付加語句
 次有 姐奴國・・・・素努語句
 次有 對蘇國・・・・追訴語句
 次有 蘇奴國・・・・素怒語句
 次有 呼邑國・・・・小結語句
 次有 華奴蘇奴國・・仮名素名語句
 次有 鬼國・・・・・記・紀語句
 次有 爲吾國・・・・異語語句
 次有 鬼奴國・・・・記・紀名語句
 次有 邪馬國・・・・邪魔語句
 次有 躬臣國・・・・球審語句
           躬=身+弓
           躳=の俗字=躬
           キュウ・み・みずから=自ずから
           通仮字「宫 ・ 窮」
           異体字「𧘏・𨈴・躳・躳」
 次有 巴利國・・・・巴里語句
 次有 支惟國・・・・「恣意・思惟」語句
           「惟=忄(心)+隹(スイ・小鳥)」
 次有 烏奴國・・・・「宇土・鵜名・鴉名・加羅州」語句
               鸕野(讃良)
 次有 奴國・・・・・「怒・努・濡・孥・弩・帑」語句
 此 女王境界 所盡
 ↓↑
 其
 南有 狗奴國・・・・獣(犬)句名語句
    男子 爲王
 其
 官有 狗古智卑狗・・・比古・彦=ひこ
            ひご=庇護・肥後・日語
    不屬女王
 ↓↑
 自 郡至 女王國 萬二千餘里
 ↓↑
 女王國 東渡海 千餘里
 復有國 皆倭種
 又有
 侏儒國 在其南 人長 三四尺
 去 女王 四千餘里
 ↓↑
 又有
 裸國
 黑齒國
 復 在其東南 船行一年可至
 ↓↑
 參問
 倭地
 絶在海 中洲島
 之上 或絶 或連
 周旋 可 五千餘里
ーーーーー
 ・・・???・・・
 隈本(隈本)
 令制国肥後国
 有明海不知火海東シナ海
 に面している
 ↓↑
 熊本県
 玉名郡
 横島町
 大字
 横島
 北緯32度56分07秒
 東経130度33分46
 ↓↑
 横島町(よこしままち)
 熊本県の北西部に位置
 干拓の町
 ↓↑
 西は明辰川を挟んで玉名市
 東は唐人川を挟んで天水町
 と隣接
 南は有明海
 北部の小高い丘(外平山)
 元々
 有明海に浮かぶ島
 町域は江戸時代から
 干拓により造成された土地
 江戸時代
 1605年(慶長十年)
 熊本藩藩主
 加藤清正
 の命で
 外平山にあたる島(横島)と
 本土の間の海を
 干拓して陸地とし
 それ以後明治時代中期に干拓を繰り返し
 南側に陸地を拡張
 1967年(昭和42年)
 横島町の最後の干拓が実施
 ↓↑
 4世紀後半期
 宇土半島の基部に
 摺鉢山(すりばちやま)古墳(宇土市、96m)
 迫ノ上(さこのうえ)古墳(宇土市、56m)
 などの
 前方後円墳造営
 玉名郡和水町菊水町)に
 5世紀末~6世紀初頭の
 前方後円
 江田船山古墳がある
 古墳から
 75文字を銀象嵌大刀が出土
 ↓↑
 熊本県肥後国
 古代には
 火国(肥国)
 中心は
 八代郡肥伊郷(氷川流域)
 「多氏」と同系豪族
 「火君(ひのきみ)」が存在
 肥国は
 佐賀県長崎県の地域を含んだが
 7世紀終わり頃に
 肥前国
 肥後国
 に分割
 ↓↑
 中世
 阿蘇神社の神威を利用し
 勢力を拡大した
 「多氏」後裔の
 「阿蘇氏」
 遠江国から地頭として下り
 球磨郡土着の
 「相良氏」
 大宰府の府官
 「菊池氏」
 などの豪族が勢力を張った
 ↓↑
 南北朝時代
 後醍醐天皇の皇子
 懐良親王
 を擁し
 「菊池氏」
 が九州南朝として活躍
 「名和長年」の子孫
 「名和氏」も領地の「八代」に移った
 ↓↑
 戦国時代
 「相良氏」は
 「名和氏」を追い
 肥後国南部を支配
 北部では
 「菊池氏」
 「阿蘇氏」
 の家中は乱れ
 豊後守護の
 「大友氏」
 の介入を招き
 「国人」割拠の状態が続いた
 ↓↑
 近世
 熊本城
 蓮華院 誕生寺
 「豊臣秀吉」の九州征伐
 「佐々成政」が
 肥後の国主を命じられるが
 太閤検地に反対する
 国人たちの一揆
 秀吉は失政を招いた
 成政に切腹を命じ
 一揆の「国人」を弾圧し勢力は一掃
 後
 秀吉は
 北半分を「加藤清正
 南半分を「小西行長
 に分け与え
 「球磨郡」は
 「相良氏」の支配を認めた
 ↓↑
 「小西行長」が関ヶ原の戦いで滅亡
 「加藤清正」がその領地を併せ
 52万石の領主となり
 「熊本城」を築き
 河川・水路を改修し耕地を広げ
 「治水の名人」として評価された
 清正の死後、息子
 「加藤忠広」の代に改易され
 「細川氏
 が54万石の領主となった
 熊本藩支藩として
 宇土藩
 肥後新田藩
 家老の
 「松井家」は八代城の城代として
 3万石を与えられ
 事実上の
 八代支藩の藩主
 他に
 肥後国内には
 「相良氏」の
 「人吉藩」があった
 ↓↑
 天草
 キリシタン大名
 「小西行長
 の領地になったこともあり
 キリシタンが多かった
 関ヶ原の戦い
 「唐津藩」12万石の領主である
 「寺沢広高」の領地となり
 キリシタンを弾圧、過酷な徴税で
 寛永十四年十月二十五日
 (1637年12月11日)
 「島原の乱
 で領民の半分がこれに参加し、全滅
 天草は天領となり
 初代代官
 「鈴木重成
 によって次第に復興
 ↓↑
 近代
 水俣港(水俣市
 明治四年(1871年
 肥後国
 熊本県
 八代県
 となり
 熊本県はその後
 「白川県」と改められ
 1873年(明治六年)
 白川県
 八代県
 が合併して
 「白川県」となった
 1876年(明治九年)
 熊本県に改名
 ↓↑
 太平洋戦争末期まで
 熊本が九州の中心部で
 熊本鎮台
 第五高等学校
 などが設置
 戦況悪化で
 九州統監府を
 福岡に設置
  ↓↑
 第五高等学校教師として
 「夏目漱石
 「小泉八雲
 が住んでいた
 「森鷗外」も
 第12師団軍医部長を務め
 短編小説
 『阿部一族』・・・阿部=阿毎王朝
 を執筆
 江戸時代初期
 肥後藩で実際に起きた
 「阿部一族」が
 上意討ちで全滅した事件が題材
 ↓↑
 by 『ウィキペディアWikipedia)』
ーーーーー

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 ・・・???・・・「よこしま」デ・・・ごめん・・・
  合肥(ゴウヒ・ガッピ)市
 安徽省に位置する地級市
 安徽省省都
 北緯31度51分0秒
 東経117度16分0秒
 紀元前3世紀
 秦が合肥県を置き
 九江郡に属した
 ↓↑
 後漢末期
 「曹操」に派遣された
 揚州刺史
 「劉馥」
 が整備
 「曹操
 と
 「孫権
 の係争地
 208年
 「孫権」は10万の兵を率いて
 百日あまり
 「合肥」を攻撃したが、撤退
 215年
 「曹操」配下の
 「張遼
 「李典」
 が精鋭兵800人で
 「合肥」包囲の
 呉軍を奇襲し気勢を削ぎ
 7千ほどの兵力で篭城し
 呉の10万の大軍を相手に守りきり
 撤退中の呉軍に追撃をかけ
 「孫権」を追い詰めた(合肥の戦い)
 その後も
 「張遼」は呉軍を寄せ付けず恐れられ
 「遼来遼来」
 の言葉を生んだ・・・
 ↓↑
 三国時代
 魏の
 揚州経略の主要拠点
 呉から何度も攻撃された
 230年代初頭
 魏の
 「満寵」
 が老朽化した
 「合肥城」の北西側に
 「合肥新城」を築城
 234年
 呉の「孫権」が同城を攻撃したが
 魏の
 「曹叡(明帝)」が親征で撃退
 253年
 呉の
 「諸葛恪」
 が攻撃するが
 これを撃退
 ↓↑
 後
 隋代に
 「合肥県」に・・・・合して肥を懸ける?
 「廬州府」・・・・・廬の州府⇔鸕の
                周(集・宗)
                夫(符・附)
  が設置
 明清時代まで続いた
 「廬州」の別称でも呼ばれた
 ↓↑
 1949年1月21日
 国共内戦
 中国国民党軍を破った
 解放軍が合肥に入城
 2月1日に県を廃して
 合肥市を建てた
 1952年8月25日
 安徽省人民政府成立
 合肥市に駐在
ーーーーー
 ・・・???・・・「合肥」・・・
 なんで、「合=𠆢一口」+「肥=肉巴」なんだか・・・イド・・・

 3022日目・文字霊日記
 古代支配階級≠現代支配階級の中国人=国家反逆罪の末裔
 2021/3/18
   旧2/ 6
 啓蟄3/菜虫化蝶
 仲春3/先勝 /8
  觜宿/乙丑
ーーーーー
 「孫子」、「呉子」・・・「実践論・矛盾論・遊撃戦論・持久戦論」・・・
 ・・・殺しアイの研究・・・?
ーーーーー
 1917年
 「孫文」の同志
 アジア主義
 「宮崎滔天」が
 「毛沢東」の故郷
 湖南省を訪れ、講演
 「毛」はこの講演会に出席し、
 日本が
 欧米白人の
 アジア支配を打破したことを聞いて喜んだ
 後に
 「毛沢東」は
 米国記者
 エドガー・スノーに・・・恵土賀亜
             雪・雪辱・ソソグ
 日露戦争当時の
 日本の歌詞を紹介
 「雀は歌い・・・・・すずめ・ジャク
  鶯は踊る・・・・・うぐいす・オウ・ヨウ
  春の・・・・・・・はる・シュン
  緑の野は美しい・・みどり・リョク
  ざくろの花は・・・柘榴・石榴
           タクリュウ・セキリュウ
           木+石+木+留(卯+田)       
  紅にそまり・・・・くれない・あか・べに・コウ
  柳は・・・・・・・やなぎ・リュウ
  青葉にみち・・・・あおば・セイヨウ
  新しい・・・・・・あたらしい・シンしい
           振恣意・思惟・示威・詞意
  絵巻になる」・・・えまき・カイカ
           禍遺憾・可為漢・掛如何
 「当時わたしは
  日本の美を知り、感じとり、
  このロシアに対する勝利の歌に
  日本の誇りと力を感じたのです」・・・?
 「日本賛美のデブッチョ」は「ジポン」に憧れた
 「戦術論者の毛」・・・駄作・・・
 なんで、「太秦(うずまさ)」なんだか・・・太い葉多・・・?
 いずれは「紛いモノ=擬い物(まがいもの)の始皇帝」の「蓁」も枯れる・・・

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 「徐福(ジョフク)=徐巿(ジョふつ)」のイキサキ・・・

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  蓁=「艸・艹・艸」+「秦」
  =艹+ 秦(はた・シン)
   艹+ 𡗗+ 禾(のぎ・カ・いね・あわ
         わら=藁・稿
            和良・和羅・咍・咦・原
         穀物の総称
         のぎ・のげ・穀物の穂先にある細い毛)
   艹+ 三+ 人+ 禾
   艹+ 二+ 大+ 禾
   艹+ 一+ 夫+ 禾
   艹+ 龵+ 乀+ 禾
   艹+ 三+八+ 禾
   艹+ 三+丿+乀+禾
   しげみ(繁実・稠)・草むら・おおい・多く集まるさま
   多い・濃い・こみあう・しげる・稲が密生
ーーーーー
 宮崎 滔天(みやざき トウテン)
 本名 寅蔵(虎蔵)
 號  白浪庵滔天
 浪曲師 桃中軒 牛右衛門(とうちゅうけん うしえもん)
 明治三年十二月三日
 1871年1月23日
 ~
 大正十一年
 1922年12月6日
         大運1915年3月(44歳)甲午比肩
                   ┣三合丙
  庚 ┏午(丙 丁)偏官・正財 死⇔壬戌偏印
 ┏己 ┣丑(癸辛己)正財・正財冠帯⇔辛亥正官
 干合戊 支合己
 ┗甲 ┗子(壬 癸)  ・印綬沐浴⇔戊申偏財
  甲 ┗子(壬 癸)比肩・印綬沐浴⇔壬子偏印
     戌亥空亡
     室宿・甲子     鬼宿・戊申
ーーーーー
 喧嘩の仕方・・・訝刃留途至上主義・・・Gewalt・・・
 ・・・「孫子」、「呉子」・・・
 「実践論」・「矛盾論」・「遊撃戦論」・「持久戦論」・・・
ーーーーー
 孫文の同志
 アジア主義
 宮崎滔天
ーーーーー
 宮崎 滔天(みやざき トウテン)
 明治三年十二月三日
 1871年1月23日
 ~
 大正十一年
 1922年12月6日
         大運1915年3月(44歳)甲午比肩
                   ┣三合丙
  庚 ┏午(丙 丁)偏官・正財 死⇔壬戌偏印
 ┏己 ┣丑(癸辛己)正財・正財冠帯⇔辛亥正官
 干合戊 支合己
 ┗甲 ┗子(壬 癸)  ・印綬沐浴⇔戊申偏財
  甲 ┗子(壬 癸)比肩・印綬沐浴⇔壬子偏印
     戌亥空亡
     室宿・甲子     鬼宿・戊申
 ↓↑
 肥後国
 玉名郡
 荒尾村(熊本県荒尾市
 郷士
 父 宮崎政賢
 母   佐喜
 の末子として誕生
 兄 宮崎八郎・宮崎民蔵・宮崎彌蔵
 山東家伝 二天一流
 熊本で
 「徳富蘇峰
 の私塾
 「大江義塾」で就学
 キリスト教自由主義思想を学び
 ↓↑
 明治十九年(1886年
 東京専門学校(早稲田大学)入学
 中退
 キリスト教会で
 牧師の妻から英語を習い
 キリスト教に帰依し、すぐ棄教
 アジア革命(アジア主義運動)に傾斜
 明治二十二年(1889年)
 長崎ミッションスクール
 「加伯里(カプリ)英和学校」在学
 スウェーデン人の
 イサク・アブラハム・・・意作・阿武等葉務?
 と知り合い
 彼の学校建設資金援助を
 ↓↑
 「前田下学(前田 案山子の長男)」・・・?
       ・・・案山子=アンザンシ・かがし
          鹿 驚=ロクキョウ・かかし
            驚=敬+馬=キョウ(キャウ)
              おどろく・おどろかす
              馬が急に暴れる
              驚異・驚愕・驚喜・驚嘆
              驚倒・喫驚・驚天動地
            敬=苟+攵(攴)
              茍=苟
              苟=卝(丱・羊の角)
                +
                句
               =羌人=羗⇔姜
                恵比寿=胡人・西蔵
           鹿敬馬=鹿が馬を敬う?
             =久延毘古(くえびこ)
                   句會借比拠
       ↓↑ ↓↑
       蝦蟇(ひきかえる)・・・引き換える
       の
       多邇具久(たにぐく)・・他似求句
       が
      「久延毘古」が知っていると云い
       尋ねると
      「その神は
       神産巣日神・・・換纂(簒)素比巻?
       の子
       少名毘古那神」・・証明備拠納巻?
       と答えた
       久延彦神社
       古事記
      「久延毘古=山田の曾富騰
              (そほど・そほづ)」
       騰=月+駦
         月+龹+馬
         月+丷+二+人+馬
         月+八+二+人+馬
         月+丷+一+人+馬
         月+八+一+人+馬
         龹=丷+夫=𠔉
         龹・眷=俗作「𢍊・勬」
         巻=卷
          =カン・ケン・まく・まき
          「釆+両手+身をまるめる」
           釆(ハン)=獣の手
                 獣皮の手
           両手のついた「龹(ケン)」
           獣皮を両手で巻き込むこと
           皮の紙=羊皮紙
 ↓↑          (parchment・vellum)
 「前田 下学」
 に申し込み
 「下学」の妹
 「槌」と出会い交際、婚約
 学校計画は
 「イサク」
 がアメリカに強制送還され頓挫
 ↓↑
 明治二十四年(1891年)
 初めて上海に渡航
 翌年
 「槌」と結婚
 長男の
 「龍介」誕生
 朝鮮で「東学党の乱」
 明治二十八年(1895年)4月
 渡米旅券を神奈川県で取得したが
 同年
 7月頃
 神戸の
 「岩本千綱」と連絡し
 9月末
 広島の海外渡航株式会社の
 在バンコク代理人に就職し
 タイに渡航
 明治二十九年(1896年)6月
 タイから帰国
 外務省の命で
 中国秘密結社の革命党員と往復接触
 ↓↑
 明治三十年(1897年)
 「孫文孫逸仙)」
 に出会い
 中国大陸の「革命運動」を援助
 亡命してきた
 「孫文
 「蔣介石」
 池袋で援助
 ↓↑
 明治三十一年(1898年)
 「戊戌の政変」
 香港に逃れた
 「康有為」
 をともなって帰朝
 「フィリピン独立革命
 に参画
 ↓↑
 「哥老会・三合会・興中会」
 の3派大同団結
 明治三十三年(1900年)
 恵州義軍が革命の反旗をひるがえすと
 新嘉坡(シンガポール)滞在の
 「康有為」
 を動かし
 「孫文」と提携させようとしたが
 刺客と疑われて追放命令になり
 香港に向かったがそこでも追放令
 船中にで
 「孫逸仙
 と密議
 日本国内における計画は全て失敗
 半生記
 『三十三年の夢』著述
 明治三十五年(1902年)
 『狂人譚』と共に、國光書房より出版
 『三十三年の夢』
 が
 『孫逸仙
 という題で中国で抄訳として紹介され
 「革命家 孫逸仙孫文)」
 の名が一般に知られ孫文の元に同志が結集
 ↓↑
 アジア主義運動に挫折し
 「桃中軒 雲右衛門」
 に弟子入りし
 「桃中軒 牛右衛門」
 の名で浪曲師となる
 ↓↑
 明治三十八年(1905年)
 「孫文」らと東京で「中国同盟会」を結成
 「滔天」
 「朝鮮開化党」の
 「金玉均
 の亡命を支援していたが
 「金玉均」が上海で暗殺
 日本人有志で浅草本願寺で葬儀
 ↓↑
 明治三十九年(1906年
 「板垣退助
 の秘書である
 「和田三郎」や
 「平山周」
 「萱野長知」
 らと「革命評論社」を設立
 明治四十年(1907年)
 『革命評論』創刊
 「辛亥革命」を支援
 ↓↑
 大正十一年(1922年)12月6日
 腎臓病、尿毒合併症で病没
 享年51
 ↓↑
 上海で
 「孫文」らが追悼会
 山田良政・山田純三郎兄弟
 とともに
 「辛亥革命」支援者・・・
 ↓↑
 大正十年(1921年
 「白蓮事件
 柳原白蓮
 伊藤伝右衛門
 宮崎龍介
 ↓↑
 孫文の友人
 「井戸を掘った人」・・・を利用する輩?
 申し和解ない・・・参考原文は
 殆どが『ウィキペディアWikipedia)』」・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「緯度を辿ったヒト」・・・
           イト・意図・怡土・糸・・・?