知らしめるッ、テ・・・?・・・ナニを・・・?

 2990日目・文字霊日記
 ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・軽罪?
 ケイバ・・・のカンジ・・・
 12月13日、阪神競馬場阪神ジュベナイルフィリーズ
 競馬で「白馬」の「ソダシ」がG1制覇、優勝・・・?

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 知らしめる・・・?・・・ナニを・・・?
 物事を大勢の人に知らせること
 知らしめる・周知させる・告示、周知する・連絡する
 伝達する・伝える・連絡網を回す・・・回覧
 報せる・広める・報知する・告げる
 思い知らせてやる・・・トッチメル・お灸を据えてやる
            懲(こ)らしめてやる
 知らせる
  is just to inform.
 知らしめる
  has a compulsive nuance.
 I recommend you shouldn't say 知らしめる easily
 ・・・だから・・・知ってナニすんの・・・三サル・・・?
 しらしめる・・・白い雪が大地を占める・・・東北奥州・蝦夷
 白羅占める・・・新羅占める・・・源氏・・・白旗・・・?
 白村江の海戦(663)以後
 唐vs新羅戦争
 670年~676年
 唐と新羅は、同盟を結び
 660年に百済
 668年に高句麗
 を滅ぼしたが
 その後
 唐・新羅戦争
 676年
 新羅
 伐浦で
 唐軍を破って
 唐軍排除掃討
 半島支配の新羅・・・「しらしめる」?

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 ↓↑
 ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・刑罪・刑剤・軽罪・・・?
 軽 座位・珂瑠皇子・・・刈追字・借往時・往事・王爾・黄示・・・?
      文武天皇=倭「根子(ねこ)」豐祖父(豊祖父)天皇
      天之眞宗豐祖父(豊祖父)天皇・・・葛野王
      豐= 丰+山+ 丰+豆
        異体字「丰(簡体字)・𣍈(説文解字)・𧯮(俗字)
        灃(俗字)・酆(俗字)・𤲊(俗字)
        豊(代用字(新字体)」
      母 阿閉(阿陪)皇女=元明天皇
      父 草壁皇子
        日下部皇子
 ↓↑     ↓↑
      安康天皇=穴穗御子(あなほのみこ)
      1614年(慶長19)
      再建された京都
      方広寺大仏殿の釣鐘の銘
     「国家安康」⇔大阪の冬夏の陣の
            イチャモンの銘字
        鮟鱇(華臍魚)=深海魚⇔新開衙?
                提灯鮟鱇=誘引突起から
                発光液を噴出
      雄略天皇の時代
      日下大王を殺したのは
      坂本の祖、根の臣
      と
      安康天皇木梨軽皇子の同母弟)
      日下大王の妹
      日下王(草香幡梭姫皇女)
      を娶ったのは
      雄略天皇
      漢風諡号 雄略天皇
      和風諡号 大泊瀬幼武天皇
      御名 大泊瀬幼武・大泊瀬・幼武
      別称 大泊瀬幼武尊
         大長谷若建命
         大長谷王
 ↓↑
 役 小角(えん の おづぬ・おづの ・おつの)
 「役=やく=約=薬=譯=訳」の緒書く・・・?
 舒明天皇六年(634年)伝~大宝元年六 月七日(701年7月16日)伝
 呪術者・修験道の開祖
 姓 君
 役行者(えんのぎょうじゃ)・・・譯(訳)行の写
 役優婆塞(えんのうばそく)・・・訳が優(優れ・優秀)
                 婆=波(は)+女(おんな)
                     葉    音名
                 塞=サイ=差異
 加茂役君・・・化して模す訳(やく)の訓(よみ)
 賀茂役君(かも の えん の きみ)
 諡号 神變大菩薩
 尊称 役行者、役優婆塞(えんの うばそく)
 父  出雲から入り婿した大角(おほづ)・・・大隅大須
 母  白専女(刀良女=とらめ)・・・虎目・図羅目・寅目
 生地 大和國葛城上郡茅原郷
   (奈良県御所市茅原)
 没地 天上ヶ岳(箕面市
 宗派 修験道

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 白雉元年(650年)・・・新羅の記事
 京に
 志明院を創建
 寺院 役行者霊蹟札所など
 弟子 韓國 廣足=韓国広足
    韓の国の広の足・・・典薬頭
   「外従五位下の韓国広足は小角を師としていたが
    その後に師の能力を妬んで讒言した」
    とする説・・・
   葛木山の神である
   ・・・葛野王(かどののおう
          かどののおほきみ)
      弘文天皇大友皇子=伊賀皇子)
      の第一皇子
      光仁天皇の従兄
      淡海三船の祖父
      官位 正四位上・式部卿
     「葛野王」は
      文武天皇継承論議
      親ー子ー孫の
      直系継承を主張し
     「弓削皇子」を一喝・・・・弓削氏道鏡
  「一言主」が
     「葛野王」の「一言=一喝」
      父 弘文天皇(父 天智
             母 伊賀宅子娘)
      母 十市皇女(父 天武
             母 額田王
      妹 壱志姫王
      子 池辺王=淡海三船の父
        藤並王
        田辺王
   ↓↑
   人に乗り憑依(う)って
   文武天皇
   役の優婆塞の謀反を讒言・・・
  「一言主」は
  「役の優婆塞」の呪法で縛られて
   今(『日本霊異記』執筆の時点)
   になっても呪縛は解けない・・・
   ↓↑
   ・・・能の演目『葛城』では、「女神」・・・
   ↓↑
  『古事記(712年)・下つ巻』
   460年(雄略天皇四年)
   雄略天皇が名を問うと
  「吾は
   悪事も一言
   善事も一言
   言い離つ神
   葛城の一言主の大神なり」
   ↓↑
  『日本書紀(720年)・雄略天皇
  「一事主神(一言主神)」・・・「一(壹・壱)字」
   797年に書かれた『続日本紀(797年)・巻25』
   高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争って
   天皇の怒りに触れて土佐国に流された
   ↓↑
  『日本霊異記(822年)』
   一語主(一言主)は
   役行者に使役される神
 ↓↑
 文武天皇三年(699年)五月二十四日
 讒言され
 「役小角」は
 「伊豆島」に流罪・・・「出雲」の島?
 小角が
 鬼神(キジン=記人)を
 使役して
 水(みづ=密・瑞・観ず?)を汲み
 薪(まき=巻・真紀?)を採らせていると噂
 ↓↑
 大宝元年(701年)一月
 大赦
 茅原に帰る
 六月七日
 箕面山(みのおやま・みのおのやま)
 瀧安寺
 奥の院にあたる
 天上ヶ岳にて入寂・享年68
 ↓↑
 中世
 金峰山、熊野山の縁起を
 合わせて作られた
 『両峰問答秘鈔』
 『修験指南鈔』
 などがあり
 詳細な
 『役行者本記』という
 小角の伝記が現れた
 寛政十一年(1799年)
 聖護院宮盈仁法親王
 光格天皇
 役行者御遠忌(没後)1100年を迎えることを上表
 正月二十五日
 光格天皇
 烏丸大納言を勅使として聖護院に遣わして
 神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡を贈った
 勅書は天皇の真筆で聖護院の寺宝
 大宝元年八月三日(701年9月9日)
 大宝律令が完成
 翌年公布
 初めて日本の国号が定められた
 遣唐使
 粟田真人に初めて節刀を与え
 唐との国交正常化を目指し
 日本の国号変更(倭→日本に漢字表記を変更)通告
 ↓↑
   「一言主」とは・・・「ことわざ(諺)」・・・?
   「一言居士」・・・
 ↓↑
 加減乗除の実数で説明できるモノ・・・読み書きソロバン(算盤・十露盤)
 壹・壱・移置・位置・位地・移置・市・・・イチ・・・
 初発(存在)の分裂(動的変化)の開始・・・
 個体(初・壹・壱・一)の分割は貳(二)から始まる・・・
 全体(全・零・0・〇)の分割は貳(一)から始まる・・・
 ↓↑
 はじめ
 一・紀・大・春・哉・吉・朝
 基・元・啓・玄・新・造・朔
 児・初・順・源・素・東・肇
 ↓↑
 肇=𢼄+聿
   聿(ふで)で
   書き「啓(はじめる)」こと
 ↓↑
 啓=戸+攵(攴)+口
   異体字「启(簡体字)・啟(旧字体
       啔(異体字)・闙(異体字)」
  「戸+攴(手の動作)+口」
   戸を手でひらく
   口で言葉を発する
   ケ
   ケイ
   ひらく
   はじめる
   言葉を発する・説明する
   目上の者に申しあげる
   貴人の行動
   行啓
 ↓↑
 崇神天皇(すじんてんのう)
 開化天皇十年~崇神天皇六十八年十二月五日
 120歳
 第十代天皇
 在位 崇神天皇元年1月13日~同68年12月5日)
 『日本書紀
 御間城入彦五十瓊殖天皇
 御肇国天皇
 諱  御間城尊
 別称 御肇國天皇
    御眞木入日子印恵命
    所知初國御眞木天皇
    美萬貴天皇
 父  親開化天皇
 母  親伊香色謎命
 ↓↑
 皇后 御間城姫
 ↓↑
 子女 垂仁天皇
    彦五十狭茅命
    国方姫命
    千千衝倭姫命
    倭彦命
    五十日鶴彦命
    豊城入彦命
    豊鍬入姫命
    大入杵命
    八坂入彦命
    渟名城入媛命
    十市瓊入媛命
 皇居 磯城瑞籬宮
  ↓↑
 「価値=value・worth・merit
     金銭に換算できる価値としてはvalueもworthも用いる
     value=主として有用性・重要性などに関する価値
     worth=精神的・道徳的など本質的な価値
     merit=賞讃に値するよさを表す・付加価値
     Different people have different values.
  ↓↑
 「使用価値=use value・utility value
       value in use」の説明
 「労働価値=labour of value」の説明
 「希少価値=rarity(レアラァティ) value
       scarcity(スケアシティー)value」の説明
 「交換価値=exchange value」の説明
  ↓↑
 経済学=人間社会における
     物質的な生活資料の
     生産と交換の
     諸法則性の論理
     ↓↑
     人間社会における
     生産関係と
     生産物の
     分析された本質説明を基礎に
     その交換市場に於ける
     商品(交換物となった生産物)の
     使用価値としての
     商品交換での
     需要供給関係で
     価値変化を変動させる
     交換媒介物(金)との関係の
     在り方を説明する理論・・・?
     ↓↑
     政治経済学(political economy)
     Economics
     ↓↑
     ギリシャ
     οικονομία(家政術)に由来
     漢語の「経済」
    「世の中を治め
     人民を救う」
    「経世済民(経国済民)」の略語
     東晋
    「葛洪」の・・・葛城・葛木・桂木
     『抱朴子(ホウボクシ)』
     の記述が初出
     祖父が三国時代
     「呉」の国の大臣
     父が地方長官
    『抱朴子(ホウボクシ)』
     内篇20篇、外篇50篇
     内篇は仙人になる修行方法の記録
     東晋
    「建武元年(317年)」に完成・・・317
     重視するのは
    「金丹」で、金丹の服用で
     不死の生命を得る(金丹篇)
     金丹は
     丹砂(天然の硫化水銀)を材料として得られる
     還丹と黄金を材料とする金液
    「黄白篇」で
     錬金術
     ↓↑
     内篇は神仙術に関する諸説を集大成
     後世の
    「道教」に強い影響を及ぼした
    『抱朴子』は緯書を引いて
     体内の
    「三尸の虫」が
    「庚申の日」に
    「司命神」に人の悪事を訴え
    「竈の神」も晦日に司命神に悪事を訴える
     という説を述べ
     司命神は訴えられた悪によって
     人の寿命を縮め
     仙術を行っても無効になる
    (微旨篇。司命神は対俗篇)
     道徳主義は
    『抱朴子』の特異な点で
     後に
    『太上感応篇』の「善書」に発展・・・?
     道蔵の太清部
    『太上感応篇』30巻
    「李昌齢」の伝
    「鄭清之」の賛
     李昌齢=「李石」
        =南宋紹興・乾道年間(12世紀)の人
    「鄭清之(1176~1251)」少し後の人物
     30巻の大部分は
    「李昌齢=李石」の「伝(注釈文)」で
     本文は全文1274字
     ↓↑
    「李昌齢=李石」は
    「伝(注釈)」を書いた人で作者ではない
    『太上感応篇』
    「司過の神」が人間の罪の重さに応じて禍を与える
    「三台・北斗神君」が罪を記録し
    「三尸・竈神」などが罪を報告
     善行と悪行を羅列し
     悪行の方が多い
     内容は『抱朴子』の抜粋に近く
     内篇の対俗・微旨両編と関係が深い・・・
 ↓↑
 経=糸(幺小)+圣(又十一)
 済=氵+斉(亠乂丿二亅)
 ↓↑
 訳語の考案者
 「福澤諭吉
 講義名として
 「経済」という語を
 用いた時点(1862年、1868年)で
 すでに
 1862年発行の辞書
 『英和対訳袖珍辞典』が・・・英・和・対訳
      袖珍=そでに入る小型な辞典・ ポケット型辞典
 「political economy」の訳語として
 「経済」「経済学」の訳語を記録
 同年
 「西 周」が手紙の中で
 「経済学」の語を使用
 訳語として同時期に
 「資生」も提唱された・・・「資生堂」?洗濯石鹸・・・
    シルヴィ・バルタン
    ドライウエイにハルがくりゃ・・・
    ワンサカ・わんさか・ィエィッ、ィエィッ、ィエィッ
    レナウンレナウン、れなうん、Renown
    明治35年(1902)・創業者の佐々木八十八
    アラン・ドロン
   「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.
   (ダーバン、現代を支える男のエレガンス)」
    山東如意グループ(山東省)の傘下・・・?
    ・・・なんで、潰れたんだか・・・大雪・・・
    コロナは雪の結晶に似ている・・・
 ↓↑
 「経済」=「世の中を治め、人民を救う」
      「経世済民=経国済民」の略語
       日本
       1729年
       太宰春台が『経済録』、経世論を著
       経済と意味が類似の古典的漢語
      「理財」・「食貨」・「貨殖(興利)」
       などがあった
 ↓↑
 市場経済(Market economy)
 企業や個人が
 自己利益を最優先し
 物財を生産し
 需要・供給の
 商品市場の枠内の仕組みの
 売買交換によって
 分配する形態の経済
 規範や指令もなく
 市場における消費の動向によって
 生産活動が規定される
 個人の自由度が高く
 意思決定が分散的で
 希少性の変化に柔軟に反応
 ↓↑
 経済理論が保証する市場経済の効率性は
 私有財産
 取引の自由
 企業参入退出の自由
 完全情報公開などの条件が必要
 条件が満たされない場合に
 市場崩壊
 ↓↑
 計画経済 (Command economy)
 中央当局によって
 あらゆる
 経済活動が運営されている形態の経済
 指令経済とも
 産業への必要物資
 生産目標
 生産割り当てなどが定められ
 その計画に基づいて
 経済活動が遂行
 経済資源や労働力を
 計画的に運用することができ
 特定の産業を集中的に発展できる
 労働者の
 インセンティブが欠如しやすい
 インセンティブ(incentive)
 労働意欲を引き出す
 生産外部からの刺激
 「餌・ニンジン」
 生産性を上げる
 労働条件と結果の
 報酬・奨励・報奨
 「カネ、権力、名誉、仕事、自由・・・」
 ↓↑
 政治学=人間社会の協生論
 法律学=人間社会の約束論
 ↓↑
 経世済民(けいせいさいみん)
 世の中をよく治め
 人々を苦しみから救うこと
 「経」は治める、統治する
 「済民」は人民の難儀を救済
 「済」は救う、援助する
 「經世濟民(経世済民)」
 「世を經(をさ)め
  民を濟(すく)ふ」
 「経国済民」
 ↓↑
 東晋
 「葛洪」・・・葛野王葛城王・葛木皇子
 の著作
 『抱朴子』内篇(地眞篇)
        ・・・ウリ(朴)の子を抱く
        子(シ・ス・ツゥ)=了+一=書籍の終始・始終
        接頭・接尾の「子」・思想家の書籍の名 
 「經世濟俗」という語
 「經世濟民」とほぼ同義で用いられ
 隋代の
 「王通」
 『文中子』礼楽篇に
 「皆有經濟之道、謂經世濟民」
 「經濟」が「經世濟民」の略語として用いられていた
 『晋書』殷浩伝(唐)
 『宋史』王安石伝論(元)
 などに
 「經濟」の字句
 政治・統治・行政一般を意味する
 清末
 「戊戌の政変」後
 科挙の新科目
 「経済特科」は、この用法
 ↓↑
 近世以前の日本
 「経世済民(経国済民)」
 が一つの言葉として用いられることはあまりなく
 「経国」
 「済民」
 などがそれぞれ別個に用いられた
 江戸時代
 「経世済民(経済)」
 が用いられた
 明末清初の
 考証学者による
 「経世致用の学」の影響で
 日本でも
 儒学者蘭学者などによる同種の
 「経世論経世済民論)」が流行した
 初めて「經濟」の語を書名とした
 「太宰春台」
 『経済録』(18世紀前半)は
 「凡(およそ)天下國家を治むるを
  經濟と云、
  世を經め民を濟ふ義なり」とし
 「經世濟民(經濟)の學」は
 政治学・政策学・社会学
 などの広範な領域のコトバであった
 ↓↑
 戸後期
 貨幣経済が浸透し
 「經濟」のなかでも
 「社会生活を営むのに必要な
  生産・消費・売買などの活動」
 と強調
 ↓↑
 「堀達之助」らの
 『英和対訳袖珍辞書』で
 "economy"=「家事する、倹約する」
 とし
 "political economy"(古典派経済学で経済学を意味)
 に「経済学」の訳語を与えた
 「西 周」
 によると日本における
 最初の西洋経済学入門書
 「神田孝平」訳の
 『経済小学』(1867年(慶応三年)刊
 では
 「経済学」を
 「ポリチャー エコノミー」
 と読ませ
 同年末に刊行された
 「福沢諭吉」の
 『西洋事情 外篇』巻の3
 でも同様の用法として
 「経済学」の語が見える
 前年1866年(慶応二年)刊の
 『西洋事情 初篇』巻の1
 には
 「経済論」の語がある・・・
 ↓↑
 「経済(学)」が
 「エコノミー」
 「ポリティカル・エコノミー
 の訳語として
 「西 周」は
 『百学連環』(1870年(明治3年)刊)で
 「エコノミー」
 と
 「ポリティカル・エコノミー
 の区別を重視し
 前者に「家政」
 後者に国家の「活計」を意味するものとし
 津田の訳語「経済学」では
 「活計」の意味を尽くしていないとし
 「制産学」の訳語を与えてた
 個人(企業)の「家計・会計」
 と
 国家規模の経済運営を「理財」の訳語が用いられた
 1881年刊『哲学字彙』で
 "economics"の訳語
 明治初期の大学・専門学校の学科名としては
 「理財学」が用いられた
 しかし国家レベルと個人・企業レベルの
 「エコノミー」を包括して
 「経済」とする用法が次第に普及
 江戸時代以来の
 「貨殖興利」という用法も存続したため
 本来の
 「経済」
 の語に含まれていた
 「民を済ふ」
 という規範的な意味は稀薄となった
 新しい用法は
 本来の意味の
 「經濟」という語を
 生み出した
 「中国(清)」にも翻訳を通じ
 逆輸出され
 以後東アジア文化圏全域で定着した
 ↓↑
 「大塩平八郎の乱
 ・・・権力を握る「目的=戦略」は脳外だった・・・
 ↓↑
 「大塩平八郎
 寛政5年1月22日
 1793年3月4日
 ~
 天保8年3月27日
 1837年5月1日
 ↓↑
 別名 正高・後素
 通称 平八郎
 号  中斎
 平八郎の
 実の祖父・政之丞が
 阿波国・・・阿波・アワ・あわ・・・
       泡=氵+勹+己
        =液体に包まれた己(おのれ・よこしま・キ)
       あわ・あぶく・ホウ・foam・bubble
       泡沫(ホウマツ・うたかた)
       液体もしくは固体が
       その中に気体を含んで丸く膨らんだモノ
       気体を包む液体の表面張力により作られる
       固体の泡は
       液体の状態で形成され固体化されたモノ
 脇町の出身
 与力・・・與力
 大塩家に
 養子に入った
 祖父と混同された・・・
 ↓↑
 出生地
 大坂天満
 と
 阿波美馬郡
 の2説
 ↓↑
 幼名 文之助
 諱  正高・後素
 字  子起・士起
 与力退職後 連斎・中斎
 ↓↑
 『洗心洞箚記』・・・箚記(サツキ)=箚を札の義に用いた慣用音
           ものを書きしるす簡札
           読書したり、話を聞いたりしたときの
           感想・意見などを
           気のむくままに書き記すこと
           その記録・随想録
          『二十二史箚記』は
           箚記(読書雑記を箇条書きしたもの)の形式
           中国の正史二十二史の
           編纂形式や構成・内容について
           考証し論評した書
           清代の
          「趙翼」の著
           本編36巻と補遺1巻
           乾隆六十年(1795年)の
           自序
           嘉慶五年(1800年)の
           銭大昕等の序文がある
          「廿二史箚記」とも記される
 『古本大学刮目』
 『儒門空虚聚語』
 知(真の認識)と行(道徳的実践)とは表裏一体
 人間の知(認識)は
    行(行為・実践)の一部であって
 分けることはできない
 ↓↑
 天保八年
 二月十九日
 (1837年3月25日)
 大坂(大阪市)で
 大坂町奉行所の
 元与力
 大塩平八郎(中斎)と
 その門人らが起こした
 江戸幕府に対する反乱
ーーーーー
 ↓↑
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