ナゼ「朮」が「おけら」なんだか、「杮(こけら)落とし」

 3014日目・文字霊日記
 サイロク、ケントウ・于=二+亅(かぎ=鉤棒・とび=鳶棒)
 2017-04-10 23:02:12
 「古事記字源」再参考
  ↓↑
 「朮」=おけら・ジュツ・シュツ
     オケラ (植物) =キク(菊)科の植物(朮)・・・術
     ナゼ「朮」が「おけら」なんだか、「杮(こけら)落とし」

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     杮=木+巿=こけら
       木+一+巾
       ハイ
       こけら
       木の削りくず
     柿=木+市=かき
       木+亠+巾
       柿=柹
         木+𠂔
         異体字「𣐈・柿・簡体字=柿」
         シ
         かき
         かきのき・果樹の名
         カキノキ科の落葉高木
         柿の元字は「柹」
         旁は、「姊(=姉)」などに見られる
        「姉」
         母=姐
         巫女の長=女嬃
         姉・姐・嬃は同じ系列の語で
         それぞれの地位・身分をあらわす
         弟=丷+弓+丨+丿
             弓=コ+勹
          =𠂖
  「𠂔=蔓の巻いた棒の上部」を指したもの

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  つる植物・蔓植物(climbing plant)
  自らの剛性で体を支えるのではなく
  他の樹木や物体に絡みつき(つる性)
  高いところへ茎を伸ばす植物の総称
  蔓草(つるくさ・マンソウ)
  葛(くず)・蔓(かずら・かつら)
    屑・九頭・国栖   鬘・桂・和良
  つる植物
  草本草本性つる植物 (vine))
  木本(木本性つる植物 (liana))
  があり
 「木本」になるつる植物のことを
 「藤本」という・・・
  蔦=つた=蘿・樢
    ツタ(蔦・地錦・アイヴィー・Ivy)
    ブドウ科ツタ属のつる性の落葉性木本
    別名、アマヅラ、ナツヅタ、モミジヅタ
    ツタは、 ツタ属(Parthenocissus)植物の総称

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  「上方の・上位の」を意味
  「柿の皮」を水につけ上澄みから
   渋を取ったことによるもの(藤堂)・・・?
   𠂔=丂+丨+丿
     異体字「𠥽・𪩲」
   𠂔=一+㇉+丨+丿=𪩲
     𠂆+刀+丨
     エイ=ノ+丿=𠂆
     曳(ひ)く、綱などの長いもの
     またその先に物を繋いだものを
     引き摺(ず)るようにして引っ張る
     シ
   𪩲=一冂丨ノ=𠂔・・・束・拘束・束縛
     止める
     盛んに上に伸びようとする草木に
    「ノ」を加えて
    「伸びを止める」の意
     同「𠥽」 漢字
    「秭」=大きな数を表す
   𪩲=束から「乀(フツ)」の欠落
     ↓↑
     おケラ(螻蛄)
     バッタ目(飛蝗・直翅目
     キリギリス(螽斯)亜目
     コオロギ(蟋蟀)上科
     ケラ科(螻蛄・Gryllotalpidae)
     に分類される昆虫の総称
     コオロギ類の中には
     地下トンネルを掘って住居し
     おケラは採餌行動も地中でする
     所持金がない状態を「おけら」
     遊泳、疾走、跳躍、飛翔、鳴き声、穴掘りなど多芸だが
     器用貧乏で「おけらの七つ芸」、「けら芸」という・・・
     ・・・忍者の「忍術」=彳+朮+亍・・・技術・芸術・・・

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 䃺=石+靡・・・石に靡(なび)く
         ・・・・邪靡堆(隋書)
         ・・・石井(岩井・磐井)に靡く?
            磐井の乱・527年(継体二十一年)
   石+广+林
   丆+口+麻+非
   一+丿+口+广+林+非
   一+丿+口+广+木+非
   マ
   バ
   みがく
   する
   とぐ
   臼(うす)・碾き臼(ひきうす)
   いしうす(石臼)・碓・碾・磑
      ・・・円柱中凹(オウ・ヨウ)状
              応用・黄葉・王様
   ユリウス=有理ウス=由利ウス・・・
   ユリウス・カエサル(Gaius Iulius Caesar)
        替え笊・変え申・替え沙流・換え然る?
   ひく・うすをひく・うすですりつぶす
   する・すりへる・こする・摩擦する
   みがく・とぐ
   つとむ・物事に励む
   䃺(みが)く
   䃺(す)る
   䃺(と)ぐ
 ↓↑
 䖃・聶・舙・嚞・厵
 蟲・矗・轟・驫・贔
 磊
 姦・犇・晶・森
 毳
 刕
 劦
 叒
 厽
 品(ほん・しな・ヒン)
 ↓↑
 品=口+吅
   口=ク・コウ
     くち
     飲食や発声をする器官
     人や物が出入りするところ
     しゃべる・くちに出すことば
     人や家を数えることば
     くちずから
     自分のくちで・自分の言葉で
     刀剣を数えることば
     一口=一振り=刀一本
     日本語
     くち
     分割されたものを一つとして数える単位
     物事の分類・種類
     甘口・別口・辛口
     勤め先。仕事先
     嫁入り先・就職口
     物事のはじめ・はし
     序の口
     生口・・・奴隷?・・・海鼠?
          いきぐち=イキクチ
          なまくち=なまこ=海鼠
          譩(イ)=溜息
          恨みや嘆息をあらわす声の形容
          異体字「噫・億」
       譩譆(イキ)
       取穴部位:第6・第7胸椎棘突起間の外3寸
       筋肉:菱形筋
       運動神経:肩甲背神経
       知覚神経:胸神経後枝
       血管:頚横動脈
    吅=ケン・コン・セン
      かまびすしい・やかまし
      さけぶ・大声で呼ぶ
   品
   ヒン
   ホン
   しな
   しな・しなもの・いろいろな物
   物品(ぶっぴん)
   くらい・等級・位階
   人がら・人格・人の性質
   等級をつける・評価する
   良し悪しを判断する
   たぐい・種類
   物事の種類を数えることば
   きまり・制度・基準・法則
   仏典のなかで
   章・編などの一まとまりのこと
   日本語 ほん・律令制親王に賜った位
       品位は一品から四品まで
 ↓↑
 吅=口+口+α
 ↓↑
 咒=吅+几
 咢=吅+一+丂
 哭=吅+犬
 㽞=吅+田
 啙=此+吅
 喌=吅+州
 駡=吅+馬
 㕺=吅+丂
 㖐=吅+尹
 㖾=吅+屰
 㗊=吅+吅
 骂=吅+马=ののしる・罵倒・・・骂=罵
 ↓↑
 α+品
 偘=イ+品
 區=匚+品・・・區=区
 嵓=山+品
 嵒=品+山
 䓵=艹+品
 喦=品+山
 喿=品+木
 傴=イ+匚+品
 榀=木+品
 煰=火+品
 剾=匚+品+刂
 嫗=女+匚+品
 摳=扌+匚+品
 匲=匚+大+品
 嘔=口+匚+品
 嶇=山+匚+品
 塸=土+匚+品
 彄=弓+匚+品
 䧢=阝+匚+品
 奩=大+匚+品
 慪=忄+匚+品
 漚=氵+匚+品
 碞=品+石
 蓲=艹+匚+品
 劋=品+木+刂
 澏=氵+品+山
 樞=木+匚+品
 敺=匚+品+攴
 膒=月+匚+品
 㠋=山+品+一+丂
 僺=イ+品+木
 歐=匚+品+欠
 蕚=艹+品+一+丂
 毆=匚+品+殳
 熰=火+匚+品
 㬽=月+品+丂
 操=扌+品+木
 澡=氵+品
 幧=巾+品+木
 瞘=目+匚+品
 鄵=品+木+阝
 噪=口+品+木
 甌=匚+品+瓦
 䆰=穴+匚+品
 懆=忄+品+木
 嬠=女+品+木
 䙔=衤+匚+品
 璪=王+品+木
 燥=火+品+木
 闆=門+品
 䌔=糸+匚+品
 氉=品+木+毛
 臊=月+品+木
 癌=疒+品+山
 橾=木+品+木
 謳=言+匚+品
 檶=木+大+匚+品
 藲=艹+木+匚+品
 軀=身+匚+品
 㿋=疒+品+木
 䡱=車+匚+品
 臨=臣+𠂉+品
 櫙=木+艹+匚+品
 襙=衤+品+木
 ↓↑
 躗=衛+足
   行+韋+口+龰
   行+韋+口+止
   彳+亍+口+㐄+龰
   彳+亍+口+㐄+止
   彳+一+丁+口+㐄+龰
   彳+二+亅+口+㐄+龰
   彳+一+丁+口+㐄+止
   彳+二+亅+口+㐄+止
   彳+一+亅+口+㐄+龰
   彳+一+亅+口+㐄+止
   エイ
   カイ
   誤る・失敗する・しくじる・間違う
   偽る
 ↓↑
 讆=衛+言=讏
   行+韋+言
   エイ
   いつわる・嘘をつく
   たわごと・寝言・たわごとを言う
   戯言・囈・譫
   悪人や悪行をたたえる
   ↓↑
  叴・㕤・厹=三刃の矛
  𠮠=口+勹=𠮠
    口+万=𠮠・・・?
    冂+万
    冖+万
    按𠮠下从刀與 另
    異字彙混入  另
    非正字通不知別有 𠮠
    叧(削ぐ)
    另(別ける)
  𠮣=乂+口
    ゴ・グ
    われ・わが=吾𢓲𨖍
    主 格(I) =吾
    所有格(my)=我
    目的格(me)=我
同「余・予」=𠮣
    壹與・壹余(餘)・壹予(豫)
    位地与・位置輿
     
    𠮥=𠮦=召
    ク=ハ=刀=刃
 ↓↑
 石=䂖=𥐘
 磊=𥗉=𥗐
   砥=石+
     䂡𥐺研磨碫礪砺䃺磨𥖤𢉳
     礯=石+縈
      エイ
      石火炏冖𤇾糸縈=礯
      石
   砳
   碔=石+武
   碔砆(ブフ)=赤地に白い紋様が入った玉石
   𥓔=石+委
   𥓿=水切り石
   磾=石+單
     石吅甲一
     絹を染めるために用いた黒い石
   𥕺=石+厽+𠆢+㣺
     シン
     磣碜𥕃𥓗硶
     石ム厸厽𠆢𠫯㣺𠇍叅=𥕺
     食べ物に砂が混じる
     異物が混じる
     同「墋」
     𡕎=石
      ト・ツ
      蠹蠧𧋌𥗤𧖌
      土士冖石𥑟石砳磊=𡕎
      キクイムシ(木食い虫)
      キクイムシ科の虫
      同「螙・蝎・𧒤・𧔄」
      虫が草木や書籍・衣服などを
      食い荒らす虫
      同「螙」「蛀」
      虫食い
      蝕(むしば)む
      日本国民の税金を・・・
      むしばむ人物って、結構存在する・・・
      脛(臑・すね)を齧っているって、ダレのスネなんだか
      カジれるヒトmohaya・・・
ーー↓↑ーー
 玉=王+丶
   ギョク・コク・たま
   𤣪・𥝍=玉
 玊=王+丶
   シュク・スク
   傷や汚点などの欠点がある玉
   玉を磨く職人
 王=𠙻・𠰶=王
   三つの横棒は「天人地」
   それらを纏め治める者
   秦代以降は「皇帝」
   皇帝に与えられた領土を治める者が「王」
   一族・一類に君臨する者
 主=丶+王=あるじ
   丶=チュ・てん・ ちょぼ・ぽち
     異体字「𪐴・主・注」
     声符「丶・主・㕻」
     チユ.・しるし
     きれめにしるす點
     ともし火・燈火の象形
     主宰の主の古字
 ↓↑
 領域国家化を達成した大国の君主が
 周王に取って代わる天下で
 唯一の王
  ↓↑
 「王」=一+土
     一+十+一=壱拾壱
     干+一・・・干の一=甲
     于+一・・・單于
           單=吅+甲+一
           磾=石+單
             石+吅+甲+一
             絹を染めるために用いた
             黒い石 
     二+丄=王
     丅+二=王
     丁+二=チヨウジ
     丁=一+亅・・・亅=鉤
     三+丨=参棒
     ↓↑
     甩用甪
     田甲申由
 ↓↑
 王を自称し、
 「王」が乱立
 その後
 ↓↑
 秦が
 紀元前230年に韓
 紀元前228年に趙
 紀元前225年に魏
 紀元前223年に楚
 紀元前222年に燕
 紀元前221年に斉
 を滅ぼし
 ↓↑
 紀元前221年~紀元前206年
 秦朝の
 統一~滅亡までの期間
 ↓↑
 「始皇帝
 ↓↑
 初めて
 中国を統一した
 秦(シン)王
 嬴(エイ)
 政(セイ)
 ↓↑
 「王」号をかえ
 「皇帝」号を使用
  ・・・皇=白+王
       あわてる・あわただしい・せわしい
     帝=亠+ハ+冖+巾
 ↓↑
 紀元前206年~紀元8年)
 前漢成立と期間
 ↓↑
 紀元前221年
 王号は
 皇帝の臣下へ与えられる称号(諸侯王)
 あるいは
 皇帝の天下の権威を認めて
 従属姿勢を示す
 周辺国家の長に贈る称号とした
 (漢の対等国・・・対等?
  であった
  「匈奴」の
  君主の号は
  「単于」であり
  「王」ではない)・・・
  単于=單于=「吅+甲+一」+于
  吅=口+口
    口々に話す
   「喧」の原字・喧噪・喧嘩・出入り
   「雚」などを派生・灌漑・灌木
    異体字「厸・喧・訟」
    かまびすしい=カマビスシイ
    雚=艹+𨾴=雚=(艸・艹)+吅+隹=雚
      卝+𨾴
      艹+吅+隹
      異体字「萑・鸛」
      勸=口々に叫んで力づける=勧
      灌=水をどくどくと注ぐ=潅
   「驚き嘑叫ぶ」・大声を出す
    讙と同じで「讀みて讙の若くす」
    讙=言+雚
      異体字「唤・歡・歓. 簡体字. 欢」
      「謢」「護」・・・護国・護衛・護憲・護身・看護・擁護
       まもる
      「卫・守・戍・防・护・秉・拥・捍・衛・擁・衞」
 ↓↑    ↓↑
      雚+α
      雚・勸・灌・蠸・䟒・顴・權・矔
      𩁧・𪈩・𢑆・爟・觀・酄・驩・歡
      罐・貛・𩁰・懽・瓘・䚭・鑵・鸛
      観(觀)・勧(勸)・歓(歡)
    権=權・・・権力=權力
    ↓↑
    権=木+𠂉+一+隹・・・・・・なんで権力・権威・権原・権限?
    權=木+⺿+吅+隹・・・なんで權力・權威・權原・權限?
    異体字「權・𫞐・权」
    廾・艹・艹・䒑・艸・⺾・⺿・⻀
    𠂉=⺿=十+十=二十
           =弐拾=貳(貮)拾=念
            二足=ふたたり=ふたたる
                    二墫
    一=吅=口+口
       =囗+囗=國+國=二国=ニコク
          ふたこく=蓋国
               蓋=艹+去+皿
                  土+ム
                 十+一+ム
                 天蓋
 ↓↑  ↓↑
    淵蓋蘇文(ヱン ガイソブン
         ?~666年(宝蔵王二十五年)
    高句麗末期の
    大莫離支(テマクリジ・宰相)・将軍
    泉蓋蘇文=泉蓋金
    伊梨柯須彌(伊梨柯須弥・いりかすみ)
   「淵(泉)」
    𣶒=エン・ふち
      異体(體・タイ)字がナゼこんなにアルんだか・・・
      淵渊渕㴊𣷬渁𣾜渆𣷨𣴺𣴸㶜𣾬𤀵𠝃囦𡇋𠀯𡆼
 ↓↑  ↓↑
    高句麗語の「いり=水源」・・・?
          湖の「イリ湖」
          イリ湖はイリ、タルトゥ郡
          エストニア
          ↓↑
          タルトゥ郡イリ・・・樽問う君の邑のイリ
         Tartu County Illi
         カザフスタン西部
         バルハシ湖
         イリ=乙女の名
         イリ川(Ile・Ili・Ili bira)
         新疆ウイグル自治区の北部の
         イリ・カザフ自治州から
         カザフスタン南西部の
         アルマトイ州にかけて流れる川
         長さ1,439kmのうち815kmが
         カザフスタン部分を流れる
         天山山脈に源
         西に流れ
         バルハシ湖に注ぐ
         河口には巨大な三角州
         流域の
         イリ地方では
         烏孫
         チャガタイ・ハン国
         ジュンガルが興亡
         イリ河の上流部(東部)は
         新疆ウイグル自治区イリ・カザフ自治
         下流部(西部)は
         カザフスタン領(アルマトイ州)
 ↓↑       ↓↑
 イリ 王朝(崇神=御間城 入 彦五十瓊殖
       垂仁=活目  入 彦五十狭茅)
       
 タラシ王朝(景行=大 足  彦忍代別
       成務=稚 足  彦
       仲哀=  足 仲彦)
 ワケ 王朝(応神=誉田
       別称 誉田  別  尊
          誉田  別 天皇
          品陀  和気 命
          大鞆  和気 命
          品太    天皇
          凡牟都 和希 王
          胎中    天皇
       仁徳=大鷦鷯   天皇
       別称 難波天皇
          聖帝
          皇后 葛城 磐之 媛
          子女 履中      天皇
             去来穂   別 天皇
             大兄去来穂 別 尊
             大江之伊邪本和気命
             大兄伊射報本和気命

             住吉仲皇子

             反正      天皇
             多遅比瑞歯 別 天皇
                瑞歯 別
             多遅比瑞歯 別 尊
                水歯 別 命

             允恭          天皇
             雄朝津間  稚 子 宿禰天皇
             大草香(大日下)    皇子
             草香(若日下)幡梭姫  皇女

             安康          天皇
             穴穂          天皇

             雄略          天皇
             大泊瀬 幼 武     天皇
             大泊瀬 幼 武
             大泊瀬 幼 武     尊
             大長谷 若 建     命
             大長谷         王
             倭王武

             清寧           天皇
             白髪武広国押 稚 日本根子天皇
             白髪大倭       根子命
             母        葛城 韓媛
             皇居       磐余 甕栗宮

             顕宗           天皇
             弘計
             来目     稚 子
             袁祁           王
             袁祁之石巣  別     命
             袁奚           天皇
             父    市辺押 磐   皇子
             母            荑媛

             仁賢           天皇
             大脚(大股・大俣・大亦・大足)
             大為
             億計           天皇
             大石           尊
             意祁           命
             意富祁          王

             武烈           天皇
             小泊瀬 稚 鷦鷯     尊(紀)
             小長谷 若 雀      命(記)
 ・・・分別するなら「根子=ねこ・ネコ=猫」王朝もだが・・・
             持統天皇
             大倭 根子 天  之 廣野 日女尊
                   天津・氏 廣の里を予(預かる)?
 ↓↑   ↓↑        ↓↑         ↓↑
     隋皇帝 煬帝唐王朝の追諡
         隋朝第二代皇帝
        (在位604年8月21日
          ~618年4月11日)
           660年・百済滅亡
           663年・白村江の海戦
           668年・高句麗滅亡
           670年~676年
           唐・新羅戦争で唐敗北
           新羅朝鮮半島統一
           672年7月24日~8月21日
           壬申の乱
           大海人皇子・鸕野讃良が
           大友(伊賀)皇子の近江王朝に勝利
 ↓↑   ↓↑   ↓↑
     隋皇帝 煬帝
         本名は楊「廣(広)」
         別名は「英」
         小字は「阿麼(アマ)」
                阿毎⇔阿武⇔阿部・阿倍⇔布施?
                         阿倍比羅夫
             「麼=麻+幺=幺=麽」
                广+林+幺
                異体字「麽・嚒・庅」
                バ・マ・モ
                かすか・小さい・細かい
                か・や
                疑問をあらわす助字
               接尾語、疑問詞などの後につけて
               語調を整える
             ↓↑  ↓↑
             持統            天皇       
             高天原廣野        姫天皇
             鸕野讚良
             ↓↑  ↓↑
             文武天皇
             倭 根子 豊祖父      天皇
             天之眞宗 豊祖父      天皇
             珂瑠・軽
             父           草壁皇子
             母           阿閇皇女(元明
             ↓↑  ↓↑
             元明               天皇
             日本 根子 天津 御代 豊國 成姫天皇
             阿閇・阿倍
             父           天智   天皇
             母           蘇我姪  娘
             皇配           草壁   皇子
             ↓↑  ↓↑
             元正               天皇
             日本 根子 高瑞浄 足     姫天皇
             氷高・日高・新家
             ↓↑  ↓↑
             聖武               天皇
             勝宝感神聖武           皇帝
             天璽国 押開 豊桜彦       天皇
             首(おびと)
             沙弥勝満
             ↓↑  ↓↑
             孝謙(第46代)
             称徳(第48代)
             高野              姫天皇
             阿倍
             宝字 称徳 孝謙         皇帝
             倭 根子             天皇
 ↓↑  ↓↑   
   「蓋蘇文」
    高句麗語で「かすみ」・・・「霞」?
   「ガイソブン」の漢字を当てた・・・?
    642年
    栄留王を殺害
    宝蔵王を擁立
    専権
ーー↓↑ーー
 日本
 王号の初出
 漢の
 光武帝
 「五十七=五拾七」年・・・ゴを拾うシチ
 (委)奴国の王に・・・・・イヌ・いぬ=狗・戌・犬?
            「ア-イヌ」=「蝦夷」・・・?
 賜綬した
 金印に彫られている
 「漢-委-奴-国王」
ーー↓↑ーー
 『隋書』
 「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」
 開皇二十年(600年)
 第1回遣隋使・上奏文
 「俀王
  姓
  阿毎
  字多利思北孤
  號
  阿輩雞彌」
 「俀王多利思北孤」の号
 「阿輩雞彌(アハケミ・おおきみ)」・・・
  アワ・あわ・阿波・・・?
 大業三年(607年)
 第二回
 遣隋使の上表文(国書)
 「日出處
  天子
  致書
  日沒處
  天子
  無恙云云」
 対外的に
 「天子」の称号を使用
 国内においては
 「大王(おおきみ)」、
 「治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)」
 の号が使用・・・
ー↓↑ーー=
 唐
 高宗
 674年
 「皇帝」を「天皇」と改称
 「天武天皇」も「天皇」表記を採用した・・・?
 「天皇(大帝)」
 中国古代の
 宇宙の最高神天帝の名
 道教思想と関わりを持つ
 天武の施政
 道教的色彩
 「天武」が
 「天皇」表記を用い始めた・・・ナゼ?
ーー↓↑ーー
 飛鳥京跡から
 「大津皇・津皇・皇子」
 などの文字の見える
 木簡の削り屑が出土
 天武の子
 「大津皇子」を指す
 同時出土の他の木簡から
 天武十年(681年)のもの・・・
 天武十年に
 皇子表記が使用されていることは、
 それ以前に
 「天皇」表記が用いられていた・・・
 「天皇」という表記の訓みは
 「スメラミコト・・・・・素女裸(猿女・宇受女)見事
  スメロキ」・・・・・・蘇女(目)賂記(紀・姫)
 「スメル=統べる」の転訛・・・素女
 「上代特殊仮名遣」・・・・「上代特殊仮名遣」は
                ↓↑
 からこれは否定・・・・・・・関係無い
 現在も判然としていない・・・関係無い
            ・・・漢字自体が関係する・・・
 万葉集には
 「天皇」の表記が
 12例知られ、
 7例が
 「オオキミ」
 5例が
 「スメロキ」
 と訓ませている・・・
 文意の比較から
 「オオキミ」=「今上天皇
 「スメロキ」=「過去の歴代天皇や皇祖神」
 に対して用いられていた・・・既に死亡した
               権力者が「スメロキ」・・・
              「星(星座)=天皇」になった?
ーー↓↑ーー
 武 則天=則天武后
 中国史
 唯一の女帝
 唐の
 高宗の
 「皇后」となり、
 後に
 唐に代わり
 「武周」朝を建てた
 諱は
 「照(曌=明+空)」
 日本では
 「則天武后(そくてんぶこう)」
 この名称は
 彼女が
 自らの遺言により
 「皇后」の礼をもって
 埋葬された事実を重視した呼称
 中国では、
 彼女が「皇帝」として
 即位した事実を重視して
 「武則天」と呼ぶ・・・「天皇」=「皇后」?
ーー↓↑ーー
 王朝 武周
 在位期間
 690年10月16日~705年2月22日
 都城 長安
 姓・諱
 媚娘→武照(武曌)
 諡号 則天大聖皇帝
    則天順聖皇后
 生年 武徳7年1月23日
    (624年2月17日)
     ~
 没年 神龍元年11月26日
     (705年12月16日)
 父 武士彠
 母 楊夫人
 陵墓 乾陵
 ↓↑
 則天武后時代の
 664年に実権~690年に国号を武周
 年号  西暦       漢字の意味?
 光宅  684年・・・・・・ 光の宅 光沢・公宅・考拓
 垂拱  685年~688年・・・垂の拱 垂拱之化=ナニもしない
                  スベテが順調
                  手を拱(こまね)くだけ
 永昌  689年・・・・・・ 永の昌 詠唱・永正・英商・贏相
 載初  689年~690年・・・載の初 初めての掲載
 天授  690年~692年・・・天の授 天からの授かり
 如意  692年・・・・・・ 如の意 イの如く
 長寿  692年~694年・・・長の寿 オサのコトブキ
 延載  694年・・・・・・ 延の載 延長して掲載
 証聖  695年・・・・・・ 証の聖 聖(ひじり)を
                  証(あかす)・聖武天皇
 天冊万歳695年・・・・・・ 天の冊=古事記日本書紀
                  記紀の上巻、神話
              万の歳=太安万侶の歳?
 万歳登封695年~696年・・・万の歳
              登の封=唐風・東風・当風・当諷
                  渡邉崋山(登)
 万歳通天696年~697年・・・万の歳
              通の天=天に通じる
 神功  697年・・・・・・ 神の功=神功皇后
 聖暦  698年~700年・・・聖の暦=ひじり(セイ・西)の暦
 久視  700年~701年・・・久の視=櫛・串・駆使・句詞
 大足  701年・・・・・・ 大の足=オホのタリ
                  景行天皇
                  大足彦忍代別尊
                  第十二代天皇
                  大足彦尊
 長安  701年~704年・・・長の安=オサのアン(やすんじ)
ーー↓↑ーー
 天武天皇
 生年?
 舒明三年
 (631年)?
  ~   645年=大化の改新
  ↓↑       壬申の乱
           天武天皇元年6月24日~7月23日
      672年7月24日~8月21日(ユリウス暦
            ↓↑
           則天武后
      655年(永徽六年)六月に皇后
      664年に実権
  ↓↑  690年に国号を「武周」
  ↓↑  690年~692年=年号は「天授」
 朱鳥元年九月九日
(686年10月1日)
 在位
 天武天皇二年二月二十七日
 (673年3月20日
   ~
 朱鳥元年九月九日
 (686年10月1日)
 『皇統譜』の代数は
 第四十代天皇
ーー↓↑ーー
 則天武后
 ↓↑
 利州
 都督
 武士彠
 と
 楊夫人の間に
 次女
 として生まれた
 諱を
 照(ショウ)・・・曌=明+空=天「照」大神=天明
 幼名を
 媚娘(ビジョウ)・・・眉=まゆ=繭=蚕(かいこ・サン)
 ↓↑     七歳の「まゆわ=眉輪=繭輪=目弱」皇子
        父は大日下皇子(大草香皇子)
        都夫良意富美=つぶらおほみ=円大臣
              =葛城の円
 ↓↑     と共に「火宅」で自刃・・・
 12歳
 父が死去・・・・武士彠(尋蒦)=ブ-シ-カク
 14歳
 太宗の後宮に入り
 才人(妃の地位。正五品)
 当初は
 太宗の寵愛を受けていたが
 宮廷に
 「唐三代にして、女王昌」
 「李に代わり武が栄える」
 との流言が蔓延し
 「武照の聡明さが
  唐朝に災禍をもたらす」
 と疑い
 太宗は、
 武照を疎遠にした
 李君羨という武将が
 「武が栄える」の
 「武」ではないかと疑惑を持たれ処刑
 太宗は
 李君羨の処刑後もなお
 武照と距離を置き続けた
 太宗の子である
 李治(高宗)が
 武照を見出し、
 太宗に殺害されることを恐れた
 武照は李治を籠絡し、
 李治は妄信的に
 武照を寵愛した・・・
ーー↓↑ーー
 太宗の崩御
 出家した
 ↓↑
 だが、
 額に焼印を付け
 仏尼になることを避け、
 女性の
 道士(坤道)となり
 道教寺院(道観)で修行
 ↓↑
 太宗の後継者である
 高宗の皇后だった
 王皇后と、
 高宗が寵愛していた
 蕭淑妃が対立
 ↓↑
 王皇后は
 高宗の寵愛を
 蕭淑妃から逸らす為、
 高宗に
 武照の入宮を推薦
 ↓↑
 武照は
 昭儀(後宮における上から5番目の地位)
 として後宮に入宮
 高宗の寵愛は
 王皇后の狙い通り
 蕭淑妃から逸れ
 同時に
 王皇后自身も
 高宗から疎遠となった・・・
ーー↓↑ーー
 立后
 永徽六年(655年)六月
 昭儀(後宮の位の一つ)だった武照を
 新たに設けた
 宸妃(皇后に次ぐ位)にさせようとしたが、
 宰相の
 韓瑗と
 来済の反対で実現はしなかった
 中書舍人
 李義府などの側近が
 皇后廃立と
 武照擁立の意図を揣摩し、
 許敬宗、
 崔義玄、
 袁公瑜
 等の大臣が結託し
 高宗に
 武照立后の上奏文を送った。
 高宗は
 王皇后を廃して
 武照を皇后に立てる事の是非を
 重臣に下問
ーー↓↑ーー
 この時の朝廷の主な人間は
 太宗の皇后の兄である
 長孫無忌、 太宗に信任されて常に直言をしていた
 褚遂良、
 高祖李淵と同じ北周八柱国出身の
 于志寧
 太宗の下で突厥討伐などに戦功を挙げた 李勣の四人
 長孫無忌と褚遂良は反対し、
 于志寧は賛成も反対も言わず、
 李勣のみが皇后の廃立を消極的に容認
 ↓↑
 10月13日(11月16日)
 高宗は詔書を以て、
 「陰謀下毒」の罪により
 王皇后と蕭淑妃の二名を庶民に落として罪人とし
 投獄した
 同二名の親族は官位剥奪の上
 嶺南への流罪
 7日後、高宗は再び詔書を発布し
 武照を立后とし
 諫言した
 褚遂良を潭州都督へ左遷
 11月初旬
 皇后になった武照は
 王氏(前皇后)と 蕭氏(前淑妃)を棍杖で百叩きに処し
 処刑
  垂簾政治
 武皇后は
 高宗に代わり垂簾政治・・・ナゼ?
 武皇后は
 自身の権力を支える人材を
 非貴族層から登用
 狄仁傑・姚崇・宋蓂
 など
 武皇后は人材の採用に当たっては、
 身分のみならず才能と
 武皇后への忠誠心を重視
 姚崇
 宋蓂
 は後に
 玄宗の下で
 「開元の治」
 を導いた
  ↓↑
 顕慶五年(660年)
 新羅の請願で
 百済討伐
 百済を滅ぼし
 倭国(日本)・旧百済連合軍
 と
 唐軍
 が戦った
 白江口の戦い(白村江の戦い・663年)
    ・・・⺽=∈∋=E∃=Eヨ=臼
        竄=穴+鼠
         =宀+八+𦥑+レ+冫+レ+冫+乚
 に勝利し、
 その5年後には孤立化した
 高句麗を滅ぼした(唐の高句麗出兵・668年)
 だが、
 武皇后の暴政と・・・?
 営州都督
 趙文翽の横暴により
 契丹が大規模な反乱
 河北へ侵攻
 遼東遼西の情勢は悪化
  ↓↑
 武皇后は
 娘の
 太平公主
 薛懐義・張易之・昌宗兄弟
 など自身の寵臣、
 武三思・武承嗣
 ら親族の
 武氏一族を重用し、
 専横を招く
 佞臣の
 許敬宗
 などを任用し
 密告政治により
 反対者を排除、
 来俊臣・索元礼・周興
 ら「酷吏」が
 反対派を監視する恐怖政治を行った
  ↓↑
 高宗は
 武皇后の廃后を計画
 武皇后は計画を事前に察知
 皇帝の権力奪還を許さなかった・・・?
  ↓↑
 弘道元年(683年)
 高宗が崩御
 子の
 李顕(中宗)が即位
 中宗の皇后
 韋氏が血縁者を要職に登用したことを口実に
 太平公主を使って
 中宗を廃位し
 弟の
 李旦(睿宗)
 を新皇帝に擁立
 睿宗は武后の権勢の下、
 傀儡に甘んじる
  ↓↑
 武則天の専横に
 皇族が次々と挙兵したが、失敗
 反乱軍の檄文を
 詩人の
 駱賓王
 が書いた
 その名文に感嘆した武則天
 「このような文才のある者が
 (官職につけられずに)流落しているのは
 宰相の責任だ」と言った
 という逸話
 ↓↑
 登位
 宗族の挙兵を打ち破った後、
 武后は
 女帝出現を暗示する預言書
 (仏典中の『大雲経』に仮託して創作された疑経)
 を全土に流布
 周代に存在したとされる
 「明堂(聖天子がここで政治を行った)」を
 宮城内に建造させ、権威の強化を謀り
 帝位簒奪の準備を行った
  ↓↑
 天授元年(690年)
 武后は自ら帝位に就き
 国号を
 「周」とし、
 「聖神皇帝」と称し、
 「天授」と改元
 睿宗は皇太子に格下げされ
 李姓に代えて
 武姓を与えられた
 この王朝を
 「武周」と呼ぶ
 (国号は周であるが
  古代の周や北周などと区別)
  ↓↑
 帝室を老子の末裔と称し
 「道先仏後」だった唐王朝と異なり、
 武則天は仏教を重んじ朝廷での席次を
 「仏先道後」とした
 諸寺の造営、寄進を盛んに行った他、
 自らを
 弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、
 このことを記したとする
 『大雲経』・・・大雲=八雲=大蜘蛛?
 を創り、
 これを納める「大雲経寺」を
 全国の各州に造らせた
  ↓↑
 武則天の治世において最も重要な役割を果たしたのが
 高宗の時代から彼女が実力を見い出し重用していた
 名臣
 狄仁傑(テキジンケツ)・・・狄(テキ)⇔荻(はぎ)
 武則天
 狄仁傑を宰相とし
 諫言を聞き入れ、
 国内外の難題処理
 姚崇・宋蓂
 などの実力を見抜いて要職に抜擢
 この二名は
 玄宗の時代の
 開元の治
 を支える名臣
 武則天の治世の後半は
 狄仁傑らの推挙により
 数多の有能な官吏を登用
 宗室の混乱とは裏腹に
 政権の基盤は盤石
  ↓↑
 晩年
 武則天が病床に臥せがち
 宮廷内では唐復活の機運
 武則天
 甥に帝位を譲ろうとしていたが、
 「子をさしおいて
  甥に譲るのは礼に反する」
 との狄仁傑の反対で断念
 子とは即ち
 高宗との子であり、
 唐王朝の復活
 武則天
 寵愛をうけ
 横暴を極めた
 張易之・昌宗兄弟を除くために、
 神龍元年1月24日(705年2月22日)
 宰相
 張柬之
 は
 中宗を東宮に迎え、
 兵を発して
 張兄弟を斬り、
 武則天
 則天大聖皇帝
 の尊称を奉ることを約束して位を退かせ
 これにより
 中宗は復位し、
 国号も唐に戻る
  ↓↑
 武氏の眷属は
 李氏を筆頭とする唐朝貴族と
 密接な姻戚関係を構築しており
 武則天自身も
 太后としての立場を有し
 唐朝再興に伴う粛清は
 太平公主
 や
 武三思
 などには及ばず命脈を保った
  ↓↑
 武則天死去
 706年(神龍二年)五月
 乾陵に
 高宗と合葬
  ↓↑
 謚号
 遺詔に
 「帝号を取り去り則天大聖皇后と称すべし」
 とあった・・・
 唐王朝での謚号はその後も変遷・・・
  ↓↑
 唐隆元年(710年)中宗、天后と改める
 景雲元年(710年)睿宗、大聖天后と改める
 延和元年(712年)睿宗、天后聖帝と改める
 開元四年(716年)玄宗、則天皇后と改める
 天宝八年(749年)玄宗、則天順聖皇后の謚を追加
  ↓↑
 史書
 少女期の媚娘は
 漆黒の髪
 切れ長で大きな目
 雪のような肌
 桃色の唇
 薔薇色の頬
 大きな胸
 魅了する媚笑
 聡明な頭脳
  ↓↑
 改称・改変
 称号や尊号、
 都市の名前など
 人や事物に対して
 伝統的に使用されてきた呼称に
 改変を加えることを好んだ
 顕慶四年(660年)
 皇帝と皇后を
 それぞれ
 天皇
 と
 天后
 とした
 「天皇と天后」
 という相互に比肩する字義を持つ組み合わせへと
 尊号を改めさせることで
 「皇后が国政に介入しているに過ぎない状況」
 を
 「天后が正統かつ正当な支配権を行使している状況」
 へと変貌させ、
 現状における自己の政治への介入状況を追認させた
 地名の改称
 洛陽を神都
 自らの出身県である
 文水県
 を
 武興県
 と改めた
  ↓↑
 武則天
 新漢字の発明
 則天文字と呼ばれる新しい漢字
 その数は20字程度
 「圀」の字は日本で
 徳川光圀と本圀寺の名に使用
 「國」が国構えの内に
 「惑=或+心」を含むこと(?)を
 武則天が忌み嫌った・・・
 国構えの「囗」に「八方」とした
 彼女自身の名の
 「照」の代替として、
 「曌=明+空」を造字
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 ・・・???・・・悪女・・・?
 コジキ姫「壱与」・・・「壹與」
 カンジて赤い絨毯にのり
 空をカケメグル
  「古事記・字源」物語
http://web.archive.org/web/20090409083704/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm