見る人が変わればそれぞれの見方がある・・・

 3125日目・文字霊日記
 朝から昼過ぎまで猛吹雪、ドカ雪・・・
 豪雪の連日デス・・・天に訴(訟・うった)えた・・・
 甲斐あって?、夕方には晴天・・・夜はシバレ・・・
 積もった雪は1メートル50センチ以上・・・重たい・・・

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 ↓↑
 complaint(コンプレインッ・コムプレイントゥ)
 という単語・・・complaint handling department
 苦情文句・不平・不満・不平不満
 体の故障・軽い異常・遠回しに訴える病気(sickness)
 a chronic complaint・訴訟・告訴・申し立て
 ↓↑
 ひるがえすヤク・・・
 翻譯・本厄・本薬・・・本の訳
 ・・・過去(2018/5/21)に添付したモノの部分だけれども・・・
 「日下部 太郎」⇔旧名は「八木八十八(やぎやそはち)」・・・?
  ↓↑
 「八木八十八」を更に漢字分解して
 加算すると
 八木八十八=八+十+八+八+十+八=52=五拾弐⇔5+2=7= 七
       捌 拾 捌 捌 拾 捌 伍拾貳 𫝀=ユ+丨 漆
       裁 足           仁
 掛算で
 八×十×八×八×十×八=409,600=四拾萬九千六百
                亖 万
 四=囗+儿・・・棺桶にヒト?
  =銉=肆
    銉=金+聿=針
      金+肀+二
      金+⺕(ヨ・彐=彑)+丨+二
    ↓↑
    肆=镸+聿
      亖+ 丨+厶+肀+二
      镸+⺕(ヨ・彐=彑)+丨+二
 ↓↑   
 四十=あい・しじゅう・よそ・よと
 四十川=あいかわ
 四十木=あいき
 四十崎=あいさき・あいざき
 四十沢=あいざわ・よそざわ
 ↓↑
 四(よ)
 四(よつ)数を数える語・シ・よん・よっつ
 四(よっつ)午前十時(巳の刻)・午後十時(亥の刻)
 四(よん・よむ)
      読=言+売=讀
      讀=言+賣
        言+士+買
        言+士+罒+貝
        言+十+一+罒+目+ハ
        亠+二+口+十+一+罒+目+ハ
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 東屋・四阿・阿舎(あずまや)=壁のない小さな建物・亭
 四囲(シイ)周り。周囲。また、周りを囲むこと
 四海(シカイ)国の周りを囲っている海
 四角(シカク)四方に角がある形。正方形や長方形など
 四角い(シカクい)四角の形をしている様
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 一期四相(イチゴシソウ)
  人生の四つの段階、生、老、病、死
  「一期」=生まれてから死ぬまでの期間・人生
  「四相」=四つの段階の生、老、病、死
             生、住、異、滅
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 一水四見(イッスイシケン)
  同じものを見ても
  見る人が変わればそれぞれの見方がある
   「一水」=一つの水
   「四見」=四つの見方・様々な見方
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 ↓↑
 池守は・・・池守???
 ↓↑    池田 筑 後 守  長発
      (いけだちくごのかみ ながおき)
       天保八年七月二十三日
      (1837年8月23日)
       ~
       明治十二年
      (1879年9月12日)
       ↓↑
       備中国松山藩
       井原(岡山県)の領主
       ↓↑
 ↓↑    元治元年(1864年)二月二十三日
       文久三年(1863年
       第二次
       (第二回遣欧使節
        横浜鎖港談判使節団)
       遣欧使節団の
      「池田長発」隊
       仏艦ル・モンジュ号
       ↓↑
 ↓↑    文久二年十二月二十二日
       (1862年1月21日)
       第一次
       (第1回遣欧使節
        開市開港延期交渉使節))
       遣欧使節団の
       「竹内保徳」隊
       英国海軍の
       蒸気フリゲートオーディン
       ↓↑
       1862年9月22日
       リンカーン奴隷解放宣言
       ↓↑
 ↓↑    文久二年九月十一日
       (1862年11月2日)
       幕府の
       第1回留学生が長崎を出帆
       (榎本武揚、赤松則良、西周
        ら15名)
       ↓↑
 ↓↑    ロンドン万国博覧会
        1862年5月1日~11月1日
       開催
       ↓↑
      「竹内保徳」隊
       文久二年十二月十一日
 ↓↑    (1863年1月30日)帰国
 嶋の第一子、
 広成は第五子
 広足は嶋の子
 「続日本紀」の記録
 嶋の子
 水守が第二子、
 三宅麻呂が第三子
 県守は第四子
 らしい・・・
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 太田 源三郎 (おおた げんざぶろう)?
 生年月日 1835年4月18日
 江戸時代 明治時代の通詞
      1895年没
 Mr.Ohataは静岡藩
 1862年1863年
 ヨーロッパ使節・・・定役格通
 の通詞、通訳
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  竹内   下野   守  保徳
 (たけうち しもつけのかみ やすのり)
 外国奉行、正使
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 太田 源三郎
 横浜語学所の英学教授
 教育指導者として
 他の藩に派遣される
 という制度で
 静岡藩の御貸人として
 福井藩に雇われた
 横浜語学所が閉鎖してしまって
 浪人し
 勝海舟
 の世話で
 福井藩に斡旋した
 高橋是清
 は仙台藩から派遣されて来た
 数え年十二歳のときに
 横浜へ来て
 初めは横浜にいた通訳の
 太田源三郎
 の所から
 ヘボン塾に通った
 その後、働きながら
 実用的な英語の勉強をした

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 日下部太郎⇔旧名は八木八十八(やぎやそはち)
 22歳の時に海外旅行免許状
 (パスポート・幕府の免許状発行が
  4番目であることから
  当時日本でも留学創成期に
  渡米した)を携え渡米
 遊学先の長崎から
 ジャワを経てアメリカへ向かう
 この時に藩主の
 松平春嶽から
 日下部太郎の名を拝命
 (日下部は八木家の先祖の姓)
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 150日の航海の末
 ニュージャージー州
 ニューブランズウィック
 に到着
 ここで1年前に密航で海を渡っていた
 伊勢佐太郎
 と
 沼川三郎
 の兄弟に出迎えられる
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 ラトガース大学入学前に付属中学に入学し
 英語と基礎教育を受け
 ここの教師をしていた
 2歳年上でラトガース大学生でもあった
 ウィリアム・グリフィスと出会う
 23歳の時ラトガース大学に入学し
 2年に編入
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 グリフィス=「希利比士(グリヒス)」
 ウィリアム・エリオット・グリフィス
 (William Elliot Griffis)
 1843年9月17日~1928年2月5日
 アメリカ合衆国出身の
 お雇い外国人
 理科教師、牧師、著述家、日本学者、東洋学者
 ラトガース大学で
 福井藩からの留学生であった
 日下部太郎と出会い、親交を結ぶ
 その縁により
 明治四年(1871年
 日本に渡り、福井藩の藩校明新館で
 同年3月7日~翌年1月20日まで
 理科(化学と物理)を教えた
 1876年
 アメリカで刊行した
 The Mikado's Empire
 (『ミカドの帝国』あるいは『皇国』)は
 第一部が日本の通史、第二部が滞在記
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 「聞く・話す」は表音文字
 「読み・書き」は漢字
 文字の「書く、読む」
 口頭の「聞く、話す」
 「聞く、話す」は表音文字で情報交換
 福沢と万次郎が
 『ウエブストル』を初めて輸入
 万延元年(一八六〇)
 咸臨丸がアメリカへ渡り
 福沢は通弁の中浜万次郎と一緒に買った
 安政二年
 ペリーが
 『ウエブストル』
 の字引を持ってき
 名村五八郎
 というオランダ通詞に与えた
 名村五八郎はそれで
 complaint(訴訟)という単語を引いた・・・
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 で、ナニ・・・?
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2021/12
 ↓↑
 干支歴
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html

www.youtube.com