数字の巨大さに鈍くなる今日此の頃・・・

 3123日目・文字霊日記
「いったいぜんたい=一体全体」・・・「曾=曽」
 2021/12/17/00・金曜日
 辛 丑(癸・辛・己)
 庚 子(壬・ ・癸)
 己 亥(戊・甲・壬)辰巳=空亡
 甲 子(壬・ ・癸)
 ↓↑
 去年(こぞ・さるとし)の身まかり・・・今現在・・・
 ↓↑

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 なぜ、「去年」が「こぞの年」・「さるとし」なのか・・・?
 「猿田彦の身罷り」・・・?・・・
 溺死・・・海鼠(なまこ)の沈黙・・・
 「宇受女=申女(猱・さる)」・・・
        「柔然=蝚蠕」・・・?・・・記録は
          蠕蠕(ゼンゼン)=茹茹(ジョジョ)=苪苪(ゼイゼイ)
         とも・・・
  埋めたオンナ・・・
 「申し上げる」の「申(さる・もうす)」・・・?
 「旧約・申命記」の「シン」・・・「モウゼ・Moses」・・・?
 「許存=こぞ=許曾(曽)」・・・存在を許す・・・?
 「こぞ=許曾」・・・一体全体、なんで許すのか・・・オワッタから・・・?
  ↓↑
 「曾=曽」・・・曾我兄弟=十郎・五郎
         建久四年五月二十八日(1193年6月28日)
        「虎が雨(とらがあめ)」の日 
        「源頼朝」の「富士の巻狩り」の際
        「曾我祐成
        「曾我時致
         の兄弟が父親の仇である
        「工藤左衛門尉祐経」を討った
         「鍵屋の辻の決闘」
        「虎御前(とらごぜん・とらごぜ)=お虎さん・虎女」
         安元元年(1175年)~?)
         遊女
        「曾我祐成」の妾
        「高麗寺」の近くに住んだ
        「高麗山(こまやま)」
         神奈川県平塚市
         大磯町に跨る山
         大磯丘陵の東端・標高168m
         神奈川県中郡大磯町高麗
         北緯35度19分 
         高句麗中国東北部朝鮮半島北部の地域)
         からの渡来人に由来する地 
        「GHQ」が恐れて検閲で「仇討ち物は忌避」・・・
         仇(敵)討ちはトルのが「日本思想の志操」・・・?
         ・・・「用日」・・・
         ならば「用K・用C・用A・用R・用E」は・・・
        「娞(臺)答和共栄圏」戦略はトウゼン・・・?
         ↓↑
         蘇我氏=馬子・蝦夷・入鹿
         大化の改新(645年)
         中大兄皇子中臣鎌子藤原鎌足
         皇極天皇(タカラ・財媛)
         輕皇子(孝徳天皇

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 ↓↑
 曾=八+口+小+日
  =曽=丷+田+日
   丷+田+日
   ゾ・ソウ・ソ・ゾウ
   かさなる・・・地層
   かつて・・・・何って・借って・過って
   すなわち・・・即ち・則ち・廼・乃ち
   ます(増す)
   かつて・これまで・以前に
   幾重にも重なる
   ふえる・ふやす=増
  「すなわち」
  「ところが」
  「なんと」
  「いったいぜんたい=一体全体」・・・
   ↓↑
 世界の感染者数・死者数(累計)
 2021年12月15日 17時時点
 感染者  271,469,226
 死 者   5,320,822人・・・五百三十二万、八百二十二人
 ↓↑
 日本国内の感染者数(NHKまとめ)
 (2021年12月15日 23:59 時点)
 感染者   172万8863人
 死 者   1万8375人

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ーーーーー
 コロナがオミクロンに変身・・・
 中国蝙蝠に寄生する「ヴィルス」が人間に憑依して、さぁ、大変・・・
 きっと
 「bat virus(バット-ヴィルス)」は
 「god of wealth(ウェルス)」に変身する・・・「えびす」?
 ↓↑
 YEBISU
 Ebisu=a god of barbarians.
     the god of wealth.
 「ウィルス」
 は
 「ウェルス(財産)」
 財産になった・・・製薬会社と資本投資家は大儲け・・・
          リベート高級官僚、ホック仆・・・
ー↓↑ーーー
 「東胡(トウコ・ひがしエビス)」
 の命名
 匈奴(キョウド)=胡(えびす・コ)・・・柔然(ジュウゼン・Rouran)
 ↓↑
 「柔然(ジュウゼン・Rouran)」
 5世紀~6世紀
 モンゴル高原を支配した遊牧国家
  ↓↑
 「柔然」・・・柔=矛+木
          予+丿+木
          龴+乛+亅+丿+木
        温柔敦厚
        緩急剛柔
        外剛内柔
        外柔内剛
        柔茹剛吐
       「柔なるは茹(く)い
        剛なるは吐(は)く」
       「三度の飯も
        強(こわ)し柔(やわ)らかし」
       「柔よく剛を制す」
        ↓↑
        猱=犭+柔
          犭+矛+木
          犭+予+丿+木
          犭+龴+乛+亅+丿+木
          ドウ・ヌ
          ジュウ・ニュ
          ノウ
          さる
          monkey with yellow hair.
          サルのように木に登る
          変わっている人
          献身者=ファン
          小利口・こざかしい・抜け目ない
          なかなか要領がいい
          猨猱下り飲み百臂相聯なる
          猿猴、月を捉えんとする図
          体矮小、尾金色
          臂(肱)長、柔軟(輭)
          一种(種)弹琴指法
  ↓↑
 「狼(おおかみ)」・・・大神(おほかみ)=天照大神
 をトーテムとし
 その狼を
 「qur(虫)」・・・・高橋虫麻呂
 と称した種族・・・説
 ↓↑
 柔然の始祖
 字(あざな)は
 「木骨閭(モクコチロ・ボクコツリヨウ)」
 意味は「ハゲ(禿げ)」・・・

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 ↓↑
 王族は
 「郁久閭(イクキュウリョ)」
 3世紀ごろ
 「鮮卑・拓跋部」に従属
 「鮮卑」が華北へ移住した後
 モンゴル高原で勢力を拡大
 5世紀初め
 「社崙(シャロン)」=柔然の初代可汗・縕紇提の子
      可汗号は
      丘豆伐可汗(キュウトウハツ カガン)
            球  頭 髪  掛元
                  (言・彦・諺)
      駕馭開張(馬を自由に使いこなし
          土地を大きく開け広げる)可汗
     『北史』は「豆伐可汗」と表記
 ↓↑
 の時代
 「高車」を服属させ
 タリム盆地一帯を支配
 「拓跋」部の
 「北魏」と対立
 「社崙」は
 「可汗(カガン・ハーンの元)」
 の君主号を使用
 「社崙」
 は北魏
 「明元帝」の軍に敗れ死去
 ↓↑
 北魏と対立した柔然
 南朝宋・夏
 北涼北燕
 高句麗・吐谷渾
 と結んで北魏包囲網を形成
 夏・北涼北燕北魏に滅ぼされ
 柔然は勢力を保ち
 「吐谷渾」を介在して宋と相互連絡
 ↓↑
 北魏
 「太武帝
 429年・449年の2回
 親征軍により
 柔然は本拠地を落とされ
 可汗は逃走中に死去したが
 柔然は勢力を維持
 ↓↑
 485年・486年
 配下の
 「高車」が自立し叛乱
 鍛鉄奴隷
 従属部族の
 「突厥」が隆盛
 552年
 突厥
 「伊利可汗」
 との戦闘に敗れ
 可汗の
 「阿那瓌」
 が自殺
 残党は拓跋系の
 懐朔鎮軍閥の主導する
 「北斉
 に援助を求めたが
 突厥の要請により殺され
 「柔然
 は滅亡
 ↓↑
 「アヴァール(Avars)族」=柔然の一派・・・
 5~9世紀
 中央アジア、東欧、中欧に活動した
 モンゴル系の遊牧民族
 人種的に「フン族」と近縁関係
 460年ごろ
 カスピ海沿岸に現れ
 フン系ブルガール人
 の諸部族を支配下に置いた
 ↓↑
 6世紀にトルコ系民族の圧迫を受けて西進
 スラブ系諸族を従え
 一時は
 エルベ川黒海に及ぶ大勢力となった
 7世紀
 東ローマ帝国に敗れ分裂
 8世紀末
 カール1世(大帝)に撃破
 9世紀初め平定され
 スラブ人やマジャール人と同化
 ↓↑
 『魏書』列伝第九十一
 『北史』列伝第八十六
 ↓↑
 「柔然
 「東胡」の苗裔
 姓は
 「郁久閭」氏
 「神元帝(在位220年~277年)」末
 「木骨閭(郁久閭氏の語源)」
 が拓跋部の騎卒
 「穆帝(在位308年~316年)
 「木骨閭」は
 「拓跋」部を脱し
 「紇突隣」部に依拠
 「木骨閭」死後
 子の
 「車鹿会」は部族名を
 「柔然」とし
 再度
 「拓跋」部に服属し
 部帥となり毎年馬畜・貂豽皮を献上
 「車鹿会」死後
 子の
 「吐奴傀」が立ち
 彼の死後、子の
 「跋提」、
 彼の死後、子の
 「地粟袁」
 が立っ
 ↓↑
 東胡
 春秋戦国時代~秦代
 内モンゴル東部~満州西部
 居住地とした遊牧種族
 東胡
 胡(匈奴)の東にいた
 東にいる胡
 ↓↑
 殷晩期に
 遼西で栄えた
 夏家店下層文化を征服
 遊牧民の集団のうち
 故地に残留した部族が
 東胡の祖先・・・説
 夏家店上層文化に属する墳墓から
 一緒に埋葬された
 犬が発見
 これは
 「烏丸」の習俗で
 頭頂部を剃る習慣から
 後の周代に在った
 「屠何」を「東胡」の先祖・・・説
 春秋時代
 「燕」の北方に居た
 「山戎」
 などの遊牧民を戦国時代以降に
 「東胡」と呼ぶようになった・・・説
 ↓↑
 晋の文公
 秦の穆公
 の時代(春秋時代
 「東胡」は
 「山戎」などとともに
 「燕」の北に位置し分散して谷あいに居住
 ↓↑
 燕の将軍
 「秦開」は
 「胡=匈奴」の人質となっていたが
 「秦開」は人質から帰還し
 「東胡」を襲撃し
 「燕」の領域から遠ざけた
 ↓↑
 「秦の始皇帝」中国統一したころ
 「東胡」は北方で強大
 ↓↑
 紀元前209年
 「東胡」の隣国の
 「匈奴」で
 「冒頓」が父を殺し、単于の位を継いだ
 東胡の王は
 冒頓に対し
 頭曼単于が持っていた
 「千里を走る馬」がほしいと要求
 冒頓は東胡王に「千里を走る馬」を贈った
 東胡王は
 冒頓が恐れている思い
 冒頓の
 「閼氏(単于の妻)」のひとりを欲しい要求
 冒頓は自分の「閼」氏を贈った
 東胡王は
 匈奴の西方に侵入
 東胡と匈奴の間にある
 千里あまりも人が住まない棄て地を要求
 冒頓は
 「土地は国の根本だ」と言い激怒
 東胡を襲撃し
 東胡王を殺し
 その人民と畜産を奪い
 「東胡」滅亡
 ↓↑
 後
 「東胡」の生き残りは
 「烏桓山」に逃れ
 「烏桓」となり
 「鮮卑山」に逃れた勢力は
 「鮮卑」となった
 『魏書』は
 「柔然」も
 「東胡」の末裔だと記録
ーーーーー
 ・・・???・・・
 ↓↑    ↓↑ 
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2021/12
 ↓↑
 干支歴
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