太平洋諸国にとっての 「脅威」って、オマエだろ・・・

 3122日目・文字霊日記
 地球を割る・・・北海道の分割・・・ザ・ケンナ、ッ・・・

 屁敒・・・

 ↓↑
 球体積=(3分の4×円周率×半径の三乗)
      3分の4×円周率×半径×半径×半径
      4/3×π×r3
 の分割

f:id:naiegorou:20210816141149j:plain

 ↓↑
 日本の分割統治計画
 第二次世界大戦終了後
 日本本土を
 連合国が
 分割統治しようとした計画案
 ↓↑
 ソビエト連邦
 北方四島
 北海道占領計画
 アメリカ合衆国
 イギリス、ソ連中華民国
 の連合国での分割統治する案を検討
 日本占領は
 分割占領でなく
 連合国軍最高司令官総司令部
 による
 日本国政府を介した間接統治となった
 ↓↑
 米国務省
 対外政策諮問委員会
 極東班
 ジョージ・H・ブレイクスリー
 が領土小委員会
  (PWC territorial group) 
 に提出
 1943年7月28日
 「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」
 (General Principles Applicable
   to the Post-War Settlement with Japan:T-357)
 ↓↑
 1944年3月14日
 ブレイクスリー議長起草
 「戦後日本に関する米政府の目標」
 (The Postwar Objectives
   of the United States
   in regard to Japan (PWC108, CAC116) )
 ↓↑
 (領土)
 日本は満州委任統治諸島
 軍事占領下の全地域より撤退し
 朝鮮、台湾
 第一次大戦後に獲得した全島も奪われる。
 ↓↑
 (軍事)
 日本が米国と太平洋諸国にとっての
 脅威とならないようにする。
 そのために
 日本を武装解除
 軍事を監視し
 経済をコントロール
 連合国の安全保障のために長期制限する。
 ↓↑
 (経済)略
 ↓↑
 (政治)
 他国の権利と国際義務を尊重する政府を
 日本に樹立することが
 アメリカの国益である。
 軍国主義から解放された新政府は
 平和維持のための
 文民統制政府となる。
 よって
 (1)陸海軍から政治的特権を剥奪する
 (2)新聞とラジオを通して
    民主主義国と
    知的コミュニケーションの
    自由を確立する
 (3)節度のある政治分子を強化する
 ↓↑
 (最終目的)
  太平洋地域での平和と安全のために
  日本を諸国の中で
  完全・平等かつ友好的な一員へ復興する。
 ↓↑
 統合戦争計画委員会 (JWPC) の
 日本領土に対する最終的占領案
 政策文書 385/1 は
 日本を
 5つの地域に
 分割統治する分割占領案を勧告
 ↓↑
 日本降伏後
 1946年8月16日
 ペンタゴン
 統合戦争計画委員会
 (Joint War Plans Committee,JWPC)
 が起案した
 日本占領案
 「日本とその領土の最終占領
  (Ultimate Occupation
    of Japan and Japanese Territory)」
  (JWPC385/1)が成立
 ↓↑
 占領開始期
 米国が単独で占領
 二十三個師団・八十五万人の米軍投入
 組織的抵抗、反乱のため
 一年間は維持
 ↓↑
 三ヶ月目からは
 米軍を撤収させ、各国軍に占領させる
 ↓↑
 ソ連=北海道、東北地方
 ↓↑
 アメリカ=本州中央
      関東、信越、東海、北陸、近畿
 ↓↑
 中華民国=四国
 ↓↑
 イギリス=西日本(中国、九州)
 ↓↑
 東京=四カ国共同占領
 ↓↑
 一年後
 各国兵力を半数以下に削減
 米軍は13万5千人程となる
 ↓↑
 ソ連の北海道占領計画
 ヤルタ会談
 ソ連対日参戦の見返りとして
 北方領土を占領することが認められていた
 8月16日
 スターリン
 北方領土だけではなく
 北海道の半分をソ連占領地とするよう
 トルーマン大統領に求めた
 ↓↑
 アメリカによる
 ソ連北海道占領案拒否
 と
 単独統治 (SWNCC70/5・150/3)
 ↓↑
 8月18日
 トルーマン大統領は
 スターリンの要求を即座に拒否
 分割占領を回避することを
 勧告する国務省
 SWNCC70/5
 を承認
 ↓↑
 8月22日
 トルーマン大統領は
  SWNCC150/3 を承認し
 日本政府を介した
 間接統治方式を最終的に承認
 ↓↑
 スターリン
 8月23日
 極東地域の
 日本軍捕虜50万人を
 シベリアに移送する命令
 (シベリア抑留)
 ↓↑
 ソ連
 アメリカに
 日本分割統治を強く求めたが
 マッカーサー
 拒否した
 ↓↑
 1946年2月
 イギリス軍、オーストラリア軍
 ニュージーランド軍、インド軍
 などの
 イギリス連邦占領軍
 (the British
   Commonwealth Occupation Force ,BCOF)
 が
 中国地方、四国を統治
 ↓↑
 1943年
 11月22日
 カイロ会談
 ルーズベルト
 蒋介石
 満州・台湾・澎湖諸島
 中華民国への返還を約束
 ↓↑
 11月27日
 カイロ宣言
 11月28日~12月1日
 テヘラン会談で
 スターリン
 が対日参戦を表明
 ↓↑
 1945年
 2月4日~2月11日
 ソ連
 ヤルタ会談
 樺太(サハリン)南部
 及びこれに隣接する
 すべての諸島、千島列島
 満州権益と引き換えに
 ソ連対日参戦を約束
 ↓↑
 3月10日
 東京大空襲
 3月18日~3月21日
 九州沖航空戦
 3月26日~6月23日
 沖縄戦
 5月7日
 ナチスドイツ、米軍に降伏
 5月9日
 ナチスドイツ、ソ連軍に降伏
 7月17日~8月2日
 ポツダム会談
 7月25日
 トーマス・T・ハンディ幕僚副長
 より
 アメリカ空軍参謀総長
 カール・スパーツ宛メモランダムで
 アメリカ第20空軍第509混成部隊が
 8月3日以降に
 広島市小倉市新潟市長崎市
 のうち、ひとつの都市に原爆投下すると報告
 8月6日午前8時15分
 広島市への原子爆弾投下
 8月8日
 ソ連対日宣戦布告
 8月9日
 ソ連対日参戦
 午前11時02分
 長崎市への原子爆弾投下
 8月15日正午
 玉音放送
 8月18日~20日
 占守島の戦い
 9月2日
 日本の降伏文書調印
 9月6日
 「初期対日方針」
 (SWNCC150/4)
 で間接方式確定
 ↓↑
 文の捌・門の別
 ↓↑
 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
 日本の分割統治計画
 第二次世界大戦終了後
 日本本土を
 連合国が
 分割統治しようとした計画案
 ↓↑
 ソビエト連邦
 北方四島
 北海道占領計画
 アメリカ合衆国
 イギリス、ソ連中華民国
 の連合国での分割統治する案を検討
 日本占領は
 分割占領でなく
 連合国軍最高司令官総司令部
 による
 日本国政府を介した間接統治となった
 ↓↑
 米国務省
 対外政策諮問委員会
 極東班
 ジョージ・H・ブレイクスリー
 が領土小委員会
  (PWC territorial group) 
 に提出
 1943年7月28日
 「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」
 (General Principles Applicable
   to the Post-War Settlement with Japan:T-357)
 ↓↑
 1944年3月14日
 ブレイクスリー議長起草
 「戦後日本に関する米政府の目標」
 (The Postwar Objectives
   of the United States
   in regard to Japan (PWC108, CAC116) )
 ↓↑
 (領土)
 日本は満州委任統治諸島
 軍事占領下の全地域より撤退し
 朝鮮、台湾
 第一次大戦後に獲得した全島も奪われる。
 ↓↑
 (軍事)
 日本が米国と太平洋諸国にとっての
 脅威とならないようにする。
 そのために
 日本を武装解除
 軍事を監視し
 経済をコントロール
 連合国の安全保障のために長期制限する。
 ↓↑
 (経済)略
 ↓↑
 (政治)
 他国の権利と国際義務を尊重する政府を
 日本に樹立することが
 アメリカの国益である。
 軍国主義から解放された新政府は
 平和維持のための
 文民統制政府となる。
 よって
 (1)陸海軍から政治的特権を剥奪する
 (2)新聞とラジオを通して
    民主主義国と
    知的コミュニケーションの
    自由を確立する
 (3)節度のある政治分子を強化する
 ↓↑
 (最終目的)
  太平洋地域での平和と安全のために
  日本を諸国の中で
  完全・平等かつ友好的な一員へ復興する。
 ↓↑
 統合戦争計画委員会 (JWPC) の
 日本領土に対する最終的占領案
 政策文書 385/1 は
 日本を
 5つの地域に
 分割統治する分割占領案を勧告
 ↓↑
 日本降伏後
 1946年8月16日
 ペンタゴン
 統合戦争計画委員会
 (Joint War Plans Committee,JWPC)
 が起案した
 日本占領案
 「日本とその領土の最終占領
  (Ultimate Occupation
    of Japan and Japanese Territory)」
  (JWPC385/1)が成立
 ↓↑
 占領開始期
 米国が単独で占領
 二十三個師団・八十五万人の米軍投入
 組織的抵抗、反乱のため
 一年間は維持
 ↓↑
 三ヶ月目からは
 米軍を撤収させ、各国軍に占領させる
 ↓↑
 ソ連=北海道、東北地方
 ↓↑
 アメリカ=本州中央
      関東、信越、東海、北陸、近畿
 ↓↑
 中華民国=四国
 ↓↑
 イギリス=西日本(中国、九州)
 ↓↑
 東京=四カ国共同占領
 ↓↑
 一年後
 各国兵力を半数以下に削減
 米軍は13万5千人程となる
 ↓↑
 ソ連の北海道占領計画
 ヤルタ会談
 ソ連対日参戦の見返りとして
 北方領土を占領することが認められていた
 8月16日
 スターリン
 北方領土だけではなく
 北海道の半分をソ連占領地とするよう
 トルーマン大統領に求めた
 ↓↑
 アメリカによる
 ソ連北海道占領案拒否
 と
 単独統治 (SWNCC70/5・150/3)
 ↓↑
 8月18日
 トルーマン大統領は
 スターリンの要求を即座に拒否
 分割占領を回避することを
 勧告する国務省
 SWNCC70/5
 を承認
 ↓↑
 8月22日
 トルーマン大統領は
  SWNCC150/3 を承認し
 日本政府を介した
 間接統治方式を最終的に承認
 ↓↑
 スターリン
 8月23日
 極東地域の
 日本軍捕虜50万人を
 シベリアに移送する命令
 (シベリア抑留)
 ↓↑
 ソ連
 アメリカに
 日本分割統治を強く求めたが
 マッカーサー
 拒否した
 ↓↑
 1946年2月
 イギリス軍、オーストラリア軍
 ニュージーランド軍、インド軍
 などの
 イギリス連邦占領軍
 (the British
   Commonwealth Occupation Force ,BCOF)
 が
 中国地方、四国を統治
 ↓↑
 1943年
 11月22日
 カイロ会談
 ルーズベルト
 蒋介石
 満州・台湾・澎湖諸島
 中華民国への返還を約束
 ↓↑
 11月27日
 カイロ宣言
 11月28日~12月1日
 テヘラン会談で
 スターリン
 が対日参戦を表明
 ↓↑
 1945年
 2月4日~2月11日
 ソ連
 ヤルタ会談
 樺太(サハリン)南部
 及びこれに隣接する
 すべての諸島、千島列島
 満州権益と引き換えに
 ソ連対日参戦を約束
 ↓↑
 3月10日
 東京大空襲
 3月18日~3月21日
 九州沖航空戦
 3月26日~6月23日
 沖縄戦
 5月7日
 ナチスドイツ、米軍に降伏
 5月9日
 ナチスドイツ、ソ連軍に降伏
 7月17日~8月2日
 ポツダム会談
 7月25日
 トーマス・T・ハンディ幕僚副長
 より
 アメリカ空軍参謀総長
 カール・スパーツ宛メモランダムで
 アメリカ第20空軍第509混成部隊が
 8月3日以降に
 広島市小倉市新潟市長崎市
 のうち、ひとつの都市に原爆投下すると報告
 8月6日午前8時15分
 広島市への原子爆弾投下
 8月8日
 ソ連対日宣戦布告
 8月9日
 ソ連対日参戦
 午前11時02分
 長崎市への原子爆弾投下
 8月15日正午
 玉音放送
 8月18日~20日
 占守島の戦い
 9月2日
 日本の降伏文書調印
 9月6日
 「初期対日方針」
 (SWNCC150/4)
 で間接方式確定
 原文 BY  フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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