おかめ美人?

 3070日目・文字霊日記

 トウキョウゴリン・・・桃郷檎林・・・?
 うわき・・・ほんき・・・うわさ・・・ほんとう・・・
 ・・・あんまりな「こじつけ」カモ・・・「小實家」?
 ↓↑
 ヨウキヒ・・・おたふく・・・妖艶・・・?
 ・・・?・・・おかめ・・・楊貴妃・・・?
 しもぶくれ(下膨れ)・・・顔の頬から下がふくれた輪郭=美人?
 ↓↑
 唐王朝
 玄宗皇帝時代

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 ↓↑
 「虢」国 夫人
 (カク   コクフジン)・・・描く故句布陣?
  虢=虎の爪跡
 生年不詳~至徳元載(756年)・・・史を解く言の差異?
        元載=一年=元年⇔虤歳(ガンサイ)?
                 ↓↑
     「トラ(虎・寅・𢁺・乕・虤・彪・虝)=禽(とら)」
     「トリ(禽・鳥・酉・鶏・隹)=禽(とら)」
     「とら=禽(キン)=とり」
     「禽(キン)=とら・とり」とも訓読
     「トら・トり・トる・トれ・トろ」
     「ト=占=卜占=易」・・・
   ・・・トランプはキエル・・・「マジックカード」?
      ↓↑
   ・・・徳に至る元を載(のせ)る?
           七百五拾六年
           漆 伍拾陸念
 唐代
 玄宗朝の・・・・幻想調之
 「妃」・・・妃=女(おんな)+己(おのれ・よこしま)
 である
 「楊」貴妃
 の姉
 姓は「楊」
    楊=十+八+昜(日一勿・ヨウ)
      十+八+旦+勿(モチ・ブツ・なかれ)
         昜≠易(日 勿・エキ・やすい)
 名は不詳
 「虢」国 夫人は
 「楊」貴妃
 の栄誉の恩恵を受け
 豪奢に ふるまい
 「楊貴妃」の死後殺された
 ↓↑
 虢(カク)=爪+寸+虎
 ↓↑    古代中国の都市国家
       姫姓で
       周の
      「季歴」
       ↓↑
       禾(のき)の子の女の歴史(履歴)
       盧記・退きのオンナの子の厯(暦)詞
       鸕戯の音名の履歴
       の子で
      「文王」・・・文(亠乂)の王(一土・一十一)
               音交    壱土・壱拾壹
       の弟の
      「虢仲」
       と
      「虢叔」
 ↓↑    を祖とする
 虢=カク=彠
      ↓↑
 「武士彠(ブシカク・ブシヤク)」
  577年~635年
  隋末~唐初にかけての政治家
  「武則天(武媚・武照=武曌)」
      ・・・「天照大神」?
  の父
  字は信明
  本貫は并州-文水県・・・「汶水県」
     ↓↑
    合併=併合・并=幷=ならぶ=並ぶ
         ・・・「日並皇子」
             「奈良武」=天武天皇
      日並皇子=草壁皇子(くさかべのみこ)
      諡号 岡宮御宇天皇
     (オカのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと
      オカのみやぎょうてんのう)
      岡宮天皇=長岡天皇
       ↓↑
      天武天皇と鸕野讃良皇女(持統天皇)の皇子
      妃は天智天皇の皇女で持統天皇の異母妹の
       ↓↑
     「阿陪皇女(阿閉・阿閇・元明天皇)」・・・阿毎
      阿国(おくに・アくに) 
      阿亀(おかめ)?・・・ひょっとこ(火男・非徳利)
                 うそぶき
          カメレオン(chamaeleon)=咬め例音?
         阿瓶(阿甕・阿壜)
          瓶=ビン ・ ヘイ・・・ヘイ=閇・閉
            かめ・甁・pot・urn
          甕(オウ)=雍+瓦
            雍=雝の略字
            雝=邕(川邑)+隹(小鳥)
          壷(コ)=壺(つぼ)
        硝子瓶=ジャー(jar)=魔法瓶
     「岡宮(おかみや)」・・・「おかめ」哉?
     「草壁皇子」の「薨去(コウキョ・身罷る)」
     「日並皇子(ひなみしのみこ)」=萬葉集柿本人麻呂歌)
      ↓↑
      宣仁親王妃 喜久子
      高松宮宣仁親王の妃
      旧名、徳川 喜久子
      徳川慶久公爵令嬢
      母 有栖川宮威仁親王
        第2王女・實枝子女王・親王妃
      お印 結婚前 亀(かめ)
         結婚後 撫子(なでしこ)
  ↓↑
 「武士彠」は
  財産家(木材業)の家に生まれ
  隋末に
  「鷹揚府」隊正・・・鷹(たか・ガン)を
             揚(あ・ヨウ)げる
               府(フ)の
               隊(タイ)を
               正(ただ)す
             揚≠楊(やなぎ)
  に任ぜられた
 ↓↑
 「虢」国夫人は
 「蜀州」司戸の
 「楊玄淡」・・・ヤナギのクロ(もと)のアワさ?
 の二女(三女?)
 父が死に
 代わりに
 「楊国忠」・・・楊は
         国に
         忠(中+心
           誠実・誠意・真面目)
 が家を守っていた時
 「虢」国夫人は
 「楊国忠」と
 「私通」・・・
  ↓↑
 「虢」国夫人は
 「裴」氏・・・「裴世清(隋王朝煬帝の使者)」の縁戚?
        「裴世清=裴清」
         隋の「鴻臚寺」掌客・文林郎
         608年(推古十六年・隋の大業四年)
         隋の「煬帝」による命令で
        「小野妹子(蘇因高)」と共に
         来日
         ↓↑
        「俀國(倭国)」を訪れた
  ↓↑
 に嫁ぎ、子の
 「裴徽」・・・「楊貴妃」の甥
 と
 娘を一人を生んだ
  ↓↑
 「楊貴妃=楊玉環」が
 「寿王・李蒯(玄宗・隆基の皇子)」
 の妃であったが
 「玄宗」の皇后
 737年
 「武恵妃」が死亡し
 740年
 玄宗の寵愛を得て
 の妃になった
  ↓↑
 「虢」国夫人は
 開元二十三年(735年)
 「貴妃」に冊され
 天宝四載(745年)までに
 夫の裴氏に死なれ
 寡婦となり
 兄の
 「楊銛」・・・楊の銛(金+舌・もり)
 従兄弟の
 「楊褧」
 姉妹とともに
 蜀州=四川省成都市北西部に設置
    686年(垂拱2年)
    唐により益州の4県を分割し
    蜀州を設置
    742年(天宝元年)
    唐安郡と改称
 から
 都・長安に移った・・・
  ↓↑
 「虢国」夫人は
 他の姉妹同様に優れた容貌
 この頃
 又従兄弟の
 「楊国忠
 の来訪を受け
 屋敷に泊まらせ
 「玄宗」に推薦した
  ↓↑
 天宝七載(748年)
 「虢国」夫人に封じられ
 姉が
 「韓国」夫人
 妹が
 「秦国」夫人
 に封じられ
 毎年
 千貫の
 化粧代を支給
 「虢国」夫人は美貌で
 化粧をせずに
 「玄宗」の前に出
 宮廷に頻繁に出入りして
 姉妹たちとともに
 「楊貴妃」の
 「琵琶」の弟子になった・・・
 民間で神格化されて
 「梨の花の神」とされた・・・
 子の
 「裴徽」
 は
 「延光」公主と婚姻
  ↓↑
 「虢国」夫人は
 「楊国忠
 との密通・・・
 「韓国」夫人
 と三人で馬に乗りながら
 背後の百人以上の宮女に灯りを持たせ
 参内・・・
 杜甫の詩にも
 「虢国夫人」や「麗人行」に唱われている
 (虢国夫人は別人作説あり?)
  ↓↑
 「張萱」・・・張萱(チヨウケン・(チャン・シュアン))
        宮廷画家・京兆府万年県の出身
       「搗練図 」の作者
 の
 『虢国夫人遊春図』
 は「虢国」夫人を題材にしたもので
 男装をして馬に乗り
 列の先頭を行く彼女の姿が描かれている
 ↓↑
 楊一族の中で最も豪奢と横暴
 官人の家に入り込み
 家を壊して新しい自宅を造り
 隅っこの土地だけを返し
 ↓↑
 蟻(あり・くろい=玆・玄・ギ)=虫+義
 や
 蜥蜴(とかげ)=虫+析+虫+易
 が出られないほどの精緻な屋敷を建てた・・・
  ↓↑
 「韓国」夫人
 「楊玄淡」の長女
 「崔峋」に嫁いで
 「韓国」夫人に封じられた
 「韓国」夫人
 や
 「虢国」夫人
 に賄賂を贈れば思い通りになった・・・
 至徳元載(756年)
 「楊国忠」が殺された後
 「陳玄礼」
 率いる兵士たちに殺された
  ↓↑
 「秦国」夫人
 「楊玄淡」の三女
 「楊貴妃」の姉
 (排行は八番目)
 「柳澄」
 という男に嫁いでいたが
 死に別れ
 子は
 「柳鈞」
 といった
  ↓↑
 「秦国」夫人
 に封じられる
 天宝六載(747年)
 彼女が宮中に侍女の
 「明珠」
 を連れてきたことが
 「楊慎矜」
 失脚の原因の一・・・
  ↓↑
 「玄宗」と「楊貴妃」が主催した演奏会において
 「秦国」夫人は
 唯一の聞き手となり
 300万銭の祝儀を出した・・・
 天宝十三~十四載頃に死去
 ↓↑
 楊氏五家
 楊銛
 楊褧
 韓国夫人
 虢国夫人
 秦国夫人
 の五家
 楊氏五家
 「楊国忠」を含めて
 「楊氏六家」という場合もある
 彼らの邸宅には
 四方からの賄賂
 玄宗からの贈り物の使者が絶えず訪れ
 彼らの生活は奢侈を極めた・・・
 ↓↑
 by 「ウィキペディア・虢国夫人」
ー↓↑ーーー
 ・・・ハナの命は短くて・・・
    生きている間こその人生・・・
 階級社会・・・
 身分、金銭財貨、狡猾な知識と知恵
 暴力掌握、行使・・・相応の多寡こその人生・・・?
 水に流(なが)され翻弄(ホンロウ)の浮き沈み・・・
 個々人の末路は大海の藻屑、アワの如し・・・?
 ↓↑
 山津波・・・無惨(無残)・・・
 生きたればコソ・・・逆流に抗するヒトビトも・・・
 ↓↑
 なでしこ(撫子・瞿麦)・・・名出詞故?
 瞿=䀠+隹
   目+目+隹
   䀠=きょろきょろと見る
     左右を見る・見回す
   ク
   みる
   おそれる
   目を見はる
   驚(おどろ)く=敬+馬・・・敬う馬?
           苟+攵+馬
           艹+句+攵+馬
           艹+勹+口+攵+馬
           苟も(いやしくも)
           苟(かりそめ・仮初・苟且)
           苟に(まことに)
        一糸不苟(イッシフコウ)
         何事にも手を抜かないこと
         因循苟且(インジュンコウショ)
          昔からの習慣や方法に
          必要以上にこだわって
          改めることをせずに
          その場その場でやり過ごすこと
          決断できず曖昧な態度とる
         「因循」=昔からの慣習
         「苟且」=その場だけの取り繕い
          苟且偸安(コウショトウアン)
          一時の楽に逃げること
         「苟・且」=いい加減な態度
         「偸安」=目前の楽なことだけを選択
   ↓↑
   懼(おそ)れる・・・恐れる・怖れる・恐怖
             畏れる・畏敬
             驚き・驚愕・ドッキリ
   ↓↑
   瞿瞿・瞿然・・・懼(ク)
   瞿(おそ)れる
   瞿然(クゼン)
   びっくりする
   見まわす
   するどい目つきで見る・驚愕の眼の貌
   おどろく・おそれる・驚きおそれる
   瞿曇=ゴータマ(瞿曇仏陀・Gautama・クドン)
      釈迦の姓
 ↓↑
 ナデシコ(なでしこ・撫子・瞿麦・牛麦)
 ナデシコナデシコ属(Dianthus)
 河原撫子(カワラナデシコ)の異名
 「常夏」も異名
 ナデシコ属の植物の総称
 蘧麦(キョバク)とも
 秋の七草の一
 ↓↑
 ヒメハマナデシコ
 姫浜撫子=琉球寒撫子
     (リュウキュウカンナデシコ)」
 シナノナデシコ
 信濃撫子=深山撫子
     (ミヤマナデシコ
 ↓↑
 カワラナデシコ
 異名
 大和撫子
 (ヤマトナデシコ
 セキチク(chinensis L)
 を古くは
 唐撫子(カラナデシコ)⇔大和撫子
 ナデシコ=常夏(とこなつ)
 ↓↑
 蝦夷河原撫子
 エゾカワラナデシコ
 カワラナデシコの変種
 ↓↑
 高嶺撫子
 タカネナデシコ
 ↓↑
 姫浜撫子
 ヒメハマナデシコ
 ↓↑
 浜撫子
 ハマナデシコ
 藤撫子
 フジナデシコ
 ↓↑
 信濃撫子
 シナノナデシコ
 深山撫子
 ミヤマナデシコ
 ↓↑
 ナデシコ属の園芸品種
 ダイアンサス (Dianthus)
 ↓↑
 カーネーション
 (和名 阿蘭陀撫子
     麝香撫子)
 ↓↑
 カーネーション・・・母子重処務?
 (carnation)
 ナデシコナデシコ属の多年草
 ↓↑
 江戸時代初期以前に輸入されたものは
 アンジャベル
 アンジャ(蘭: anjelier)
 と呼ばれた
 『地錦抄録』(1733年)
 徳川家光の時代
 正保年間にオランダから
 カーネーション伝来の記録
 寛文年間に再伝来
 14種の品種が紹介
 『花壇綱目』に
 「あんしやべる」・・・案、喋る?
 の名で記録
 宝暦年間
 『絵本野山草』(1755年)
 ナデシコなどとともに紹介記事
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 ・・・???・・・ナデ指呼・・・名出詞故(胡)・・・
 楊貴妃・虢国夫人・韓国夫人・秦国夫人・・・「おかめ」?
 醜女(しこめ)・・・ugly woman・・・?
 試雇・四股・四顧・四庫・史子・志子・師子・資子・・・
 お亀=阿亀(おかめ)=お多福=阿多福(おたふく)・・・
 ・・・???・・・「オタフク風邪」・・・平安女子・・・?