ゼイタクなクルミ豆腐・・・分相応の生活・・・?

 3067日目・文字霊日記
 毎日食べてはイケない・・・午の日だけ・・・OK!?
  ↓↑
 午の日・・・コロナの日・・・分相応の生活・・・?
  ↓↑
 経済産業省・キャリア官僚2人が
 およそ550万 円
 新型コロナ対策の家賃支援給付金詐取で
 桜井某(28)
 新井某(28)
 容疑者逮捕・・・
 ・・・オマエラだけじゃァないだろう・・・
  ↓↑
 鹿島建設東北支店の元幹部
 宮本卓郎元営業部長(54)
 東日本大震災の復興事業で
 下請け業者から得た
 2億2000万円を申告せず脱税
 仙台国税局に告発
  ↓↑

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 ・・・「コロナの物語」・・・?
 「2015年・人民解放軍上級幹部の報告書」
 「第三次世界大戦=ヴィルス・生物戦争」・・・
  ↓↑
 「コロの物語」・・・小柳徹
  ↓↑
 コロの物語
 昭和32年4月1日~昭和33年12月30 日放送
 コロ
 どおしてなの?
 益田 喜頓・・・?
 いつも美味いものを喰ってるとな、・・・
 ↓↑
 コロ
 1948年08月18日
 ~
 1969年03月24日
        大運1965年6月(16歳)壬戌印綬
  戊┏子(壬 癸)正財・偏印 病⇔己酉偏財
 ┏庚┗申(戊壬庚)正官・印綬 胎⇔丁卯食神
 ┗乙 亥(戊甲壬)  ・劫財 死⇔戊戌正財
  壬 午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔戊午正財
    申酉空亡
  ↓↑
 「やんぼ、にんぼ、とんぼ」・・・黒柳徹子
 トンボには惚れた
  ↓↑
 「クルミ豆腐」・・・「こんち午の日」

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  ↓↑
 白物家電・・・便利な機能機器を省いて
       「本来の機器機能」のみを残し
       「後進国貧困層」にも
        買えるような値段にした・・・K国人のセールス
        ・・・で、スグ、ぶっ壊れる・・・
        でも、ヤツラは品物の有難味を味わったのさ・・・
        しあわせだってか・・・
        いや、オレッチも頑丈なモノが造れないんだ
        ・・・???・・・       
 ・・・1970年代、日本では売られていない・・・?
    ではなく、ボクが日本では見たことのない「電子レンジ」
   「東芝電気製品」がアメリカの家庭で使用されていた
    ・・・見るからに頑丈そうな「電子レンジ」・・・
   ↓↑
   レンジの価格・・・昭和37(1962)年
            国産第1号が発売(価格 54万円)
            昭和51(1976)年
            低価格のファミリータイプ(価格 6万円)
   ↓↑
   ボクはそれが「日本製」だと聞いてビックリした・・・
   一体、価格はイクラ・・・?
   「精工・シチズンの腕時計」は
   「日本」よりも安い値段で売られていた・・・?
   「ダットサン」は有名な「日産の小型のトラック」
   カメラは亜米利加人はダレもが「コダック」・・・
   一眼レフの高級品は「made In Japan」・・・
             冥土は日本の中・・・デス?
   日本人にとっても
   手に入りそうもない「高級カメラ」が
   亜米利加で安く簡単に手に入る
   で
   亜米利加人にコレは「日本製」だと云っても
   信じないのだ・・・
   トルコでドイツから乗っていた
   中古のフォルクスワーゲンを駐車していたら
   ドアをカネ出すから交換してくれって・・・
   彼の使用している
   「フォルクスワーゲンのドア」
   が潰れていたが・・・
   今現代のアフリカ・・・
   アフリカ・・・上水道も下水道も無いが
   片手にスマホ
   電話回線を知らなくても無線通話、無線動画・・・
   東南アジアの村々には
  「pc・パーソナル・コンピュータ」
   が溢れて、情報もワンサカ・・・
   ↓↑
   1970年代当時
   亜米利加と日本では一般庶民の「所得格差」が大きかった
   360円~300円=1ドル=1dollar・・・
   亜米利加では
   当時の渡米日本人にとっては「100円感覚」・・・
   ナゼならアメリカでは
  「タバコの値段」が「50セント」前後だったからだ・・・
  日本でもタバコは50~70円前後だった
  50セント⇔50円
  1弗⇔100円
  感覚を超えたハンバーグなんて口にしたことはない・・・
  だが、当時の渡米、在米の「日本人」の頭の中の計算は
  360円~300円=1ドル=1dollar・・・
  亜米利加でアルバイトで一日働けば「10ドル~20ドル」
  日本円に換算すれば「3000円~6000円」・・・
  当時の日本人の一般サラリーマンの給料は・・・
  ブログ記事の検索では
ーーーーー
 by「経営研究センターJC
   経済年表抜粋」
 ↓↑
 大卒 ・初任給、公務員上級・給与?
 1968年:27600円
 1969年:31000円
 1970年:36100円・・・1970年
 1971年:41400円
 1972年:47200円
 1973年:55600円
 1974年:72800円
 1975年:80500円
 1976年:94300円(大卒初任給)
 1977年:101000円
 1978年:105500円
 ↓↑
 by「年次統計 ver 1.0」
  年       大卒初任給  現代の価値に換算?
 1973 (昭48) 62,300円  159,017円
 1972 (昭47) 52,700円  157,052円
 1971 (昭46) 46,400円  151,795円
 1970 (昭45) 39,900円  143,568円・・・1970年
 1969 (昭44) 34,100円  138,641円
 1968 (昭43) 30,600円  137,670円
 ・・・ナニが基準なんだか「現代の価値に換算」?
 ↓↑
 円相場(1ドル/円)
 昭和45年(1970)
 ↓↑
 リチャード・ミルハウス・ニクソン
 (Richard  Milhous  Nixon)
 1913年1月9日~1994年4月22日
         1991年11月(78歳)
               大運辛酉劫財
 壬┏子(壬 癸)食神・食神 死⇔甲戌偏財
 癸┗丑(癸辛己)傷官・傷官 墓⇔戊辰偏印
 庚 寅(戊丙甲)  ・偏印 絶⇔戊寅偏印
 壬┗午(丙 丁)食神・偏官沐浴⇔戊午偏印
午未空亡
 ↓↑
 アメリカ合衆国
 第37代大統領
 共和党(Republican Party)
     Grand Old Party
     シンボル 象・elephant
     elephant in the room
    「見て見ぬ振りされた問題」?
    「フレるな、ダマレッ、ホットけ」
    「タブーな話題や重大な問題」
    「知っていても知らんふり」
 在任 1969年1月20日~1974年8月9日
 ↓↑
 ニクソン・ショック(ドル・ショック)・・・?
 (Nixon  Shock)
 1971年7月15日第一次
 1971年8月15日・日曜日・第二次
 (日本標準時1971年・昭和46年8月16日)
 アメリカ合衆国連邦政府
 金ドルの固定比率
 1 オンス=35ドル
 米ドル紙幣と
 金の兌換を一時停止
 為替レートを是正し
 主要国は対等に競争すべし・・・
 ↓↑
 1ドル=360円~
 1973年
 変動相場制に移行
 ↓↑
 昭和46年(1971) 1ドル=314円
          円の切り上げ
 ↓↑
 昭和47年(1972) 1ドル=301円
 昭和48年(1973) 1ドル=280円
 ↓↑
 1971年8月15日・日曜日・第二次
 ニクソン声明
 「…もはやアメリカが
  片手を背中に縛られたまま
  競争する必要はない…」
 「…過去7年間
  毎年1回は
  通貨危機が起きている
  通貨危機
  一体
  誰が利益を得たのか・・・ダレなんだか・・・?
  労働者でも、投資家でも
  富の真の生産者でもない
  受益者は
  国際通貨の投機家
  彼らは
  危機で栄える故に
  危機を起こす…」・・・・今も昔も「キキ」か?
 「…最近数週間
  投機家たちは
  アメリカのドルに対する
  全面的な戦争を行ってきた
  …そこで私は
  コナリー財務長官に
  通貨の安定のためと
  合衆国の最善の利益のためと
  判断される額と状態にある場合を除いて
  ドルと金
  ないし
  他の準備金との交換を
  一時的に停止するように指示した
  …この行動の効果は
  言い換えれば
  ドルを安定させることにある
  …IMFや我々の貿易相手国との
  全面的な協力の下で
  我々は
  緊急に求められている
  新しい国際通貨制度を構築するために
  必要な諸改革を求めるだろう…」
 金塊の移動と蓄積がナゼ・・・海には何万ともあるのに
 「軟らか・重い・希少」
 金(gold・aurum)=原子番号79の元素
           第11族元素に属する金属元素・・・第11族
 軟らかく、可鍛=展延(ductility)、重(オモイ)からナッ・・・
 「ミダ―ス王」のハナシか・・・
 「ミクロネシア・ヤップ島の石貨=ファー=パーラン
  白色、淡褐色の結晶石灰石
  20センチメートル、大きいものでは直径4メートル重さ5トン」
ー↓↑ーーーー
 第二次世界大戦後の通貨の枠組み
 ブレトン・ウッズ体制の解体・終焉
 インフレで
 ドルの信認が揺らぎ
 ドルの切り下げが避けられないことで
 アメリカは通貨危機に直面
 ドル防衛で
 アメリ国益を損なわず
 欧米各国
 日本との
 多国間調整を目的にした
 1971年12月に
 ドルの切り下げを容認
 新しい固定相場で
 「スミソニアン体制」がスタート
 再びドル不安が再燃し
 各国とも
 固定相場制を維持することができず
 1年3ヶ月後に
 変動相場制に移行
 ↓↑
 1944年
 「ブレトン・ウッズ協定
 米国
 ニューハンプシャー州
 ブレトン・ウッズ
 に連合国44か国の各国代表終結し締結
 大戦後の
 世界経済の運営
 国際通貨の管理
 アメリカ本土は戦場とならず
 各国への経済的支援で
 軍事特需で富を蓄積した
 アメリカが
 戦後の国際金融体制の中心に位置し
 ドルだけが金と交換できる通貨
 他の国は
 ドルとの交換比率を固定し
 為替相場を固定することによって
 国際貿易を円滑にし
 経済活動を
 活発化させるコトを目的した
 ↓↑
 国際金融体制=ブレトン・ウッズ体制
 アメリカが
 圧倒的な生産力で
 世界各国へ輸出し
 稼いだ貿易黒字で
 蓄えた大量の
 金準備で支えられ
 各国は
 「ブレトン・ウッズ体制」の枠で
 国際貿易の利益を享受
 通貨発行量が希少金属である
 金の保有量に制約される
 「金本位制」であったが
 戦後は
 金・ドル体制
 金為替本位制
 とも呼ばれ
 実質的に
 金=ドル
 を基軸とした
 ↓↑
 西欧各国が次第に経済力を回復
 日本も高度経済成長で
 アメリカの手持ちのドルが
 海外へ流出し
 1960年代
 金と交換できるドルの
 絶対的価値が揺らぎ始めた
 ↓↑
 各国が定めた
 通貨の固定為替レートは
 アメリカを除いて
 主要な交戦国が
 戦争で著しく疲弊していた
 世界経済状況を前提に
 定められたレートで
 大戦直後
 世界の金保有額の
 三分の二が
 アメリカに集中し
 ドルの金交換に基づく
 固定相場制を原則とした
 「IMF体制」で成立
 戦災から復興した国々の
 経済発展で
 固定為替レートは
 各国の経済力・競争力から
 乖離した状況になり
 50年代
 各国の
 ドルに対する為替レートが
 英ポンド
 仏フラン
 は切り下げられ
 1961年3月
 西独マルク
 が
 1ドル=4マルク
 が5%切り上げられ
 通貨調整
 60年代後半
 ドルが凋落・・・
 ↓↑
 1950年代
 アメリカの海外への
 軍事支出、政府援助、政府借款が
 貿易収支の黒字分以上を占め
 1960年
 ドル危機の懸念状況
 アメリカ自体の
 ドル交換に応じる金保有の割合は
 1948年の3.8倍
 ~
 1960年
 には1.6倍に減少
 1965年
 ベトナム戦争介入
 財政赤字
 インフレーション
 国際収支の赤字幅拡大
 1966年
 外国のドル準備が
 アメリ財務省保有する
 金保有額を上回り
 1968年頃から
 「ドル危機」を潜在的要因とし
 フランの通貨不安が顕在化
 1969年
 8月
 フランは11.1%切り下げ
 9月
 マルクは9.3%切り上げ
 ↓↑
 1971年
 アメリカのドルは
 現実の経済力・競争力よりも
 高い為替レートになり
 対ドルの為替レートは
 現実の経済力・競争力よりも
 低い為替レートになり
 アメリカは国際貿易において
 赤字
 海外に流出したドルは
 貿易黒字国の
 対外準備として蓄積され
 インフレーションを加速させた
 米国が
 ドル債務を負う形で
 ドルを供給し
 ベトナム戦争もあって
 ドルと交換できる
 金の準備額が不足
 ↓↑
 1971年
 4月
 貿易収支が初めて赤字
 8月
 フランス
 8月13日
 イギリス
 が
 アメリカに対して
 30億ドルの金交換を要求
 金・ドル交換の停止決定
 アメリカ政府は
 金とドルがリンクした
 「通貨体制(金・ドル本位制)」
 の維持困難と判断し
 国内の事態急変を避けるため
 10%の輸入課徴金を掛け
 物価・賃金を
 90日間凍結し
 その期間に
 各国との多角的調整をして
 ドルを
 アメリ
 にとって一番望ましい形に切り下げた
 ↓↑
 1971年8月15日
 ニクソン大統領声明
 欧州各国は
 まだ
 外国為替市場が開いておらず
 即閉鎖を決定し
 23日に再開するまで1週間は
 市場を閉会
 日本は
 外国為替市場が開いており
 ドル売りが殺到し
 日銀がドル買いに走り
 日本の外貨準備高が
 100億ドルを超え混乱
 が、その後も
 市場を閉鎖しなかった
 西欧各国とも対応がばらばら
 西独は2ヶ月前に
 変動相場制に移行
 仏は二重相場制
 英は上限変動相場制
 オランダなど
 ベネルクス3国は
 域内は固定相場制
 域外は変動相場制
 調整はバラバラ
 ↓↑
 日本
 10日余りは固定相場制を維持
 1971年8月27日
 外貨準備高が
 125億ドルに達し
 この日の閣議
 翌28日から
 為替相場
 1ドル=360円
 に上下1%の変動幅の制限枠を撤廃
 変動相場制に移行決定
 1ドル=360円
 は終わった
 360円~342円~340円~320円
 前後に推移
 ↓↑
 ドルの為替レートの変更
 マルク
 と
 円
 の切り上げが世界経済に影響した
 ↓↑
 by 「ウィキペディアWikipedia)」
 ↓↑
ーーーーー
 ・・・スミソニアン協定が締結され
 日本が
 1ドル=308円
 で固定相場に戻った
 1971年12月
 を底に景気は上昇期に入った・・・
ーーーーー
 ニクソン
 1971年の金とドル交換停止は
 「日本人につけをまわすため」
 1969年の沖縄返還交渉で
 佐藤首相が約束した
 「日米繊維問題での誠意ある行動」
 繊維製品の輸出を
 包括規制する約束を
 実行しなかったことで
 「日本の首相にわざと恥をかかせた」
 とした発言・・・
 ↓↑
 ニクソン
 電撃的な中国訪問発表
 も事前に
 日本側に連絡が無かった
 ↓↑
 アメリカが
 ソ連と中国との
 緊張緩和を
 図ろうとしたのは
 欧州
 アジア
 で封じ込め政策遂行が
 経済的に不可能なった・・・
 ニクソンドクトリン
 沖縄返還
 戦略兵器削減
 ベトナム戦争停止
 輸入制限
 新経済政策
 などは
 アメリカの衰退で
 アジアでの軍事的削減=経費削減?
 ↓↑
 ・・・
 亜米利加も中国も台湾・KK・・・
 そしてロシアも英国も仏も・・・
 支配者は
 「重根瞑」の敵対者である・・・
 瞑=目+冥
   目+冖+昗
   目+冖+日+六
   目+冖+日+亠+八
   昗=日+六(亠八)
     ショク
     ソク
     ひかげる・かげる(陰る・景・翳る・曀)
     異体字「昃・𣅶」
     昃=昼過ぎ・太陽が西に傾く
     曀=日+壹
       エイ・イ
       くもる(曇る)     
 瞑(くらい)
 瞑(つぶる)
 瞑(つむる・つぶる)
 瞑坐=目を閉じて座ること
 瞑する=目を閉じる
 瞑想・瞑目(めいもく)目をつぶること
 ↓↑
 佇立瞑目(チョリツメイモク)
  ひどく辛い悲しみで
  目を閉じたまま立ち尽くすこと
  直立不動・・・standing at attention
 「佇立」=長時間たったままでいること
 「瞑目」=目を閉じること
 ↓↑
 瞑目沈思(メイモクチンㇱ
  目を瞑って深く考えること
 ↓↑
 以て瞑すべし
  もはや未練なく死すべし・・・?
ーー↓↑ーー
 山本 周五郎
 清水 三十六(さとむ)
 1903年6月22日
 山梨県北都留郡初狩
 (大月市初狩町下初狩
 1903年6月22日
 ~
 1967年2月14日(63歳没)
      大運1958年6月(55歳)壬子傷官
 ┏癸卯(甲 乙)食神・偏財絶⇔丁未偏官
 ┗戊午(丙 丁)印綬・偏印病⇔壬寅傷官
  辛巳(戊庚丙)  ・正官死⇔己酉偏印
  甲午(丙 丁)正財・偏印病⇔庚午劫財
   申酉空亡     觜宿⇔昴宿
ーーーーー
 ・・・ヤマモトのオジイちゃん・・・
 イイねッ・・・アリアさんの朗読・・・
 「落葉に雨の音を聞く、隣りは恋のむつごとや~~~」
 ・・・
 「もろかずら
  落ち葉を
  何に拾いけん
  名は睦(むつ)ましき
  かざしなれども」・・・?