白野弁十郎の「恋の文」・・・ロクサーヌに届いた「変な文」

 3044日目・文字霊日記

 手紙は「秘密」・・・「変文」だから・・・
           「攵=𠂉+乂」・・・
           「夂=ク+乀」・・・
           「夊=𠂉+乂」
           「攵・夂・夊」≠「心」
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 手紙の内容は「秘密」にしておいてくれ・「変文」だから
 ・・・「恋文」じゃぁないのか?
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 おふくろと一緒に観たのは
 監督
 「稲垣浩
 「三船敏郎(駒木 兵八郎・平八郎・只八郎)」
 「宝田明(苅部十郎太)」
 「司葉子(千代姫)」
 の
 『或る剣豪の生涯(1959年)』
 だった・・・時代は戦国時代末期・・・

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 「額田六福」が、新国劇
 「沢田正二郎」のために
 『シラノ・デ・ ベルジュラック』を翻案した
 『白野弁十郎』
 1926年(大正十五年)1月
 「邦楽座」初演
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 「白野弁十郎(しらのべんじゅうろう)」・・・
 時代は幕末・・・
 数学者で詩人、音楽家で剣客の
 「白野弁十郎」は
 文字も読めない黄昏の暗闇で
 何故か
 戦死した友人が
 姫(千種・ロクサーヌ)に宛てた
 「恋文」を一句一字、間違わずに読み上げた・・・
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 『シラノ・ド・ベルジュラック
 (Cyrano de Bergerac)
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 密(ひそ)かに・・・「艶文」・・・郵便・・・
 「山本周五郎」の
 「艶文」を「ユウチューブ」の朗読で聴いた・・・

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 前島 密
      大運1915年3月(80歳)丙戌劫財
 甲午(丙 丁)印綬・比肩建禄⇔己未食神
 丁丑(癸辛己)比肩・食神 墓⇔戊辰傷官
 丁卯(甲 乙)  ・偏印 病⇔己酉食神
 丙午(丙 丁)劫財・比肩建禄⇔庚午正財
  戌亥空亡
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 出生地 越後国頸城郡下池部村
 死没地 神奈川県
     三浦郡
     西浦村
     大字
     芦名
 父死亡後
 母方の叔父
 糸魚川藩
 相沢文仲
 の養子
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 幕臣
 前島家の養子
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 安政五年(1858年)
 航海術を学ぶため函館へ
 「巻 退蔵」と改名・・・?
 安政六年(1859年)
 「武田 斐三郎」の諸術調所入門
 慶応元年(1865年)
 薩摩藩の洋学校(開成所)の蘭学講師
 慶応二年(1866年)
 幕臣
 前島家の養子
 「前島 来輔」と名乗る
 「漢字御廃止之議」
 を将軍
 「徳川慶喜」に提出
 幕臣
 清水与一郎の娘
 「奈何(仲子)」と結婚
 慶応三年(1867年)
 「開成所数学」教授就任
 明治二年(1869年)
 民部省・大蔵省に出仕
 名を「密」に改名・・・密か?
 明治三年(1870年)
 三月
 租税権正
 五月
 駅逓権正 兼任
 太政官
 「郵便制度創設」を建議
 郵便制度視察
 鉄道建設借款契約
 締結のため渡英
 明治四年(1871年
 八月
 帰国
 駅逓頭
 郵便制度創設に尽力
 郵便制度の基礎を確立
 明治五年(1872年)
 陸海元会社(日本通運株式会社)
 郵便報知新聞(スポーツ報知)
 の設立及び刊行に関与
 明治六年(1873年
 「まいにちひらがなしんぶんし」
 創刊
 明治十年(1877年)
 駅逓局長に任命
 第1回内国勧業博覧会審査官長
 明治十一年(1878年
 元老院議官を兼任
 明治十二年(1879年)
 内務省駅逓総監
 明治十四年(1881年
 「明治十四年の政変」で辞職
 「大隈重信
 らとともに
 「立憲改進党」創立
 明治十九年(1886年
 東京専門学校(早稲田大学)校長
 関西鉄道会社社長
 明治二十一年(1888年
 十一月
 「逓信次官」
 明治二十四年(1891年)
 三月まで在職
 官営電話交換制度を実施
 明治二十七年(1894年)
 北越鉄道株式会社社長就任
 北越鉄道直江津~新潟)建設開始
ーーーーー
 明治五年(1872)11月9日、
 太陰暦を廃し、
 太陽暦を採用することの詔書が発せられ、
 太政官布告
 第337号により公布
 1年を365日とし、
 それを
 12ケ月に分け、
 4年毎に
 閏年をおき、
 1日を24時間としたモノで
 旧暦の
 明治五年十二月三日を
 新暦
 明治六年1月1月とした
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 「密教=秘密・秘蜜→秘充=ひみつ=日満=斐視通→比観通」
 かも・・・密(ひそか・ミツ)かに・・・
 「前島 密
  天保六年一月七日(1835年2月4日)
   ~
  大正八年(1919年)4月 27日)
  日本の官僚、政治家
  号は「鴻爪(コウソウ)」
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  近代郵便制度の創設者
  1円切手の肖像人物
  郵便や、切手、葉書
  という名称を定めた」
 「1866年(慶応二年)
  「漢字御廃止之議」
  という建議書を
  将軍徳川慶喜に提出
  漢字使用の廃止と云う趣旨内容
  国語「国字問題」について
  言文一致を提言した人物である・・・
  ↓↑
 ・・・秘密仏教は「真言」だが・・・
 確かに「法事=ホウジ=邦字・補得字」で
 聴く者には坊主の
 「読経は馬の耳に念仏」であるナッ・・・
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 折口信夫(おりくち しのぶ)
 1887年(明治二十年)2月11日
  ~
 1953年(昭和二十八年)9月3日 )
 民俗学者、国文学者、国語学者
 号は
 「釈迢空(シャクチョウクウ)」
 詩人・歌人
 ・・・この人物は「柳田国男」の弟子であったらしいが
 彼にとっても「ニホンゴ」は難解であった・・・?
 一旦、形成された「権威」とは怪しいのである・・・
 「一般人」にとってはアリガタイ存在になってしまうのは
 「日常言語の意味付与の権威者」だからであろう・・・
 まさに
 「釈(解釈)」
 「迢(はるか・とおい
    ジョウ・デウ・チョウ・テウ
    遙遠・迢遠・迢遙・迢遞・千里迢迢)」
 「逓=遞・だんだん・しだいにダイ・テイ
    かわる・たがいに
    横へ横 へと次々に伝え送る
    遞信=郵便、電信などを
       順次に送り伝えて、届けること
       逓信・逓送・駅逓・伝逓」
 「空(そら・から・クウ)」
 であるかな・・・
 まったく、曖昧で混乱を「迢遞」である・・・
 「迢=辶+召(刀+口)」
 「遞(辶+厂+虎)」
 の
 「虎=とら=訳等=彪・寅・勾」
 は崖っぷちの
 虎の道(辶=シンニュウ)である・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
mbnekosn3
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 大久保 利通(おおくぼ  としみち)
 文政十三年八月十日
 1830年9月26日
 ~
 明治十一年
 1878年5月14日
       大運1874年11月(44歳)庚寅正官
 ┏庚 寅(戊丙甲)正官・劫財帝旺⇔戊寅正財
 ┗乙 酉(庚 辛)比肩・偏官 絶⇔丁巳食神
  乙┏未(丁乙己)  ・偏財 養⇔壬辰印綬
  壬┗午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔丙午傷官
    辰巳空亡辰巳
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 幼名 正袈裟
 通称 正助・一蔵
 諱  利済・利通
 雅号 甲東
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 明治四年(1871年
 大蔵卿に就任
 岩倉使節団の副使
 ↓↑
 明治十一年(1878年)5月14日
 馬車で皇居へ向かう途中
 紀尾井坂付近
 清水谷(東京都千代田区紀尾井町
 にて6人の不平士族に殺害
 (紀尾井町事件)
 享年49〈数え年〉・満47歳没
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 明治四年(1871年
 大蔵卿に就任
 岩倉使節団の副使
 ↓↑
 明治十一年(1878年)5月14日
 馬車で皇居へ向かう途中
 紀尾井坂付近
 清水谷(東京都千代田区紀尾井町
 で6人の不平士族に殺害される
 (紀尾井町事件)
 享年49〈数え年〉・満47歳没
  ↓↑
 「前島密」の「大久保 利通」評
 「よく人にも計り、人の言も容れた人で
  一事を裁断するにも念には念を入れる流儀だったが
  ただ裁決した以上は
  もう何事が起こっても
  気が迷うの、躊躇するのということはなかった」
  ↓↑
 「牧野伸顕」の「大久保 利通」評
 「父はこういう相談には
  頭から反対したり、いけないと言って止めたりはせず
  あまり賛成しない時は
  ただもっとよく考えてみたらよかろう
  と言うのが常であった」
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 秩禄処分(チツロクショブン)
 明治政府
 1876年(明治九年)
 に実施した秩禄給与の全廃政策
 経過措置として公債が支給
 支配層がほぼ無抵抗のまま
 既得権を失った・・・?
ーーーーー
 ・・・???・・・
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