「サロメ=平和」の意味?・・・佐呂女・・・さるめ?

 3033+α日目・文字霊日記
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 キリスト死後の墓参の女性
 ↓↑

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 マルコ16章=マグダラのマリア
       ヤコブの母マリア
       サロメ
       の三人
 マタイ28章=マグダラのマリア
       もう一人のマリア
       の二人
 ヨハネ20章=マグダラのマリアだけ
 ルカ 24章=マグダラのマリア
       ヨハナ
       ヤコブの母マリア
       一緒にいた他の婦人たち
 ↓↑
 イエスの母マリア
 マグダラのマリアベタニアのマリア
 ヤコブとヨセの母マリア
 クロパの妻マリア=イエスの母の姉妹
 ↓↑
 ゼベダイの子らの・・・ゼベダイの妻の
 母の名は
 「マリア・サロメ」・・・ヘブライ語
            「サロメ=平和」の意味?
 ↓↑
 ゼベダイ(Zebedee)=ヘブル語の
           「主の賜物・授けられし物」
 ゼベダイの妻
 「サロメ」・・・Salome
 ↓↑     サロメ(Salome)=さるめ=猿目=猿女?
 ↓↑     ↓↑
        同名の別人は
        オスカー・ワイルドの戯曲の『サロメ
       (新約聖書マタイ伝14章
        マルコ伝6章より)
        1891年フランス語で書かれ
        1893年にパリで出版
 ↓↑     ↓↑
        サロメ
        義理の父は古代
        パレスチナの領主
        ヘロデ・アンティパス
        実母はその妃
        ヘロディア
        養父は
        サロメ=ヘロデ・アンティパスに
        祝宴での舞踏の褒美として
       「好きなものを求めよ」と言い
        サロメの母
        ヘロディアの命により
       「洗礼者ヨハネの斬首」を求めた
        新約聖書には
        サロメの名は記録されていない・・・?
        同名の異人だからか?
       「マリア」=「サロメ」は個人名か?
 ↓↑    「罪深い女」=ヘロディアの娘「サロメ」?
 ゼベダイの妻
 「サロメ」は
 イエスの母マリアの姉妹
 カペナウムの裕福な漁師
 使徒ヤコブヨハネの父
 ヤコブが兄、ヨハネが弟
 ↓↑
 「マグダラのマリア
 「ベタニアのマリア
 「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
 同一人物であるとしたのは
  591年
 ローマ教皇
 グレゴリウス1世(Gregorius I)
  540年?~604年3月12日
  在位は、590年9月3日~604年3月12日
  問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)
  ロマの「パパ」
  問答者聖グリゴリイ(鍵括弧原典ママ)
  大聖グレゴリウスとも
  典礼の整備、教会改革の教皇
 ↓↑
 グレゴリウス13世(Gregorius XIII)
 1502年1月7日~1585年4月10日
 辛酉(庚・ ・辛)⇔乙酉(庚・ ・辛)
 辛丑(癸・辛・己)⇔庚辰(乙・癸・戊)
 癸巳(戊・庚・丙)⇔壬午(丙・ ・丁)
  午未=空亡
 ↓↑
 グレゴリオ暦
 (伊語 Calendario gregoriano
  英語 Gregorian calendar)
 ローマ教皇
 グレゴリウス13世が
 ユリウス暦の改良を命じ
 1582年10月15日(グレゴリオ暦
 から行用されている暦法
 彼は
 1572年
 サン-バルテルミの大虐殺で
 新教徒の殺害を喜び、ミサをあげた
 1585年
 日本からの
 天正遣欧使節
 少年使節たちを謁見
 ↓↑
 グレゴリオ暦
 325年ニケーアの宗教会議
 復活祭の日を決定する必要上
 春分の日を毎年
 3月21日と定めた
 ユリウス暦を使っていたので
 1582年
 には実際の
 春分の日
 3月11日
 になっていたので・・・ズレを修正
 暦改革
 ↓↑
 1582年10月 4日の翌日を
 1582年10月15日とした
 ↓↑
 キリスト降誕(紀元)年数が
 4の倍数の年を閏年とし
 ただし
 紀元年数が
 百の倍数(当然4の倍数)である場合には
 4百の倍数でない限り
 平年とする」と定めた
 ↓↑
 我らの「11日」を返せ
 イギリスの新暦
 新教国であったイギリス
 その殖民地アメリ
 はグレゴリウス暦を拒んだ
 1751年
 イギリスで
 元国務大臣
 チェスターフィールド卿が
 2年にわたって大衆紙や貴族を説得し
 新暦の採用が議会を通過
 その法令により
 1752年から
 1月1日を年の起点とした
 (それまでは3月25日だった)
 旧来の
 ユリウス暦で積み重なった
 誤差を正すために
 9月 2日の翌日を
 9月14日とした
 これで
 1年のなかで「11日」が消えたので
 「我らの11日を返せ」
 という抗議行動が起こった・・・
 「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・
 ↓↑
 聖母マリアの受胎告知の日(3月25日)
 イギリスでは
 3月25日が
 1年の始まりだった
 ↓↑
 1689年2月13日
 名誉革命
 ウィリアム3世
 メアリ2世
 が即位し
 当時は1年の始まりが
 3月25日だったので
 2月13日は
 前年の
 「1688年の革命=名誉革命
 とされる・・・
 ↓↑
 ・・・神殿「売春婦」
    ミュリッタ=新バピロニア王国
   (紀元前625年~紀元前583)では
   「神殿売春」
   「エフェス遺跡は紀元前11世紀
    イオニア(古代ギリシャ)人により建設
    アルテミス神殿を中心にした都市国家
    そこに存在する
   「12000冊以上の蔵書」を有する
   「セルシウス図書館」は
   「アルタミラ神殿」に隣接
    その看板は「足型」
   「この足型より小さい足の人は、売春お断り!」
 ↓↑   
    ヘロドトス
    古代エジプトに存在した「神殿娼婦」を
   『歴史』の中でその慣習を記録
 ↓↑ ↓↑
    首都アテネから北西へ約180km
    デルフィ遺跡
    ギリシア中部パルナッソス山麓にあった
    ポリス(都市国家
    紀元前8~前6年ごろは
    全世界の中心と呼ばれ
   「汝自身を知れ」
   「過ぎたるは及ばざるがごとし」
    の
    予言の神アポロンが崇拝されていた
    神殿北側の丘の上に
    天然の岩山を削って造られた
    円形劇場
    紀元前4世紀に造られ
    2世紀後にローマ人によって復元された
    35段の大理石の階段席    
 ↓↑ ↓↑
    西暦4世紀にキリスト教を奉じる
    ローマ帝国皇帝
    コンスタンティヌス1世
    女神の神殿=イシュタル
          イシス
          イナンナ女神
    を破戒し、キリスト教
 ↓↑ ↓↑
    ヒエロス・ガモス(Hieros Gamos)
    または
    ヒエロガミー(Hierogamy)
    は「聖なる結婚=ギリシア語由来の言葉」
    神婚、聖婚、聖体婚姻
    聖婚=神話や儀礼などの男女二神の交合
       神と人の婚姻
       天の神と地母神の交わり
       男神と女神
       神と人の結婚の祭儀
       中世ヨーロッパで
       修道女=神の花嫁
    語源はギリシャ
    「hieros=holy(神聖な)
        =gamos
        =marriage
        =coupling(婚姻、媾合)
    デーヴァダーシー(Devadasi)
   「神の召使」を意味
    バラタ・ナーティヤム
    オリッシー
    といったインドの伝統舞踊を伝え
    神殿売春を強要される因習の被害者・・・
 ↓↑ ↓↑
   「神聖儀礼」だった「売春」行為、
    売春婦そのものが
   「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
    ではない・・・?
    では、ナニが、ダレが・・・罪深いのか?
   「ヘロディア」と、その娘「サロメ
            ・・・「猿 女」?
 ↓↑
 イエスの母は
 カナでの婚礼の後
 イエスと行動を共にする(ヨハネ2:12)
 カナの婚宴
 (ラテン語: Nuptiae in Cana factae))
 イエス・キリストの最初の奇跡の地
 (ヨハネ福音書2章1-12節)
 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、
 イエスの母がそこにいた
 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた
 カナ(Cana)
 は新約聖書に登場する
 ガリラヤ地方の町の地名である
 ↓↑
 旧約聖書
 アシェル族の町
 カナが記録
 ツロの南東10kmにある現在の「カーナ」
 「ベツサイダ(Bethsaida)」
 新約聖書に登場する町の名前
 「漁師の家」
 という意味の
 アラム語を音訳した地名
 イスラエル共和国の
 古跡「エッ・テル」
 イエス・キリスト
 最初の弟子になった漁師
 アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷
 ガリラヤの町
 イエスは盲人を癒し
 また、町の人々の不信仰に嘆いた場所
 ↓↑
 ヘロデ大王の子
 ピリポが再興
 ↓↑
 皇帝アウグストゥスの娘
 ユリアにちなんで
 ベツサイザ・ユリアス・・・別(捌)歳座(差)
 と呼ばれた町
 ↓↑
 イエス=マリアとローマ兵との間の私生児
ーー↓↑ーー
 バラのナマエ・・・
 「薔薇の名前
 (イタリア語
  原題:Il Nome della Rosa
  イル・ノーメ・デッラ・ローザ)
  ウンベルト・エーコ
 1980年に発表された小説」
 ・・・「薔薇(ばら)の斗の数の命」
 ・・・「紫薇(さるすべり)の斗の数の命」
 ・・・「百日紅の斗の数の命」
 ・・・・バラバラのバラ違い
 ・・・「バラバ=バラバ・キリスト
        =ギリシャ語=Bαραββᾶς
     ラテン文字転写
        =Barabbas」
 ・・・「新約聖書に登場する
     ユダヤ(猶太)人の犯罪者、囚人」
 で、「イエス」の代わりに
 恩赦を受け、釈放された
 ・・・「バラバ=アッバス(父=アバ)+子(バル)」?
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 アッバースアラビア語:Abbās)
 アラビア語の男性名
 アッバスは長母音の省略
 預言者ムハンマドの叔父の名
 バンダレ・アッバース=イランの都市名
 西アジアイスラム王朝
 建国者アブー・アル=アッバースの名に由来
 750年
 ムハンマドの伯父アッバースの子孫
 アブー=アッバース
 ウマイヤ朝を倒し
 クーファで即位
 アッバースアラビア語:Abbās)
 アッバース=「顔つき・表情」
       「厳粛な・厳格な」
       「渋面・獅子」
  ↓↑
 フグ(河豚・鰒・鮐・魨・鯸・鯺)
   =Blow -fish
   =Puffer fish
   =globe -fish
   =グローブ-フィッシュ
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 総督ピラトが過越祭の特赦として
 イエス
 かわり=換・變・替・孵・蛙・代・逓・遞・還・復・歸
 に
 生命(いのち)を恩赦された
 「ユダヤ熱心党の頭目
        首領、首魁、梟首、梟将、
        梟帥=たける=建、党首?」・・・
 ↓↑
 「バラバ」とは聖書には
 ペトロ(彼得)の使徒行伝-第3章14節
         反乱
         強盗殺人の犯罪者
 マタイ(馬太)伝は罪状の記述なし
 マルコ(馬可)伝は暴動時の殺人
 ルカ(路加)伝は殺人
 ヨハネ(約翰)伝は強盗・・・
 ・・・「バラバ・イエス」の「音写」・・・
 「バラバ・イエスは自由の身になった」・・・
 そして、
 「ナザレのイエス
 として
 「死して三日後(金~土~日曜日)に生き返った=復活」
 と、
 マグダレのマリアに吹聴させた・・・
 ↓↑
 「イエス」とは
 へブライ語の
 Yeshua(ョシュア)を
 ギリシャ語で
 Iesous(イレシュア)
 ラテン語
 Iesus(イエスス)
 Yehoshua(ィヱホシュア)
 で、
 「イエス・キリスト
  油を塗られし者・油を注がれし者」
 だが、
 当時の一般的な呼び名は
 「ナザレのイエス
 「ヨセフの子、イエス
 「ナザレの人で、
  ヨセフの子イエス
 であった・・・
 「バラバ・イエス」とは
 「バラバ(父)の子、イエス
 と同意義で・・・
 「バラバ・イエス(マタイ27:16-17)」
 「ユダヤ過激派-熱心党の一員で党首?」
 で、
 「イエス・(キリスト)」とは別人だが
 同名の
 「イエス・(バラバ)」である
 「バラバ」は「マリヤ」と
 ユダヤから逃亡した・・・?
 ・・・故に
 「マグダラ(ダレ)」の
 「マリア」は
 「罪深い女」・・・???・・・
ーーーーー
 正教会の伝承
 イエス磔刑
 生神女聖母マリア
 使徒達とともに
 エルサレム中に
 キリストの
 復活を伝え、その第一の証人となった
 キリスト復活の伝導で、旅し
 ローマで
 皇帝ティベリウスに会い
 紅い鶏卵を献上
 ハリストス(キリスト)の
 復活
 十字架の死
 ピラトによる
 イイスス・ハリストスの
 死刑は不法と皇帝に訴えた
 鶏卵を贈る習慣が
 復活の記憶(復活大祭)に
 鶏卵を贈る習慣が始まった
 ↓↑
 カトリック教会での伝承
 四福音書
 マグダラのマリア
 と特定されていない女性が登場し
 「罪深い女」が
 「マグダラのマリア」と同一視され
 彼女は
 イエスの足に涙を落し
 自らの髪で拭い
 香油を塗った
 図像では
 アラバスター
 香油壺を手にする姿が代表的
 「らい(癩)病人シモン」の家で
 ナルドの香油の入った
 石膏の壺を持った女が
 イエスの足を
 自らの涙の髪で拭い
 香油を塗った
 ↓↑
 伝説のマグダラのマリア
 ヤコブス・デ・ウォラギネの
 『黄金伝説(Golden_Legend)』
 などによれば
 「マグダラのマリア」は
 金持ちの出自で
 美貌
 快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛
 「罪深い女(the Sinner)=娼婦」
 との異名を与えられた
 ルネサンス以降
 「マグダラのマリアの悔悛
  (The Penitent Mary Magdalene)」
 を主題とする絵画、彫刻が多く制作された
 イエス死後
 兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉)
 らとともに
 南仏マルセイユ
 (あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)
 に着き
 晩年は
 サント=ボームの洞窟で隠士生活後、死亡
 遺骸は
 エクス=アン=プロヴァンス郊外の
 サン=マクシマン=ラ=サント=ボーム
 に葬られた・・・
 ヴェズレーの
 サント=マドレーヌ大聖堂には
 キリストの遺骸(頭蓋骨)を移葬したと主張し
 サン=マクシマン側は
 遺骸を保持していると主張
 一部は
 パリの
 マドレーヌ寺院にも分骨・・・
ーーーーー
 John Lightfoot
 (1602年3月29日~1675年12月6日)
 英国の教会員、ラビの学者
 ケンブリッジ大学の副学長
 ケンブリッジ
 聖キャサリン大学の修士
 が
 「マグダラのマリア」は
 「ヘアー・ドレッサー」を意味する
 ヘブル語の
 「メガデラ・ネシャヤ」に由来し
 「身持の悪い女」を暗喩する、と云った・・・
 ↓↑
 「塔」を意味する
 アラム語「ミグダル」
 ギリシア語「マガダン」
 に由来
 彼女の揺るがぬ
 堅い信仰のゆえに名付けられた「ナマエ」
 4~5世紀の神学者
 ヒエロニムスの示唆・・・
 ↓↑
 「マグダラのマリア」と
 「ベタニアのマリア
 は同一人物・・・
 ↓↑
 ベタニア(ヘブライ語
 新約聖書に登場するエルサレム近郊の地名
 マリア・マルタ・ラザロ兄弟の住んでいた土地
 オリーヴ山の南東麓にある
 パレスチナ人の村
 アル=エイザリヤ(al-Eizariya)
 ↓↑
 ヨルダン川対岸の
 ベタニア(アル・マグタス)
 1138年
 十字軍により作られた
 エルサレム王国の女王
 メリザンド(フールク・ダンジュー王妃)
 がこの地に修道院を創立
 メリザンドはここで没し
 孫娘の
 シビーユ
 もここで育った
 ↓↑
 ベタニア(Bethany)=ベタバラ(Bethabara)
 「士師記7:24」の
 「ベト・バラ(Beth-barah)」
 「ヨシュア記18:22」の
 「ベト・アラバ(Beth-arabhah)」
 と同じ
 ベタニア(Bethany)=パレスチナ地方の
            古都エルサレム近郊の地名
 ヘブライ語
 「病む者の家・貧困の家」という意味
 ↓↑ 
 イスラエル
 オリーブ山の東斜面
 エルサレム‐イェリコ街道沿いにある村
 マルタとマリアの両姉妹と
 その兄弟
 ラザロの故郷
 死んで墓に葬られていたラザロを
 イエスが生きかえらせた場所
 病のためラザロ死去し
 その4日後
 布教先から帰ったキリストが
 墓の前で祈り呼びかけると
 蘇生した
 (ヨハネによる福音書・11・ラザロの復活)
 さらに
 復活したイエスの昇天の場所
 (ルカによる福音書・24:51)
 当時の名前
 ラザリウム=Lazariumは
 現在の村のアラビア語
 アザリエ=al‐Azarieh
 ↓↑
 ヘブライ語=ベイトハニヤ
 アラビア語=アイザリーヤ
 エルサレム近郊の
 オリーブ山東麓にある小村
 村には
 ラザンとその姉妹
 マルタと
 マリアの家
 癩者シモンの家
 などがあり
 イエスがそれらの家を訪れた場所
 3世紀には聖堂が建設
 1967年まではヨルダン領で
 「六日戦争」以後
 イスラエルの占領地
ーー↓↑ーー
 マグダラ (Magdala) ・・・「ラリルレロ」・・・
 ↓↑
 タルムードにおいて
 ミグダル・ヌナヤ(「魚の塔」)
       ・・・・魚を問う?・・・
      ヌナヤ=ヌ名哉=のナカ?
 イスラエルガリラヤ湖北西岸に位置する
 古代におけるガリラヤの都市の一つ
 現在の
 ミグダル(Migdal)=マグダラ (Magdala)
 ↓↑
 「マグダラ(ダレ)」の「マリア」は
 恐れながらも
 大いに喜び、
 急いで墓を立ち去り、
 弟子たちに知らせるために
 走って行った
 (マタイ福音書28章8節)
 ↓↑
 そして、墓から帰って
 十一人と
 他の人、皆に一部始終を知らせた
 それは、
 マグダラのマリア
 ヨハナ
 ヤコブの母マリア
 そして一緒にいた
 他の婦人たちであった
 (ルカ福音書24章9-10節)
 ↓↑
 「使徒たちへの使徒
  (the Apostle to the Apostles)」
 マグダラのマリア
 (ラテン語: Maria Magdalena)は
    ・・・Magdalena=マグダレ名?
 新約聖書中の
 福音書に登場
 イエスに従った女性
 マリヤ・マグダレナ
     マグダレナ=マグダレーナ(Magdalena)
     ヨーロッパ系の女性名
     マグダラのマリアに由来
     異形に
     マグダレーネ(ドイツ語)
     マドレーヌ(フランス語)
     マッダレーナ(イタリア語)
     マグダ (Magda)
     マグダラのマリアに由来
     マグダレーナ (Magdalena)
     マグダレン (Magdalen)
     マドレーヌ (Madeleine)
     マデレーン (Madeleine)
     マッダレーナ (Maddalena)
     等は同根
     マリリン (Marilyn)
     は
     マグダラのマリア
     メアリー・マグダレーン(Mary Magdalene)
     と
     リム(lym)=リンダ(Linda・Lynda)
     との合成
     マグダレナ・ソフィア・バラ
     (1779/12/13~1865/5/25)
     己亥(戊・甲・壬)⇔乙丑(癸・辛・己)
     丙子(壬・ ・癸)⇔辛巳(戊・庚・丙)
     丙戌(辛・丁・戊)⇔戊戌(辛・丁・戊)
     午未=空亡
     1800年にフランスで創立
         女子修道会、聖心会
 ↓↑ ↓↑
     マドリード(スペイン)
     マグダレナ川=コロンビア西部の河川
     (スペイン語Rio Magdalena)
     マグダレーナ県=コロンビア北部の県
 ↓↑ ↓↑
    小西行長の母=ワクサ
    洗礼名は
    マグダレーナ、マグダレナ
    小西ワクサ=豊臣秀吉正室・おねの侍女
    大阪城
    豊臣秀吉の側室などを取り仕切っていた
    小西行長の父・小西隆佐=堺の豪商
    1585年、羽柴秀吉に仕えた
    ・・・マグダレナ
       馬具拿例名?
       眞愚誰 名?
 ↓↑ ↓↑
 正教会カトリック教会・聖公会で聖人
 正教会では
 携香女(ケイコウジョ)
 亜使徒(アシト)
 の称号をもつ聖人
 ↓↑
 香油の入った壷を持った姿で描かれ
 これは
 墓にあると思われていた
 イエスの遺体に塗るために
 香油を持って墓を訪れた
 との聖書の記述に由来・・・
 「携香女(ケイコウジョ)」
 の称号もこれに由来・・・
 マグダラのマリア
 イエス・キリスト
 十字架につけられるのを見守り
 イエスが埋葬されるのを見つめ
 そして墓の方を向いて
 座っていた婦人たちの中で
 一番重要な人物・・・と、された・・・
 ↓↑
 マグダラのマリア
 聖人とする
 西方教会カトリック教会、聖公会)の
 記念日(聖名祝日)は
 7月22日・・・蟹(解+虫=かに・カイ)座の最終日
 ↓↑
 正教会では
 8月4日
 携香女・亜使徒として記念
 記憶
 (7月22日・・・蟹(解+虫=かに・カイ)座の最終日)
 記憶日に加え、
 復活祭後
 第二主日
 「携香女の主日
 ↓↑
 マグダラのマリア
 イエスの死と復活を見届けた証人
 西方教会では
 教義上
 「悔悛した罪深い女」・・・
    ・・・ナニを「悔悛し、罪深い女」とされるのか?
 とした
 東方教会正教会)では
 マグダラのマリア
 「罪深い女」ではない・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 勿論、磔刑にされた
 「イエス・キリスト」は
 「ユダヤ穏健派-熱心党の一員」だった・・・
 思想家は殺される・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・