「タカみ」の「見物」・多寡診・鷹見・・・登美能那賀須泥毘古?

 3031日目・文字霊日記

 コロナ・ヴィ・・・?
 集団自滅か・・・集団他滅か・・・ジュミョウの枠内の幻滅
 「たかみ(高見)」の「見物」が出来たヒトも・・・イズレはイナクなる・・・?

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 「石上麻呂」の歌碑
 「吾妹子を
  去来 見山を高みかも
  大和の見えぬ國遠みかも」・・・「石上 振る」?
 三輪朝臣
 「高市麻呂」が持統天皇の伊勢行幸を諫めた・・・?
 「潮みたば
  いかにせむかと
  わたつみの
  神が門(と)わたる
  あま処女(おとめ)ども
  巻7-1216」
 「土佐」へ流刑・・・土佐高知・・・紀貫之坂本龍馬一言主
  地名に
 「物部川」=高知県香美市の白髪山が水源
       大小の支流34の河川を合わせつつ土佐湾に注ぐ
       高知県中部を流域とし
       南国市、 香南市香美市をまたぐ
       流域面積508平方キロメートルの河川
       古くは「鏡川
      「土御門」上皇が流刑
           ・・・土佐院=阿波院
              建久九年一月十一日
              (1198年2月18日)
              父・後鳥羽天皇の譲位により
              三歳で践祚
              三月三日(4月10日)即位
              承久三年(1221年)
              承久の乱
             「後鳥羽・順徳」
              vs
             「北条時政・政子・泰時」
       流刑先の畑(幡多郡)から
       阿波国へ移った途中で
       物部川を見て現地の人に
      「ここはどこか」と尋ね
      「かがみの」と答えたから、とか・・・
       香美郡南部、物部川下流右岸の地に
      「物部郷」
       旧三島村一帯(南国市物部付近)が郷域
       田村遺跡群=縄文時代弥生時代・古代・中世・近世
       高知県南国市田
 「安芸市」=高知県安芸市矢ノ丸一丁目
 「日下」駅=高知県高岡郡日高村本郷
  ↓↑
 「日下茂兵衛(茂平)」=日高村の鍾乳洞「 猿田洞」で修業
 「日下村(日高村)」で生まれた義賊・・・忍者?
 「坂本龍馬」の祖父
 「才谷屋六代目
  八郎兵衛直益(はちろべえなおます)」の
 「巡水日記」に記録・・・
 ・・・何故か「古事記・古代史」に関係する地名・・・
 「土=十+一
  佐=人+左(よこしま)
    イ+ナ+エ
    ヰ 名 ヱ
    い+な+え
    ゐ 奈 ゑ
 ↓↑     ↓↑
 常呂町土佐=北海道北見市の町字
       旧常呂郡 常呂町 土佐
       地名由来 高知県人の入植地
  ↓↑
 「山内 一豊」
 土佐山内氏、土佐藩初代藩主
 家紋は
 「三つ柏紋」・・・柏=木+白
          紋=糸+文
 十五代
 「山内 豊信(容堂)」は
 「吉田 東洋」を起用
 東洋は保守派門閥郷士の反感を買い
 「武市 瑞山」の
 「土佐勤王党」によって暗殺
 「勤王党」は実権回復した
 「容堂(豊信)」によって
 弾圧解散
 上士勤王派から
 「板垣退助
 東洋の門下から
 「後藤象二郎
 「岩崎弥太郎
 「坂本龍馬
 「中岡慎太郎
 などが輩出
 容堂が
 十五代将軍
 「徳川慶喜」へ献策した
 「大政奉還」で江戸幕府は終焉
 土佐藩薩長土肥の一角をなした・・・
 ↓↑
 「石上麻呂」の歌碑
 「吾妹子(わぎもこ)を
  いざ見の山を
  高みかも
  大和(やまと)の見えぬ
  国遠(とほ)みかも」
      去来=ゆきき・往来・過去未来・巡るべく想い=憶い・追憶
 ↓↑
 高見山=標高 1,249m・・・1+2+4+9=16
     東海・北陸・近畿:高見山地 奈良県三重県の県境に存在する
     国道166号線
     木津(こつ)トンネルを出ると視界に入ってくる
     台高山脈の北端、吉野郡東吉野村
             宇陀郡御杖村
             三重県松阪市(旧飯南郡飯高町)の境に位置
     寛政六年(1794年)十月十一日
     本居宣長・・・「古事記傳」作者
     が山頂で
     「白雲に峰は隠れて高見山 見えぬ もみちの色ぞ ゆかしき」
                      紅葉・黄葉・椛・栬
                      樅地・揉み字・模見字
     「白雲に峰は隠れて高見山 見えぬも みちの色ぞ ゆかしき」
                     「道・路・途・未知」史記
                             床 敷
                             瑜掛詞記
                             由夏氏記
     と詠(よ)み、歌碑は「高見峠」に建つ
     山頂には「高角神社」
    「石上麻呂」の歌碑
 ↓↑   ↓↑
     大華上
     「物部 宇麻乃(宇麻呂・宇麻子・馬古)」の子
     「壬申の乱(672年)」
     「大友皇子(伊賀皇子・弘文天皇)」
     の側につき、皇子の自殺まで従った
     後に赦された
     天武天皇五年(676年)十月十日
     遣「新羅大使」
     法官の仕事につき
     筑紫総領
     大宝元年(701年)
     大納言
     大宝二年(702年)八月十六日
     63歳
     大宰帥
     大宝三年(703年)閏四月一日
     64歳
     「阿倍御主人」を弔問
     慶雲元年(704年)一月七日
     65歳
     右大臣
     和銅元年(708年)
     69歳
     一月十一日
     正二位
     左大臣
     以後
     太政官の最高位者
     霊亀三年三月三日(717年4月22日)
     死去     78歳
     兄弟 豊庭
     子   東人・勝男
         乙麻呂(弟麻呂)
 ↓↑       ↓↑ の子は
           「石上宅嗣
           天平十八年(746年)
           中止となった
           第十一次
           遣唐使の大使に任命
           芸亭院(うんていいん)
           9世紀初頭の
           天長年間まで存続していた
           図書館の開設者
 ↓↑       ↓↑
         諸男・大島
         国盛(女)
 ↓↑       ↓↑
 「穴穂部皇子(あなほべ の みこ)」
 用明天皇2年6月7日(587年7月17日)
 欽明天皇の皇子
 母 蘇我稲目の娘
   小姉君
 聖徳太子の叔父
 穴穂部皇子≠穴穂皇子・・・「部(べ)」の有無だが・・・?
  ↓↑
 「穴穂天皇(あなほ の すめらみこと)」
 穴穂皇子(あなほのみこ) - 『日本書紀
 穴穗御子(あなほのみこ) - 『古事記
 雄朝津間稚子宿禰天皇允恭天皇
 の第二皇子
 母 稚渟毛二派皇子の女
   忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)
   木梨軽皇子の同母弟
   大泊瀬幼武天皇雄略天皇)の同母兄
   石上穴穂宮
  「根使主」・・・何故、「坂本の祖」?・・・坂本龍馬
   の讒言で
   おじ(大鷦鷯天皇仁徳天皇)の皇子)の
   大草香皇子を誅殺
   その妃であった
  「中蒂姫」を皇后にし
   翌年八月九日
   皇后の連れ子
  「眉輪王(目弱皇子)」に暗殺された
  ↓↑
 「木梨の軽い皇子」と「姫」
 『古事記
 允恭二十三年
 立太子
 同母妹の
 「軽大娘皇女」と奸係
 允恭天皇崩御後に廃太子伊予国へ流刑
 あとを追ってきた
 「軽大娘皇女」と共に自害
 (衣通姫伝説)・・・何時迂
 『日本書紀
 允恭二十四年
 軽大娘皇女が伊予国流刑
 允恭天皇崩御四十二年
 「穴穂皇子」によって討たれた
 ↓↑   ↓↑
 ・・・「万葉仮名」・・・?・・・
 「音=立+日
   =亠+丷+一+日
   =亠+䒑+日
   =おと・ね・オン・イン」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「木梨の軽皇子」・・・輕王子=孝徳天皇
            輕皇子=文武天皇
            珂瑠皇子
  ↓↑
 「阿志比紀能・・・・・あしヒキの
  夜麻陀袁豆久理・・・ヤマダをツクリ
  夜麻陀加美・・・・・ヤマダかみ
  斯多備袁和志勢・・・シタビをワシセ
  志多杼比爾・・・・・シタトいに
  和賀登布伊毛袁・・・わがトフいもヲ
  斯多那岐爾・・・・・したナキに
  和賀那久都麻袁・・・わがナクつまヲ
  許存許曾婆・・・・・こぞこそバ
  夜須久波陀布禮・・・やすくハダふれ」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「佐佐婆爾・・・・・・ササバに
  宇都夜阿良禮能・・・うつやアラレの
  多志陀志爾・・・・・たしダシに
  韋泥弖牟能知波・・・いでテムのチは
  比登波加由登母・・・ひとハカユとも
  宇流波斯登・・・・・うるワシと
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ
  加理許母能・・・・・かりコモの
  美陀禮婆美陀禮・・・ミだれバみだれ
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流乃袁登賣・・・・カルのオトメ
  伊多那加婆・・・・・イタなかバ
  比登斯理奴倍志・・・ヒトしりヌべし
  波佐能夜麻能・・・・ハサのヤマの
  波斗能・・・・・・・ハトの
  斯多那岐爾那久・・・シタなきにナク」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流袁登賣・・・・・カルオトメ
  志多多爾母・・・・・したたにも
  余理泥弖登富禮・・・よりねてトほれ
  加流袁登賣杼母・・・カルオトメども」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 コロナ・ヴィルス・・・「コロナ・ヴィナス」・・・?
 集団自滅か・・・集団他滅か・・・
 ジュミョウの枠内の個的幻滅か・・・
 「いきもの係」のカミさまも、ホトケさまも大変だけれど・・・
 「六壬神課」・・・「寿命尽きるサイクル」・・・「ヘンザイ」?
   六壬式=玄女式・・・六=亠+八・・・・音波
             壬=千+一・・・・亘一
               ノ+十+一・・・辺津の壹拾壱
 「六壬神課」・・・「理句訊新化」?
    ・・・質問を受けた「即時」の「時」を基準に
      「質問の吉凶」を占う占術
 が
 女神
 九天玄女娘娘(きゅうてんげんにょ)
 から伝えられた
 「玄女=黒い女」・・・「北方の女」
 戦術と兵法を司る女神
 「人首鳥身」の姿
 ↓↑
 素女
 黄帝(BC2510? ~BC2448?)
 の侍女
 『山海経』「海內經」(BC4C~AD3C)
 「素女は黒水の都広の出身」
 楊慎(1488~1559)
 「都広」=四川省成都
 張衡(78 ~139)
 「同声歌」という詩(100)
 初夜の花嫁が
 素女の教えである春画に従って
 性交に挑む描写
 春画の別名の一つとして
 「素女図」・・・
 ↓↑
 『史記』卷二十八「封禪書第六」
  二五弦の琴の起源譚
 「素女が五十弦の琴を奏でたところ
  その音色は太帝の心を動かした。
  あまりに悲しくなった太帝は
  二十五弦の琴に変えさせた」
 ↓↑
 「白水素女
 別人
 陶淵明(365~427)撰・『捜神後記』巻五
 「白水素女」という人物が登場
 「タニシ=田螺」の精

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 レミング(Lemming・旅鼠)
 和名
 タビネズミ(旅鼠)
 哺乳綱
 ネズミ(鼠)目
 キヌゲネズミ(絹毛鼠)科
 ハタネズミ(畑鼠)亜科
 レミング族の動物の総称
 体長7~15cm
 体重30~112グラムほど
 長くてやわらかい毛
 非常に短い尾
 草食、草やコケ(蘚・苔)、小枝などを食べる
 門歯が永久に伸びつづける
 食欲旺盛
 毎日体重の約1.5倍ほどの餌を食べる
 冬眠はせず
 雪に穴を掘って巣を作り
 雪の下にある餌や蓄えておいた草を食べて過ごす
 オス・メスともに
 縄張りを持ち
 繁殖のための短い期間を除けば
 単独で行動する

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 3~4年周期で
 個体数が急激に増減する
 餌の不足や天敵による捕食が原因
 個体数が大増加すると
 集団移住を始める
 天敵は
 ホッキョクギツネ(北極狐)
 シロフクロウ(白梟)
 オコジョ(白鼬・山鼬鼠)
      ネコ目(食肉目)イタチ科
      別名
      ヤマイタチ(山鼬)
      くだぎつね(管狐)
      エゾイタチ(蝦夷鼬)
 イイズナ(飯綱)
 など

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 「レミング集団自殺
 スカンディナビアでは
 「集団で海に飛び込む」という伝説
 16世紀頃までは
 「雲の中から自然発生する」
 1555年
 スウェーデンの文献に
 「雲から生まれる」ことを示唆する木版画
 「集団自殺をする」は
 誤解・・・
 集団移住で一部の個体が
 海に落ちて溺れ死ぬことはあるが
 自殺ではなく事故
 レミングは泳ぎがうまく
 集団移住の際に川を渡ることはよくある
 ↓↑
 周期的に大増殖と激減を繰り返し
 集団移住の後
 激減するので誤解された
 レミング,旅ネズミ
 (異常繁殖すると集団移動して
  湖・海で大量に死ぬ)・・・事故であり自殺ではない・・・?
 like lemmings. 副詞. 盲目的に他をまねて
 ↓↑
 種の保存のため
 繁殖力が高い
 昆虫類や群集性魚類において
 大発生と減少を繰り返す習性がある
 (サバクトビバッタイワシ

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 「レミング」族・・・
 「礪(砺・呬)民愚(民具・観亡求)族」?
  礪=石+萬(万)=とぐ・レイ=磨・研・厲
          =砥=石+氐
            =石+氏+一
           とく=解く・説く 
 ↓↑
 牡蠣(かき・レイ)=蠣・蛎
 ・・・切羽詰まったら・・・ドウする・・・
 逃げるコトが出来ない・・・覚悟する・・・
 「一点突破」はあるか・・・
 ワル足掻きか、往生際が悪いか・・・
 窮鼠、猫を噛む・・・
 道連れ(みちづれ)・・・
 死なば 諸共・・・
 ↓↑
 切羽
 日本刀の鍔(つば=柄や鞘に接する部分)の
 両面に添える薄い楕円形の金物
 これが詰まると刀が抜けなくなる
 窮地に追い詰められた時
 切羽が詰まると
 逃げることも
 刀を抜くことも出来なくなる・・・?
 抜刀出来ないのは
 鞘(さや)が詰まる
 鞘と刀身の問題で「合い口」の問題・・・「匕首」の痙攣?
 為す術が無くなる・・・
 「切羽を詰める」
     握柄(つか)と刀身を
     堅く固定する為
     楕円形で
     穴の開いた金物部品二枚を
     鍔の両面に嵌め込み
     使い勝手が良くする
 「切羽詰まる」・・・狭鍔・副鍔・・・?
        切迫する・・・
        切刃(白刃)が抜けない(詰まる)           
ーーーーー
 ・・・「万葉仮名」・・・?・・・「いも」&「つま」
 「音=立+日
   =亠+丷+一+日
   =亠+䒑+日
   =おと・ね・オン・イン」
  ↓↑
 「阿志比紀能・・・・・あしヒキの
  夜麻陀袁豆久理・・・ヤマダをツクリ
  夜麻陀加美・・・・・ヤマダかみ
  斯多備袁和志勢・・・シタビをワシセ
  志多杼比爾・・・・・シタトいに
  和賀登布伊毛袁・・・わがトフいもヲ
  斯多那岐爾・・・・・したナキに
  和賀那久都麻袁・・・わがナクつまヲ
  許存許曾婆・・・・・こぞこそバ
  夜須久波陀布禮・・・やすくハダふれ」
  ↓↑
 「佐佐婆爾・・・・・・ササバに
  宇都夜阿良禮能・・・うつやアラレの
  多志陀志爾・・・・・たしダシに
  韋泥弖牟能知波・・・いでテムのチは
  比登波加由登母・・・ひとハカユとも
  宇流波斯登・・・・・うるワシと
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ
  加理許母能・・・・・かりコモの
  美陀禮婆美陀禮・・・ミだれバみだれ
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ」
  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流乃袁登賣・・・・カルのオトメ
  伊多那加婆・・・・・イタなかバ
  比登斯理奴倍志・・・ヒトしりヌべし
  波佐能夜麻能・・・・ハサのヤマの
  波斗能・・・・・・・ハトの
  斯多那岐爾那久・・・シタなきにナク」
  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流袁登賣・・・・・カルオトメ
  志多多爾母・・・・・したたにも
  余理泥弖登富禮・・・よりねてトほれ
  加流袁登賣杼母・・・カルオトメども」
ーーーーー
 「つ」+「ま・み・む・め・も」+「る」
  ↓↑
 「つみ」って・・・
 「摘み・積み・抓み・抓み」モノ・・・
 「辠・辜」ッて・・・ナニ?
  辠=自+辛=罪の正字
    ザイ・つみ
  辜=古+辛=磔刑
    コ
    つみ・はりつけ・そむく
    とが・重いつみ
    「無辜・辜負」
    ひとりじめにする
    「辜較」
  ↓↑
 「煩悩(ボンノウ)=108」、全部・・・
 ハァ、ハァ~ん、ッ・・・
 これじゃァッ「生きる余地」がない
 目指すは「涅槃」・・・
 「自暴自棄」じゃない
 「ネハン(値拌)」・・・
 「攪拌(カクハン・コウハン)」・・・?
ーーーーー
 八つの枢要罪
 「暴食・色欲・強欲・憂鬱・憤怒・怠惰・虚飾・傲慢」
 6世紀後半
 グレゴリウス1世により、八つから七つに改正
 「虚飾」は「傲慢」、
 「憂鬱」は「怠惰」へ一つの大罪となり、
 「嫉妬」が追加
 13世紀のトマス・アクィナス
 七つの大罪
 「暴食・色欲・強欲・憤怒・怠惰・傲慢・嫉妬」
 七つの枢要徳(cardinal virtues)
 「知慮・思慮・知恵(wisdom)
  勇気(courage
  節制(temperance)
  正義(justice)
  ↓↑
 プラトンの『国家』
 国家にも
 個人にも
 共通して持たれるべき徳目
 四元徳
 『プロタゴラス』では、
 四元徳に「敬虔」も加えてた
 『ゴルギアス』でも
 四元徳に「敬虔」を加えて言及
 「国家の正義」
 「節制」を主題は
 『カルミデス』
 「勇気」を主題に
 「リュシス」
 「敬虔」を主題に
 『エウテュプロン』
  ↓↑
 キリスト教
 四元徳に、
 信仰 (faith)
 希望 (hope)
 無償の愛 (ἀγάπη=アガペー・charity・love)
 で「七元徳」・・・
 と対比する形で
 七つの「枢要罪」をあげた
  ↓↑
 マハトマ・ガンディー
 1925年10月22日・・・・1925年10月22日?
 に雑誌『Young India』に
 「七つの社会的罪(Seven Social Sins)」
 として
 理念なき政治(Politics without Principle)
 労働なき富(Wealth without Work)
 良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
 人格なき学識(Knowledge without Character)
 道徳なき商業(Commerce without Morality)
 人間性なき科学(Science without Humanity)
 献身なき信仰(Worship without Sacrifice)
  ↓↑
ーーーーー
 「自由」とは「選択の自由=否選択の自由」である・・・
 「公共(電気・水道・瓦斯・電話)契約料金」が払えなくなれば
 「電気流・水道水・ガス供給・電話回線」は「止められる」・・・
 「NHK視聴契約料金」が払えなくなれば
 「電波を止める」のが「相互契約の鉄則」ではないのか・・・
 「電波を止める」のが・・・「自由相互選択契約」の鉄則・・・
 「相互の自由契約」とは「需要=供給」の枠でのみ成り立つ
 勝手に「電波垂れ流し」で料金をカツアゲするな・・・
  ↓↑
 「自由」とは「選択の自由」であるから
 「選択するモノがアルこと」が前提条件であり、「選択出来る余裕がアルこと」が前提条件である・・・コレらは現実的にアルのか?・・・「開拓民・移民」には荒れ地を開墾し、その土地私有の未来があった・・・「産業労働者」には労働力不足の工場があり、都会で飯も喰えた・・・源泉の殆んどは「貧農」からのアブレ者か、かっての「下級武士」・・・
 社会生活は「需要供給」の市場バランスでなりたっているが、常に「50(fifity)、50(fifity)」であるとは限らない・・・勿論、「職業」に於いても・・・個々人の日常生活は原則的には「衣食住の使用価値」の中でのみ存在する・・・家族での生活も原則的には「衣食住」の維持である。だが、それらのバランスは「状況・環境」次第である・・・
 「需要供給」がアンバランスと云うコトは「競争」での「自己保存」が鉄則である・・・「衣食住=イショクジュウ=異植樹?」は「社会的な公平」を保障しない・・・
 「競争社会」では「競争相手」は相互に「敵」となるのは当然である。その「出発点」は「家族形成」の
 「両親→子供(兄弟姉妹)→分離独立での新たな家族形成」、
 競争相手はその枠内(親族間)での「相続」を巡っての
 「自己保身・自己権力」の拡大で、
 「敵」となったモノを
 排除していくのは「必然?」である・・・
 ・・・「カイン(農耕者・兄)」は「アベル(放牧者・弟)」を殺害したが「鍛冶屋=青銅器、鉄器の武器製造者」になるコトで「命」は保障された・・・「武器」は「放牧者の復讐・襲撃」から身を守ったのだ・・・
 トラブルは「兄弟姉妹」の近縁から始まるのが常套で、「父親からの権力継承」問題である・・・その拡大が、共同体同士の争いへ発展する・・・国家間の戦争はその延長線上にあり・・・共同体防衛目的が「国家権力者のエゴ」となり、「inspire(イン-スパイアー)=鼓舞・,激励」され、侵略、殺傷、略奪を始める・・・
 だが、「社会的人間」は歴史的にこれからの「解放」を模索し続けてきたのだ・・・
 「人間」であることは「老若男女」、「体力・能力・資質」が異なっても「相互に、社会的に公平な立場で協働、共存」で「寿命」まで、平安に生きていくべき存在である、と、考えてきた人間もいたし、いる・・・「実現」は「人間同志の意識」次第だが・・・「Citizenシチズン」=「プチブル意識」ではムリかも・・・
 「質が済む」・・・デスか・・・
 「働かないアリの存在」は「社会的公平な役割分担の一員」であろう・・・状況次第では「働く存在なのである」・・・
 ↓↑
 以上は5年前の
 2017年01月11日17:32
 に書き込んだ
 「兄カイン(鍛冶屋)と、弟アベル(息)」・・・
 からの抜粋添付・・・
ーーーーー
 ・・・