「宀(うかんむり)」の「コウサツ」・・・「ワ冠・キン冠」って・・・?

 3005日目・文字霊日記
 蓏=草+㼌=ウリ科の実の総称・・・売り掛の創傷?
 ウカンムリ・・・有菅無理・・・烏韓武利・・・得漢無理(武利・夢理)・・・
 「宀(うかんむり)」の「コウサツ」・・・「ワ冠・キン冠」って・・・?
 「ムチ」では「ワカン」は「ムリ」だろう・・・「キンカン」はドウ?
 「冖」=上から物を「おおう=覆」様子の様態字・・・
     覆い被(かぶ)せる象形字
     布などで物を覆う象形字・・・
    ・・・「冃」は頭巾だが・・・字形は覆面・・・
     防空頭巾=水に濡らして米空軍の
         「空襲の焼夷弾」の火の粉から身を守った?
     怪傑黒頭巾⇔鞍馬天狗の頭巾・・・?
     覆う・被う・蔽う・蓋う・掩う⇔大生
     (おおう⇔おほう⇔おうう=奥羽?)
     あるものが一面に広がりかぶさって
     その下のものを隠す
     ・・・裏日本・東北・・・
     ここ北海道では連日大雪大吹雪で玄関が塞がれ
     朝から夕方まで雪掻き、除雪で腰痛・・・
     樺太満州・アラスカ・ニューヨークも豪雪情報
     ミヤンマーでクデター・・・
     シベリア・・・抑留日本人(1945年~)・・・
     日露戦争(1904~05年)でのロシア兵
     約7万2千人は
     日本の捕虜になることを喜んでいた・・・
     証拠写真はワンサカある・・・
    「スターリン主義者」も
    「毛沢東主義者」も
    「現実・人間社会主義者」ではない・・・
    「人間公平社会協同体」を追求するヤツラでもない・・・
    「プチブル自己保身官僚意識」の
    「策略戦術、トラップ至上主義者」・・・
     ナワバリ社会を
     義理、人情、任侠、掟で維持している
    「ヤクザ」以下の輩・・・?
     当然、事実隠蔽、虚偽宣伝、
        人権無視、政治的代謝の抹殺粛清
        生産物搾取、
        私有、公共財産の強奪・・・
     ↓↑
     高山山脈を
     覆う「氷雪」
        氷高=元正天皇=新家(にいのみ)?
        日本根子高瑞浄足姫天皇
             瑞=みず=瑞祥⇔瑞光・随行
             瑞雲・瑞象・瑞相・瑞兆・奇瑞
             瑞西=スイス
             瑞典スウェーデン
             瑞獣・瑞鳥・瑞穂
             瑞皐(ズイコウ)=高野長英
          久坂玄瑞=諱は通武(みちたけ)の
          配偶者=杉 文=吉田松陰の妹は
          楫取素彦錦鶏間祗候正二位勲一等男爵
               通称 久米次郎or内蔵次郎
               小田村家の養嗣となって
               小田村伊之助(おだむら いのすけ)
               文助→素太郎と改名
               慶応三年(1867年)九月
               藩命により・・・ナゼ?
              「楫取素彦」と改名
               諱 希哲(ひさよし)
               字 士毅
               号 耕堂彜堂・晩稼・棋山
                 不如帰耕堂
          と再婚し・・・楫取素彦の前妻は
                「文」の姉「寿」   
         「文~美和子」と改名
          天保十四年(1843年)
          杉百合之助(常道)の四女
         「文」と名付けられた
          叔父の松下村塾創立者
         「玉木文之進」の
         一字「文」を与えられた名・・・?

         宝冠・押木珠縵(おしきのたまかつら)を
        「根使主(坂本の祖)」・・・坂本竜馬
         が詐取し
        「大草香皇子」は
         安康天皇
        「草香幡梭姫皇女=若日下姫」
         と
        「大泊瀬稚武皇子(雄略天皇)」の結婚を
         拒否したと虚偽の報告(誣告)した
         大日下王=大草香皇子は殺され
         彼の妃
        「長田大郎女(ながたのおおいらつめ)
         中磯皇女(なかしのひめみこ)
         中蒂姫命(なかしひめのみこと)
         長田大娘皇女(ながたのおおいらつめのひめみこ)」
         は
         安康天皇の「皇后」となった・・・ナゼ「皇后」?
        ↓↑   
        日下=草加・草香・孔舎衙
        日下部=草壁・草加部・久坂部
            苅部⇔草薙=草彅
            天叢雲剣
         (あめのむらくものつるぎ
          アマのむらくものつるぎ
          あめのむらグものつるぎ
          アマのむらグものつるぎ)
            草薙剣( くさなぎのつるぎ)
            草那藝之大刀(くさなぎのたち)
        ↓↑
        元正天皇
        未婚・十八歳
        680年(天武天皇九年)
        ~
        748年5月22日(天平二十年四月二十一日)
        第四十四代天皇
        在位
        715年10月3日(霊亀元年9月2日)
        ~
        724年3月3日(養老八年二月四日)
        父 草壁皇子
        母 元明天皇=阿閉
        文武天皇=軽(珂瑠)の姉
     山陸を覆う「雲・霧・靄・霞」
     海底、湖底、沼底を覆う「塩水・淡水」
     ・・・事実を隠蔽する損得利害、利権関係者・・・
     顔をベール(veil)、マスク(mask)
     で蔽う強盗・・・cowboy・・・
     outlawはアメリカ映画でも現実でも「英雄」である・・・
     公開機密文書の黒塗り・・・
     black‐lacquered・・・black‐painted
            ・・・paint⇔Paineの徒ってダレ?
     シート(sheet)で被うベット(Bet・寝台・寝床)
     sheetをカケるtable・・・
         seat・seaと・seeと・し~と・・・
     冪=冖+幕・・・幕(府)を覆う「ワ」
            curtainを
            蓋(tcover, hide, conceal)う
            輪(ring)
        
            The Man Who Shot Liberty Valance
            リバティ(リバティー
                 liberty    valance
                 liverty    balance
            valance=寝台・天蓋などの
            垂れ布、飾りカーテン
            窓の上部の上飾り、金具おおい
            balance=天秤・平行棒・担ぎ竿
                 量り・均衡・調和
                 吊り合い
                 心の安定、落ち着き
                 残高
                 バランスシート
                (balance seat)
                 バッタンコ=添水(獅子おとし)
                 シーソー(Seesaw)
                 縫うのを見よ・鋸を見よ
                 上下、押し挽きの繰り返しの動作を観よ
                 see saw seen=見る見た見てしまった
            離馬蹄場亂走・・・?

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       おおう・おおい
       「冪冪」・べき・同じ数の相乗積・冪数
            冪乗・累乗
      『周髀算経=句股冪 合以 成 弦冪』
            ピタゴラス(Pythagoras)の定理
            直角三角形の2辺が A とB で斜辺がC のとき
            A²+B²=C²が成り立つ
     幎=とばり・死人の顔をおおう布
     などの原字
 ↓↑
 字=宀+子
   宀+了+一
   ジ
   シ
   あざ・・・・痣=疒+士(十一)+心
   あざな・・・痣名=斑点=王+文+王+ト+口+灬(烈火)
                     心=㣺=忄=志
   文字・ことばを書き記す記号 
   あざな・成人した後に実名のほかにつける名
   やしなう・そだてる・はぐくむ
   日本で
   あざ・町村内の小さな区画
   宀=ベン・・・冖=ベキ・・・冪・絲・汨・・・覛
            覛=ベキ・バク・ビキ・ミャク
              よく見る・じっと見詰める
              もとめる・凝視
              厂+𧘇+見
              𠂢+見・・・𠂢⇔爪・瓜
                 派遣・派閥・山脈
                 鎃=金+派
                   金+氵+⺁+𧘇
                   異体字「䤨」
                   装飾、装身具
                 蒎=艹+派
                   艹+氵+⺁+𧘇
                   蒎烯(α-Pinene)
                 合成香料の原料(松脂)
              ↓↑
              異体字「𫌪・𧵬・𧡒」
     宀=屋根・屋根に覆(おおわ)れた家
ーーーーー
 宀=宀+
   ベン・メン
   ウ=宀
     屋根などのように上が突き出て
     下を覆っている形・覆う
     うかんむり
 㝉=宀+一
   チョ・ジョ
   宁=ウ宀一=㝉
     同じ場所に立ち続ける
     同「佇・竚」
     貯(たくわ)える
     集めてしまっておく
 𡦹=宀+∂+6
   丶几𠘨=𡦹
   ∂(デル・デイ)=筆記体の「d」を様式化した
           「偏微分」記号・・・編備文(美文・尾分)?
   ・・・邪眼、吊り目・・・?・・・goggles・兜?
 宁=宀+丁
   チョ・ジョ
   㝉=ウ宀一亅丁=宁
   同じ場所に立ち続ける
   同「佇・竚」
   貯(たくわ)える
   集めてしまっておく
   繁「寧」
 宂=宀+几
   ジョウ・ニュウ
   冗=ウ宀ノ丿L乚儿几=宂
   田畑の仕事もなく人が家にいるさま
   暇な・無駄な・余分な
   緩(ゆる)んでいて纏(まと)まりがない
   本字は本来「宀儿」・「宀几」
   ・・・恋人の「冗漫・冗談」?・・・上段?帖段?
   ・・・Joe Biden・・・熊本県山都町の梅田穰町長・・・?
 它=宀+ヒ
   タ
   ウ宀ヒ七𠤎匕=它
   ヘビ(蛇)・古「蛇」・・・巳・・・邪のミチはヘビ・・・
   それとは違って他の・別の・それ以外の
   other
   同「他」
   それ・あれ・this・that
 宄=宀+九
   キ
   𡧫𡧌𠬚=ウ宀ノ丿⺄九=宄
   正義や道義に反すること
   乱れること
  「姦宄・奸宄(カンキ)」
   内部の乱れを「宄」・・・宄=よこしま=横嶋の乱
   外部の乱れを「姦・奸」
    ・・・姦=三人の女の亂
         武媚→武照(曌・奸=女+旱・干上がる)
         蕭「淑妃」(ショウ・シュクヒ)=
             南朝の斉と梁の王朝は
             同じ簫氏が皇帝
             蕭淑妃はその末裔・・・
             隋の煬帝正室は簫皇后
             姓は梟(フクロウ)に変えられた
             ・・・粛慎(みしはせ、あしはせ)・・・
             なぜ「みしはせ、あしはせ」なのか?
                箕師土師・蘆ハセ
             はせ・はぜ⇔馳 or 櫨 or 鯊
                    or 土師 or 簗 (やな) の一種

             はせ=初瀬・波瀬・羽瀬・羽生・長谷
             鯊(はぜ)硬骨魚
             櫨(はぜ)漆科の落葉樹
             馳=鈎(はぜ)板金分野の
             板の折り曲げ部分
             稲架(はぜ)イネなどの穀物を干す設備
             はせ・はで・はざ・はざ木・はさ
             馳・駛・騁・騖・驟
             をは(わ)せ=尾和瀬・尾鷲
             即刻、馳せ参じる・・・はせ=速く施・・・
             はぜる=何かが勢いよく飛んだり
                 飛び出したりする
             ムツゴロウ(鯥五郎)
             スズキ目・ハゼ科に属する魚の一種
             とびはぜ
             潮が引いた干潟の上で生活する魚

             漢代、扶余に従属した
             粛慎(シュクシン)の末裔→勿吉→靺鞨
             →挹婁→女真満州族→金→清⇔粛慎系・・・?
         王氏皇后=晋王、李治(高宗)の妃→皇后
         廃后
         姓は蟒(ウワバミ・蛇の類)に変えられた
         本貫は「并州祁」県
 㝍=宀+与
   シャ・
   うつす・うつる
   写寫冩=ウ宀ト⺊Lフ𠃌与=㝍
   別の場所に移(うつ)す・他に移す
   書く・描く
  「墨や絵の具を紙などに移す」
   元になるものに倣(なら)って
   別のものに書く・描く
 㝎=宀+之
   テイ・ジョウ
   さだまる・さだめる・さだめて・さだか
   定𡧡=ウ宀え之=㝎
   動きや乱れが鎮(しず)まって
   変化・変動しない状態になる
   平静になる・落ち着く
  「鎮定(チンテイ)」
   動いたり揺らいだりしない状態にする
   はっきりと決める
  「制定(セイテイ)・決定(ケッテイ)」
   決まり・決めたこと・決まっているもの
  「定型(テイケイ)」
  「定式(テイシキ・ジョウシキ)」
   さだ・めて・必ず・きっと
   さだ・か・はっきりしているさま・確かなさま
 字=子部
 宅=宀+乇
   タク・ジャク
   𡧪𡧜㡯𡊾=ウ宀ノ匕七モ乇=宅
   身を託(タク)すところ
   住まい・住むための建物
   住居(ジュウキョ)
   住まう
   落ち着く
   墓地
  「宅兆(タクチョウ)」
 宆=宀+
   キュウ・ク
   穹𠫙=ウ宀弓=宆
   半球状に広がった大きな空間・天空
   窮(きわ)まる
 宇=宀+于
   ウ
   𡧈𡧃=ウ宀二亅丁于=宇
   屋根で覆(おお)われた家・大きな建物
   陽射しや雨を防ぐための建物から
   外に張り出した屋根
   庇(ひさし)
   同「㡰・𢉠」
   天地(上下)
   四方に広がる空間・世界
   時間的な広がりは「宙」
       ・・・宇=空間
          物⇔物=間隙・密度
          宙=時間
          物の形態(体)変化
   大きな広がり・広く覆う
 守=宀+寸
   シュ・ス
   まもる・もり・かみ
   𡬮𡬴垨=ウ宀十丶寸=守
   まもる
   危険や損失などを
   被らないように番をする・保護する
   法律や規則に従う
   そのままの状態を保つ
   もり・かみ・古代の官名
 安=宀+女
   アン
   やすらぐ・やすい・やすんずる
   いずくんぞ・いずくに
   ウ宀女=安
   心を乱すものも
   体を縛るものもなく
   穏(おだ)やかなさま
   気に掛かるようなことがなく
   ゆったりとしたさま
   揺(ゆ)らぎや乱れがないさま
   落ち着くさま
   いずくんぞ・どうして・どうして~なのか
   いずくに
   何処(どこ)に
  「安在(アンザイ
      何処?・何処にある?・何処に居る?)
   やすい
   値段に比べてものの価値が安い
 ・・・随分とあるなぁ~「宀」の漢字・・・流石に・・・宇宙のカンジ・・・
 𡬙=宀+艹+罒+冖+則
   ソウ
   宀L丿爿サ十2艹艹艹四罒冖目ハ貝刂則=𡬙
  「𡬙𡬌(ソウボウ)」
   目覚める
   𡬌=𡬙𡬌眠寤
 𡬚=宀+各+𡫥
   セイ・サイ
   擠㨈挤=宀丿又夊夂口各客𡫥=𡬚
   押し出す・ぎゅっと押して外に出す
   ぎっしりと詰まる・ひしめき合う
 𡬒=宀+爿+艹+罒+冖+臬
   ゲイ・ゲ
   寱䆿𥧵𥨘=宀サ十艹艹艹四罒冖目自ホ木臬=𡬒
   寝言(ねごと)・寝言を言う
 𡬛=宀+心+立+虫+立+虫
   ネイ・ニョウ
   むしろ
   寧寜𡩬寍𡩬𡪕寕𡨴𡧾=宀心立中虫=𡬛
   穏やかで心安(やす)らかなさま
   不安も心配もなく心が安らぐさま
   むしろ・どちらかと言うならば
   どうして~できるだろうか、できない
 𡬜=寒+寒+寒
   リン
   宀三十土井𠀎八𡨄丶⺀寒=𡬜
   元詩選:題複古秋山對月圖
   = 天𡚌𡚌
    兮月朤朤山
    兮水㵘㵘
     木森森
    兮竹𥴒𥴒
     勢𡬜𡬜
    兮墨鱻鱻
   「中華字海=宀部=𡬜=疑同「凛」」
 ・・・凛々しい「兵卒」・・・
ーーーーー
 「武者塚」古墳・・・
  ↓↑
 2号 人骨の角髪(みづら)
      口髭(くちひげ)
      顎髭(あごひげ)一括
 3号 人骨の頸飾玉類

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 茨城県土浦市上高津
    土浦市上坂田・・・円墳
  ↓↑
 武者塚古墳は 
 旧新治村の村史編纂事業として行われた
 1983年
 古墳時代終末期の古墳で発掘され
 筑波大学の調査によって
 「みづら」髪型・・・
 の頭髪が出た
 角髪(みずら)
 上古における子どもの髪型
 そのような髪に結った子ども
  ↓↑
 美豆良(みづら・みずら)
  ・・・未頭蓏?
     巳面?
     実蔓?
      鬘(かづら)=镸+彡+曼⇔蔓・鬘・葛
 総角(あげまき)・・・総べての角(都奴・つの)
  ・・揚げ巻き?   都怒我阿羅斯等
           (つぬがあらしと)
            古代朝鮮人
           「都怒賀阿羅斯止
             斑鳩(奈良)
               阿羅=新良=新羅
               荒らしと
               荒らしを
               止める

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    斯=其+斤・・・其れはキン〈斤)・・・金
      これ・この・ここ
     斯界・斯業・類 此(シ)
      ここに・すなわち
      かく・かように・このように
     外国語の音訳に用いられる字
    「瓦斯(ガス)」
      ↓↑     ↓↑
            都の怒るを臥(臥薪嘗胆)せ
               斯を止める
           「都怒何阿羅志止」
            都の怒りは何(如何)
               新羅の志しを止める
           「都奴加阿羅志等」
            都の奴は加えた
               新羅のココロザシと等しい
            別名
           「于斯岐阿利叱智干岐
           (うしきありしちかんき)
            意富加羅国=おほからのくに
           (大加耶=大加羅⇔韓国南部)の王子」
ー↓↑ーーーー
 『日本書紀
 垂仁天皇二年条分注
 崇神天皇の時
 額に角の生えた
 「都怒我阿羅斯等」
 が船で
 穴門~出雲国~笥飯浦に来着
 「角鹿(つぬが)」の語源で
 「角鹿=つぬが→敦賀=つるが」に転訛
 垂仁天皇の時
 帰国の際
 「阿羅斯等」
 に崇神天皇
 諱(御間城=みまき)を国名にするよう詔し
 「任那=みまな=弥摩那」となった
 「阿羅斯等」に下賜した
 「赤絹」を新羅が奪って
  新羅任那の争いが始まった・・・
  ↓↑
 「阿羅斯等」が
 「黄牛」の代償として得た
 「白石」が美しい童女と化し
 「阿羅斯等」は
 「合(まぐわい)=交具合・目具合」
 をしようとしたが
 童女は「阿羅斯等」を去って日本に行
 難波
 と
 豊国
 の国前郡の
 「比売語曽社」の神になった・・・
 『古事記
 「天之日矛(天日槍)」の
 「阿加流比売」
 『摂津国風土記逸文
 (『萬葉集註釈』)
 にある
 ↓↑
 後裔氏族
 『新撰姓氏録
 左京諸蕃 大市首  出自は任那国人の都怒賀阿羅斯止
 左京諸蕃 清水首  出自は任那国人の都怒何阿羅志止
 大和国諸蕃 辟田首 出自は任那国主の都奴加阿羅志等
 ↓↑
 新羅の最高官位
 「舒弗邯(ソブルハン、角干の別名)」の訓読みで
 「つぬが」に転訛し
 「敦賀」が生まれた・・・
 「あらしと」とは
 朝鮮語の「閼智(アルチ)」
 新羅加耶における貴人への敬称
 敦賀には式内社として
 白城神社・信露貴彦神社
 新羅(白城・信露貴)系の神社も分布
 朝鮮半島南部から
 敦賀周辺へ渡来した人々が定着・・・
 「蘇那曷叱知(任那からの朝貢使)」
 と同一視・・・の説も・・・
 ↓↑
 比売許曽神社(大阪府大阪市東成区・式内名神大社
 比売語曽 社(大分県東国東郡姫島村
 「天日槍」伝説と同一の神・・・
 「天日槍」    =「新羅王子」
 「都怒我阿羅斯等」=「大加羅王子」
 ↓↑
 「氣比神宮福井県敦賀市)」
 「都怒我阿羅斯等」
 は敦賀の統治を任じられた・・・
 「氣比神宮」境内摂社の
 「角鹿神社(式内社)」
 はその政所跡で
 「都怒我阿羅斯等」が祭神
ー↓↑ーーーー
 江戸時代
 元服前の少年の髪型で
 角前髪(すみまえがみ)
↓↑
 出土品
 2号 人骨の角髪(みづら)
      口髭(くちひげ)
      顎髭(あごひげ)一括
 3号 人骨の頸飾玉類
      銀製帯状金具
 5号 人骨の頸飾玉類
      鉄柄付青銅製杓
      (てつえつきせいどうせいしゃく)
  銅製の本体
  鉄製の柄
  本体の縁は外に折り曲げられ
  口を有す
  片口の存在や底部の形態から
  「杓」・・・柄杓(ひしゃく)
      三累環頭大刀
     (さんるいかんとうのたち)
      銀装圭頭大刀
     (ぎんそうけいとうのたち)
 ↓↑
 地面に生る果実、ウリの実
 (説文解字・巻一)
 「木に在るを果と曰ひ
  地に在るを蓏と曰ふ
  艸に從ひ
  㼌に從ふ」
  木に生る実=果
  地面に生る実=蓏
 ↓↑
 段玉裁(説文解字注)
 〔斉民要術〕引用
 「艸に在るを蓏と曰ふ」とし
 「草の実のこと」
 蓏=草+㼌=ウリ科の実の総称
 ↓↑
 果蓏=木の実と草の実
 異体字「𠆁・𦽝」
ーーーーー
 佐魯那奇他(読み)さるなかた
 ・・・さるなきた=猿拿喜多
 「日本書紀」にみえる武人。
 顕宗(けんぞう)天皇3年
 任那(みまな)を拠点に
 三韓の王になろうとした
 紀大磐(きの-おいわ)に協力
 百済(くだら)
 の
 「適莫爾解(ちやくまくにげ)」
 を殺し
 帯山城をきずく
 百済王の軍に反撃され
 殺された
 ↓↑
 ?~顕宗三年(487)
 5世紀末
 安羅(伽耶の一国
    韓国慶尚南道咸安)
 で活躍した倭人
 顕宗軍三(487)年
 「紀生磐」
 が
 「任那(安羅)」を拠点に
 三韓の王になろうとし
 「紀生磐」と共謀
 百済
 「適莫爾解」を殺し
 帯山城(全羅北道泰仁)を築いた
 百済王が派遣した軍に攻められ
 「生磐」は城を放棄し
 「那奇他」は殺害された
 『日本書紀』引用
 『百済本記』が
 「加不至費直(河内直)」
 「韓腹」の
 「佐魯麻都」
 「阿賢移那斯」
 らの祖先と伝える
 「那干陀甲背=那奇他甲背」
 はこの
 「佐魯那奇他」と同一人で
 年代的に3人の祖父・・・
 ↓↑
 「阿賢 移那斯(あけ えなし)
 6世紀の官吏
 「安羅(あら)」におかれた
 「任那(みまな)日本府」
 の執事
 欽明天皇二年(541)
 新羅と通じ
 百済の招集に応じず
 佐魯麻都(さろ-まつ)
 らと百済主導の任那再興を妨害
 名は
 「延那斯」
 ともかく
 6世紀中ごろの
 倭系の
 安羅(伽耶の一国,韓国慶尚南道咸安)の人
 加不至費直(河内直)
 韓人との二世である
 「佐魯麻都」らと共に
 「佐魯那奇他(那奇他 甲背)」
 を共通の祖先とする
 新羅に内通し
 百済王(聖明王)の招集に応じなかった
 任那復興の妨げだという理由で
 百済王は
 排斥を欽明天皇に求めた
 安羅に置かれた
 「任那日本府
 の執事として実務を担当し
 「佐魯麻都」と共に
 親新羅、反百済の立場に立って
 「安羅」と「新羅」との連携
 ↓↑
 414年
 高句麗が建立した
 広開土王碑文にある
 「任那加羅」が史料初見
 ↓↑
 中国
 梁国
 537年
 「蕭子顯」が編纂の
 「南齊書」によると
 加羅
 三韓種也
 「建元元年」
 國王
 「荷知使」來獻。
 詔曰
 「量廣始登,遠夷洽化。
  加羅
  荷知款關海外,奉贄東遐。
  可授輔國將軍、本國王。」
 と記録
 『日本書紀』では
 加羅任那
 が併記される
 ↓↑
 中国の史書
 『宋書』で「任那加羅」と併記
 『南斉書』、『梁書
 660年
 『翰苑』
 801年
 『通典』
 『太平御覧』
 983年成立
 『冊府元亀』
 1013年成立
 同様の併記
 清代に編纂された
 『全唐文』にのみ
 「伽耶」の表記
 「加羅
 「三国史記
 新羅本紀の
 「奈解尼師今」
 六年(202年)条
 「伽耶
 表記
 「三国史記
 同14年(210年)条
 「加羅」と表記
 ↓↑
 『三国史記
 『三国遺事』
 3世紀までは
 加羅諸国の神話・伝承を伝え
 農耕生産の普及
 支石墓を持った社会形態
 紀元前1世紀頃に
 部族集団が形成・・・
 1世紀中葉
 中国正史の
 『三国志
 『後漢書』で
 「其(倭国?)の北岸」
 「倭の西北端の国」
 の
 『狗邪韓国』(慶尚南道金海市
 弁韓諸国と呼ばれる
 小国家群が出現
 後に
 狗邪韓国(金官国)となる地域は
 弥生時代中期(前4、3世紀)以後
 従来の土器とは
 様式の全く異なる弥生式土器が急増
 後の
 狗邪韓国(金官国)に繋がる
 倭人が進出した結果
 首露王により建国されたとされる
 「金官国」が統合の中心
 4世紀初めに
 高句麗が勢力を拡張
 馬韓
 百済に統合され
 弁韓の諸国は
 一体化することなく存続
 ↓↑
 加羅と関係の
 任那諸国
 6世紀
 百済新羅の侵略
 西側諸国は
 百済へ倭から割譲
 或いは武力併合
 東側の諸国は
 新羅により滅ぼされていった
 512年に4県を
 倭が百済へ割譲
 532年に
 南部の金官国新羅に滅ぼされ
 562年
 洛東江流域の
 任那諸国を新羅が滅ぼした。
 ↓↑
 高句麗の広開土王碑
 391年
 新羅百済加羅
 倭の臣民とした
 高句麗
 新羅の要請を受け
 400年
 5万の大軍を派遣
 新羅王都にいた倭軍を退却させ
 任那加羅に迫った
 任那加羅
 安羅軍などが逆をつき
 任那加羅
 従抜城を守らせた
 ↓↑
 「前方後円墳」が
 朝鮮半島でも発見
 5世紀後半から6世紀中葉に成立
 百済が南遷する前は任那
 金官国を中心とする
 任那の最西部に存在
 円筒埴輪や南島産貝製品
 内部をベンガラで塗った石室
 倭系遺物
 遺構をともなう
 新羅百済任那
 日本産の
 ヒスイ製勾玉が
 大量に出土(高句麗の旧領では稀)
 朝鮮半島には
 ヒスイ(硬玉)の原産地がなく
 東アジア地域においても
 日本とミャンマーに限られ
 化学組成の検査により
 朝鮮半島出土の勾玉が
 糸魚川周辺遺跡のものと同じ
 ↓↑
 辰韓諸国と弁韓諸国
 朝鮮半島南部
 洛東江下流地域
 紀元前5世紀~紀元前4世紀
 無紋土器を用いる住民が定着
 農耕生活をしながら
 支石墓を築造
 青銅器を用いた文化を形成
 紀元前1世紀頃
 青銅器と鉄器文化を背景に
 社会統合
 慶尚北道
 大邱・慶州地域に
 辰韓諸国が出現
 朝鮮半島南西部の
 弁韓地域に
 紀元前10世紀から
 黄海沿岸に位置する
 山東半島・遼西・遼東半島の物と
 類似した様式の土器や石器
 1世紀中頃
 社会統合
 弁韓諸国が登場
 鉄産地と海運
 ↓↑
 2世紀~3世紀
 半島東南部の諸国は
 共通の文化基盤をもっていたが
 政治的には
 辰韓弁韓
 分けられ
 弁韓地域の多くの小国の中で
 一番優勢な勢力は
 金海市付近の
 金官国(狗邪韓国、駕洛国
 任那の文化中心は
 金海・咸安を取り囲んだ
 慶尚南道海岸地帯
 ↓↑
 6世紀前半
 百済は南下
 半島南部まで影響力
 5世紀初頭
 高句麗
 楽浪郡帯方郡を征服
 新羅にまで勢力を及ぼす
 新羅辰韓の盟主として
 独自の勢力
 ↓↑
 倭国高句麗の戦争
 「好太王碑」
 「三韓征伐」
 4世紀末~5世紀前半
 広開土王碑文
 391年
 倭が百済新羅を破り臣民とする
 393年
 倭が新羅の王都を包囲
 三国史記
 397年
 百済倭国
 「阿莘王」の王子
 「腆支」を人質に送り国交を結んだ
 高句麗に従属した百済
 399年
 高句麗を裏切り
 倭と通じ
 400年
 倭が新羅の王都を攻撃
 高句麗
 広開土王
 新羅の要請に応じ軍を派遣
 倭軍を任那加羅の従抜城に退かせ
 高句麗軍はこれを追撃
 三国史記では
 402年
 新羅倭国
 「奈勿尼師今」
 の子
 「未斯欣」
 を人質に送り国交を結ぶ
 404年
 高句麗
 帯方界(帯方郡との境)
 にまで倭が攻め込んだ
 ↓↑
 405年
 倭国の人質
 百済王子の
 「腆支」が
 倭国の護衛により
 海中の島で待機し
 百済王として即位
 ↓↑
 日本書紀
 249年
 369年
 神功皇后49年3月条
 神功皇后新羅へ親征服属
 三韓征伐
 将軍荒田別(あらたわけ)
 鹿我別(かがわけ)
 を派遣し
 比自㶱(ひじほ)
 南加羅
 㖨国(とくのくに)
 安羅(あら)
 多羅(たら)
 卓淳(たくじゅん)
 加羅(から)
 の七カ国を平定
 西方に軍を進め
 比利(ひり)
 辟中(へちゅう)
 布弥支(ほむき)
 半古(はんこ)
 の四つの邑を降伏させた
 ↓↑
 新羅は5世紀中頃
 高句麗の駐留軍を全滅させ
 高句麗
 長寿王は南下政策を推進
 475年
 百済の首都
 漢城ソウル特別市)を陷落
 百済は南下して
 統一された国の存在しない
 朝鮮半島南西部への進出を活発化
 新羅
 秋風嶺を越えて
 西方に進出
 5世紀末
 百済の南下
 新羅の統合
 任那加羅のうち
 北部に位置する小国群は
 479年
 南斉に朝貢
 〈輔国将軍・加羅王〉
 に冊封された
 ↓↑
 大加羅を中心に
 後期伽耶連盟は
 481年
 高句麗とそれに附属する
 濊貊
 の新羅侵入に対し
 百済と共に援兵を送った
 百済が倭に対し
 加羅西部の四県を割譲させ
 加羅諸国
 百済
 小白山脈を境界として
 険悪
 百済
 卓淳国・多羅国
 などへ侵攻
 大加羅
 異脳王は
 522年
 新羅
 法興王に対して婚姻を申し入れ
 新羅との同盟を願ったが
 新羅
 任那加羅諸国への侵攻を繰り返し
 532年
 任那金官国新羅に降伏
 任那加羅諸国
 百済に救援を求め
 百済
 安羅に駐屯
 新羅に備え
 聖王が主宰して
 任那加羅諸国の首長と
 倭の使臣との間による
 復興会議(任那復興会議)
 を開いたが
 百済自身が
 任那加羅諸国への勢力拡大を狙っていた
 任那加羅地域は
 新羅百済の争奪戦に巻き込まれ
 百済
 554年
 管山城の戦いで新羅に敗れ
 聖王が戦死
 562年
 大加羅(高霊)が新羅に滅ぼされ
 残る加羅諸国
 新羅に併合

 金官国駕洛国
 金官国
 駕洛国金官加羅任那加羅
 韓国慶尚南道金海市に有った
 『三国志』の
 狗邪韓国
 532年
 新羅の圧力で
 仇衡王(金仇亥)が
 降伏
 一族は新羅の首都
 金城(慶州市)に移り住んで
 食邑を与えられ
 新羅の貴族階級に組み入れられた
 金仇亥の曾孫
 金庾信
 が新羅の半島統一に大功
 金官国の王族
 金氏は
 新羅王家の
 慶州金氏と区別するために
 金官金氏(金海金氏)と呼ばれた
 ↓↑
 金庾信は
 首露王を祖先とする12世孫で
 金庾信碑には
 祖先は
 黄帝の子の
 少昊金天氏の後裔で
 金氏を名乗った
 ↓↑
 『南斉書』
 加羅国王
 荷知は
 高霊の加羅
 嘉悉王に当たる・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 ↓↑
 コジキ姫「壱与」・・・「壹與」
 カンジて赤い絨毯にのり
 空をカケメグル
  「古事記・字源」物語
http://web.archive.org/web/20090409083704/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/hime/hime77.htm