鴆鳥=ピトフーイ(Pitohui)・『新修本草』659年刊行・医薬書・660年百済滅亡

 2994日目・文字霊日記
 耽美・嘆美・歎美・・・淡備・・・丹備・丹波(丹葉・但馬)
                 丹後・丹前・短尾・尾張
                 単語?
            吉備=備前・備中・備後
 ↓↑
 耽羅・・・探螺・・・螺(つぶ)・螺(にし)・田螺(たにし)
             粒=米立  爾志・西・似詞
           螺(にな)・螺(ほらがい)
             蜷=戸愚呂 法螺貝
               蜷局(とぐろ)
           螺(さざえ)=栄螺
             左座絵・笹(竹世)會
 耽=耳+冘
     冘=宀+几
      =冖+丿+乚(乙)
       イン・イウ・ユ・タン・・耽美(タンビ)
       おこたる・ためらふ・うたがふ
        行くさま・定まらない・決断しない
       耽(ふけ)る・・・ふける=更ける
                    老ける
                葺ける=瓦で屋根を葺(ふ)く
            鸕鶿草 葺 不合  尊
           (うがや ふきあえずのみこと)
         天 津日高日子 波限 建 鵜葺草 葺不合   命
        (あまつひこ ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと )
         天 津日高 彦 波限 建 鵜葺草 葺不合   尊
        (あまつひだかひこなぎさたけうがや ふきあえずのみこと)
               彦 波瀲 武 鸕鶿草 葺不合尊
              (ひこなぎさたけうがや ふきあえずのみこと)
                葺不合尊(ふきあいずのみこと)
             鸕鷀草葺不合神(うがやふきあえずのかみ)
             盧茲草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
             鵜茅 葺 合尊(うがやふきあえずのみこと)
 ↓↑  ↓↑   ↓↑       ↓↑
             盧の茲の草・・・鸕鷀・鸕鶿=う(鵜)の異名
            「うがつ(穿つ)」・・・穿って哉、付記合えずの見事

f:id:naiegorou:20210103211454j:plain

       耽美主義(aestheticism)=唯美主義・審美主義
       道徳功利性を廃して
       美の享受・ 形成に
       最高の価値を置く西欧の芸術思潮
       表現されたモノの
       理屈、メッセージではなく
       作品自体に創造、表現されたモノに
       享受者が
       官能的、
       ・・・官能的=性的感覚をそそるさま?
              sensual, voluptuous, sexy
              肉感的
              身体器官の発情的、反応的
              能動的機能だろう?
              感応的な五感の作用だろう?
              性的感覚をそそられるさま?
              人間が食物連鎖、弱肉強食の
              諸生物の頂点に存在するのは
              発情常時、何時でも情事で
              発情期は三度のメシと同語である・・・
       享楽的な・・・「ニューシネマパラダイス
              (伊 Nuovo Cinema Paradiso)」
              の「ポルノ」場面に
              視線を向ける観客の性的反応・・・
              江戸時代は「浮世絵」だった・・・
              刺激に反応できなくなった
              老人の願望は「瘋癲老人日記」・・・
              谷崎潤一郎デスか・・・?
              「眠れる美女」の
              川端康則デスか・・・?
           ・・・亜米利加の金持ちのオアソビ・・・?
       形態と色彩の美を至上とした風潮・・・?
       芸術至上主義・・・?・・・ニンゲンそのものじゃん?
       冘豫
       沈・䒞・抌・忱・枕・䏙・㱽
       眈・耽・紞・訦・酖・鈂・䪴

f:id:naiegorou:20210103211337j:plain

 眈=目+冘
   タン
   にらむ(睨む)・ねら(狙)い見る
   眈眈・虎視眈々・眈(にら)む

f:id:naiegorou:20210103211024j:plain

       鴆・・・鴆鳥
           659年刊行の医薬書・・・659→660→663
          『新修本草』では存否不詳・・・神州本葬?
        ピトフーイ(Pitohui)
        かつて同じ属に分類されていた
        ニューギニア島固有の鳥類6種
        カワリモリモズ、ズグロモリモズ、ムナフモリモズ
        サビイロモリモズ、クロモリモズ、カンムリモリモズ
           百舌鳥=もず=百舌・鵙・鴃・鶪=万代・・・?
           仁徳天皇陵=「百舌鳥 耳原 中 陵」
                 (もずのみみはらのなかのみささぎ)
          「大 鷦鷯   天皇」 「大仙陵古墳
          (おほさざきのすめらみこと)
   鷦鷯(ささき・ささぎ・さざき・ショウリョウ)
             鷦=焦(あせ)る兆・朝
             鷯=寮長・・・尞=火を焚く・火を焚いて祭る
                    遼=北方民族・916年天皇
                      契丹人、耶律阿保機征服王朝
                      女真渤海・金・満州
          「大 雀   命」・「難波天皇万葉集)」
          (おほさざきのみこと)
           即位87年に110歳で崩御
            古事記  83歳(やそじまりみとせ)
          ・・・「百舌鳥=もず=百舌」は「百済」か?
          ・・・「秦人を役(えだ)ちて
                 茨田堤また茨田三宅を作り」
             「秦人」⇔「新羅」・・・?
 ↓↑  ↓↑
         ニューギニア(New Guinea
         新銀名・新基尼・那吉尼・新𠮷義尼・新奇尼亜
         新幾内亜・新几内亚・新畿內亞
         パプアニューギニア
         巴布亜新吉尼・巴不亜新幾尼亜・巴布亞新)
         鳥が羽毛に毒を持つ
        「鴆毒
         始皇帝による
         誅殺を恐れた
        「呂不韋」は
        「鴆酒」を仰いで自殺
      ・・・蝙蝠=コロナヴィルス=凝労名部居留守?
           キクガシラコウモリが自然宿主・・・?
           (菊頭   蝙蝠)
       黕・・・黑+冘
           異体字「𪐨=黑+冗」
             冘=冗=冖+几
 羅=罒+糸+隹・・・隹=イ+圭(十+一+十+一)
                イは22・貳拾弐
               =イ+亠+主(亠土=音は11?)
                意 音 主

f:id:naiegorou:20210103211154j:plain

 以下の原文は
 『ウィキペディアWikipedia)』で、少々「改行」したモノ・・・
 ↓↑
 耽羅
 耽羅
 ?~1402年
 高鳳礼・・・コウホウライ?・コウブレイ?
 滅亡
 耽羅(たんら)
 耽牟羅(たむら)
 屯羅(とんら)
 発音=タムナ・タンモラ・トゥルラ
 日本語=たんら・ちんら・たむら・たんもら・とんら
 ↓↑
 耽羅国発祥の地
 三姓穴
 耽羅国
 朝鮮半島本土の諸王国とは異なる
 独自の「三姓神話」を有する
 耽羅(たんら・ちんら)
 朝鮮半島沖の
 済州島・・・済=氵+斉=すくう・たすける・「済度・救済・共済」
       濟=氵+齊・・・斎宮・齊宮・・・いつきのみや
         氵+亠+刀+丫+丿+一+丨
         すむ・すます
         濟(す)ます
         濟(す)む
         濟(すく)う
         濟(な)す
         濟(わた)す
         濟(わた)る
        「皆済・ 決済・既済」・・・浄済
         なす・なしとげる・済美
         わたる・わたす
         数が多く盛んなさま
        「済済(サイサイ・セイセイ)」
 百済、統一新羅、高麗
 に内属し
 15世紀初め
 李氏朝鮮に併合
 耽牟羅(たむら)
 屯羅(とんら)
 とも表記
 ↓↑
 年表の月は旧暦表示
 ↓↑
 紀元前58年~紀元前7年
 高厚、高淸、高季
 などは新羅入朝
 ↓↑
 476年4月 百済
      文周王に朝貢した(『三国史記』)・
 498年9月 百済
      東城王に服属した(『三国史記』)・
 508年12月 南海中の
      耽羅人が
      百済国と通じた(『日本書紀』)
      梁職貢図に百済の附庸国で下耽羅
 ↓↑
 660年7月 百済(久太良)滅亡
      王都泗沘が占領され
      義慈王
      熊津に逃れたが降伏
 ↓↑
 661年5月 王子の
      阿波伎・・・?
      らを日本に対して初めて朝貢
 662年2月 新羅
      文武王に来降し
      これ以後は新羅の属国(『三国史記』)
 ↓↑
 663年・天智二年八月二十七~二十八日
 663年10月4~5日
     白村江の戦い
     錦江(きんこう・クムガン)
         ・・・ク(ま・み・む・め・も)
            +
            虤(ガン)=意思 是 虎怒
     半島中西部に位置する主要河川
     第三の河川
     百済の古都
     忠清南道 公州(コンジュ)からは
     熊津江(ウンジンガン)
     忠清南道 扶余(フヨ)からは
     白馬江(ペンマガン)とも
 ↓↑
 665年8月 日本へ使者を送って来朝
 666年1月 王子の
      姑如
      らを日本に派遣朝貢
 667年7月 佐平の
      椽磨
      らを日本に派遣し朝貢
 ↓↑
 668年10月 唐の高宗が
      高句麗を滅ぼす(唐の高句麗出兵)
      唐が平壌
      安東「都護府」を設置
      日本
    1月 - 近江令を制定
    2月20日天智天皇7年1月3日) 天智天皇即位式 
    4月10日(天智天皇7年2月23日) 大海人皇子立太子
    6月19日(天智天皇7年5月5日) 近江蒲生野にて薬猟
                   大海人皇子
                   額田王の相聞歌
    9月 新羅使、調を貢進
      新羅の僧が
      草薙剣天叢雲剣)を
      国外に持ち出そうとする
     (草薙剣盗難事件)
 ↓↑
 669年3月 王子の
      久麻伎
      らを送って日本に朝貢
      日本は耽羅王に五穀の種を賜い
      その上で耽羅の王子らは帰国
 673年5月 王子の
      久麻藝
      都羅
      宇麻
      らを送って
      日本に朝貢
 673年8月 天武天皇即位に
      耽羅
      久麻藝 王子
      らに
      大乙上の冠位を賜る
 675年9月 久麻伎 王子が入貢し
      筑紫に宿泊
 675年9月 耽羅
      姑如が
      難波に来朝
 676年2月 天武天皇
      耽羅の使者に
      船一艘を賜る
 677年8月 都羅王子・・・・・・トラ王子?
      ら日本に朝貢
 ↓↑
 歴史
 耽羅の起源
 太古の昔
 高・梁・夫
 の三兄弟が穴から吹き出してきた
 三姓神話
 高・梁・夫
 の三兄弟が
 東国の
 碧浪国(『高麗史』では日本)
 から来た
 美しい3人の女を娶り
 王国を建国した
 3世紀の中国の史書
 『三国志魏志東夷伝
 「州胡」が初見
 朝鮮人とは言語系統を異なる・・・
 ↓↑
 『三国史記
 476年
 百済
 文周王に朝貢
 498年
 百済
 東城王に服属
 498年以後
 百済朝貢
 660年
 百済が唐・新羅連合軍の侵攻で滅亡
 耽羅
 662年
 新羅に服属
 唐から帰国する日本の遣唐使船が
 耽羅に寄港
 唐軍の侵攻を恐れ
 耽羅はしばらく日本に朝貢を送り続けた
 『日本書紀
 継体天皇二年(五〇八)
 『南海中耽羅人初通百済国』
 「日本書紀
 508年
 百済と初めて通じた
 ↓↑
 耽羅には既に
 ピョル主または星主
   王子または星子
 徒内・・・ジナイ?
 と呼ばれる支配者が存在
 これらの称号は
 新羅
 文武王が与えた・・・
 耽羅星主が筆頭格で、これを王とする
 ↓↑
 東シナ海
 耽羅国海上貿易の拠点
 9世紀の商人
 張保皐(?~846年)
 新羅王の認可の下
 耽羅と莞島を拠点に
 新羅、唐、日本
 の三国との貿易を盛んにし
 北は日本の能登半島(石川県)や
      十三湊(青森県五所川原市
 南は広州
 西は山東半島に及ぶ海上貿易
 航海安寧のために
 観世
 音
 菩薩を祀るための
 法華寺
 耽羅
 莞島に
 赤山法華院を山東半島に建立
 この三寺院の建立によって
 耽羅大乗仏教による
 共通の信仰と共に東亜世界と結ばれた
 ↓↑
 935年
 新羅滅亡
 耽羅国独立
 938年
 耽羅国の星主の
 高自堅は
 高麗に服属
 高麗は
 1105年
 「耽羅郡」を設置
 1108年
 「済州郡」に改称
 1121年
 「済州」と改称
 星主、王子など
 旧来の支配者の称号は認めていた
 高麗支配下での
 済州島
 1168年
 「良守の乱」
 高麗の京来官への
 済州島民の反乱が度々発生
 ↓↑
 大元ウルス(モンゴル帝国
 服属させた高麗軍と共に
 1270年
 済州島に逃れてきた
 三別抄を
 1273年に制圧した後(三別抄の乱)
 1275年に
 済州島を高麗から分離させて
 名を
 「耽羅」に戻し
 モンゴル帝国の直轄地にし
 モンゴル馬を放牧するための牧場を設置
 大元ウルスの時代
 代官
 ダルガチが置かれ
 済州島流刑地となった
 元は
 1294年
 耽羅を高麗に下賜
 ↓↑
 1368年
 明朝が成立
 高麗は
 1374年
 25,000人の軍隊を送って
 牧胡(耽羅に土着化したモンゴル人)
 を虐殺し直轄地にした(牧胡の乱)
 ↓↑
 高麗に代わった
 李氏朝鮮
 1404年
 星主、王子などの伝統ある称号を廃止
 1416年
 済州牧使の下に県を設置
 内地(韓国では陸地)と
 同様の地方支配体制となった
 1445年
 李氏朝鮮によって身分として
 星主、王子なども廃止され
 耽羅人に対して
 儒教による朝鮮文化への同化政策
 ↓↑
 耽羅人は
 「星主」という国王を中心とし
 独自の言語・神話・称号文化を持つ
 ↓↑
 『三国志』『後漢書
 「耽羅」の前身である
 「州胡」の人は言語が
 「韓」と異なり
 背が低く
 鮮卑匈奴あるいは烏桓
 のように髪を剃った
 弁髪の風習を持ち
 上半身に革の衣を着たが
 下が覆われず裸に近い
 牛と猪を飼い
 船で往来して
 韓と交易した
 当時の韓の風俗と異なっている
 ↓↑
 耽羅国の使者
 「阿波伎」・・・あわき・・・阿波紀(記・和座)
 「始如」・・・・はじまりみょう・はじめのゴトク
 「椽磨」・・・「えん・たるき・ゑん」+まろ
        椽=木+彖
          木+彑+豕
          テン
          たるき・・・樽木・垂木・多留木
          屋根を支えるために
          棟から軒にかけ渡す木材
          彖=タン
          豚が走る・猪が走る
          易の各卦の意味の総論
          ↓↑
          掾
          エン
          したやく
          ジョウ
          たすける
          補佐する
          したやく・補佐役
          日本で
          四等官国司の第三位
          ↓↑
          篆
          テン
          印章・篆書
          㑰(疲れる・難しい・難儀)
          剶(はぐ)
          猭(てん)
          喙(くちばし)・啄(つい)ばむ
    㥟・䧘・堟・湪・掾
    禒・椽・腞・蒃・瑑
    盠・䂕・褖・墬・緣(ふち)
    蝝・䗍・篆・䞼・橼
    䛹・䤸・餯・櫞・䱲
    鶨・蠡・㒩・劙・攭
    欚・㼖・䤙・
 ↓↑ ↓↑         
 「久麻伎」・・・くまき・・・球磨岐
 「都羅」・・・・とら・・・・虎・図羅・寅
 「宇麻」・・・・うま・・・・馬・宇摩・午
 等の名
 ↓↑
 アレキサンダー・ボビン・・・?
 「耽羅」・・・とら=トラ=図羅・虎・彪・寅?
 という名称は
 日本語の
 「たにむら(谷村)」・・・丹羅
 「たみむら(民村)」・・・田村・・・坂上田村麻呂
 ボビンは
 耽羅語は
 日本語族系であると推測
 ↓↑
 耽羅王国時代
 高乙那王・・高の乙那(おつな)の王・・・乙女
 建王・・・・建(たける)の王
 三継王・・・サンを継(つなぐ・継続)王
 日望王・・・日を望(のぞむ)王
 島済王・・・島の済の王
 彦卿王・・・彦の卿の王
 宝明王・・・たからの明の王
 幸天王
 歓王
 湜王
 煜王
 煌王
 偉王
 栄王
 厚王
 斗明王
 善主王
 知南王
 聖邦王
 文星王・・・文の星の王
 翼王
 之孝王
 淑王
 賢方王
 璣王
 聃王
 指雲王
 瑞王・・・瑞の王
 多鳴王
 談王
 体参王
 声振王・・・声を振る王
 鴻王
 処良王
 遠王
 表倫王 
 迥王
 致道王
 勗王
 天元王・・・天の元の王
 好恭王
 昭王
 敬直王
 岷王・・・山の民の王
 自堅王
 ↓↑
 耽羅郡(済州)時代
 ↓↑ ↓↑
 高自堅
 高末老
 高維
 高兆基
 高挺益
 高適
 高汝霖
 高貞幹
 高巡
 高福寿
 高仁旦
 高秀佐
 高碩
 高順良
 高順元
 高明傑
 高臣傑
 高鳳礼
    ・・・高句麗、高麗系の「高」?
    ・・・高木神=高御産巣日神タカミムスビノカミ)
       別名  高皇産霊尊・高木大神・神王高御魂命
       高木 兼寛(たかき かねひろ)=慈恵医大創設者
       脚気撲滅・ヴィタミンの父・海軍軍医総監
 1446年
 世宗が
 訓民正音(ハングル)
 を公表する以前の
 支配者名
ーーーーー
 ・・・???・・・ナゼ「天津」なのか・・・