2987日目・文字霊日記
 ドカ雪で塞がれた玄関前の路・・・この雪を腰痛を怨みながら朝夕8時間かけて除雪したからって、金銭的な報酬もないし、ご苦労さんってのコトバもない・・・田舎町の無人駅のポスター8時間除雪作業で8,000円・・・他人のために売った労働力、労働拘束時間、仕事にはキマリがある・・・自分勝手の仕事には報酬が保証されないのは当然・・・
 ポスター・・・ではない・・・指名手配の逃亡犯の人相写真と容疑説明文・・・
 むかし、雪の降る日、駅の待合室にはダルマストーブの周りに「浮浪者」と呼ばれる人が群れている時代があったけれど・・・
 タイトル・・・贅沢な独り言だとは思う・・・けれど・・・
 コンピュータ、イカレタ・・・
 今のところは
 衣食住に不自由はない、贅沢な時代にイキテイルけれど・・・
 最近の日常生活のニュースは
 コロナと自動車事故でイってしまう人がワンサカ・・・
 TV、PC、SP(smartphone)で情報を流している人々、視聴している人々・・・
 少々、健康に問題があっても
 まだ、平常なイキをしているだろう・・・
 雪投げ、除雪・・・息切れしながら家の中に転がり込んで
 TV、スイッチをオンにしても画像も音声も・・・
 ・・・4、5分後にヤットコ、アラワレてクル・・・
 TVは映っり出すけれど・・・オモ白くない・・・けれど・・・
 家の中は灯油ストーヴの暖房で
 カンジはホンの少しの贅沢に浸っているのカナって・・・?
 ・・・イヤぁ~ッ、ゼイタクだけれど・・・おも白くない・・・
 道具が無いなんてッ・・・ツマラない・・・イカレたPC・・・
 起動しなくなったPC・・・イカレた・・・
 ↓↑
 コンピュータ、なんとか、別品で手に入れたけれど・・・ゼイタク・・・
 ・・・ナゼ、「常泉寺」なのか・・・common spring temple・・・?
 small spring=little spring・・・小泉 八雲・・・thick clouds・・・?
 ↓↑
 古事記原文
 「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁」
 「やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを」
 「夜句茂多菟 伊弩毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳都倶盧 贈廼夜覇餓岐廻」
 日本書紀原文
 ↓↑
  が、どうして
  「八雲立つ 出雲 八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
  になるんだか・・・?
 ・・・八雲=Eight clouds・・・dense clouds=密雲・・・?
 ポルトガル語"八"の発音 (Oito)・・・お糸・・・?
 スペイン語 "八"の発音 (Ocho)・・お蝶・お調子者・お喋?
 イタリア語 "八"の発音 (Otto)・・・おっと=良人・・・?
 ギリシャ語 "八"の発音 (οκτώ)・・オクトゥ=奥東・億島・憶等?
                  緒句当
 octopus(オクトパス)=たこ=蛸=多古=多胡・章魚・・・
                   古人 胡人 魚座の人
            鶏眼(ケイガン)=魚の目
            胼胝(ベンチ) =たこ・疣(いぼ)
  1 モノ  mono・・・物・者
  2 ジ   di・・・・次・字・自・時・事
  3 トリ  tri・・・取・採・執・盗・録
  4 テトラ tetra・・手・出・図羅・寅・虎・彪
  5 ペンタ penta・・編拿・篇妥・遍妥
  6 ヘキサ hexa・・日置差
  7 ヘプタ hepta・・経武多
  8 オクタ octa・・・奥多
  9 ノナ  nona・・・埜名・廼名・盧名・乃名
 10 デカ  deca・・・出化
 ↓↑
 烏賊=いか=以下・意化
    cuttlefish・cuttle fish(カトルフィッシュ)
    squid(スクイ―ド・スクイッド)
    イカの料理=calamari(カラマリ)
 ↓↑  ↓↑
    ギリシャ
    καλαμάρι(kalamari・ カラマーリ)
 ↓↑
 須佐之男命(素戔嗚尊
 「やくもたつ いづもやゑがき つまごみに やえがきつくる そのやゑがきを」
  譯 模他通意図模訳會書  通万語観爾 八重化記通句留 素之埜會画記緒
  役 喪発つ何時も譯得我記 都孫 見に 八重が記作る 素之八重臥記緒
 ・・・???・・・賢瑜???・・・・新島八重(山本八重子)・・・
 本居宣長・・・大須観音小碓命・・・古事記・・・
 ↓↑
 新島 八重(にいじま やゑ)=新島襄の妻女・・・ゑ=る+ᨓ
 弘化二年十一月三日
 1845年12月1日
 ~
 昭和七年
 1932年6月14日
        1927年12月(82歳)丙申偏官
 乙┏巳(戊庚丙)正財・偏官長生⇔壬申食神
  冲
 丁┣亥(戊甲壬)正官・食神 病⇔丙午偏官
  害
 庚┗申(己壬庚)  ・比肩建禄⇔丙午偏官
 壬 午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔甲午偏財
   子丑空亡
   虚宿・庚申
 ↓↑
 楫取 美和子(かとり みわこ)=久坂文(くさかふみ)=杉 文(すぎ ふみ)
 小田村伊之助=楫取素彦の後妻・・・カジ取りの素の諺(ことわざ・ゲン)?
                       素戔嗚
 ↓↑
 太閤さんも、イトウさんも、ミンナも・・・
 ジポンドリームでシマグニにヤッテきた・・・
 カンジからのモウソウだが故郷は西の大陸奥地から半島経由で
 ナンミンでジポンにヤってきた・・・
 黄海を渡れば「エデンの東の果て」だから・・・?
 技術も文明も戦争もカミもホトケも。疫病も・・・
 天然痘だから・・・
 そして「ムキ」も・・・抱えながら・・・
 せっかく、マザッたのに・・・
 ジカンが経つとチョットしたコトに
 イチャモンをつけ、ハタからケンカをアオル奴がいる・・・
ーーーーー
 常泉寺・・・・常=龸+吊
          ⺌+冖+口+巾
          日月や竜などを描いた天子の旗
          常識・常態・尋常・常世の国
        泉=白+水=出水
          湧き水
        寺=土+寸
          寺院
 名古屋 常泉寺
 彼岸花 常泉寺
 秩 父 常泉寺
 埼玉市 常泉寺
 大和市 常泉寺
 墨田区 常泉寺
 富士宮 常泉寺
 山 梨 常泉寺
 新 宿 常泉寺
 神奈川 常泉寺
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 常泉寺
 名古屋市
 中村区
 「日蓮宗
  太閤山
  常泉寺
 ( じょうせんじ
  ヂョウセンジ)」・・・朝鮮児?
 豊臣秀吉
 誕生の地
 旧本山は
 萱津
 妙勝寺
 ↓↑
 加藤清正
 開山圓住院
 日誦上人
 とで創建
 寺号
 秀吉の誕生当時
 近郷に類のない
 清水の溢れる井戸(産湯の井戸)があったことから
 ↓↑
 豊太閤産湯の井戸
 1547年(天文十六年)
 御手植えの
 柊=木+冬
   十+八+夂(夊)+ン(冫)・・・冫=ヒョウ・こおり
      夂=𠂉+乂=遅れる・遲・遅刻・遅滞・・・痴態
        ノ+又   遅=尸+羊+辶
              遲=尸+犀+辶
                尸+氺+牛+辶
                 泰=𡗗+氺
                 泰平・安泰・泰国
                 㤗=𡗗+㣺
                 奉=𡗗+ⵐ(‡)
                 奏=𡗗+天
                 湊=氵+𡗗+天
              犀= 尸+氺+牛
                サイ・硬・固
                救・救助・救援
                球=王+求
                求=亠+氺+丶
          高野長英=瑞皐(ズイコウ)
                皐月=さつき=五月
                皐=白+𠦂
                皐=コウ・さわ・さつき
            異体字「皋=白+大+十」
                皐=白+𠦂
                睪=皐=皋・睾・鼛
                    𡅦・𦤗・𪔌
                  さまにより、白い意
                 「皞(カウ) 」の原字
                  魂呼(たまよ)びの声
             稚=穉 (チ・わかい)
                 稚拙・幼稚
                 稚魚・稚児
   十+八+ク+乀+ン(冫)・・・・冫=氷・ヒョウ=雹・瓢
   ひいらぎ・シュウ・・・・・・比意等義?
   モクセイ(木犀)科の常緑高木
         ・・・金木犀・・・犀=サイ=差異・歳・斎
   葉は堅く
   光沢あり
   縁に棘(トゲ・刺)がある・・・冨(富)解・譯(訳)解?
   晩秋~初冬・・・晩=日+免
            ・・・兔・菟・莵・兎=うさぎ
                    白兎?有詐欺・烏詐偽
   にかけて花をつけ
   木+冬=柊
   葉がギザギザに尖って
   葉を触ると痛いので
   ヒリヒリ痛むの古語
  「疼ぐ(ヒヒラグ)」から転じて
  「疼ぎ(ヒヒラギ)」と読ませ
  「疼」→「柊」
   花言葉
  「用心深さ・保護・先見の明」
   葉のギザギザが
   寄せ付けない「用心深さ」
   魔除けの「保護」
  「先見の明」・・・冬~春→夏→秋を詠む?
  「冬」の季語
  「雪・白」
  ・・・白=暤・皓・皎・皚
       辰韓
       斯盧・秦羅・新羅
       斯蘆=しろ・サロ・シラ
      『三国史記
      「新羅本紀」の著者
      「金富軾」
       ↓↑・・金の
          富の
          軾=車+式(弋+工)
         (しきみ・ショク)
          車の前に設けた横木
          車上で礼をするときの
          寄りかかる横木
          肘突(ひじつき)
         「ひざつき(膝附)」
          と読むようになった
          弋=いぐるみ・とる・くろい・うかぶ
            ヨク
            矢に糸をつけて放ち
            鳥をとる道具
            獲物をカラメ(絡)とる・弋猟
            くろい・黒い色
            うかぶ
            弋(いぐるみ)・弋かぶ(うかぶ)
            弋(くい)・弋い(くろい)
            弋る(とる)
 ↓↑    ↓↑              
       は
       新羅王家の一族だが
       高麗王家に仕え
       平壌で高麗から独立した反乱を鎮圧した
       武勲の人物
       ↓↑  万葉集新羅奇)
          出雲風土記(志羅紀)
          万葉集(白水郎=あま)
          あま=ア+マ=予⇔預・序
          ↓↑ 海人・海士・海部・海女
             阿麻・阿毎
             亜麻
             白水郎
             蜑(タン)
            「塰=海+士」は国字
             中国・四国地方より東で
             潜水夫(婦)=海人
             夫が命綱を担当
             妻が潜水
             九州地方で
             潜水夫(婦)=白水郎
          ↓↑
          海女の選別漁獲時期
          アワビ(鮑・鰒・蚫)
          3月中旬~9月中旬頃まで
          ↓↑
          ナマコ(海鼠)・・・海の鼠(ねずみ)
          11月~2月頃まで
          ↓↑
          ワカメ(和布)
          12月~3月まで
          ↓↑  ↓↑
             泉=いずみ・セン
              =白+水・・・沓=水+曰
               和泉・出水・伊豆見
               泉州
          ↓↑    ↓↑
               中国にかつて存在した州
               南朝
               梁により
               現在の
               湖北省
               荊門市一帯に設置
               泉州 (陝西省)
               中国にかつて存在した州
               唐により
               現在の
               陝西省
               咸陽市東部に設置
               泉州
               中国にかつて存在した路
               元代に
               現在の
               福建省泉州市一帯に設置
               泉州
               中国にかつて存在した府
               明清に
               現在の
               福建省泉州市一帯に設置
          ↓↑    ↓↑
               平泉(仙台⇔川内)
               平泉(ひらいずみ)
               岩手県南西部
              (陸奥国磐井郡)
               岩手県西磐井郡
               平泉町平泉衣関202
               平泉町の中心部
               奥州の入り口は
            「白」河関(福島県・北緯37度)
               北限は津軽半島
               外ヶ浜(青森県・北緯41度)
          ↓↑    ↓↑
              「鳥羽法皇御願」の寺
               嘉祥三年(850年)
               円仁(慈覚大師) 開山
               貞観元年(859年)
               清和天皇から
              「中尊寺」の額を賜った
          ↓↑    ↓↑
               長治二年(1105年)
               藤原清衡 開基
              「多宝寺」を建立
               釈迦如来
               多宝如来
               を安置
          ↓↑    ↓↑
               天治元年(1124年)
               天台宗東北大本山
               中尊寺
               金色堂完成
              「金色堂覆(さや)堂」
          ↓↑    ↓↑
               天治三年(1126年)
                 三月二十四日
               後
              「中尊寺」の寺号
          ↓↑    ↓↑
              「中尊」=『法華経』「序品」の
                   「人中尊」に由来
                   中=囗+丨=中庸の尊?
               文治五年(1189年)
               奥州藤原氏は滅亡
               建武四年(1337年)
               中尊寺本堂全焼
               嘉永六年(1853年)
               能舞台の再建を
               中尊寺の鎮守
            「白」山神社内に
               建立
          ↓↑    ↓↑
               マルコ・ポーロ
              『東方見聞録』・ジパング
          ↓↑    ↓↑
            「白」服=海人着で潜る
                 白の磯着は明治以降・・・
               三重県・志摩地方
               英虞湾などの
               真珠養殖を欧米人に
               見学させる為に
               従来
               裸であった上半身に着用
          ↓↑    ↓↑
       新羅六村が
       卵から生まれた
      「赫居世」
       赫=赤+赤
         カク
         あかい
         かがやく
         さかん
         赤い・まっか・火のように赤い
         あきらか・あきらかなさま
         勢いがさかんなさま・さかん
         かっとなる・かっと怒る
         ばらばらに裂く・切り離す
         ↓↑
         赤奮石(セキフンジャク・丑(うし)の歳の異名)
         木星の歳星名
         摂提格(セッテイカク・寅(とら)の歳の異名)
      ↓↑
      赫=赤
      嚇=口+赫
        口+赤+赤
        カク
        いかる
        おどかす
        おどす
        いかる・おこる・しかりつける
        相手を恐れさせる
        威嚇・威喝
      懗=忄+赫
      㬨=日+赫
      爀=火+赫
          赫(てらし)
卵は瓠(ひさご)ほどの大きさであった
       辰韓語で「瓠=朴」の意義字を姓とした
              杜撰(ズサン)?
      瓠=夸+瓜
        大+亏+瓜
        大+一+丂+瓜
        カク
        コ
        ひさご
        ふくべ
        ひょうたん
        瓠落(カクラク)=丸く中が空虚なさま
        夸=大+亏
          大+一+丂・・・巧(たくみ)
          カ
          コ
          おごる(奢る・驕る)
          ほこる(誇る)
          たかぶる・おごりたかぶる
          おおきい・大げさ
          大げさに言う・自慢する
              ↓↑
      「赫居世」・・・赫=赤+赤
                赤=十+丌+ハ
                  十+一+刂+ハ
                  十+一+㣺(心・灬)
                  㣺=したごころ
                  㝳=一+㣺
                  㣺
                  慕=慕情
                  恭=恭悦
                  忝=添付
                  忆=忄+乙=憶=忄+意
                      乙=意
     ↓↑
「赫居世 居西干(王)」
       を
       13歳で王位に推戴したのが
       新羅の始まり
       居西干(王)は
       龍の娘
       閼英夫人・・・「閼氏(エンシ・アツシ)」
               匈奴単于(ゼンウ)の妻の称号
               閼=門+於
               ふさぐ・さえぎる・とどめる
       を王妃にした
       別伝
       この夫婦は
       辰韓に渡来した中国王室の娘
       娑蘇夫人の子
aakamin3
 ↓↑     ↓↑
       赫居世の臣下に
       倭国から来た倭人
      「瓠公」・・・千成瓢箪豊臣秀吉の馬印
 ↓↑     ↓↑        木下藤吉郎・日吉丸
                  羽柴秀吉
             永禄十年(1567)八月十四日
             蜂須賀小六
             山麓の猟師
             堀尾茂助
             など僅か七名を従え
             岩戸口から稲葉山城へ潜入
             薪小屋に火を放った
             藤吉郎は城兵を倒した鎗先に
             腰の瓢箪を結び付け振り回し
             勝鬨をあげた
             織田信長
             瓢箪を馬印にすることを
             木下藤吉郎
             に許可
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 ↓↑     ↓↑
      「昔氏初代
       脱解(第4代脱解 尼師今)
       倭国の東北一千里の
       多婆那国(但馬・丹波)の
       王妃が妊娠七年後、大きな卵を生んだが
       多婆那王は不吉として
       卵を捨てるように命じたが
       王妃は絹の布で卵を包み
       宝物と共に箱に入れて海に流した
       後
       金官国に漂着
       金官国人は警戒し取り上げず
       辰韓
       阿珍浦に漂着
       老婆が箱を拾って開けると
       男の子が出てきので
       育てることにした
       子は身長九尺にもなり風格を備えた
       姓氏がわからなかったので
       箱が流れ着いたときに
       鵲(カササギ)がそばにいたので
       鵲の字を略して
      「昔」を姓とし
       箱を開いて生まれてきたので
      「脱解」と名付けた
      「脱解」は
      「瓠公」の邸宅を見て
       相手を騙して土地を取り上げ
       そこを
       新羅の拠点地
       月城とした
       新羅の第2代王
      「南解」は
      「脱解」が賢者であるとし
       娘(阿孝夫人)を与え
       第3代
      「儒理王」は
       死に際して
      「脱解」に後事を託し
      「脱解」が王となった
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      「金氏始祖」
      「金閼智
       第13代
      「味鄒(味鄒尼師今)」の7世祖
      「脱解」の治世に
       首都 金城の西方の
       始林の地で
       鶏の鳴き声を聞こえ
       夜明けに
      「瓠公」に調べさせたところ
       金色の小箱が
       木の枝にあり
       木の下で
      「白い鶏」が鳴いていた
       脱解が役人に小箱を回収させ開かせると
       中から小さな男の子が現れた
      「脱解」は彼を育てた
       聡明であったので
      「閼智(知恵者)」
       と名づけ
       金の小箱に入っていたので
      「金」を姓とし
       始林の地を
      「鶏林」と改名
       金氏が新羅王となると
       始祖である閼智にちなんで
       国号も
      「鶏林」とした
 ↓↑     ↓↑
       新羅
      (前57年~935年)
       503年
      「新羅」を正式国号とし
       520年
      「法興王(在位514年~540年)」
       律令を整備
       権力協合として
      「牟即智(法興)=寐錦王」
      「従夫智=葛文王」
       複数の王が共立・・・「七王」
       527年
       仏教導入
       532年
       伽耶地方の
       金官国を併呑
       536年
       独自年号
      「建元」を制定
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       551年
       小白山脈を超え
       高句麗の10郡を略奪
       552年
       高句麗百済が争い
       ドサクサで
       漢城(ソウル)を収め
      「新州」を設置
       漢城
       百済の首都で
       475年
       高句麗によって
       奪われた都市だった
       553年
       百済の聖王の軍勢を新羅軍が撃破
       聖王は戦死
       562年
       大伽耶を滅ぼし占領
       洛東江下流域の
       伽耶諸国が
       新羅に支配された
       仏教儀礼が盛ん
      「花郎」が貴人の私邸を
       リーダーとする青年組織が制度化
       564年
       北斉朝貢
       565年
      「使持節
       東夷校尉
       楽浪郡公」
       に冊立
       568年
       南朝の陳に朝貢
       新羅と中国とは
       高句麗に脅威を与え
       570年
       高句麗
       倭国と外交関係構築を模索
 ↓↑     ↓↑
       589年
       隋が中国統一
       隋の高句麗遠征失敗
 ↓↑     ↓↑
       600年
 ↓↑     ↓↑
       618年
       唐王朝
       新羅高句麗百済冊封
 ↓↑     ↓↑
       642年
       高句麗
       淵蓋蘇文
       がクーデターで実権
       百済
       義慈王(在位641年~660年)即位し
       新羅に侵攻
       新羅
       伽耶地方、40城余りを失い
       大耶城(慶尚南道陝川)陥落で
       城主が妻子もろとも殺害された
       城主の妻は新羅の王族
       金春秋の娘で
       新羅では一連の敗北を
      「大耶城の役」と呼んだ
       善徳女王
       金春秋
       金庾信
       が新指導体制
 ↓↑     ↓↑
       643年
       唐に救援要請したが
       女王を退け
       唐の皇族を
       新羅王に据えることを要求
       新羅国内で
       親唐派と反唐派の対立
       上大等の
       毗曇が女王の廃位を求めて反乱
       善徳女王が急死
       毗曇の反乱は半月程度で鎮圧
       金春秋(武烈王)は
       真徳女王
       を立てて唐との関係構築
       律令制度を取り入れ
 ↓↑     ↓↑
       650年
       新羅独自の
       年号(太和)・・・太の和
       を廃止し
       唐の年号を用いて
       唐との連携を強めていった
 ↓↑     ↓↑
       655年
       新羅
       高句麗百済から攻撃
       唐に救援と出兵を依頼
 ↓↑     ↓↑
       658年
       唐は高句麗遠征するが
       失敗
 ↓↑     ↓↑
       660年
       唐は海路から
       百済を攻撃
       新羅は呼応し
       百済の将軍
      「堦白」
       を撃破
       百済の首都
       泗沘が唐によって攻略され
       熊津も攻撃を受け
       百済滅亡
       百済の遺臣は
       倭国高句麗の支援を頼みに反乱
 ↓↑     ↓↑
       663年
      「白村江の戦い」で
       倭軍と百済は大敗
       唐軍は
       南北から高句麗を包囲するが
       失敗
 ↓↑     ↓↑
       666年
       高句麗
      「淵蓋蘇文」
       死去
 ↓↑     ↓↑
       667年
       高句麗遠征を開始し
       新羅
       文武王(在位661年~681年)
       は唐に呼応し
       30人の将軍と共に
       高句麗に侵攻
 ↓↑     ↓↑
       668年
       唐軍が高句麗の首都
       平壌を陥落させ
       高句麗は滅亡
 ↓↑     ↓↑       
       676年
       新羅朝鮮半島統一に帰着
 ↓↑     ↓↑
       668年~900年
       統一新羅時代
       後高句麗から起こった
       高麗に帰順し新羅滅亡
 ↓↑     ↓↑
       唐
       旧百済領に
       熊津都督府
       旧高句麗領に
       安東都護府
       を設置し
      「羈縻州」とし
       新羅
      「文武王」を
       鶏林大都督
       として
       朝鮮半島全域を支配しようとしたが
       新羅
       高句麗
       宝蔵王(在位642年~668年)
       の外孫
      「安勝」を
      「高句麗王(報徳王)」
       に封じ
      「高句麗の使者」を
       倭国朝貢させた
       新羅の使者が帯同して
       高句麗使が
       倭国へ送られた
      「報徳王」の冊立
      「新羅王権」の正統性で
       唐が設置した
      「安東都護府
       に対抗
       新羅
       旧百済領を事実上併呑
       唐は
       百済故地に置いた
      「熊津都督府」の都督に
       旧百済王族の
      「扶余隆」を据え
       新羅王と会盟を行わせ
       制圧した城や遺民の返還を要求
       新羅
       謝罪使を派遣し
       朝鮮半島全体を
      「羈縻州
       とする
       唐に対し
       百済新羅
       既に
       唐の羈縻州であり
       境界をわかつべきではない
       と主張して自らの行動を正当化
       670年
       新羅
       軍事行動で
       旧百済領に侵攻
       672年
       2度目の謝罪使を派遣
       侵攻と謝罪を繰り返した
       674年
       唐は
       新羅征討軍を起こし
       675年
       新羅は3度目の謝罪使を派遣
       唐皇帝
       高宗(在位649年~683年)
       を怒らせ
      「文武王」
       の官職剥奪の問題に発展
       新羅
       謝罪外交
       軍事的処置
       を並行
       676年
       伎伐浦で
       唐軍を破り
       旧百済領全域の支配を掌握
       唐は
      「熊津都督府」を
       遼東の
      「建安城」に
      「安東都督府」を
      「遼東城」に後退させた
       唐は
       新羅征討を計画したが
       チベット
       吐蕃の勢力拡張によって
       朝鮮半島に兵力を回せず
       678年
       新羅征討を断念
       新羅
       朝鮮半島中部以南から
       唐の勢力を排除
       684年
      「安勝」の
       高句麗亡命政権も取り潰した
 ↓↑     ↓↑
       698年
       旧高句麗領に
       旧高句麗遺民
       靺鞨
       などが
      「渤海」を興した
       渤海
       中国東北地方(満州)南部
       朝鮮半島北部
       ロシア沿海州
       に相当する地域に勢力を拡大
       8世紀
       黒水部に対する
       渤海の勢力拡張を巡る紛争から
       唐と渤海の対立激化
       732年
       渤海
       唐の
       登州(山東省蓬莱市)を襲撃
       唐は新羅渤海攻撃を要請
       新羅は受け入れたが
       攻撃の戦果がなかったが
       唐と新羅の関係は改善
 ↓↑     ↓↑
       733年
       新羅渤海攻撃の功績で
       浿江以南の地を冊封された
       渤海
       8世紀後半
       文王の頃には
       高句麗の後継者として
      「高麗国王」をなのるようになった
       新羅渤海
       両国の
       対唐
       対日本
       関係に影響した
       統一新羅
       旧新羅任那加羅領に3州
       旧百済領に3州
       旧高句麗領に3州
       の9つの州が設置
       と
       副都五京
       によって地域支配
 ↓↑     ↓↑
       745年頃~750年代後半
       新羅で飢饉や疫病が発生
       755年
       新羅から
       九州北部をはじめ
       日本へ亡命
       帰化した新羅の民が多数
       天平宝字三年(759年)九月
       天皇
       大宰府
       新羅からの帰化人に対して
       帰国したい者があれば
       食料等を与えたうえで
       帰国させよとする勅
       756年
       帰国を希望しなかった
       新羅人13人を
       武蔵国に送還
       飢饉や疫病で
       新羅の賊が発生
 ↓↑     ↓↑
 原文は
  ・・・「フリー百科事典
     『ウィキペディアWikipedia)』」
     を参照添付・・・
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 常泉寺の   
   寺宝として
   秀吉の肖像画
   加藤清正
   大坂城から持ってきたとされる秀吉の木像
   秀吉所持と伝えられる
   采配・茶釜・硯などが所蔵
 ↓↑ ↓↑
 所在地
 愛知県
 名古屋市
 中村区
 中村町
 字
 木下屋敷47
 常泉寺

 常泉寺
 東京都
 墨田区
 日蓮正宗の寺院
 山号
 久遠山(くおんざん)
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「プラトン古事記をカタル」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog-1
 「月間の日干支サイクル」
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 「年月日時×大運干支命式表の組織化」
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html