阿閉(あとじ・あつじ・あべ)・・・「閉」が「つじ」って?

 3034日目・文字霊日記
 阿閉=あとじ・あつじ・あべ・あえ・あへい・・・?

         ↓↑
 Y(丫=ア)字路・T (丁=テイ・ちょう)字路・七(漆)字路
 ↓↑
 阿閉(あとじ・あつじ・あべ)・・・「閉」が「つじ」って?
 閉=門+オ
 閇=門+下
   ヘイ
   し(まる)・・・丸・円・〇
   し(める)・・・芽瑠・目留・女留
   と(じる)・・・字留・事留・時留・地留
   と(ざす)・・・座主・坐す
   た(てる)・・・照・輝・瑛
   とじる・とざす・しめる・しまる
   とじる・やめる・終わりにする
   とじこめる・とじこもる
   かぎ・門の閂(かんぬき・毌抜き・環貫)を差しこむ穴
          韓 抜き?
 ↓↑
 オ=才
 材・財・犲・豺・鼒・釮
 团・䊷・䞗・䴭
 ↓↑
 地名
 高月町西阿閉
 (たかつきちょうにしあつじ)
 高月町東阿閉
 (たかつきちょうひがしあつじ)
 一乗寺西閉川原町
 (いちじょうじにしとじかわらちょう)
 一乗寺東閉川原町
 (いちじょうじひがしとじかわらちょう)
 三木閉(みきとじ)
 ↓↑
 阿閉=あえ・あつじ・あとじ・あへ・あべ
  閉野=しずの・とじの
  閉伊口=はいのくち
  閉伊=へい
 ↓↑
 閉まる(しまる)
 閉める(しめる)
 閉じる(とじる)
 閉ざす(とざす)
 閉てる(たてる)
 ↓↑
 開閉
 開けたり閉じたりすること・あけたて
 閉まる・閉じる・閉切る
 締め出す・閉め出す
 閉める
 自閉

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 ↓↑
 捨閉閣抛(シャヘイカクホウ)・・・遮蔽確報?
 自力での仏教修行を廃棄して
 念仏だけをひたすら行うこと
 「捨・閉・閣・抛」=捨て去る
 浄土宗の
 法然が著した「選択本願念仏集
 日蓮宗
 日蓮が四文字を抜き出して並べた言葉
 浄土宗を批判する標語
 ↓↑
 羞花閉月(シュウカヘイゲツ)・・・秀歌併解通?
 容姿が極めて美しいこと
 花も恥じらい
 月も恥じらい隠れてしまうほどの美女
 羞月閉花(シュウゲツヘイカ)・・・襲外通(秋月)兵火?
 容姿が極めて美しいこと
 月も恥じらい隠れ
 花も閉じてしまうほどの美女
 「羞」=恥らう
 蟄居閉門(チッキョヘイモン)・・・知通虚併文?
 門や窓を閉じ部屋から出ないこと
 「蟄居」は窓や扉を閉めて部屋にこもる
 江戸時代の武士に課せられた刑罰の一
 「閉門」は窓や門を閉め
 人の出入りを禁止する
 江戸時代に武士や僧侶に課せられた刑罰の一
 閉月羞花
 「羞」は恥らう
 月も恥じて隠れてしまい
 花も恥じるほどの美しい女性
 閉口頓首(ヘイコウトンシュ)・・・閉講遁主?
 どうしようもなく困り果てること
 言い負かされ
 返答することが出来なくなること
 「閉口」=口を閉じて何も言わない様子
 困り果てた状態
 「頓首」=頭を地面につけるようなお辞儀
 ↓↑
 殻に閉じ籠もる
 口は閉じておけ
 目は開けておけ
 口を閉ざす
 口を噤む
 沈魚落雁、閉月羞花
 (ちんぎょらくがん、へいげつしゅうか)
 美女を形容する言葉
 あまりの美しさに
 魚は沈み、雁は落ち、月は雲間に隠れ
 花は恥じてしぼむ
 幕を閉じる
 ↓↑
 アトジ(阿閉)
 日本姓氏語源辞典
 富山県滋賀県、北海道。アツジも含む分布。
 滋賀県ではアツジが主流。
 滋賀県長浜市高月町東阿閉
 高月町西阿閉発祥
 江戸時代に記録のある地名。
 地名、姓の古い発音はアツジ。
 同地に戦国時代
 滋賀県大津市本丸町が
 藩庁の膳所藩士
 大阪府岸和田市岸城町が
 藩庁の岸和田藩士
 石川県金沢市丸の内が
 藩庁の加賀藩士に江戸時代にあった。
 ↓↑
 三重県伊賀市(旧:阿拝郡)
 672年(天武天皇元年)
 に記録のある地名。
 地名は
 アエ・アハイで
 「阿閇」、「阿閉」、「安拝」、「阿部」
 とも表記し
 て戦国時代以降は
 「綾」と呼称した。
 同地に飛鳥時代
 「阿閉臣」の氏姓があった。
 ↓↑
 阿閇神社
 兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目11-21
 鎮座
 播磨町
 町制施行前は
 「阿閇村」と呼ばれていた
 ↓↑
 元明天皇=阿閇(あへ)=阿部・阿毎?
 661年
 斉明天皇七年
 ~
 721年12月29日
 養老五年十二月七日
 第43代天皇
 在位
 707年8月18日
 慶雲四年七月十七日
 ~
 715年10月3日
 和銅八年九月二日
 ↓↑
 藤原京から平城京へ遷都
 『風土記』編纂の詔勅
 『古事記』を712年(和同年)完成
 「和同開珎」の鋳造
 ↓↑
 諡号
   日本根子
     天津
     御代
     豊國・・・豊後・豊前・・・大分
     成姫天皇
 ↓↑
 諱 阿閇(あへ)・・・阿閉
   阿部(あべ)皇女とも
 ↓↑
 母 蘇我倉山田石川麻呂の女
   姪娘(めいのいらつめ・宗我嬪とも)
 父 天智天皇中大兄皇子
 ↓↑
 同母姉 御名部皇女高市皇子妃)
 ↓↑
 夫 草壁皇子
 子 軽皇子(珂瑠皇子・文武天皇)
   氷高皇女(元正天皇)・・・日高・日下
   吉備皇女(内親王長屋王妃)
 ↓↑
 慶雲五年一月十一日
 (708年2月7日)
 武蔵国秩父(黒谷)より
 銅(和銅)が献じられ
 「和銅」に改元
 和同開珎を鋳造
 ↓↑
 「藤原不比等」を重用
 ↓↑
 和銅三年三月十日
 (710年4月13日)
 藤原京から平城京に遷都
 左大臣
 「石上麻呂」・・・物部氏
 を藤原京の管理者とし
 右大臣
 「藤原不比等
 が事実上の政治執行権力者
 ↓↑
 和同五年(712年)正月
 諸国の国司
 荷役に就く民を気遣う旨の詔
 二十八日
 『古事記』を
 「太安万侶」に献上させた
 ↓↑
 和同六年(713年)
 『風土記』の編纂
 「好字令(諸国郡郷名著好字令)
 を詔勅
 ↓↑
 和同八年(715年)
 郷里制が実施
 九月二日
 孫の
 「首皇子(おびと おうじ)」
 ↓↑・・・首=くび=馘=頸=九尾=杙=句意?
     首=䒑+自
       丷+一+自
       丷+一+ノ+目
       シュ
       くび
       かしら
       こうべ
       はじめ
       もうす
       くびかしら・こうべ・あたま
       はじめ・はじまり・最初先頭
       かしら・首領・おさ・長官
       統率する人・監督
       詩歌を数えることば
       もうす・罪を申し出る
       自首・自白
       むかう・頭を向ける
       くび・首と胴の間の部分
       くび・職をやめさせる免職・解雇
       ↓↑
       名のり
       おびと
       かみ
       さき
       はじめ
       ↓↑
       首(くび)
       首(かしら)
       首(こうべ)
       首(はじ)め
       首(もう)す
       ↓↑
       匕首・合口(あいくち)
       鍔が無く・長さが短い刀・どす
       足首(あしくび)
       猪首(いくび)=短く太い首
       打ち首=斬罪
       絞首
       襟首(えりくび)=うなじ
       馘首(カクシュ)=解雇・首切り
       円首方足=人間
       鳩首協議=ボス同士の妥協交渉
       鳩首凝議=
       鳩首謀議=
       牛首馬肉=羊頭狗肉
       仰首伸眉(ギョウシュシンビ)
       何事にも動じないこと
      「首を仰ぎ眉を伸ぶ」
       ↓↑
       匕首に鍔(あいくちにつば)
       足駄を履いて首ったけ
      (あしだをはいてくびったけ)
       鬼の首を取ったよう
       鶴首(カクシュ)
       鎌首をもたげる
       雁首を揃える
 ↓↑     ↓↑
 「首皇子(おびと おうじ)」
 はまだ若く
 娘の
 「氷高(ひたか)皇女(元正天皇)」
 に
 譲位
 「太上天皇
 養老五年(721年)五月
 発病
 娘婿の
 「長屋王
 と
 「藤原房前
 に後事を託し
 遺詔とし葬送の簡素化を命じ
 十二月七日崩御・61歳
 ↓↑
 和銅発見地
 埼玉県
 秩父市黒谷に鎮座する
 「聖神社」に
 元明天皇下賜と伝えられる
 「和銅製蜈蚣雌雄一対」
     ムカデ(百足・蜈蜙・蜈蚣・蝍蛆・Centipede)
     多足亜門・ムカデ綱(唇脚綱、Chilopoda)
     に属する節足動物の総称
     オオムカデやゲジなどを含め
     脚の数が多く、運動性に富む肉食動物
 養老六年(722年)十一月十三日
 「元明金命(げんみょう こがねの みこと)」
 として合祀された
 ↓↑
 「阿閇神社」
 祭神
 住吉三神底筒男命中筒男命表筒男命
 息長帯姫命神功皇后
 ↓↑
 『住吉大社神代記』
 賀胡郡
 阿閇津浜の中心地にあたる
 ↓↑
 阿閇荘は
 現在の播磨町全域だけでなく
 加古川市南東部の
 別府町・平岡町の大半を含む地域・・・
 ↓↑
 本殿
 1702年(元禄二年)建立
 本殿はすべて西向き
 境内に
 阿閇恵美須神社
 1965年(昭和40年)
 島根県出雲国
 美保関神社より勧請されたもの
 稲荷神社も存在
 ↓↑
 氏は「アエ(阿閉)=アへ」
 ↓↑
 アツシ(篤)・アツシ(厚志)
 ↓↑
 アツジ(阿辻)
 アツジ(厚地)・アツジ(厚治)
 アトジ(跡路)
 アトジ(跡地)・アトジ(跡治)・・・後事?
 ↓↑
 アトジ(阿閇)・・・?
 ア ベ(阿閇)・・・?
 ↓↑
 アベ(阿部)・アベ(安部)・アベ(安倍)
 アベ(阿辺)・アベ(安陪)・アベ(阿倍)
 アベ(安辺)・アベ(阿邊)・アベ(阿邉)
 アベ(安邊)・アベ(阿陪)・アベ(安邉)
 ↓↑
 アベ(晁)・アベ(猜)
 ↓↑

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 名字由来net
 阿閉=あとじ・あつじ・あべ・あえ・あへい
      丫(ア)辻=三叉路=Y字路・・・?
               「丁字路」・・?
      七辻(ななつじ)=七叉路(ななさろ)=漆辻・・・?
      東京都大田区=七つの道が交差=7叉路(ななさろ)
             7=ク=ワ=7・・・?
            =大田区・・・「太田・多田・大多」+句
                    太田牛一・・・「信公記」
                    太安万侶・・・「古事記
             萩中・・・・・萩=ハギ(Lespedeza)
             ↓↑     マメ科ハギ属の総称
                    落葉低木・秋の七草
                    山口県
                    萩市・・・松下村塾
                    大字江向510番地
                    長州藩の本拠地
                    隣接自治
                    島根県
                    益田市
                    鹿足郡津和野町
                    山口県
                    山口市
                    長門市
                 阿武郡阿武町
             ↓↑     美祢市
             南蒲田、東六郷、南六郷の境
 現
 三重県北西部である
 伊賀国
 阿拝郡が起源(ルーツ)である
 阿閉臣
 (安倍氏(祖先は第八代孝元天皇の孫)族)
 の子孫
 膳所
 竜野城主などにみられる
 by
 2019-10-08
 古事記字源
ーーーーー
 ・・・???・・・

「サロメ=平和」の意味?・・・佐呂女・・・さるめ?

 3033+α日目・文字霊日記
ーーーーー
 キリスト死後の墓参の女性
 ↓↑

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 マルコ16章=マグダラのマリア
       ヤコブの母マリア
       サロメ
       の三人
 マタイ28章=マグダラのマリア
       もう一人のマリア
       の二人
 ヨハネ20章=マグダラのマリアだけ
 ルカ 24章=マグダラのマリア
       ヨハナ
       ヤコブの母マリア
       一緒にいた他の婦人たち
 ↓↑
 イエスの母マリア
 マグダラのマリアベタニアのマリア
 ヤコブとヨセの母マリア
 クロパの妻マリア=イエスの母の姉妹
 ↓↑
 ゼベダイの子らの・・・ゼベダイの妻の
 母の名は
 「マリア・サロメ」・・・ヘブライ語
            「サロメ=平和」の意味?
 ↓↑
 ゼベダイ(Zebedee)=ヘブル語の
           「主の賜物・授けられし物」
 ゼベダイの妻
 「サロメ」・・・Salome
 ↓↑     サロメ(Salome)=さるめ=猿目=猿女?
 ↓↑     ↓↑
        同名の別人は
        オスカー・ワイルドの戯曲の『サロメ
       (新約聖書マタイ伝14章
        マルコ伝6章より)
        1891年フランス語で書かれ
        1893年にパリで出版
 ↓↑     ↓↑
        サロメ
        義理の父は古代
        パレスチナの領主
        ヘロデ・アンティパス
        実母はその妃
        ヘロディア
        養父は
        サロメ=ヘロデ・アンティパスに
        祝宴での舞踏の褒美として
       「好きなものを求めよ」と言い
        サロメの母
        ヘロディアの命により
       「洗礼者ヨハネの斬首」を求めた
        新約聖書には
        サロメの名は記録されていない・・・?
        同名の異人だからか?
       「マリア」=「サロメ」は個人名か?
 ↓↑    「罪深い女」=ヘロディアの娘「サロメ」?
 ゼベダイの妻
 「サロメ」は
 イエスの母マリアの姉妹
 カペナウムの裕福な漁師
 使徒ヤコブヨハネの父
 ヤコブが兄、ヨハネが弟
 ↓↑
 「マグダラのマリア
 「ベタニアのマリア
 「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
 同一人物であるとしたのは
  591年
 ローマ教皇
 グレゴリウス1世(Gregorius I)
  540年?~604年3月12日
  在位は、590年9月3日~604年3月12日
  問答者グレゴリウス(Dialogos Gregorios)
  ロマの「パパ」
  問答者聖グリゴリイ(鍵括弧原典ママ)
  大聖グレゴリウスとも
  典礼の整備、教会改革の教皇
 ↓↑
 グレゴリウス13世(Gregorius XIII)
 1502年1月7日~1585年4月10日
 辛酉(庚・ ・辛)⇔乙酉(庚・ ・辛)
 辛丑(癸・辛・己)⇔庚辰(乙・癸・戊)
 癸巳(戊・庚・丙)⇔壬午(丙・ ・丁)
  午未=空亡
 ↓↑
 グレゴリオ暦
 (伊語 Calendario gregoriano
  英語 Gregorian calendar)
 ローマ教皇
 グレゴリウス13世が
 ユリウス暦の改良を命じ
 1582年10月15日(グレゴリオ暦
 から行用されている暦法
 彼は
 1572年
 サン-バルテルミの大虐殺で
 新教徒の殺害を喜び、ミサをあげた
 1585年
 日本からの
 天正遣欧使節
 少年使節たちを謁見
 ↓↑
 グレゴリオ暦
 325年ニケーアの宗教会議
 復活祭の日を決定する必要上
 春分の日を毎年
 3月21日と定めた
 ユリウス暦を使っていたので
 1582年
 には実際の
 春分の日
 3月11日
 になっていたので・・・ズレを修正
 暦改革
 ↓↑
 1582年10月 4日の翌日を
 1582年10月15日とした
 ↓↑
 キリスト降誕(紀元)年数が
 4の倍数の年を閏年とし
 ただし
 紀元年数が
 百の倍数(当然4の倍数)である場合には
 4百の倍数でない限り
 平年とする」と定めた
 ↓↑
 我らの「11日」を返せ
 イギリスの新暦
 新教国であったイギリス
 その殖民地アメリ
 はグレゴリウス暦を拒んだ
 1751年
 イギリスで
 元国務大臣
 チェスターフィールド卿が
 2年にわたって大衆紙や貴族を説得し
 新暦の採用が議会を通過
 その法令により
 1752年から
 1月1日を年の起点とした
 (それまでは3月25日だった)
 旧来の
 ユリウス暦で積み重なった
 誤差を正すために
 9月 2日の翌日を
 9月14日とした
 これで
 1年のなかで「11日」が消えたので
 「我らの11日を返せ」
 という抗議行動が起こった・・・
 「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・
 ↓↑
 聖母マリアの受胎告知の日(3月25日)
 イギリスでは
 3月25日が
 1年の始まりだった
 ↓↑
 1689年2月13日
 名誉革命
 ウィリアム3世
 メアリ2世
 が即位し
 当時は1年の始まりが
 3月25日だったので
 2月13日は
 前年の
 「1688年の革命=名誉革命
 とされる・・・
 ↓↑
 ・・・神殿「売春婦」
    ミュリッタ=新バピロニア王国
   (紀元前625年~紀元前583)では
   「神殿売春」
   「エフェス遺跡は紀元前11世紀
    イオニア(古代ギリシャ)人により建設
    アルテミス神殿を中心にした都市国家
    そこに存在する
   「12000冊以上の蔵書」を有する
   「セルシウス図書館」は
   「アルタミラ神殿」に隣接
    その看板は「足型」
   「この足型より小さい足の人は、売春お断り!」
 ↓↑   
    ヘロドトス
    古代エジプトに存在した「神殿娼婦」を
   『歴史』の中でその慣習を記録
 ↓↑ ↓↑
    首都アテネから北西へ約180km
    デルフィ遺跡
    ギリシア中部パルナッソス山麓にあった
    ポリス(都市国家
    紀元前8~前6年ごろは
    全世界の中心と呼ばれ
   「汝自身を知れ」
   「過ぎたるは及ばざるがごとし」
    の
    予言の神アポロンが崇拝されていた
    神殿北側の丘の上に
    天然の岩山を削って造られた
    円形劇場
    紀元前4世紀に造られ
    2世紀後にローマ人によって復元された
    35段の大理石の階段席    
 ↓↑ ↓↑
    西暦4世紀にキリスト教を奉じる
    ローマ帝国皇帝
    コンスタンティヌス1世
    女神の神殿=イシュタル
          イシス
          イナンナ女神
    を破戒し、キリスト教
 ↓↑ ↓↑
    ヒエロス・ガモス(Hieros Gamos)
    または
    ヒエロガミー(Hierogamy)
    は「聖なる結婚=ギリシア語由来の言葉」
    神婚、聖婚、聖体婚姻
    聖婚=神話や儀礼などの男女二神の交合
       神と人の婚姻
       天の神と地母神の交わり
       男神と女神
       神と人の結婚の祭儀
       中世ヨーロッパで
       修道女=神の花嫁
    語源はギリシャ
    「hieros=holy(神聖な)
        =gamos
        =marriage
        =coupling(婚姻、媾合)
    デーヴァダーシー(Devadasi)
   「神の召使」を意味
    バラタ・ナーティヤム
    オリッシー
    といったインドの伝統舞踊を伝え
    神殿売春を強要される因習の被害者・・・
 ↓↑ ↓↑
   「神聖儀礼」だった「売春」行為、
    売春婦そのものが
   「罪深い女(ルカ(7:36-50))」
    ではない・・・?
    では、ナニが、ダレが・・・罪深いのか?
   「ヘロディア」と、その娘「サロメ
            ・・・「猿 女」?
 ↓↑
 イエスの母は
 カナでの婚礼の後
 イエスと行動を共にする(ヨハネ2:12)
 カナの婚宴
 (ラテン語: Nuptiae in Cana factae))
 イエス・キリストの最初の奇跡の地
 (ヨハネ福音書2章1-12節)
 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、
 イエスの母がそこにいた
 イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた
 カナ(Cana)
 は新約聖書に登場する
 ガリラヤ地方の町の地名である
 ↓↑
 旧約聖書
 アシェル族の町
 カナが記録
 ツロの南東10kmにある現在の「カーナ」
 「ベツサイダ(Bethsaida)」
 新約聖書に登場する町の名前
 「漁師の家」
 という意味の
 アラム語を音訳した地名
 イスラエル共和国の
 古跡「エッ・テル」
 イエス・キリスト
 最初の弟子になった漁師
 アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷
 ガリラヤの町
 イエスは盲人を癒し
 また、町の人々の不信仰に嘆いた場所
 ↓↑
 ヘロデ大王の子
 ピリポが再興
 ↓↑
 皇帝アウグストゥスの娘
 ユリアにちなんで
 ベツサイザ・ユリアス・・・別(捌)歳座(差)
 と呼ばれた町
 ↓↑
 イエス=マリアとローマ兵との間の私生児
ーー↓↑ーー
 バラのナマエ・・・
 「薔薇の名前
 (イタリア語
  原題:Il Nome della Rosa
  イル・ノーメ・デッラ・ローザ)
  ウンベルト・エーコ
 1980年に発表された小説」
 ・・・「薔薇(ばら)の斗の数の命」
 ・・・「紫薇(さるすべり)の斗の数の命」
 ・・・「百日紅の斗の数の命」
 ・・・・バラバラのバラ違い
 ・・・「バラバ=バラバ・キリスト
        =ギリシャ語=Bαραββᾶς
     ラテン文字転写
        =Barabbas」
 ・・・「新約聖書に登場する
     ユダヤ(猶太)人の犯罪者、囚人」
 で、「イエス」の代わりに
 恩赦を受け、釈放された
 ・・・「バラバ=アッバス(父=アバ)+子(バル)」?
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 アッバースアラビア語:Abbās)
 アラビア語の男性名
 アッバスは長母音の省略
 預言者ムハンマドの叔父の名
 バンダレ・アッバース=イランの都市名
 西アジアイスラム王朝
 建国者アブー・アル=アッバースの名に由来
 750年
 ムハンマドの伯父アッバースの子孫
 アブー=アッバース
 ウマイヤ朝を倒し
 クーファで即位
 アッバースアラビア語:Abbās)
 アッバース=「顔つき・表情」
       「厳粛な・厳格な」
       「渋面・獅子」
  ↓↑
 フグ(河豚・鰒・鮐・魨・鯸・鯺)
   =Blow -fish
   =Puffer fish
   =globe -fish
   =グローブ-フィッシュ
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
 総督ピラトが過越祭の特赦として
 イエス
 かわり=換・變・替・孵・蛙・代・逓・遞・還・復・歸
 に
 生命(いのち)を恩赦された
 「ユダヤ熱心党の頭目
        首領、首魁、梟首、梟将、
        梟帥=たける=建、党首?」・・・
 ↓↑
 「バラバ」とは聖書には
 ペトロ(彼得)の使徒行伝-第3章14節
         反乱
         強盗殺人の犯罪者
 マタイ(馬太)伝は罪状の記述なし
 マルコ(馬可)伝は暴動時の殺人
 ルカ(路加)伝は殺人
 ヨハネ(約翰)伝は強盗・・・
 ・・・「バラバ・イエス」の「音写」・・・
 「バラバ・イエスは自由の身になった」・・・
 そして、
 「ナザレのイエス
 として
 「死して三日後(金~土~日曜日)に生き返った=復活」
 と、
 マグダレのマリアに吹聴させた・・・
 ↓↑
 「イエス」とは
 へブライ語の
 Yeshua(ョシュア)を
 ギリシャ語で
 Iesous(イレシュア)
 ラテン語
 Iesus(イエスス)
 Yehoshua(ィヱホシュア)
 で、
 「イエス・キリスト
  油を塗られし者・油を注がれし者」
 だが、
 当時の一般的な呼び名は
 「ナザレのイエス
 「ヨセフの子、イエス
 「ナザレの人で、
  ヨセフの子イエス
 であった・・・
 「バラバ・イエス」とは
 「バラバ(父)の子、イエス
 と同意義で・・・
 「バラバ・イエス(マタイ27:16-17)」
 「ユダヤ過激派-熱心党の一員で党首?」
 で、
 「イエス・(キリスト)」とは別人だが
 同名の
 「イエス・(バラバ)」である
 「バラバ」は「マリヤ」と
 ユダヤから逃亡した・・・?
 ・・・故に
 「マグダラ(ダレ)」の
 「マリア」は
 「罪深い女」・・・???・・・
ーーーーー
 正教会の伝承
 イエス磔刑
 生神女聖母マリア
 使徒達とともに
 エルサレム中に
 キリストの
 復活を伝え、その第一の証人となった
 キリスト復活の伝導で、旅し
 ローマで
 皇帝ティベリウスに会い
 紅い鶏卵を献上
 ハリストス(キリスト)の
 復活
 十字架の死
 ピラトによる
 イイスス・ハリストスの
 死刑は不法と皇帝に訴えた
 鶏卵を贈る習慣が
 復活の記憶(復活大祭)に
 鶏卵を贈る習慣が始まった
 ↓↑
 カトリック教会での伝承
 四福音書
 マグダラのマリア
 と特定されていない女性が登場し
 「罪深い女」が
 「マグダラのマリア」と同一視され
 彼女は
 イエスの足に涙を落し
 自らの髪で拭い
 香油を塗った
 図像では
 アラバスター
 香油壺を手にする姿が代表的
 「らい(癩)病人シモン」の家で
 ナルドの香油の入った
 石膏の壺を持った女が
 イエスの足を
 自らの涙の髪で拭い
 香油を塗った
 ↓↑
 伝説のマグダラのマリア
 ヤコブス・デ・ウォラギネの
 『黄金伝説(Golden_Legend)』
 などによれば
 「マグダラのマリア」は
 金持ちの出自で
 美貌
 快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛
 「罪深い女(the Sinner)=娼婦」
 との異名を与えられた
 ルネサンス以降
 「マグダラのマリアの悔悛
  (The Penitent Mary Magdalene)」
 を主題とする絵画、彫刻が多く制作された
 イエス死後
 兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉)
 らとともに
 南仏マルセイユ
 (あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)
 に着き
 晩年は
 サント=ボームの洞窟で隠士生活後、死亡
 遺骸は
 エクス=アン=プロヴァンス郊外の
 サン=マクシマン=ラ=サント=ボーム
 に葬られた・・・
 ヴェズレーの
 サント=マドレーヌ大聖堂には
 キリストの遺骸(頭蓋骨)を移葬したと主張し
 サン=マクシマン側は
 遺骸を保持していると主張
 一部は
 パリの
 マドレーヌ寺院にも分骨・・・
ーーーーー
 John Lightfoot
 (1602年3月29日~1675年12月6日)
 英国の教会員、ラビの学者
 ケンブリッジ大学の副学長
 ケンブリッジ
 聖キャサリン大学の修士
 が
 「マグダラのマリア」は
 「ヘアー・ドレッサー」を意味する
 ヘブル語の
 「メガデラ・ネシャヤ」に由来し
 「身持の悪い女」を暗喩する、と云った・・・
 ↓↑
 「塔」を意味する
 アラム語「ミグダル」
 ギリシア語「マガダン」
 に由来
 彼女の揺るがぬ
 堅い信仰のゆえに名付けられた「ナマエ」
 4~5世紀の神学者
 ヒエロニムスの示唆・・・
 ↓↑
 「マグダラのマリア」と
 「ベタニアのマリア
 は同一人物・・・
 ↓↑
 ベタニア(ヘブライ語
 新約聖書に登場するエルサレム近郊の地名
 マリア・マルタ・ラザロ兄弟の住んでいた土地
 オリーヴ山の南東麓にある
 パレスチナ人の村
 アル=エイザリヤ(al-Eizariya)
 ↓↑
 ヨルダン川対岸の
 ベタニア(アル・マグタス)
 1138年
 十字軍により作られた
 エルサレム王国の女王
 メリザンド(フールク・ダンジュー王妃)
 がこの地に修道院を創立
 メリザンドはここで没し
 孫娘の
 シビーユ
 もここで育った
 ↓↑
 ベタニア(Bethany)=ベタバラ(Bethabara)
 「士師記7:24」の
 「ベト・バラ(Beth-barah)」
 「ヨシュア記18:22」の
 「ベト・アラバ(Beth-arabhah)」
 と同じ
 ベタニア(Bethany)=パレスチナ地方の
            古都エルサレム近郊の地名
 ヘブライ語
 「病む者の家・貧困の家」という意味
 ↓↑ 
 イスラエル
 オリーブ山の東斜面
 エルサレム‐イェリコ街道沿いにある村
 マルタとマリアの両姉妹と
 その兄弟
 ラザロの故郷
 死んで墓に葬られていたラザロを
 イエスが生きかえらせた場所
 病のためラザロ死去し
 その4日後
 布教先から帰ったキリストが
 墓の前で祈り呼びかけると
 蘇生した
 (ヨハネによる福音書・11・ラザロの復活)
 さらに
 復活したイエスの昇天の場所
 (ルカによる福音書・24:51)
 当時の名前
 ラザリウム=Lazariumは
 現在の村のアラビア語
 アザリエ=al‐Azarieh
 ↓↑
 ヘブライ語=ベイトハニヤ
 アラビア語=アイザリーヤ
 エルサレム近郊の
 オリーブ山東麓にある小村
 村には
 ラザンとその姉妹
 マルタと
 マリアの家
 癩者シモンの家
 などがあり
 イエスがそれらの家を訪れた場所
 3世紀には聖堂が建設
 1967年まではヨルダン領で
 「六日戦争」以後
 イスラエルの占領地
ーー↓↑ーー
 マグダラ (Magdala) ・・・「ラリルレロ」・・・
 ↓↑
 タルムードにおいて
 ミグダル・ヌナヤ(「魚の塔」)
       ・・・・魚を問う?・・・
      ヌナヤ=ヌ名哉=のナカ?
 イスラエルガリラヤ湖北西岸に位置する
 古代におけるガリラヤの都市の一つ
 現在の
 ミグダル(Migdal)=マグダラ (Magdala)
 ↓↑
 「マグダラ(ダレ)」の「マリア」は
 恐れながらも
 大いに喜び、
 急いで墓を立ち去り、
 弟子たちに知らせるために
 走って行った
 (マタイ福音書28章8節)
 ↓↑
 そして、墓から帰って
 十一人と
 他の人、皆に一部始終を知らせた
 それは、
 マグダラのマリア
 ヨハナ
 ヤコブの母マリア
 そして一緒にいた
 他の婦人たちであった
 (ルカ福音書24章9-10節)
 ↓↑
 「使徒たちへの使徒
  (the Apostle to the Apostles)」
 マグダラのマリア
 (ラテン語: Maria Magdalena)は
    ・・・Magdalena=マグダレ名?
 新約聖書中の
 福音書に登場
 イエスに従った女性
 マリヤ・マグダレナ
     マグダレナ=マグダレーナ(Magdalena)
     ヨーロッパ系の女性名
     マグダラのマリアに由来
     異形に
     マグダレーネ(ドイツ語)
     マドレーヌ(フランス語)
     マッダレーナ(イタリア語)
     マグダ (Magda)
     マグダラのマリアに由来
     マグダレーナ (Magdalena)
     マグダレン (Magdalen)
     マドレーヌ (Madeleine)
     マデレーン (Madeleine)
     マッダレーナ (Maddalena)
     等は同根
     マリリン (Marilyn)
     は
     マグダラのマリア
     メアリー・マグダレーン(Mary Magdalene)
     と
     リム(lym)=リンダ(Linda・Lynda)
     との合成
     マグダレナ・ソフィア・バラ
     (1779/12/13~1865/5/25)
     己亥(戊・甲・壬)⇔乙丑(癸・辛・己)
     丙子(壬・ ・癸)⇔辛巳(戊・庚・丙)
     丙戌(辛・丁・戊)⇔戊戌(辛・丁・戊)
     午未=空亡
     1800年にフランスで創立
         女子修道会、聖心会
 ↓↑ ↓↑
     マドリード(スペイン)
     マグダレナ川=コロンビア西部の河川
     (スペイン語Rio Magdalena)
     マグダレーナ県=コロンビア北部の県
 ↓↑ ↓↑
    小西行長の母=ワクサ
    洗礼名は
    マグダレーナ、マグダレナ
    小西ワクサ=豊臣秀吉正室・おねの侍女
    大阪城
    豊臣秀吉の側室などを取り仕切っていた
    小西行長の父・小西隆佐=堺の豪商
    1585年、羽柴秀吉に仕えた
    ・・・マグダレナ
       馬具拿例名?
       眞愚誰 名?
 ↓↑ ↓↑
 正教会カトリック教会・聖公会で聖人
 正教会では
 携香女(ケイコウジョ)
 亜使徒(アシト)
 の称号をもつ聖人
 ↓↑
 香油の入った壷を持った姿で描かれ
 これは
 墓にあると思われていた
 イエスの遺体に塗るために
 香油を持って墓を訪れた
 との聖書の記述に由来・・・
 「携香女(ケイコウジョ)」
 の称号もこれに由来・・・
 マグダラのマリア
 イエス・キリスト
 十字架につけられるのを見守り
 イエスが埋葬されるのを見つめ
 そして墓の方を向いて
 座っていた婦人たちの中で
 一番重要な人物・・・と、された・・・
 ↓↑
 マグダラのマリア
 聖人とする
 西方教会カトリック教会、聖公会)の
 記念日(聖名祝日)は
 7月22日・・・蟹(解+虫=かに・カイ)座の最終日
 ↓↑
 正教会では
 8月4日
 携香女・亜使徒として記念
 記憶
 (7月22日・・・蟹(解+虫=かに・カイ)座の最終日)
 記憶日に加え、
 復活祭後
 第二主日
 「携香女の主日
 ↓↑
 マグダラのマリア
 イエスの死と復活を見届けた証人
 西方教会では
 教義上
 「悔悛した罪深い女」・・・
    ・・・ナニを「悔悛し、罪深い女」とされるのか?
 とした
 東方教会正教会)では
 マグダラのマリア
 「罪深い女」ではない・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 勿論、磔刑にされた
 「イエス・キリスト」は
 「ユダヤ穏健派-熱心党の一員」だった・・・
 思想家は殺される・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・

安倍川氾濫・・・こいねがわくは、どうか平穏であってほしい・・・

 3033日目・文字霊日記
 マグダレーナ(Magdalena)・・・高知・狡知・後置
 常呂(ところ)町・土佐?
 常呂(トコロ)郡
 常呂(トコロ)町
 土佐(トサ)
 ↓↑
 常=龸+吊
   龸=小 +冖=しょう・しょうがしら
   常=尚+巾 
     尚=なおがしら
     ショウ
     くわ(える)
     たっと(ぶ)
     とうと(ぶ)
     なお
     たっとぶ・とうとぶ
     敬い重んじる
     くわえる・付け加える
     たかい・たかくする
     こいねがう・希望する
    「なお」
    「その上・さらにその上」の意
    「なお」
    「やはり・依然として」の意
    「こいねがわくは」
    「~を願う・どうか~であってほしい」の意
   ⺌+冖+口+巾=小さいワは口の巾
   口巾を憚る?
      憚=忄+單
        忄+口+口+田+十
        忄+口+口+日+十
        はばかる・おそれつつしむ・かしこまる
        気がねする・遠慮する
        病む・疲れる・病気になる
        はばかり・恐縮する気持ち・気がね・遠慮
   小+冖+口+巾=小さいワの国(口)の巾(はば・頭巾)?
   丨+丷(八・ハ)+冖+口+巾
   ジョウ
   つね・いつまでも変わることがない
   つね・いつも・ふだん
   とき・常盤(ときわ)御前
   とこ・常夏・常世
   あたりまえ・なみ・普通
   はた・日月や竜などを描いた天子の旗
   長さの単位・一常は、尋(八尺)の二倍
   とこ・名詞などの上につけて
  「いつまでも変わらない」
  「永遠に変わらない」
   などの意を表わす接頭語
   ひたち=常陸・常盤・常盤
 呂=背骨・音楽の十二律音階の六段
 ↓↑
 登呂(とろ・静岡県静岡市駿河区登呂五丁目
 北緯34度57分22秒
 東経138度24分29秒)
 「安倍」川・・・阿部川餅・・・
 の分流の洪水時
 押し流された土砂が堆積し
 自然形成の堤防の上に造られている
 村は、北東~南西の方向に広がる
 微高地を利用して
 住居12棟
 高床倉庫2棟が建っており
 水田は、その南につくられている
 ↓↑
 登呂
 遺跡ではない
  「常 呂
  (ところ)」ですか
  尋常・常陸
   常世⇔少彦名の神
      少 名毘古那 神
     (すくなびこなのかみ)
     『古事記
      ↓↑
      少彦名命
     (すくなひこなのみこと)
     『日本書紀
      ↓↑
      天  少  彦 根 命
     (あまのすくなひこねのみこと)
     『先代旧事本紀
      ↓↑
      須久奈比古命
     『出雲国風土記
      ↓↑
      小  比古尼 命
     (すくなひこねのみこと)
     『播磨国風土記
      他に
      須久那美迦微
      少日子根
      などと表記
      ↓↑
     『古事記』では
      神 産巣日 神
     (かみむすびのかみ)の子
     『日本書紀』では
      高 皇産霊  神
     (たかみむすびのかみ)の子
      ↓↑
      垂仁天皇古事記)が
     「多遲麻毛理」に
      時じくの香の木の実を
      垂仁紀(日本書紀)で
      垂仁天皇
     「田道間守」を
      常世国に遣わして
     「非時香菓=橘の実」
      を求めさせたが
      その間に
      天皇崩御
      ↓↑
      常世の国
      少彦名神御毛沼命、田道間守
      が常世の国に渡った・・・
      浦島子(浦島太郎)の
      龍宮城=常世の国
      ↓↑
      少彦名神
      少彦名神大国主とともに国土を成し
      後に常世の国に帰った
     『古事記』上巻
      ↓↑
      国造り後、少彦名命は熊野の岬に行き
      そこから“常世郷”に渡った
      直後の異伝
     「淡嶋(鳥取県米子市)に行き
      登った粟の茎に弾かれて
      常世郷に渡った
     「伯耆国風土記逸文にもあり
      伯耆国の「粟嶋」という地名の由来譚
     『日本書紀神代巻』第八段の一書・第六
      ↓↑
     『古事記
      御毛沼命三毛入野命
     「鵜草葺不合命」の息子
      神武天皇の兄
      御毛沼命は波の穂を跳みて
      常世の国に渡った
     『日本書紀
      三毛入野命
      神武天皇の東征に従軍し
      軍船を進め熊野に至った折
      暴風に遭い
     「自分の母と姨はともに
      海の神であるのに
      なぜ波を起こして
      我々を溺れさせるのか」
      と嘆き、波の秀を踏んで
     「常世郷」に往った
      ↓↑
      橘=「非時香菓」=不老不死の霊薬
      ↓↑
     『万葉集』巻九・1740
     「高橋虫麻呂」作の
     「浦嶋子
      浦島子が漁に出て
      七日帰らず海を漕いで
      常世に至り
      海若(わたつみ)の神の宮に
      神の乙女とともに住んだ
      神の宮では老いも死にもせず
      永世にわたって
      生きることができたが
      浦嶋子は帰郷し
      時間の経過を知って
      玉笥を開け、煙を浴び
      白髪の老人になってしまた
      常世の国=海の神の不老不死の世界
     『日本書紀』の雄略天皇二十二年
     『丹後国風土記逸文
      いずれも海中の「蓬莱山」に至った
      嶋子の本名は
      ↓↑
     「日下首嶋子(嶋子首)」
      ↓↑
      但遅馬国造の一族・・・
      ↓↑
      常世の国=死後の世界
           神仙境・老不死の世界
      ↓↑
      常世の神
      ↓↑
      「橘」・・・「橘 美千代」って何者?
       県 犬養 三千代
      (あがた(の)いぬかい の みちよ)
       天智天皇四年(665年)
       ~
       天平五年一月十一日(733年2月4日)
ーーーーー     ↓↑
 和銅元年(708年)11月
 元明天皇から
 橘宿禰姓を賜り
 養老五年(721年)5月
 元明太上天皇の病平癒を祈念して仏門
 天智天皇の娘
 草壁皇子の妻となった
 阿閉皇女(元明天皇)に出仕した
 敏達天皇皇親
 「美努王
 に嫁し
 葛城王橘諸兄
 佐為王(橘佐為
 牟漏女王
 を生む
 天武天皇十三年(684年)
 第一子
 葛城王を出生し
 軽皇子文武天皇
 は
 天武天皇十二年に出生
 元明天皇と三千代の
 主従関係から
 三千代は
 「軽皇子
 の乳母を務めていた・・・
 ↓↑
 美努王
 と離別し
 藤原不比等
 の後妻となり
 光明子
 多比能
 を生んだ
 ↓↑
 藤原不比等
 持統天皇三年(689年)
 直広肆・判事
 持統天皇十年(696年)
 高市皇子死去
 不比等は政権中枢に参画
 文武天皇元年(697年)八月
 不比等の娘
 宮子
 即位直後の
 文武天皇の夫人となる
 藤原朝臣姓が
 不比等とその子孫に限定され
 「藤原氏=不比等」家が成立
 「阿閉皇女」
 の信頼を受けた
 「三千代」の存在があった・・・
 ↓↑
 『続日本紀
 慶雲四年(708年)七月壬午(17日)
 「阿閉皇女」即位し
 元明天皇
 和銅元年十一月
 大嘗祭
 不比等
 右大臣
 葛城王の上奏文
 癸未(25日)の御宴において
 三千代は元明から
 天武天皇の代から仕えていることを称され
 杯に浮かぶ橘とともに
 「橘 宿禰」の姓を賜り
 橘氏の実質上の祖となった
 県犬養一族のなかで
 橘姓への改姓は
 「三千代」のみであるが
 三千代は改姓後も
 県犬養一族に属した
 藤原宮跡からは
 大宝元年の年記を持つ
 「道代」木簡と
 大宝三年の年記を持つ木簡群に含まれる
 「三千代」木簡が出土
 橘姓への改姓と同時に名も
 「道代」から「三千代」に改名・・・
 同年五月
 前夫の
 「美努王」死去
 ↓↑
 『続日本紀
 三千代は
 養老元年(717年)
 従三位
 正史における三千代の初見
 養老元年以前の
 三千代の職掌・位は不明
 霊亀元年(715年)時点
 従四位・尚侍の任
 霊亀二年(716年)
 娘の
 「安宿(光明皇后)」が
 皇太子
 「首(聖武天皇)」の妃
 「県犬養 唐の娘
  広刀自」
 も「首(聖武天皇)」の妃
 養老四年(720年)・・・「日本書紀」上奏
 「不比等」死去
 『続日本紀』に
 養老五年
 正三位
 元明天皇の危篤に際し出家
 733年(天平五年)1月11日
 薨去
 同年12月28日
 従一位
 760年(天平宝字四年)8月7日
 正一位
 大夫人の称号を贈られた
ーーーーー     「橘」・・・立場は名?
           ↓↑
           常世の国に生える「非時香果」
          『日本書紀』の皇極紀
           橘に発生する「虫」を
           常世神として祀る
           新興宗教
           富士川の近辺で起こり
           都にまで広がった
           この神を祀れば
           富と長寿が授かると説かれたが
          「秦河勝」に討たれ
           常世神信仰は終息
           ↓↑
           雁=常世の鳥
          『源氏物語
          「須磨」に歌が数首
 ・・・by ウィキペディアWikipedia
ーーーーーー
    ↓↑
 登呂=とろ=土呂・瀞・吐露
       ・・・瀞=氵+靜
            氵+静
            氵+靑+爭
            氵+青+爭
            氵+青+争
            氵+龶+円+爫+彐+亅
            氵+龶+月+爫+彐+亅
            氵+龶+月+⺈+彐+亅
            ジョウ
            セイ
            とろ
            清い・清らか・汚れなく清い
            とろ・どろ・川が深くよどみ静かなこと
        『長瀞
         「瀞(とろ)」
          緩やか・・・とろとろと燃える
                とろとろと流れる
           岩畳や川が長く緩やかに続く場所
          川の深さが深く
          流れが非常に静かな所
          標高の低い湿地帯

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          地名
          長瀞 (宮城県亘理郡亘理町)
          長瀞 (山形県東根市)
          長瀞 (山形県南陽市)
          長瀞 (埼玉県秩父郡長瀞町)
          長瀞 (神奈川県平塚市)
    トロフィー(trophy)
    トロピカル(tropical)
    トロンボーン(trombone)
    トロロいも・・・都呂々いも
    トロける・・・・蕩ける
    ↓↑
    トロイ(Troy)・・・「トロイの木馬
               Τροία・Troia・トロイア
              (希臘語)
               Troja・トロイア
              (古典拉丁・羅甸・ラテン語
               Ἴλιος・Īlios ・イリオス
              (古代希臘語)

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    トロイの都市国家の名の変遷
    テウクロイ→ダルダノス→ダルダニア→トロイア
    ↓↑
    トロース(Τρώς・Trōs・トロイアの王)
    と
    カリロエー
    の息子の「美少年」
    ガニュメーデース(ガニメデ)を
    臥爾喩目得出得素?(賀似女出?)
          ・・・蟹 目出?
             蟹座=化け蟹カルキノス(希: καρκίνος)
                ザリガニ
                かにざ・Cancer
                6/22(21)~7/22(23)
                水無月=みなづき=見名通記
                ~
                文月=ふみづき=史・書通記
                8月=葉月
    ・・・元々大地に「天の雨」をもたらす神
    ゼウスが
    「鷲(Eagle)」に変身して誘拐し
    オリュンポスの
    給仕係(ページ・page)・・・頁・葉
    とし
    その代償として(トロース)に
    「馬(horse)」を与えた
     トロイ(troy)=仏国の地名 Troyes
     トロイ(troy)=英国で貴金属・宝石に使用する
             ヤードポンド法
             質量の単位
     トロイ奴・・・「にぶい・のろい・鈍い」奴
     どうやら「ニブイ」のはボクらしいが・・・
     判るまでカナリの時間がかかる・・・

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        「トロッコ」=芥川龍之介の小説
         ・・・フゥゥ~ンッ、そうですか・・・
        「トロ・ッこ」・・・
         Minecart(ミニカート)・・・
         truck (トラック)の訛り
     ボクが子供(小学4年生)の頃住んでいた
     鶉(うずら)と云う町は
     「パンケ・歌志内川」=ペンケウタシュナイ川
          ウタを志す、内(ナイ・うち)の川(セン・かわ)
          アイヌ
         「パンケ、ペンケ」さんの土地の川
         「オタ・ウシ・ナイ」
         「オタウシナイ」=砂浜の多い川の意
         「ペンケオタシナイ」=上の四手綱の川の意
          ペンケ=川上の(上の) ⇔熊襲の頭「川上師(川上猛)」
          パンケ=川下の(下の)
          を意味
     を
     挟んだ山合の西側の山の中腹斜面に
     建てられた6段列の住宅「若葉台・A地区」の上の位置にあった
     住宅の更に上の山の中腹は山が割れた谷間になっていたいたらしく
     その谷間の空間には「ズリ=捨石(ぼた)」が捨てられ
     無造作に捨てられ堆積された場所は
     窪地と小山が沢山できていて子供の遊び場になっていた
     「石炭ガラ」の
     「砰捨て場」・・・砰=石+平=ずり・鉱山の坑内から
                鉱石とともに運び出される
                価値のない岩石や鉱物・土砂
                九州地方では「ぼた・ボタ」
                北海道では「ズリ・がら・ガラ」
     になっており
     ボクがそこに住む前には
     トロッコの線路が轢かれ
     その上にトロッコが存在し
     トロッコで運ばれた石炭ガラが捨てられていた
     だから、ボクは乗った経験はないが
     双子の友達のアキちゃん、カズちゃんには
     線路の上にトロッコがあった時
     線路の上で押して
     動き出したトロッコに跳び乗って
     遊んだというハナシをドキドキしながら聞いた
     凸凹の窪んだ砰捨て場は野球が出来るように
     地域住人の大人達が休日にスコップで均してくれた
     そのズリ山の持ち主は「どい」さん・・・
     中腹の更の上に浄水池があり
     その近くに「どい」さんの家があり
     二人の子供の兄妹は同じ小学校の友達
     山畠に植えられていた
     莓・キイチゴ(木苺・懸鉤子・Bramble)・グスベリ
     をムシリトって食べた
     ・・・馬と羊(めんよう・綿羊)がいて
     遊びに行く度に追いかけられ逃げた・・・
     山から降るときに足首を挫いて捻挫・・・
     雪解けの春に
     沢でザリガニ採りをしていた
     テッちゃんと彼の友達が
     雪崩に会って彼が埋まってしまった
     彼の友達の知らせを聴いたボクの伯父さんと
     近所の大人が現場に駆け付け
     雪を掻き掘って気絶していた彼を引っ張り出し
     伯父さんのビンタで息を吹き返し
     その後の処置もされた
     伯父さんはビルマ戦線派遣の
     元衛生兵で、軍曹の生き残り・・・

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 北海道北見市の町の字
 旧常呂郡常呂町土佐
 由来は高知県人の入植
 ↓↑
 「山内 一豊」
 土佐山内氏、土佐藩初代藩主
 家紋は
 「三つ柏紋」・・・柏=木+白
          紋=糸+文
 十五代豊信(容堂)
 「吉田 東洋」を起用
 東洋は保守派門閥郷士の反感を買い
 「武市 瑞山」の
 「土佐勤王党」によって暗殺
 勤王党は実権回復した
 「容堂(豊信)」に
 処刑、弾圧解散
 上士勤王派から
 「板垣退助
 東洋の門下の
 「後藤象二郎
 「岩崎弥太郎
 ら輩出
 「坂本龍馬
 「中岡慎太郎
 などが輩出
 容堂から
 十五代将軍
 「徳川慶喜」へ献策された
 「大政奉還」で江戸幕府は終焉
 土佐藩薩長土肥の一角をなした
 ↓↑
 高知県高岡郡
 日高村本郷
 ↓↑
 土御門上皇
 流刑先の畑(幡多郡)から
 阿波国へ移った途中で
 物部川を見て現地の人に
 「ここはどこか」と尋ね
 「かがみの」と答えたから
 承久三年(1221年)
 承久の乱
 ↓↑
 建久九年一月十一日(1198年2月18日)
 父・後鳥羽天皇の譲位により三歳で践祚
 三月三日(4月10日)即位
 ↓↑
 ウシナワレタ「11=十一=拾壱=足壱=XI」
 2018-10-13 01:52:57
 古事記字源
 ↓↑
 ウシナワレタ「11=十一=拾壱=足壱=XI」・・・
 バラかキクか?・・・
 「マグダレナ・ソフィア・バラ」?
 ・・・ダレ?・・・
 バラ=茨=いばら・・・
 茨木・茨城・荊 木・棘木・・・井原西鶴
 ・・・バラに刺あり・・・キクにミミあり・・・
 茨の冠・・・キクのハナには・・・???
 ・・・ハラにヘソあり・・・
 臍(毘)には
 「ごま=胡麻護摩・独楽・駒・狛・高麗」・・・
 ↓↑
 -ーーーー
 バラか、キクか、ウシか?
 ↓↑
 尼寺を設立・・・・・・・天寺・蛙目出等・鴉目出等
 冶承四年(1180年)・・・事象・自性・自照・自笑・字象
 ↓↑
 平家追討の兵を挙げた
 朝日将軍
 木曽義仲
 ↓↑
 源 義仲=信濃源氏の武将・河内源氏の一族
 源義賢の次男
 源頼朝義経兄弟とは従兄弟(いとこ)
 木曾 義仲=「朝日=あさひ=旭」将軍
 木曽=当時は美濃の国
 義仲が匿われていたのは
 東筑摩郡
 朝日村朝日村木曽部桂入周辺)
 後白河天皇の第三皇子の
 以仁王=源以光の
 「以仁王(もちひとおう)の令旨
 治承四年(1180年)」で
 平氏打倒の挙兵
 寿永二年五月十一日(1183年6月2日)
 倶利伽羅峠の戦い
 (くりからとうげのたたかい
 倶梨伽羅峠の戦い
 「砺波山=礪波山」の戦い)
 で
 平維盛に勝利し
 京へ向けて進撃し、同年七月上洛
 平家は、
 安徳天皇を伴って西国へ落ち延びた
 元暦元年一月
 ・・・1184年4月16日~1185年8月14日?
 ↓↑ 甲辰・戊辰・丙戌
    元暦二年七月九日(1185年8月6日)京都地震
    地震マグニチュードは M7.4 と推定
    法勝寺など巨大寺院群が崩壊
    乙巳・癸未・癸未
    文治元年(元暦二年)乙巳(1185)
 ↓↑ 元暦二年三月 壇ノ浦に平家滅びる
 西暦の元の暦の元の年の一の月?
          庚申・戊子・己卯(申酉=空亡)
           猿  鼠  兎 
 ↓↑
 粟津原・・・・粟の津の原・・・アワのツのハラ
        足神源・賊心原・続震源
        粟=覀+米
          あわ・ゾク・ショク・ソク
 ↓↑      異体字は「𠧼・䅇・𥟫・𥸫・𥹟・𥻆・𥾄」
 で最期を遂げ
 宮菊・・・・ミヤのキク
       菊=艹+勹+米(丷+十+八)
 という一歳違いの
 異母妹
 「吾妻鏡
  文治元年(1185)の条」・・・吾の妻の鏡?
  文辞・文字・文事・分字   後歳(差異)の加賀見?
 頼朝の妻
 政子は・・・政子=尼将軍
 宮菊を
 「やしない子(養女)」にし
 都に居た菊姫
 将軍の息女ということで
 周囲にいた者たちが
 菊姫の名前を騙(かた)って
 役に立たぬ古文書をあげたり
 不知行の荘園を寄付したり
 菊の使いだといって
 官位が高く権勢のある家柄の
 荘園の年貢を横取りしたりした
 これが
 頼朝の耳に入り
 頼朝は
 菊姫を捕らえて
 鎌倉に連行するように命じた
 菊姫は自分は一切知らないと弁明し
 政子がとりなし
 頼朝は、兄
 義仲は朝敵として討ったが
 菊姫に罪はないとし
 その境遇に同情し
 『美濃国
  遠山の荘の一村』
 を与え
 義仲恩顧の御家人である
 小諸太郎光兼らに命じて
 菊姫の面倒をみさせた
 遠山の荘の一村とは
 ↓↑
 馬籠
 のこと・・・
 「島崎藤村」の「夜明け前」・「破戒」
 ・・・???

 

乙夜之覧(いつやのラン)・・・とてもじゃァないが・・・感服

 3032日目・文字霊日記

 パピヨン(papillon)・・・
 ・・・バタフライ(Butterfly・蝶々・てふてふ)は
 「池江 璃花子」さん・・・凄いね努力を究めるって・・・
 「両腕は同時に前後に動かし
  両脚は同時に上下に動かして泳ぐ
  腕・脚ともに、交互に動かしてはならない」
 ・・・自由(free)の形は
 「小堀 倭加」さんと
 「難波 実夢」さん・・・凄いね、ナマエの実現・・・
 「クロール(crawl・腹ばい前進・匍匐前進・蛇足歩?)」
 ↓↑
 挙足軽重(キョソク ケイチョウ)・・・嘘即慶長?↓↑
 慶長(ケイチョウ
 文禄の後、元和の前・・・文の禄の後、元の和(倭・話)の前・・・?
 1596年~1615年までの期間
 安土桃山時代と江戸時代を跨ぐ
 天皇

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 後陽成天皇(ごようぜいてんのう)
 1571年12月31日
 元亀二年十二月十五日
 ~
 1617年9月25日
 元和三年八二十六日
 第107代天皇・・・・壱百七・百七
 在位
 1586年12月17日
 天正十四年十一月七日
 ~
 1611年5月9日
 慶長十六年三月二十七日
 諱  和仁(かずひと)
 ↓↑
 1598年
 慶長三年十二月
    周仁(かたひと)改名
 ↓↑
 天正十二年(1584年)十一月十一日
 「小牧の戦い」
 織田信雄
 「羽柴秀吉」と講和
 徳川家康
 次男を人質に提出し和議
 ↓↑
 天正十二年(1584年)十一月二十一日
 「羽柴秀吉
 従三位
 大納言 叙任
 将軍兼任は断る
 ↓↑
 天正十三年(1585年)
 三月十日
 正二位
 内大臣叙任
 三月二十一日
 紀伊国に侵攻、雑賀党を撃破
 (千石堀城の戦い)
 「藤堂高虎
 に命じて
 雑賀党の首領
 「鈴木重意」を謀殺
 紀伊国を平定
 (紀州征伐)
 ↓↑
 四国を統一の
 「長宗我部元親」に対し
 弟の
 「羽柴秀長」を総大将
 「黒田孝高」を軍監
 として10万の大軍を送り込んで平定
 毛利輝元
 小早川隆景
 ら有力大名も動員
 「長宗我部元親」は
 七月二十五日降伏し
 「土佐一国」のみを安堵
 (四国攻め・四国平定)
 ↓↑
 「羽柴秀長」は
 四国討伐最中
 「二条昭実
 と
 「近衛信輔」
 が朝廷を二分し紛糾
 (関白相論)に介入し
 「近衛前久
 の猶子となり
 七月十一日
 関白宣下を受理
 ↓↑
 天正地震
 天正十三年
 十一月二十九日
 1586年1月18日
 ↓↑
 十一月二十七日
 1586年1月16日
 中部地方発生の
 「M8.0大地震
 ↓↑
 乙┏酉 (庚 辛)食神・偏印 病
  三合辛
 己┣丑┓(癸辛己)偏官・偏印冠帯
    方合壬
 癸┣亥┫(戊甲壬)  ・傷官帝旺
    方合壬
 甲┗子┛(壬 癸)傷官・比肩建禄
   子丑空亡
 ↓↑
 『顕如上人貝塚御座所日記』
 「十一月二十九日夜4ツ半時
  1586年1月18日午後22時
  大地震あり」
 ↓↑
 乙┏酉(庚 辛)比肩・偏官 絶
  三合辛
 己┣丑(癸辛己)偏財・偏財 衰
 乙┣丑(癸辛己)  ・偏財 衰
 丁┗亥(戊甲壬)食神・劫財 死
   戌亥空亡
 ↓↑
 1586年1月29日午後22時
 乙┏酉 (庚 辛)印綬・正財 死
  三合辛
 己┣丑┓(癸辛己)傷官・傷官 養
  合己┫方合壬
 丙┣子┫(壬 癸)  ・正官 胎
 己┗亥┛(戊甲壬)傷官・偏官 絶
   申酉空亡
 ↓↑
 権力者
 後陽成天皇
 ↓↑
 豊臣秀吉
 ~
 徳川家康
 ↓↑

 後水尾天皇・・・1596年6月29日
         文禄五年六月四日
         ~
         1680年9月11日
         延宝八年八月十九日
         第108代天皇・・・壱百八・百八
         後水尾=ごみずのお・ごみのお
        「水尾」とは
        「清和天皇(源氏の祖)」の異称
         幼名 三宮
         諱  政仁(ことひと)
         在位
         1611年5月9日
         慶長十六年三月二十七日
         ~
         1629年12月22日・・・・壱拾弐・弐拾弐
         寛永六年十一月八日・・・陸・壱拾壱・捌
         
 天下は
 豊臣秀吉
 豊臣秀頼
 将軍は
 徳川家康徳川秀忠

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 お万の方(於万の方・おまんのかた)
 徳川家康の側室
 結城秀康(於義伊)の生母
 長勝院
 天文十七年(1548年)
 ~
 元和五年十二月六日(1619年1月10日)
 三河国
 知鯉鮒明神
 の社人
 「永見 貞英」の娘
 物部姓
 永見氏の娘
 通称
 おこちゃ・於万の方・小督局
 松・菊子・於故満
 ↓↑
 天正十二年(1584年)
 11歳の
 「於義丸」が
 「豊臣秀吉」の養子となり
 元服し「秀康」と改名
 「結城晴朝」の養女
 「江戸鶴子」と結婚し
 婿養子として結城氏を継いだ
 関ヶ原の戦い
 「秀康」が北ノ庄城の城主
 「お万」
 も同行
 慶長十二年(1607年)
 「秀康」が北ノ庄で死亡
 「お万」は出家
 元和五年(1619年)
 72歳で死去
 戒名 長勝院松室妙戴大姉
 墓所 永平寺
 ↓↑
 他の「お万の方」
 養珠院(蓮華院)
 天正五年(1577年)
 ~
 承応二年八月二十二日(1653年10月13日)
 ↓↑
 徳川家康の側室
 紀州徳川家の家祖
 「徳川頼宣
 水戸徳川家の家祖
 「徳川頼房
 の母
 文禄二年(1593年)
 三島で
 「徳川家康」に
 「江川英長(江川太郎左衛門)」
 の養女として家康の側室となった

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 名  万(まん・萬)
 実父 勝浦城主
    正木頼忠
 義父 蔭山長門守氏広
 実兄 紀州藩紀州徳川家)家老
    三浦為春
 義弟 幕府旗本
    蔭山貞広
    水戸藩二代藩主
    徳川光圀の祖母
    幕府八代将軍
    徳川吉宗の曾祖母
 ↓↑
 墓所 山梨県南巨摩郡身延町大野
    日蓮宗寺院・本遠寺
    静岡県三島市
    妙法華寺
    承応三年(1654年)
    徳川頼宣により建立
    山梨県指定史跡
 戒名 養珠院殿妙紹日心大姉

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 徳川家光の側室
 永光院
 寛永元年(1624年)
 ~
 正徳元年十月十一日(1711年11月20日
 88歳で死去
 菩提寺
 東京都文京区
 小石川
 無量院
 ↓↑
 幕府三代征夷大将軍
 「徳川家光」の側室
 通称 「お万の方」
    「春日局」の後任
 ↓↑
 参議
 「六条有純」の娘
 弟は高家
 「戸田氏豊」
 本姓 源
 諱  満子
 母  元旗本
   「戸田為春」の娘
    大垣藩
   「戸田氏鉄(為春の兄)」の養女

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 聖光院
 元和六年(1620年)
 ~
 元禄四年七月八日(1691年8月1日)
 墓所 東京都港区三田
    実相寺
 法名 聖光院殿穏誉寂清安大姉
 ↓↑
 陸奥
 会津藩
 保科正之の継室
 「於万の方」
 京都上賀茂神社の神官
 「藤木弘之」の娘
 ↓↑
 媛姫毒殺事件
 万治元年(1658年)七月二十八日
 出羽米沢藩
 「上杉綱勝」
 に嫁いでいた長女
 「媛姫」が急死
 正之の側室
 「お志保の方(牛田氏)」
 の産んだ
 「摩須姫(松姫)」
 が
 加賀藩
 「前田綱紀
 に嫁ぐことに
 「於万の方」が嫉妬し
 「摩須姫」を毒殺しようとして
 誤って
 「媛姫」を毒殺した・・・
 「お万(萬)」・・・ポピュラーな名前だった・・・?

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 ・・・「万葉仮名」・・・?・・・「古事記太安万侶」?
 とてもじゃァないが
 「漢字音」だけで「日本語」を理解するのは「?」であるカナ
 「本居 宣長」の名前からして「?」だろう・・・
  ↓↑
 「軽之神社」
 33°51'58.2"N 132°45'46.8"E
 愛媛県
 松山市
 姫原1丁目5
 「姫原」
 「軽之神社」
 「比翼塚」
 「木梨軽太子」
 「天飛ぶ鳥も使ぞ
  鶴が音の聞えむ時は
  我が名問はさね」
 「軽大郎女」
 「君が行きけ長くなりぬ
  山釿の迎へを行かむ
  待つには待たじ」
 「山釿=ニワトコ(接骨木・庭常)」の植物
 「山たづ」=対生の羽状複葉を
       ツルの羽を広げた姿に見立てた
       ツルの古名「たづ」から
       和名 「美也都古木」
       スイカズラ
       吸い葛
       忍冬
       甘い香りのする白い花を咲かせる日本原産のカズラ
 「山釿の=迎へ」の詞・・・?
   釿(ちょうな)=木工に用いられる工具・チョンナ
           漢字では「錛・手斧」
          「横斧(よこおの)」
  ↓↑
 「木梨の輕皇子」・・・木梨神社(こなしじんじゃ・兵庫県加東市
  ↓↑
 木梨神社(こなしじんじゃ・兵庫県加東市
 社号「木梨」は
 十九代
 允恭天皇の第一皇子
 「木梨  軽  皇子(太子)
 (きなしのかるのみこ)」
 が幣帛をささげたことによる・・・?
 彼は
 同母妹の
 軽大郎女(かるのおほいらつめ・衣通姫
 との
 「奸罪」で流刑にされたのに
 「木梨神社」・・・?
  「木(十八)の
   利(禾刂)は
   木(十八・毀棄・記紀・危機)」・・・?
 「wooden pear tree temple」?
  ↓↑
 六甲山
 神戸市の北西
  ↓↑
 姫路市の北東
  ↓↑
 加西市の東
  ↓↑
 宝塚・・・・宝塚歌劇団
       大正三年(1914年4月1日~5月31日)
       初公演
       専門チャンネル
      「TAKARAZUKA SKY STAGE」
       東経110度CS放送
 三田市の西
  ↓↑
 淡路島
 明石市
 三木市の北
  ↓↑
 小野市の北北東
  ↓↑
 福知山市
 丹波市の南南西
  ↓↑
 多可市
 西脇市の南南東
  ↓↑
 伊弉諾尊が黄泉の国から帰還し
 筑紫の日向の川の落ち口の
 橘の檍原(あわきはら)で祓をした時に
 生まれた神を
  八十枉津日神・大直日神・神直日神
  底津少童神・中津少童神・表津少童神
  底筒之男神中筒之男神・表筒之男神
 を祭祀
  ↓↑
 十代崇神天皇の時代
 「物 部    八十手
 (モノのべ の やそで)」
 が
 「八十枉 津日 神 物  部
 (やそまがつひのかみモノのベ)」
 を祀り
 後
 九代開化天皇の第三皇子
 将軍
 「彦坐(ひこいます)命」
 丹波征伐した時
 神社を創建
 「木梨軽太子(こなしかるのみこ)」
 が神前に幣帛を捧げられた因縁で
 社号を
 「木梨神社」と呼ぶようになった
  ↓↑
 六十代
 「醍醐天皇」の延喜二十二年(922年)
 将軍
 「多田満仲」が
 社殿再建
 大池(多田池)を築造
 再建された
 延喜式
 神名帳
 記載の式内社
 天皇の勅使参向の官社
  ↓↑
 この大池に大蛇が住むようになり
 「藤田三郎太夫行安(だゆうゆきやす)」
 が祈願して退治した・・・
 藤田明神とも
 聖九社明神とも呼ばれ
 明治六年(1873)十一月
 郷社格に加列
 大正八年(1916)二月
 神饌幣帛料供進神社に指定
  ↓↑
 「音=立+日・・・日立
   =亠+丷+一+日
   =亠+䒑+日
   =おと・ね・オン・イン」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「阿志比紀能
  阿(おもねた・侫)
   志(こころざ)しを
    比べ
     紀へ
      能(あた)う
  あし=足・脚・肢・趺・疋
     葭・芦・蘆・葦
     亞史・蛙詞・鴉史
  ヒキ=比企・曳・悲喜・疋・比記
  の =之・乃・廼・埜・盧・野・能
  ↓↑
  能=䏍+匕+匕
   =厶+月+匕+匕
   ノウ
   ダイ
   ドウ
   あたう
   はたらき
   よく
   よくする
   できる・うまくできる
   はたらき・力
   才能・能力・能動
   ききめ
   効能・効果
   すぐれた才能・才人
   たえる・たえしのぶ・我慢する
   能楽の略
   能登半島・・・登=癶+豆
           「癶=発(發)」の原字
              撥(ハツ・は)ねる
 ↓↑
 能(あた)う
 能(はたら)き
 能(よく)十分に・丁寧(テイネイ)に
 能(よく)する・上手である・十分である
 ↓↑
 能力
 能詳
 ↓↑
 可能
 機能
 知能
 異能
 効能
 技能
 芸能
 ↓↑
 一芸一能=技芸と才能
      技術と才能
      実技と知能
 一能一芸
 帰巣本能=生まれた時から持っている能力・本能
 再起不能
 耳熟能詳(ジジュクノウショウ)
  聞き慣れていることは、詳しく説明できる
  物事を習得して詳(くわ)しい
 ↓↑
 柔能制剛(ジュウノウセイゴウ)
  「柔能く剛を制す」
  ↓↑
 「一木
  大廈(タイカ)の
  崩(くず)るるを
  支うる能わず」
 「大廈=大きな建物」
  巨大な建物が倒れるのを
  一本の木だけで支えることは出来ない
  ↓↑
 「効能書きの
  読めぬ所に
  効能あり」
  薬の効能書きは難解だが
  それがかえって効きそうな気にさせる
  難解な説明には有難みがある
  ↓↑
 「駟馬(シバ)も追う能(あたわ)ず
  一度口にした言葉は
  取り返しがつかないから
  言葉には注意せよ
  四頭立ての速い馬車で
  追っても追いつけない
 「駟も舌に及ばず」
  ↓↑
 「敵は本能寺にあり
  ↓↑
 「能ある鷹は爪を隠す」
  ↓↑  ↓↑
  夜麻陀袁豆久理
  夜=亦+月・・・?
    「夕=月・肉」+「乀」
    「ノ+叉」
    「𠂉+乂+丶」
    「祭=月+又+示=𨢵=酉+祭」
  夜=亠+ィ+夕+乀
     イ=人=亦
    亦+夕+乀
    ノ+I+丌+丶+夕+乀
    亠+ノ+刂+丶+夕+乀
    亠+ノ+丿+亅+丶+夕+乀
    亠+イ+月
    亠+イ+攵+丶
    亠+人+𠂉+乂+丶
    音 人 櫛(くし)
         乂(刈る・かる・重ねる)
          燈火(灯・燭・ともしび)
 「夜」異体字「𠙇・𠙑・𡖍・亱・掖」
  ↓↑
 夜の静寂(しじま・セイジャク)
   ・・・しじま=四十万・四島・志島・・・土佐・四国・肆字交?
                師揣摩?
  ↓↑
 衣繍夜行(いしゅうやこう)
 暗い夜道に刺繍の服
 誰も気がつかない
 ↓↑
 一夜検校(いちやけんぎょう)
 一夜成金
 ↓↑
 一夜十起(いちやじっき)
 人は私心や私情に左右され
 私心を全て捨てさることは難しい
 「一夜に十たび起く」
 ↓↑
 乙夜之覧(いつやのらん)
 多忙な天子の読書時間
 「乙覧」
 ↓↑
 夙興夜寝(しゅくこうやしん)
 朝早く起床し夜遅い時間に就寝
 ↓↑
 夙夜夢寐(しゅくやむび)
 一日中いつも思う
 ↓↑
 㖡・液・掖・㖱・棭・焲・腋・䘸・䤳・鵺
 ↓↑
 夜=よ・よる・ヤ・・・夂・夊・攴
   麻=广+木+木(十八・拾捌・足捌)
    陀=阝+它(タ・へび・巳)
      ノ+㠯+宀+匕・・・𠂤=阜
             ・・・岐阜=ぎふ=義父・疑附(符)
               斎藤道三=斎藤 利政(新九郎)
               長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)
      𠂤+宀+匕(七=漆・牝・匕首=合い口)
      阜+宀+匕・・・岐阜の蝮(まむし)の道三
     袁=土+口+𧘇・・・長袖・長裙
      豆=𠮛+丷+一・・・高坏(たかつき)
        一+口+䒑
       久=ク+乀・・・永久・久(ひさ)しい・ご無沙汰
         𠂉+人
        理=王+里
  ヤマダをツクリ
  ↓↑ ↓↑
  夜麻陀加美・・・・・ヤマダかみ
     加=力+口
      美=羊+一+人
  斯多備袁和志勢・・・シタビをワシセ
  斯=其+斤
   多=夕+夕
    備=イ+艹+厂+用
     袁=土+口+𧘇
           眽=目+𠂢=眿=目+永・・・視貌也
           𥿯=糸+𠂢=𥾭=糸+瓜(爪)
           覛=𠂢+見=衺(なな)めに視る
             𠂢に従ひ、見に従ふ
        ・・・𠂢=𠂆+ィ+乀+丶⇔派遣・派閥
                    山脈・金脈
       十+一+口+𧘇
      和=禾+口
       志=士+心
        勢=埶(うえる・ゲイ・藝)+力
          坴+丸+力

  志多杼比爾・・・・・シタトいに
  志=士+心
   多=タ+タ
    杼=木+予
     比=上+ヒ
      爾=丅+ハ+冂+爻+爻

  和賀登布伊毛袁・・・わがトフいもヲ
  和=禾+口
   賀=加+貝
    登=癶 +豆
     布=ナ+巾
      伊=イ+尹
       毛=壬+乚
        袁=土+口+𧘇

  斯多那岐爾・・・・・したナキに
  斯
   多
    那
     岐
      爾

  和賀那久都麻袁・・・わがナクつまヲ
  ↓↑
  許存許曾婆・・・・・こぞこそバ
  許=言+午
   存=ナ+丨+子
    許=言+午
     曾=八+囗+小+日
      婆=波+女
  ↓↑
  夜須久波陀布禮・・・やすくハダふれ」
  ↓↑
 「佐佐婆爾・・・・・・ササバに
  宇都夜阿良禮能・・・うつやアラレの
  多志陀志爾・・・・・たしダシに
  韋泥弖牟能知波・・・いでテムのチは
  比登波加由登母・・・ひとハカユとも
  宇流波斯登・・・・・うるワシと
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ
  加理許母能・・・・・かりコモの
  美陀禮婆美陀禮・・・ミだれバみだれ
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ」
  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流乃袁登賣・・・・カルのオトメ
  伊多那加婆・・・・・イタなかバ
  比登斯理奴倍志・・・ヒトしりヌべし
  波佐能夜麻能・・・・ハサのヤマの
  波斗能・・・・・・・ハトの
  斯多那岐爾那久・・・シタなきにナク」
  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流袁登賣・・・・・カルオトメ
  志多多爾母・・・・・したたにも
  余理泥弖登富禮・・・よりねてトほれ
  加流袁登賣杼母・・・カルオトメども」
 ↓↑  ↓↑
 輕=車+巠=軽
   車+一+巛+工
     上下に糸を伸ばす様を表す縦糸(経糸)の意
 軽=車+圣
   車+又+土
   ケイ
   キン
   かろやか
   かるい
   目方が少ない
   身分がひくい
   値段が安い
   すばしっこい・身軽に動く
   かろんじる・かろんずる
   あなどる・みくびる
   かるくする・少なくする
   かるがるしい・かるはずみな
   落ち着きがない
   かるがるしく
   むやみに・かるはずみに
   とし
   ↓↑
   かる=軽=車+圣・・・「巠」の簡体字ではない?
         「圣の本字は織機(はた)に張られた
               経糸(たていと )」
          圣=又+土=聖・・・?
               半径=円の半径=r
            クツ・コチ・セイ・コツ
            たがやす
      圣・怪・茎・径・㹩・柽・䇈・蛏・経・軽・頚・壡
      凷(凵+土・カイ)+尸=届(カイ)・・・?
      戸籍の由来が「届ける」・・・戸=一+尸(屍)
                    籍=竹+耤・・・?
      神経(經)
 ↓↑    ↓↑
      怪奇四十面相
      怪盗二十面相
      ↓↑
      陘・徑・涇・痙・牼・輕・桱
      經・踁・勁・剄・娙・𡷨・茎(莖)
      径(徑)・𢙼・涇・陘・桱・牼
      脛・痙・𥥻・蛵・羥・䞓・頸・鋞
      経(經)
      軽(輕)
      𩷏=三角鳊・廣東魴=コイ科の淡水魚
      ↓↑
      径(徑)・経(經)・軽(輕)・頚(頸)
      陘・徑・涇・痙・牼・輕・桱・經・踁
      剄=のびた頚を切る
      勁=糸を張る
      径(徑・みち)=まっすぐにつないだ道・直径・半径
      茎(莖・くき)=地面から伸びて葉や花をつける
      逕=まっすぐにつないだ道=径
      脛(臑・すね)=足から伸びて体を支える
     「鈴懸の径(みち)」
      立教大学
     (プラタナス=)の並木道=小径(みち・徑)
 ↓↑ ↓↑
   奈良県
   橿原(かしはら)市
   大軽(おおかる)付近の古地名
   古代には交通の要地で軽の市(いち)があった
   ↓↑
  「神武・安寧・懿徳(いとく)」天皇の山陵も
   畝傍山の麓に所在すると伝承
   畝傍山の麓および
   南接する軽(かる)の地は
   蘇我氏の本拠地の一
   畝傍家や石川宅、槻曲家(つきくまのいえ)等が所在
   西麓にある
   畝傍山口神社はかつて山頂にあった
   ↓↑
   軽衫(カルサン)・剽軽(ひょうきん)
   ↓↑
   古事記(712)
   「大倭日子鉏友命
    (おほやまとひこすきとものみこと)
    軽(かる)の境岡宮に坐す」
   ↓↑
   津軽国 - 分割後の
   陸奥国青森県全域と岩手県西北部)の異称
   津軽藩 - 陸奥国津軽郡青森県西半部)
   ↓↑
   軽騎兵=竜騎兵・猟騎兵・槍騎兵
   重騎兵が楯と鎧の重装甲を帯び
   敵の主力を壊滅させる目的で用いられ
   軽騎兵は最小限の装備で
   足の速さを活かし
   後方撹乱や奇襲に用いられた
   ↓↑
   遊牧民の戦術に起源
   馬術と弓の技術によって
   弓騎兵として活躍  
   ↓↑
   カル
   足軽(あしがる)=平時は雑役
            戦時には歩兵
   ↓↑
   気軽(きがる)
   軽(ケイ)=程度や重さが少ない
   軽易(ケイイ)=手間がかからず簡単なこと
   ↓↑
   一身軽舟(イッシンケイシュウ)
   自身と乗っている船が一つに感じられ
   自身と他のものの区別がつかなくなること
   「一身軽舟と為る」
   ↓↑
   衣馬軽肥(イバケイヒ)
   身分が高く財産がある人の服装
   常に富貴な様子
   肥え太った立派な馬と
   軽くて高級で丈夫な皮衣
   ↓↑
   緩急軽重(カンキュウケイチョウ
   物事や状況の重要性や緊急性の程度
   ↓↑
   挙足軽重(キョソクケイチョウ
   ある人の言動が全体に大きな影響を与えること
   ある人物が一歩踏み出すだけで
   物事の重要性が決まる
   ↓↑
   群軽折軸(グンケイセツジク)
   小さな力でも
   多く集まれば大きな力になる
   「群軽軸を折る」
   ↓↑
   軽裘肥馬(ケイキュウヒバ)
   身分が高く財産がある人の服装
   ↓↑
   一寸の光陰軽んずべからず
   命は鴻毛(コウモウ)より軽し
   正義のためなら命は惜しくはない
   肩が軽くなる
   鼎の軽重を問う
   権威ある人の実力や能力を疑うたとえ
   軽い返事に重い尻
   軽口を叩く
   ↓↑
   鑋=輕+金
     車+巠+金
     車+一+巛+工+金
     ケイ
     金属が発する音
     片方の足で歩く・・・ケンケン
     腱=アキレス腱=Achilles腱
       「安芸・亜紀・阿紀・安藝」例素
       鈴鹿の熊褒野(のぼの)~三重
       當藝、當藝、斯玖(しく)・・・
       三重に曲がった脚・・・
       「日本 建=倭 武=日本武尊
            =倭男具那」
       「英虞湾(あごワン)」
 三重に曲がった脚・・・
 ↓↑
 自其處發
 到 當藝野 上之時
 詔者
 「吾心 恒念
  自虛 翔行。
  然今 吾足 不得步
  成 當藝 當藝 斯玖。
 (自當下六字以音)」
 故號 其地謂 當藝也。
 自其地、差少幸行
 因甚疲衝
 御杖 稍步
 故號 其地謂 杖衝坂也。
 到坐 尾津前一松之許
 先 御食之時
 所忘 其地 御刀 不失猶有
 爾御歌曰
 ↓↑
 袁波理邇
 多陀邇牟迦幣流
 袁都能佐岐那流
 比登都麻都
 阿勢袁
 比登都麻都
 比登邇阿理勢婆
 多知波氣麻斯袁
 岐奴岐勢麻斯袁
 比登都麻都
 阿勢袁
 ↓↑
 自其地幸
 到 三重村之時
 亦詔之
 「吾足、如 三重 勾而 甚疲」
 故、號 其地謂 三重。
 自其幸行而
 到 能煩野 之時
 思國以歌曰、
 夜麻登波
 久爾 能 麻本呂婆
 多多那豆久
 阿袁加岐
 夜麻碁母禮流
 夜麻登志
 宇流波斯
 ↓↑
 巠=一+巛+工=乩慶長(ケイチョウ
 文禄の後、元和の前
 1596年~1615年までの期間
 安土桃山時代と江戸時代を跨ぐ
 天皇
 後陽成天皇
 後水尾天皇
 天下は
 豊臣秀吉
 豊臣秀頼
 将軍は
 徳川家康徳川秀忠
 ↓↑
 ・・・「万葉仮名」・・・?・・・
 「音=立+日
   =亠+丷+一+日
   =亠+䒑+日
   =おと・ね・オン・イン」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「阿志比紀能・・・・・あしヒキの
  夜麻陀袁豆久理・・・ヤマダをツクリ
  夜麻陀加美・・・・・ヤマダかみ
  斯多備袁和志勢・・・シタビをワシセ
  志多杼比爾・・・・・シタトいに
  和賀登布伊毛袁・・・わがトフいもヲ
  斯多那岐爾・・・・・したナキに
  和賀那久都麻袁・・・わがナクつまヲ
  許存許曾婆・・・・・こぞこそバ
  夜須久波陀布禮・・・やすくハダふれ」
 ↓↑
 「佐佐婆爾・・・・・・ササバに
  宇都夜阿良禮能・・・うつやアラレの
  多志陀志爾・・・・・たしダシに
  韋泥弖牟能知波・・・いでテムのチは
  比登波加由登母・・・ひとハカユとも
  宇流波斯登・・・・・うるワシと
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ
  加理許母能・・・・・かりコモの
  美陀禮婆美陀禮・・・ミだれバみだれ
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ」
  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流乃袁登賣・・・・カルのオトメ
  伊多那加婆・・・・・イタなかバ
  比登斯理奴倍志・・・ヒトしりヌべし
  波佐能夜麻能・・・・ハサのヤマの
  波斗能・・・・・・・ハトの
  斯多那岐爾那久・・・シタなきにナク」
  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流袁登賣・・・・・カルオトメ
  志多多爾母・・・・・したたにも
  余理泥弖登富禮・・・よりねてトほれ
  加流袁登賣杼母・・・カルオトメども」
 ↓↑
 輕=車+巠
   車+一+巛+工
 軽=車+圣
   車+又+土
   ケイ
   キン
   かろやか
   かるい
   目方が少ない
   身分がひくい
   値段が安い
   すばしっこい・身軽に動く
   かろんじる・かろんずる
   あなどる・みくびる
   かるくする・少なくする
   かるがるしい・かるはずみな
   落ち着きがない
   かるがるしく
   むやみに・かるはずみに
   とし
   ↓↑
   軽騎兵=竜騎兵・猟騎兵・槍騎兵
   重騎兵が楯と鎧の重装甲を帯び
   敵の主力を壊滅させる目的で用いられ
   軽騎兵は最小限の装備で
   足の速さを活かし
   後方撹乱や奇襲に用いられた
   ↓↑
   遊牧民の戦術に起源
   馬術と弓の技術によって
   弓騎兵として活躍  
   ↓↑
   カル
   足軽(あしがる)=平時は雑役
            戦時には歩兵
   ↓↑
   気軽(きがる)
   軽(ケイ)=程度や重さが少ない
   軽易(ケイイ)=手間がかからず簡単なこと
   ↓↑
   一身軽舟(いっしんけいしゅう)
   自身と乗っている船が一つに感じられ
   自身と他のものの区別がつかなくなること
   「一身軽舟と為る」
   ↓↑
   衣馬軽肥(いばけいひ)
   身分が高く財産がある人の服装
   常に富貴な様子
   肥え太った立派な馬と
   軽くて高級で丈夫な皮衣
   ↓↑
   緩急軽重(かんきゅうけいちょう)
   物事や状況の重要性や緊急性の程度
   ↓↑
   挙足軽重(きょそくけいちょう)
   ある人の言動が全体に大きな影響を与えること
   ある人物が一歩踏み出すだけで
   物事の重要性が決まる
   ↓↑
   群軽折軸(ぐんけいせつじく)
   小さな力でも
   多く集まれば大きな力になる
   「群軽軸を折る」
   ↓↑
   軽裘肥馬(けいきゅうひば)
   身分が高く財産がある人の服装
   ↓↑
   一寸の光陰軽んずべからず
   命は鴻毛(コウモウ)より軽し
   正義のためなら命は惜しくはない
   肩が軽くなる
   鼎の軽重を問う
   権威ある人の実力や能力を疑うたとえ
   軽い返事に重い尻
   軽口を叩く
   ↓↑
   鑋=輕+金
     車+巠+金
     車+一+巛+工+金
     ケイ
     金属が発する音
     片方の足で歩く・・・ケンケン
     腱=アキレス腱=Achilles腱
       「安芸・亜紀・阿紀・安藝」例素
       鈴鹿の熊褒野(のぼの)~三重
       當藝、當藝、斯玖(しく)・・・
       三重に曲がった脚・・・
       「日本 建=倭 武=日本武尊
            =倭男具那」
       「英虞湾(あごワン)」
 ↓↑
 自其處發
 到 當藝野 上之時
 詔者
 「吾心 恒念
  自虛 翔行。
  然今 吾足 不得步
  成 當藝 當藝 斯玖。
 (自當下六字以音)」
 故號 其地謂 當藝也。
 自其地、差少幸行
 因甚疲衝
 御杖 稍步
 故號 其地謂 杖衝坂也。
 到坐 尾津前一松之許
 先 御食之時
 所忘 其地 御刀 不失猶有
 爾御歌曰
 ↓↑
 袁波理邇
 多陀邇牟迦幣流
 袁都能佐岐那流
 比登都麻都
 阿勢袁
 比登都麻都
 比登邇阿理勢婆
 多知波氣麻斯袁
 岐奴岐勢麻斯袁
 比登都麻都
 阿勢袁
 ↓↑
 自其地幸
 到 三重村之時
 亦詔之
 「吾足、如 三重 勾而 甚疲」
 故、號 其地謂 三重。
 自其幸行而
 到 能煩野 之時
 思國以歌曰、
 夜麻登波
 久爾 能 麻本呂婆
 多多那豆久
 阿袁加岐
 夜麻碁母禮流
 夜麻登志
 宇流波斯
 ↓↑
 圣=また、拾壱
 茎=クサカ無理、右手の通知
 径=四辻のミチ
 怪=立身の亦の土佐
 㹩=獣のミチ
 柽=河柳
 䇈=カイ・ゲ・片づけ・保管のために片付け
 蛏=虫+圣=蛵・蟶
   蟶貝・馬蛤貝・馬刀・蟶・平貝・馬刀貝
   あげ巻貝・蛏(まて)・蛏(まてがい)
 経=御経・経典・・・緯書=イショ=遺書・医書医書
 軽=かるい・足軽軽騎兵・軽戦車・軽食・軽音楽・軽薄
 頚=頸・首・馘・・・頸骨・脛骨
 壡=睿+圣=睿・叡・・・比叡山・叡智
 ↓↑
 巠=一+巛+工=圣
 頸=巠+頁=
 剄=巠+刂=
 勁=巠+力=
 脛=月+巠=
 痙=疒+巠=痙攣
 逕=辶+巠=
 徑=彳+巠=ミチ
 經=糸+巠=
 莖=艹+巠=艸+巠=茎=くき=句記
 陘=阝+巠=ケイ・ギョウ・キョウ・たに
   渓谷・山脈が途切れたトコロ   
 誙=言+巠=あらい・ギョウ・ケイ・コウ
      粗・疏・疎石
 䞓=赤+巠=アカは閼伽
            「𫎭・赬」デモ垢まみれ
 踁=足+巠=すね・はぎ
   脹脛=ジクは長州萩に接ぐ
 硜=石+巠= 石をたたく音
   石畳、叩いて敲いて、奴だこ
 桱=木+巠=
 俓=イ+巠=
 娙=女+巠=ゴウ・ギョウ・コウ・ケイ
   すらりとしてみめよい・はしたあめ
 挳=扌+巠=
 殌=歹+巠=
 氫=气+巠=軽い気体=水素・軽い期待?
 涇=氵+巠=𣶖・泾 ・𣲾
   涇県(ケイケン)=人民共和国安徽省宣城市
   人民は共に倭国への安徽を宣(のたま)い
   城の市場を省(かえり)みるべし・・・
 烴=火+巠=炭化水素・≒碳氢化合物
 牼=牜+巠=牛膝下的直骨・即牛胫骨
   shin bone of cows
 羥=羊+巠=
 蛵=虫+巠=
 鋞=金+巠=暖房機・保温機?
 鵛=巠+鳥=頸・𨿋・頚
 㹵=犭+巠=
 䀴=月+巠=
 䣆=巠+阝=
 䪫=音+巠=古典音楽
 巰=巠+㐬=由氫和硫兩種元素組成的一價原子團
 弳=弓+巠=弪= circular measure
  =弧度法,弧度,孤度法
ーーーーー
 ・・・???・・・

「タカみ」の「見物」・多寡診・鷹見・・・登美能那賀須泥毘古?

 3031日目・文字霊日記

 コロナ・ヴィ・・・?
 集団自滅か・・・集団他滅か・・・ジュミョウの枠内の幻滅
 「たかみ(高見)」の「見物」が出来たヒトも・・・イズレはイナクなる・・・?

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 「石上麻呂」の歌碑
 「吾妹子を
  去来 見山を高みかも
  大和の見えぬ國遠みかも」・・・「石上 振る」?
 三輪朝臣
 「高市麻呂」が持統天皇の伊勢行幸を諫めた・・・?
 「潮みたば
  いかにせむかと
  わたつみの
  神が門(と)わたる
  あま処女(おとめ)ども
  巻7-1216」
 「土佐」へ流刑・・・土佐高知・・・紀貫之坂本龍馬一言主
  地名に
 「物部川」=高知県香美市の白髪山が水源
       大小の支流34の河川を合わせつつ土佐湾に注ぐ
       高知県中部を流域とし
       南国市、 香南市香美市をまたぐ
       流域面積508平方キロメートルの河川
       古くは「鏡川
      「土御門」上皇が流刑
           ・・・土佐院=阿波院
              建久九年一月十一日
              (1198年2月18日)
              父・後鳥羽天皇の譲位により
              三歳で践祚
              三月三日(4月10日)即位
              承久三年(1221年)
              承久の乱
             「後鳥羽・順徳」
              vs
             「北条時政・政子・泰時」
       流刑先の畑(幡多郡)から
       阿波国へ移った途中で
       物部川を見て現地の人に
      「ここはどこか」と尋ね
      「かがみの」と答えたから、とか・・・
       香美郡南部、物部川下流右岸の地に
      「物部郷」
       旧三島村一帯(南国市物部付近)が郷域
       田村遺跡群=縄文時代弥生時代・古代・中世・近世
       高知県南国市田
 「安芸市」=高知県安芸市矢ノ丸一丁目
 「日下」駅=高知県高岡郡日高村本郷
  ↓↑
 「日下茂兵衛(茂平)」=日高村の鍾乳洞「 猿田洞」で修業
 「日下村(日高村)」で生まれた義賊・・・忍者?
 「坂本龍馬」の祖父
 「才谷屋六代目
  八郎兵衛直益(はちろべえなおます)」の
 「巡水日記」に記録・・・
 ・・・何故か「古事記・古代史」に関係する地名・・・
 「土=十+一
  佐=人+左(よこしま)
    イ+ナ+エ
    ヰ 名 ヱ
    い+な+え
    ゐ 奈 ゑ
 ↓↑     ↓↑
 常呂町土佐=北海道北見市の町字
       旧常呂郡 常呂町 土佐
       地名由来 高知県人の入植地
  ↓↑
 「山内 一豊」
 土佐山内氏、土佐藩初代藩主
 家紋は
 「三つ柏紋」・・・柏=木+白
          紋=糸+文
 十五代
 「山内 豊信(容堂)」は
 「吉田 東洋」を起用
 東洋は保守派門閥郷士の反感を買い
 「武市 瑞山」の
 「土佐勤王党」によって暗殺
 「勤王党」は実権回復した
 「容堂(豊信)」によって
 弾圧解散
 上士勤王派から
 「板垣退助
 東洋の門下から
 「後藤象二郎
 「岩崎弥太郎
 「坂本龍馬
 「中岡慎太郎
 などが輩出
 容堂が
 十五代将軍
 「徳川慶喜」へ献策した
 「大政奉還」で江戸幕府は終焉
 土佐藩薩長土肥の一角をなした・・・
 ↓↑
 「石上麻呂」の歌碑
 「吾妹子(わぎもこ)を
  いざ見の山を
  高みかも
  大和(やまと)の見えぬ
  国遠(とほ)みかも」
      去来=ゆきき・往来・過去未来・巡るべく想い=憶い・追憶
 ↓↑
 高見山=標高 1,249m・・・1+2+4+9=16
     東海・北陸・近畿:高見山地 奈良県三重県の県境に存在する
     国道166号線
     木津(こつ)トンネルを出ると視界に入ってくる
     台高山脈の北端、吉野郡東吉野村
             宇陀郡御杖村
             三重県松阪市(旧飯南郡飯高町)の境に位置
     寛政六年(1794年)十月十一日
     本居宣長・・・「古事記傳」作者
     が山頂で
     「白雲に峰は隠れて高見山 見えぬ もみちの色ぞ ゆかしき」
                      紅葉・黄葉・椛・栬
                      樅地・揉み字・模見字
     「白雲に峰は隠れて高見山 見えぬも みちの色ぞ ゆかしき」
                     「道・路・途・未知」史記
                             床 敷
                             瑜掛詞記
                             由夏氏記
     と詠(よ)み、歌碑は「高見峠」に建つ
     山頂には「高角神社」
    「石上麻呂」の歌碑
 ↓↑   ↓↑
     大華上
     「物部 宇麻乃(宇麻呂・宇麻子・馬古)」の子
     「壬申の乱(672年)」
     「大友皇子(伊賀皇子・弘文天皇)」
     の側につき、皇子の自殺まで従った
     後に赦された
     天武天皇五年(676年)十月十日
     遣「新羅大使」
     法官の仕事につき
     筑紫総領
     大宝元年(701年)
     大納言
     大宝二年(702年)八月十六日
     63歳
     大宰帥
     大宝三年(703年)閏四月一日
     64歳
     「阿倍御主人」を弔問
     慶雲元年(704年)一月七日
     65歳
     右大臣
     和銅元年(708年)
     69歳
     一月十一日
     正二位
     左大臣
     以後
     太政官の最高位者
     霊亀三年三月三日(717年4月22日)
     死去     78歳
     兄弟 豊庭
     子   東人・勝男
         乙麻呂(弟麻呂)
 ↓↑       ↓↑ の子は
           「石上宅嗣
           天平十八年(746年)
           中止となった
           第十一次
           遣唐使の大使に任命
           芸亭院(うんていいん)
           9世紀初頭の
           天長年間まで存続していた
           図書館の開設者
 ↓↑       ↓↑
         諸男・大島
         国盛(女)
 ↓↑       ↓↑
 「穴穂部皇子(あなほべ の みこ)」
 用明天皇2年6月7日(587年7月17日)
 欽明天皇の皇子
 母 蘇我稲目の娘
   小姉君
 聖徳太子の叔父
 穴穂部皇子≠穴穂皇子・・・「部(べ)」の有無だが・・・?
  ↓↑
 「穴穂天皇(あなほ の すめらみこと)」
 穴穂皇子(あなほのみこ) - 『日本書紀
 穴穗御子(あなほのみこ) - 『古事記
 雄朝津間稚子宿禰天皇允恭天皇
 の第二皇子
 母 稚渟毛二派皇子の女
   忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)
   木梨軽皇子の同母弟
   大泊瀬幼武天皇雄略天皇)の同母兄
   石上穴穂宮
  「根使主」・・・何故、「坂本の祖」?・・・坂本龍馬
   の讒言で
   おじ(大鷦鷯天皇仁徳天皇)の皇子)の
   大草香皇子を誅殺
   その妃であった
  「中蒂姫」を皇后にし
   翌年八月九日
   皇后の連れ子
  「眉輪王(目弱皇子)」に暗殺された
  ↓↑
 「木梨の軽い皇子」と「姫」
 『古事記
 允恭二十三年
 立太子
 同母妹の
 「軽大娘皇女」と奸係
 允恭天皇崩御後に廃太子伊予国へ流刑
 あとを追ってきた
 「軽大娘皇女」と共に自害
 (衣通姫伝説)・・・何時迂
 『日本書紀
 允恭二十四年
 軽大娘皇女が伊予国流刑
 允恭天皇崩御四十二年
 「穴穂皇子」によって討たれた
 ↓↑   ↓↑
 ・・・「万葉仮名」・・・?・・・
 「音=立+日
   =亠+丷+一+日
   =亠+䒑+日
   =おと・ね・オン・イン」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「木梨の軽皇子」・・・輕王子=孝徳天皇
            輕皇子=文武天皇
            珂瑠皇子
  ↓↑
 「阿志比紀能・・・・・あしヒキの
  夜麻陀袁豆久理・・・ヤマダをツクリ
  夜麻陀加美・・・・・ヤマダかみ
  斯多備袁和志勢・・・シタビをワシセ
  志多杼比爾・・・・・シタトいに
  和賀登布伊毛袁・・・わがトフいもヲ
  斯多那岐爾・・・・・したナキに
  和賀那久都麻袁・・・わがナクつまヲ
  許存許曾婆・・・・・こぞこそバ
  夜須久波陀布禮・・・やすくハダふれ」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「佐佐婆爾・・・・・・ササバに
  宇都夜阿良禮能・・・うつやアラレの
  多志陀志爾・・・・・たしダシに
  韋泥弖牟能知波・・・いでテムのチは
  比登波加由登母・・・ひとハカユとも
  宇流波斯登・・・・・うるワシと
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ
  加理許母能・・・・・かりコモの
  美陀禮婆美陀禮・・・ミだれバみだれ
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流乃袁登賣・・・・カルのオトメ
  伊多那加婆・・・・・イタなかバ
  比登斯理奴倍志・・・ヒトしりヌべし
  波佐能夜麻能・・・・ハサのヤマの
  波斗能・・・・・・・ハトの
  斯多那岐爾那久・・・シタなきにナク」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流袁登賣・・・・・カルオトメ
  志多多爾母・・・・・したたにも
  余理泥弖登富禮・・・よりねてトほれ
  加流袁登賣杼母・・・カルオトメども」
  ↓↑      ↓↑  ↓↑
 コロナ・ヴィルス・・・「コロナ・ヴィナス」・・・?
 集団自滅か・・・集団他滅か・・・
 ジュミョウの枠内の個的幻滅か・・・
 「いきもの係」のカミさまも、ホトケさまも大変だけれど・・・
 「六壬神課」・・・「寿命尽きるサイクル」・・・「ヘンザイ」?
   六壬式=玄女式・・・六=亠+八・・・・音波
             壬=千+一・・・・亘一
               ノ+十+一・・・辺津の壹拾壱
 「六壬神課」・・・「理句訊新化」?
    ・・・質問を受けた「即時」の「時」を基準に
      「質問の吉凶」を占う占術
 が
 女神
 九天玄女娘娘(きゅうてんげんにょ)
 から伝えられた
 「玄女=黒い女」・・・「北方の女」
 戦術と兵法を司る女神
 「人首鳥身」の姿
 ↓↑
 素女
 黄帝(BC2510? ~BC2448?)
 の侍女
 『山海経』「海內經」(BC4C~AD3C)
 「素女は黒水の都広の出身」
 楊慎(1488~1559)
 「都広」=四川省成都
 張衡(78 ~139)
 「同声歌」という詩(100)
 初夜の花嫁が
 素女の教えである春画に従って
 性交に挑む描写
 春画の別名の一つとして
 「素女図」・・・
 ↓↑
 『史記』卷二十八「封禪書第六」
  二五弦の琴の起源譚
 「素女が五十弦の琴を奏でたところ
  その音色は太帝の心を動かした。
  あまりに悲しくなった太帝は
  二十五弦の琴に変えさせた」
 ↓↑
 「白水素女
 別人
 陶淵明(365~427)撰・『捜神後記』巻五
 「白水素女」という人物が登場
 「タニシ=田螺」の精

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 レミング(Lemming・旅鼠)
 和名
 タビネズミ(旅鼠)
 哺乳綱
 ネズミ(鼠)目
 キヌゲネズミ(絹毛鼠)科
 ハタネズミ(畑鼠)亜科
 レミング族の動物の総称
 体長7~15cm
 体重30~112グラムほど
 長くてやわらかい毛
 非常に短い尾
 草食、草やコケ(蘚・苔)、小枝などを食べる
 門歯が永久に伸びつづける
 食欲旺盛
 毎日体重の約1.5倍ほどの餌を食べる
 冬眠はせず
 雪に穴を掘って巣を作り
 雪の下にある餌や蓄えておいた草を食べて過ごす
 オス・メスともに
 縄張りを持ち
 繁殖のための短い期間を除けば
 単独で行動する

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 3~4年周期で
 個体数が急激に増減する
 餌の不足や天敵による捕食が原因
 個体数が大増加すると
 集団移住を始める
 天敵は
 ホッキョクギツネ(北極狐)
 シロフクロウ(白梟)
 オコジョ(白鼬・山鼬鼠)
      ネコ目(食肉目)イタチ科
      別名
      ヤマイタチ(山鼬)
      くだぎつね(管狐)
      エゾイタチ(蝦夷鼬)
 イイズナ(飯綱)
 など

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 「レミング集団自殺
 スカンディナビアでは
 「集団で海に飛び込む」という伝説
 16世紀頃までは
 「雲の中から自然発生する」
 1555年
 スウェーデンの文献に
 「雲から生まれる」ことを示唆する木版画
 「集団自殺をする」は
 誤解・・・
 集団移住で一部の個体が
 海に落ちて溺れ死ぬことはあるが
 自殺ではなく事故
 レミングは泳ぎがうまく
 集団移住の際に川を渡ることはよくある
 ↓↑
 周期的に大増殖と激減を繰り返し
 集団移住の後
 激減するので誤解された
 レミング,旅ネズミ
 (異常繁殖すると集団移動して
  湖・海で大量に死ぬ)・・・事故であり自殺ではない・・・?
 like lemmings. 副詞. 盲目的に他をまねて
 ↓↑
 種の保存のため
 繁殖力が高い
 昆虫類や群集性魚類において
 大発生と減少を繰り返す習性がある
 (サバクトビバッタイワシ

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 「レミング」族・・・
 「礪(砺・呬)民愚(民具・観亡求)族」?
  礪=石+萬(万)=とぐ・レイ=磨・研・厲
          =砥=石+氐
            =石+氏+一
           とく=解く・説く 
 ↓↑
 牡蠣(かき・レイ)=蠣・蛎
 ・・・切羽詰まったら・・・ドウする・・・
 逃げるコトが出来ない・・・覚悟する・・・
 「一点突破」はあるか・・・
 ワル足掻きか、往生際が悪いか・・・
 窮鼠、猫を噛む・・・
 道連れ(みちづれ)・・・
 死なば 諸共・・・
 ↓↑
 切羽
 日本刀の鍔(つば=柄や鞘に接する部分)の
 両面に添える薄い楕円形の金物
 これが詰まると刀が抜けなくなる
 窮地に追い詰められた時
 切羽が詰まると
 逃げることも
 刀を抜くことも出来なくなる・・・?
 抜刀出来ないのは
 鞘(さや)が詰まる
 鞘と刀身の問題で「合い口」の問題・・・「匕首」の痙攣?
 為す術が無くなる・・・
 「切羽を詰める」
     握柄(つか)と刀身を
     堅く固定する為
     楕円形で
     穴の開いた金物部品二枚を
     鍔の両面に嵌め込み
     使い勝手が良くする
 「切羽詰まる」・・・狭鍔・副鍔・・・?
        切迫する・・・
        切刃(白刃)が抜けない(詰まる)           
ーーーーー
 ・・・「万葉仮名」・・・?・・・「いも」&「つま」
 「音=立+日
   =亠+丷+一+日
   =亠+䒑+日
   =おと・ね・オン・イン」
  ↓↑
 「阿志比紀能・・・・・あしヒキの
  夜麻陀袁豆久理・・・ヤマダをツクリ
  夜麻陀加美・・・・・ヤマダかみ
  斯多備袁和志勢・・・シタビをワシセ
  志多杼比爾・・・・・シタトいに
  和賀登布伊毛袁・・・わがトフいもヲ
  斯多那岐爾・・・・・したナキに
  和賀那久都麻袁・・・わがナクつまヲ
  許存許曾婆・・・・・こぞこそバ
  夜須久波陀布禮・・・やすくハダふれ」
  ↓↑
 「佐佐婆爾・・・・・・ササバに
  宇都夜阿良禮能・・・うつやアラレの
  多志陀志爾・・・・・たしダシに
  韋泥弖牟能知波・・・いでテムのチは
  比登波加由登母・・・ひとハカユとも
  宇流波斯登・・・・・うるワシと
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ
  加理許母能・・・・・かりコモの
  美陀禮婆美陀禮・・・ミだれバみだれ
  佐泥斯佐泥弖婆・・・サネしサネてバ」
  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流乃袁登賣・・・・カルのオトメ
  伊多那加婆・・・・・イタなかバ
  比登斯理奴倍志・・・ヒトしりヌべし
  波佐能夜麻能・・・・ハサのヤマの
  波斗能・・・・・・・ハトの
  斯多那岐爾那久・・・シタなきにナク」
  ↓↑
 「阿麻陀牟・・・・・・アマだむ
  加流袁登賣・・・・・カルオトメ
  志多多爾母・・・・・したたにも
  余理泥弖登富禮・・・よりねてトほれ
  加流袁登賣杼母・・・カルオトメども」
ーーーーー
 「つ」+「ま・み・む・め・も」+「る」
  ↓↑
 「つみ」って・・・
 「摘み・積み・抓み・抓み」モノ・・・
 「辠・辜」ッて・・・ナニ?
  辠=自+辛=罪の正字
    ザイ・つみ
  辜=古+辛=磔刑
    コ
    つみ・はりつけ・そむく
    とが・重いつみ
    「無辜・辜負」
    ひとりじめにする
    「辜較」
  ↓↑
 「煩悩(ボンノウ)=108」、全部・・・
 ハァ、ハァ~ん、ッ・・・
 これじゃァッ「生きる余地」がない
 目指すは「涅槃」・・・
 「自暴自棄」じゃない
 「ネハン(値拌)」・・・
 「攪拌(カクハン・コウハン)」・・・?
ーーーーー
 八つの枢要罪
 「暴食・色欲・強欲・憂鬱・憤怒・怠惰・虚飾・傲慢」
 6世紀後半
 グレゴリウス1世により、八つから七つに改正
 「虚飾」は「傲慢」、
 「憂鬱」は「怠惰」へ一つの大罪となり、
 「嫉妬」が追加
 13世紀のトマス・アクィナス
 七つの大罪
 「暴食・色欲・強欲・憤怒・怠惰・傲慢・嫉妬」
 七つの枢要徳(cardinal virtues)
 「知慮・思慮・知恵(wisdom)
  勇気(courage
  節制(temperance)
  正義(justice)
  ↓↑
 プラトンの『国家』
 国家にも
 個人にも
 共通して持たれるべき徳目
 四元徳
 『プロタゴラス』では、
 四元徳に「敬虔」も加えてた
 『ゴルギアス』でも
 四元徳に「敬虔」を加えて言及
 「国家の正義」
 「節制」を主題は
 『カルミデス』
 「勇気」を主題に
 「リュシス」
 「敬虔」を主題に
 『エウテュプロン』
  ↓↑
 キリスト教
 四元徳に、
 信仰 (faith)
 希望 (hope)
 無償の愛 (ἀγάπη=アガペー・charity・love)
 で「七元徳」・・・
 と対比する形で
 七つの「枢要罪」をあげた
  ↓↑
 マハトマ・ガンディー
 1925年10月22日・・・・1925年10月22日?
 に雑誌『Young India』に
 「七つの社会的罪(Seven Social Sins)」
 として
 理念なき政治(Politics without Principle)
 労働なき富(Wealth without Work)
 良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
 人格なき学識(Knowledge without Character)
 道徳なき商業(Commerce without Morality)
 人間性なき科学(Science without Humanity)
 献身なき信仰(Worship without Sacrifice)
  ↓↑
ーーーーー
 「自由」とは「選択の自由=否選択の自由」である・・・
 「公共(電気・水道・瓦斯・電話)契約料金」が払えなくなれば
 「電気流・水道水・ガス供給・電話回線」は「止められる」・・・
 「NHK視聴契約料金」が払えなくなれば
 「電波を止める」のが「相互契約の鉄則」ではないのか・・・
 「電波を止める」のが・・・「自由相互選択契約」の鉄則・・・
 「相互の自由契約」とは「需要=供給」の枠でのみ成り立つ
 勝手に「電波垂れ流し」で料金をカツアゲするな・・・
  ↓↑
 「自由」とは「選択の自由」であるから
 「選択するモノがアルこと」が前提条件であり、「選択出来る余裕がアルこと」が前提条件である・・・コレらは現実的にアルのか?・・・「開拓民・移民」には荒れ地を開墾し、その土地私有の未来があった・・・「産業労働者」には労働力不足の工場があり、都会で飯も喰えた・・・源泉の殆んどは「貧農」からのアブレ者か、かっての「下級武士」・・・
 社会生活は「需要供給」の市場バランスでなりたっているが、常に「50(fifity)、50(fifity)」であるとは限らない・・・勿論、「職業」に於いても・・・個々人の日常生活は原則的には「衣食住の使用価値」の中でのみ存在する・・・家族での生活も原則的には「衣食住」の維持である。だが、それらのバランスは「状況・環境」次第である・・・
 「需要供給」がアンバランスと云うコトは「競争」での「自己保存」が鉄則である・・・「衣食住=イショクジュウ=異植樹?」は「社会的な公平」を保障しない・・・
 「競争社会」では「競争相手」は相互に「敵」となるのは当然である。その「出発点」は「家族形成」の
 「両親→子供(兄弟姉妹)→分離独立での新たな家族形成」、
 競争相手はその枠内(親族間)での「相続」を巡っての
 「自己保身・自己権力」の拡大で、
 「敵」となったモノを
 排除していくのは「必然?」である・・・
 ・・・「カイン(農耕者・兄)」は「アベル(放牧者・弟)」を殺害したが「鍛冶屋=青銅器、鉄器の武器製造者」になるコトで「命」は保障された・・・「武器」は「放牧者の復讐・襲撃」から身を守ったのだ・・・
 トラブルは「兄弟姉妹」の近縁から始まるのが常套で、「父親からの権力継承」問題である・・・その拡大が、共同体同士の争いへ発展する・・・国家間の戦争はその延長線上にあり・・・共同体防衛目的が「国家権力者のエゴ」となり、「inspire(イン-スパイアー)=鼓舞・,激励」され、侵略、殺傷、略奪を始める・・・
 だが、「社会的人間」は歴史的にこれからの「解放」を模索し続けてきたのだ・・・
 「人間」であることは「老若男女」、「体力・能力・資質」が異なっても「相互に、社会的に公平な立場で協働、共存」で「寿命」まで、平安に生きていくべき存在である、と、考えてきた人間もいたし、いる・・・「実現」は「人間同志の意識」次第だが・・・「Citizenシチズン」=「プチブル意識」ではムリかも・・・
 「質が済む」・・・デスか・・・
 「働かないアリの存在」は「社会的公平な役割分担の一員」であろう・・・状況次第では「働く存在なのである」・・・
 ↓↑
 以上は5年前の
 2017年01月11日17:32
 に書き込んだ
 「兄カイン(鍛冶屋)と、弟アベル(息)」・・・
 からの抜粋添付・・・
ーーーーー
 ・・・

 

田毎の月=長野県千曲市=姨捨山の麓・梺・・・・附本?

 3030日目・文字霊日記
 「毎度」・・・ヨコシマの度・・・横島の緯度・・・横縞のイト
 邪悪(よこしま)な揣摩(シマ)の謀略(ボウリャク)・・・
 ↓↑
 毎=𠂉+毋(なかれ・ブ・ム・勿・莫)
   𠂉+母(はは・ボ)
   𠂉+毌(つらぬく・カン・貫)
   ノ+一+毋
   マイ
   バイ
   ごと
   つね・・・・・常=龸+吊
            ⺌+冖+口+巾
            丨+丷+冖+口+巾
          恒=忄+亘
   むさぼる・・・貪=今+貝
          婪=林+女=ほしがり求める
          忨=忄+元=欲張る・飽きるまで手放さない
          愒=忄+曷=欲張る・脅す
                憩う・休息する
          惏=忄+林=次々と欲しがる
                冷たい・寒い・・・淋しい
          饕=號+食=トウ・飲食物や財貨をむさぼる
   よこしま・・・邪・横島・・・
   つねに
   ごとに
   いつも・・・・何時も・伊都も・出雲
   そのたびごとに
   求める
   いえども・・・雖も・・・
          雖=虽+隹
            口+虫+隹
            ム+虫+隹
            スイ
         「たとえ~だとしても」
         「~ではあるが」
          仮定条件や譲歩の意
         「ただ~(のみ)」
          限定や強調の意          
   「~おきに」
   「~たびに」
 ↓↑
 毎(ごと)
 毎(つね)
 毎る(むさぼる)
 ↓↑
 戸毎・事毎に
 ↓↑

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 田毎の月=長野県千曲市(ちくまし)
      姨捨山(おばすてやま)のふもとの
      小さな水田のひとつひとつに映る月
      月夜に畔道を歩くと小さな田んぼに
      月が写るので「田毎の月」と名付けられた

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 毎年・年毎・毎月・毎週・毎日・日毎・毎時
 毎朝・毎回・毎期・毎号・毎食・毎次・毎度
 毎晩・毎々・毎夕・毎夜・夜毎・・・
 ↓↑
 事ごとに
 事毎(ことごと)に
 何かが起こるたびに
 何かにつけて
 年ごと・年毎(としごと)毎年
 年々
 毎朝(まいあさ)・朝ごと・朝はいつも
 毎回(まいかい)・そのたびごとに・一回ごとに
 毎期(まいき)・その期間ごとに
 毎号(まいごう)・その号ごとに
 ↓↑
 大毎(おおごと)=新潟県村上市

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 毎+α
 𠂉+「毋・母・毌」+α
 ↓↑
 侮=イ+毎=侮辱・侮蔑
 海=氵+毎=大海
 悔=忄+毎=懺悔・後悔・悔悟
 勄=毎+力=ビン
          さとい
          とし
          はやい・動きがすばやい・敏捷
          頭のはたらきがよい
 娒=女+毎=ボ・モ
          うば(乳母)
 莓=艹+毎=バイ・マイ
      いちご・きいちご・くさいちご
      苺・・・何故
         「苺=莓=いちご」なのか?
              壹 児・・・壹與の児
              艹の𠂉の母の児(兒・子)
              日の下の母の児=目弱王(眉輪王)
              波多毘能大郎子
             (ハタビノオホイラツコ)
      バラ科多年草の赤く小さな実をつける
      こけ(蘚・苔)・・・
      虚仮・扱け・胡家・後家・・・鱗・・・
  転ける=こける=倒ける・扱ける

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ーー↓↑ーー
 「木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)」
 「允恭天皇」の第一皇子・皇太子
 母は皇后の
 「忍 坂  大 中 津 比売 命」
 (おしさかのおおなかつのひめのみこと)
 同母弟は
 「穴穂皇子(安康天皇)」
 ↓↑
 同母の伊呂妹
 軽大郎女(衣通姫)に
 「奸(たわ)」けて
 軽太子(かるのひつぎのみこ)
 自害後
 弟の
 穴穂御子(あなほこのみこ)が
 石上の穴穂の宮(奈良県天理市田町)で
 第二十代
 「安康天皇あんこうてんのう)」・・・国家安康?
 となり
 同母弟の
 大長谷王(おおはつせのみこ・雄略天皇
 のために
 「坂本臣(さかもとのおみ)」
 らの祖
 「根臣(ねのおみ)」
 を
 「大日下王(おおくさかのみこ)」
 元へ遣わせた
 ↓↑
 妹の礼物(いやじろ・れいもつ)として
 「押木の玉鬘(おしきのたまかづら
        木の枝の形をした玉飾りの冠)
 を
 「根臣(ねのおみ)」に奉持させたが
 「根臣(ねのおみ)」は
 「玉鬘」を隠匿し
 天皇に讒言したことで
 「大日下王(おおくさかのみこ)」
 は殺された
 安康天皇
 「大日下王」の正妻の
 「長田大郎女(ながたのおおいらつめ)」
 を自分の「皇后」にした・・・
 ↓↑
 河内
 日下(草香・大阪府東大阪市日下町)
 は
 「日向
  諸県君」氏の
 「日向・隼人系集団の一大移住地」・・・?
 「日下の楯津(蓼津)=孔舎衙(くさえ)坂古戦場」
 の地は
 「神武天皇神倭伊波礼毘古命=磐余彦 」
 が海から
 「登美能那賀須泥毘古」
 (トミのナガスネヒコ
 を攻めて
 兄の
 「五瀬命
 が戦傷した場所である・・・
 日下の「楯津」が
    「蓼津(タデツ)」に改名・・・?
     蓼=艹+翏
       艹+羽+㐱
       艹+羽+人+彡
       リク
       リョウ
       たで
       たで科の一年草・水辺に生じる
       苦しみ・困難
       草が長く伸び多いさま
      「木天蓼=またたび」
       マタタビ科のつる性落葉低木
       山地に自生・葉は卵形で互生
       初夏、梅に似た白い五花弁を開き
       長楕円形で黄色の果実を結ぶ
       果実は食用や漢方として用いられ
      「猫」類の大好物・・・
  ↓↑
 ・・・「河内(こうち)のクサカ」・・・
 「日向の諸県」=「九州 宮崎県」・・・「四国 高知県 土佐」
 諸県郡(もろかたぐん)=宮崎県(日向国、一部は鹿児島県)にあった郡
 日向(比宇加)国は
 児湯県(あがた)
 諸県の皇室領で
 北は豊国
 西南は玖摩(くま)国
 曽於(そお)郡
 すなわち
 熊襲
 老男は
 応神天皇より
 日向国造に任ぜられ
 牛諸井の娘
 髪長媛(かみながひめ)が
 仁徳天皇妃に入内(じゅだい)
 ↓↑
 『続日本紀和銅六年(713)四月の条』
 「肝坏
  噌於
  大隅
  姶羅
  の四郡を割いて
  大隅国を置く」
 薩摩
 大隅
 の2国の設置で
 「日向国」の境界が固定
 北と西と南の一部に山脈
 「豊後・肥後・大隅
 と国境
 「瓊瓊杵尊
 の天降った
 西臼杵郡高千穂町霧島山系の高千穂峯
 「天照大神
 の岩戸隠れの
 「岩戸神社」
 神武天皇東征
 景行天皇熊襲征討
  ↓↑
 景行天皇妃 日向髪長大田根媛
 応神天皇妃 日向泉長媛
 仁徳天皇妃 諸県君牛諸井の女 髪長媛
  ↓↑
 臼杵・児湯・那珂・宮崎・諸県
 5郡
 国府児湯郡妻町三宅(西都市)・・・
 律令統治
 大宰府を介しての間接統治
 日向守=左遷の任
 天平勝宝七年(755)
 陸奥の俘囚
 「大伴部 阿弖良」
 が親族66人とともに
 日向に配流
 奥州地方からの強制移民・・・
 私領荘園の発達
 摂関近衛家の島津荘、宇佐領
 八条女院領の国冨荘
 など全国稀有の荘園国
 ↓↑
 「諸県君」氏から出た
 「髪長媛」
 と
 「仁徳天皇
 の子供
 「大日下王(大草香皇子)」
 ↓↑
 「若日下王=草香 幡 梭姫 皇女
      (くさかはたびひめみこ)
       波多毘能若 郎  女
      (はたびのわきいらつめ)
 第21代
 雄略天皇の「皇后」
 「古事記
  若 日下(部)王
 (わかくさかべのみこと)
  波多毘能若 郎  女
 (はたびのわきいらつめ)
 ↓↑
 父 仁徳天皇
 母 日向髪長媛(日向諸県君牛諸井の女)
 ↓↑
 安康天皇元年(454年)二月以降
 大泊瀬皇子(雄略天皇)の妃
 雄略天皇元年三月三日(457年4月12日)
 雄略天皇の「皇后」に立后
 「部民」
 の「日下部」氏
 この皇后の生活の資用に充てられた
 料地等の管理に従事した人々・・・
 屯田兵のような軍事集団・・・
 ↓↑
 第17代
 履中天皇の皇后
 「草香幡梭皇女」
 と同一人物・・・説
 ↓↑
 仁徳天皇の子
 「髪長比売娶って生みませる御子は
  波多毗能大郎子
  またの名を
  大日下王
  次に
  波多毗若郎女
  またの名は
  長目比売命
  またの名は
  若日下部命」
 ↓↑
 「大日下王=大草香皇子」
 母は
 「日向
  諸県君
  牛諸井の女
  髪長媛」
 「古事記」では
 「波多毗能太郎子(はたびのおおいらつこ)」
 「大日下王」
 安康天皇
 皇子の同母妹である
 「幡梭(はたび)皇女(若日下部命)」
 を天皇の弟
 「大泊瀬皇子(雄略天皇)」
 の妃に迎えようとした
 ↓↑
 妻は
 「中蒂姫命(なかしひめのみこと)」
 後、安康天皇の皇后
 子に
 「眉輪(まよわの)王」
 安康天皇元年
 天皇
 大草香皇子の妹
 草香幡梭姫(くさかのはたびひめの)皇女
 と
 大泊瀬(おおはつせの)皇子
 を結婚させようと
 根使主(ねのおみ)を派遣し
 大草香皇子
 はよろこんでうけたが
 根使主が讒言の報告し
 天皇に殺された
 「古事記
 「大日下王
  波多毘能大郎子(はたびのおおいらつこ)」
 ↓↑
 仁徳天皇の皇子
 母は
 「日向
  諸県君
  牛諸井の女
  髪長媛」
 「古事記」では
 「波多毗能太郎子(はたびのおおいらつこ)」
 「大日下王」
 「安康天皇」は
 皇子の同母妹である
 「幡梭(はたび)皇女(若日下部命)」
 を天皇の弟
 「大泊瀬皇子(雄略天皇)」の妃に迎えようとしが
 「根臣」が讒言(ざんげん)し
 「大草香皇子」は殺された
 後
 「安康天皇」は
 皇子の妻の
 「中蒂姫(なかしひめ)」を妃としたが
 「中蒂姫」の連れ子
 「大日下王」の息子
 「眉輪王」によって殺された
ー↓↑ーーーー
 敏=毎+攵=ビン
       とし
 梅=木+毎=バイ
       うめ
 晦=日+毎=みそか晦日・三十日
 珻=王+毎=バイ・メ・マイ
          たま
 痗=疒+毎=バイ・マイ・カイ
             や.む
 塰=海+土=あま=海女・白水郎
       海に潜って海産物を採る人
       塰泊(地名)
       鹿児島県西之表西之表塰泊(あまどまり)
 嗨=口+海=へェィ・嘿・呼びかけの声
 毓=毎+㐬=イク
      そだつ・そだてる・はぐくむ・りゅう
   𠂉+毋+㐬・・・ 異体字「𡿮・旒」
       リュウ・ル・コウ・トツ
       㐬=ながす・ながれる・突忽也
         羊水・破水
   𠂉+毋+云+丿+丨+乚
   𠂉+毋+亠+厶+川
   𠂉+母+亠+厶+川
 䔦=艹+梅=バイ・うめ
 誨=言+毎=カイ
       おしえる・ おしえ・教え諭す
 鋂=金+毎=バイ・ボウ・マイ・ミョウ
   鎖
 慜=毎+攵+心=敏感な心
 繁=毎+攵+糸=しげる・糸の繁殖
 鳘=毎+攵+魚=ホンニベ・タラ・マダラ
 瀪=毎+攵+泉=泉名・在魏郡
 蘩=艹+繁=蘩蔞(ハコベ)・ハコベ繁縷・蘩蔞)
 瀿=氵+繁=ハン・ボン・あふれる
 㩯=扌+繁=㨇・㩯=除去・取り除く
 䲄=魚+敏=石持・石首魚・鰵(いしもち)
      ニベ科の海魚・形はタイに似・頭部に耳石の骨
 鰵=攵+魚=鳘・䲄
ーーーーー
 ・・・???・・・

 

なぜか、「ブッダ」は「佛=仏=イ+ム(私・よこしま→邪)」?

 3029日目・文字霊日記
「僻言=ひがごと」を言うんじゃァないッ・・・
 2021/03/28/09:30
 辛  丑(癸・辛・己)
 辛┏ 卯(甲・ ・乙)
  三合乙
 乙┣ 亥(戊・甲・壬)
  冲戊
 辛┗ 巳(戊・庚・丙)
 十六夜・月齢 14.7(大潮)
  ↓↑
 肥賀語訳(ひがごと)・・・ヒガミごと・・・卑臥毎・・・
  ↓↑
 「璧=辟(尸口)+玉」
   =たま=球・環・瑞
   =玉+α=瓊⇔天 津彦 彦 火 瓊瓊杵 尊
   (あまつひこひこほのににぎのみこと)
    天 津彦 国 光 彦 火 瓊瓊杵 尊
   (あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと)
   『日本書紀』第九段第四の一書
    天 津彦 根火 瓊瓊杵 尊
   (あまつひこねほのににぎのみこと)
   『日本書紀』第九段第六の一書
    火 瓊瓊杵 尊
   (ほのににぎのみこと)
   『日本書紀』第九段第六の一書、第七の一書
    天 之杵火火置瀨 尊
   (あめのぎほほぎせのみこと)
   『日本書紀』第九段第七の一書
    天  杵瀨 命
   (あめのきせのみこと)
   『日本書紀』第九段第七の一書
    天 饒 石国 饒 石天 津彦
   (あめにぎしくににぎしあまつひこ
      火  瓊瓊杵 尊
      ほの ににぎのみこと)
   『日本書紀』第九段第八の一書
    天 邇岐志国=あめ にぎしくに
       邇岐志=にぎし
      天津日高=あまつひこ
      日子番能=ひこほの
      邇邇芸命=ににぎのみこと
   『古事記
    天津日高日子番能邇邇芸命
   (あまつひこひこほのににぎのみこと)
   『古事記
    天津日子番能邇邇芸命
   (あまつひこほのににぎのみこと)
   『古事記
    日子番能邇邇芸命
   (ひこほのににぎのみこと)
   『古事記
    瓊瓊杵尊瓊々杵尊
    邇邇芸命(ににぎのみこと)

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  璧=たま=霊・弾・多摩・但馬
  ↓↑
 「僻」の異体字
  ↓↑
 「説文長箋(セツモン チョウセン)」・・・長(おさ)の箋
 (六書長箋漢義説文敍)
  ↓↑・・・朝鮮・挑戦・兆選=チョウセン
      ・貂蝉=『三国志演義』に登場する架空の女性
          「王允」が
          「董卓」の誅殺を謀り
          16歳の養女
          「貂蝉」を
          ハニートラップ(honey trap)
          として接近させた・・・
              ↓↑  ↓↑
          テン(チヨウ・貂・黄鼬・いたち)
          ゼン(セン ・蝉・蟬 ・せみ)
          楊貴妃・西施・王昭君
          等と並ぶ
          中国四大美人の一人
  には
 「僻=イ+辟」の異体字
 「𠒱=辟(尸口)+儿」とあるらしい・・・イ=儿
ーー↓ーー
 「僻」=ヘキ・ヒ・ひがみ・ひねくれ・かたよる
 ひがうた =僻歌
 ひがおぼえ=僻覚え
 ひがかぞえ=僻数へ
 ひがぎき =僻聞き
 ひがごころ=僻心
 ひがごと =僻言(事)
 ひがさま =僻様
 ひがひがし=僻僻し
 僻
 「説文解字・巻八」に「避(さ)くるなり」
 「詩経・魏風・葛屨」からの引用で
 「宛如として左に僻く」とあって、
 「一に曰く㫄(=亠勹方=かたは)らより牽くなり」
 とあるらしい・・・
 僻る=かたよる(偏る)
  中心から外れている・一方に寄る
  不公平である
 僻言=ひがごと
  事実に合わない言葉
  まちがった言葉
  道理に合わない言葉・・・
 「僻言=ひがごと」を言うんじゃァないッ・・・
ー↓ーーーー
 ・・・なぜ、「ブッダ」は
 「佛=仏=イ+ム(私・よこしま→邪)」
 になったのか・・・横の島・・・
 緯度33度・・・横島→阿蘇山→横島・・・「玉名・熊本・隈本」
 ↓
 権力の根元・・・根源・・・今現・・・
 2014-12-18 01:15:01
 古事記字源
 ・・・「権原・權原」、「権力・權力」、「権限・權限」の「権=權」の漢字「権=木+𠂉+隹(スイ・とり・フル鳥)」・・・「鳥=白+丂+灬」、「權=木+雚(カン・こうの・おぎ)=木+サ(廾・艸→丱)」・・・ナゼ、「権=權」・・・「木の雚(𠂉隹)」なんだろう・・・?
  ↓ 
 「雚」
 「草」+「隹(鳥)」+「口口・口々)
 草むらで、鳥がカンカンと鳴くさま
 部首の意味は
 しきりに・熱心に・心をこめて
 雚→𠂉+隹・・・「𠂉」=「サ+口+口」
  瞿=おそれ・ク・グ=目+目+隹
  =おそれ=懼れ・怖れ・惧れ・恐れ・畏れ・虞
 易経・・・風地雚(風地観)=静かなか細い鳴き声
 雚(鸛)=鵠の鳥=こうのとり
     ・・・赤ん坊を運んでくる
   =鵠(くぐい)・白鳥の古称
   鴻(くくい)・・・九九意・区々意・句々意
   無用之鵠鳥=
   刻鵠不成尚類鶩=後漢書・馬援伝
 子産(シサン?~紀元前522年)
 春秋時代の鄭に仕えた政治家
 姓は姫
 氏は国
 諱は僑
 字は子産
 「公孫僑」とも
 祖父は鄭の穆公
 父は子国(公子発)
 子は国参(子思)
 紀元前536年、
 人類史上初めて
 成文法を制定・・・?
 「参辟」・・・・夏、商、周の三代的刑法
 という法律を定めて
 鼎(青銅器)に鋳込んだ(春秋左氏伝)
 ↓
 「参・參・三(サン・シン)」・・・参加・参道
       →ム+ム+ム+㐱
        㐱=髮の稠(しげ)るなり、
        彡に従ひ、人に従ふ、
        詩に曰く、㐱髮雲の如し、と
       →ム+ム+ム+𠆢(∧)+彡
       「∧ 」・・・?
        ↓
       合接、及び、かつ
       連言記号
       論理積
       しゅうごう・および
 「辟・僻・避(ヘキ・ヒャク)」・・・辟易
          居るのが辛い
          我慢ならん
          うんざり
          僻(ひがむ)
          避(さける)
       →尸+口+立+十
        屍の口に立てる十
  ↓
 「子産(シサン)」・・・
 「12月産まれの子(ねずみ・鼠)」・・・
 「イエス・キリスト=移鼠」・・・
 「シサン=四×三=十二
  試算・私産・資産・四散」・・・
 「史纂・私纂・使(徒)纂」の「死(後)産」か・・・
 「バイブル(新約)の詐欺・詐偽・虚偽」・・・
 「こうのとり」って「鷺・かささぎ」・・・
 「コウのトリ」の「談話?」なんだ・・・
 ↓↑
 ・・・「こうのとり」って、「赤ん坊」を宅配する業者・・・その前に「赤ん坊」を生産しなくちゃぁ・・・「雚(鸛・鴻)=鵠の鳥=こうのとり」は「私生児」を何処に運ぶんだろう・・・「牛(丑)口のトリ」・・・
 ↓↑
 「氵」はナゼ「さんずい=サンズイ」とヨムのか?・・・漢字では記録されていないが「山水・散水・産水・算推・蒜(サン・にんにく・ひる・のびる)穂・纂出」・・・「氵」の由来、爾来は「サンズイ=纂隋(隋書は、二十四史の一つで第十三番目にあたる)」?・・・「隋=氵+ナ+エ+月=ズイ→瑞→瑞穂(みずほ)→(水)→出(スイ)」・・・「随=ズイ=隨」は同音異字で意味は同義である。その意味は「シタガウまま・まにまに・他人の後にそのままついていく・随員・随行・随従・随伴・追随・付随・夫唱婦随・成り行きにまかせる・随意・随時・随想・随筆・気随」、そして「隋道・隧道」で「随処・随所」・・・「随筆」・・・、
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 「隋書・巻八十一・列傳第四十六・東夷伝俀国(ズイショトウイデンわコク)」・・・「俀(イ+妥)=(タイ・ダイ・テイ・よわい・ダ?)」は「倭(イ+禾+女)」に類字するが「ワ・ハ」とは読めないだろう。「イ(意・異・為・委・人)」の「妥協、妥結、妥当」?→「妥=(爫+女→やすい・おだやか・おちる・ダ・タ→大修館漢和辞典238頁」、同じく373頁には「挼→もむ・もみあわす・もみくちゃにする・ダ・ナダイ・ネ・キ・ズイ→挼祭=食物を祭る、祀る)」→「采女(うぬめ)の采(爫+木→とる・サイ→採)」、「釆(ノ+米→わける・ハン・ベン←898頁=種を蒔く、播くの源字)」にも類字・類似する。
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 そして、記述されている。兎に角、「魏書東夷伝倭人条=魏志倭人伝(著者西晋陳寿・280年~297年)」の「邪馬臺國=邪馬壹國」の「倭(イ+委)」の漢字とは類似(字)するが「俀(イ+妥)」とは異なる・・・
 「大業四年(607?・608?)」
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 「隋書」の「耶靡台国」の
      「耶(邪)に靡く台の国」・・・
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 「氵」は片仮名の「シ」の変形にも思える。
 大修館漢和辞典(499ページ中段)には「水の漢字が偏になる時の形」・・・
 「氿=氵+九」は
 「側面の穴から湧き出る泉=出水=氿泉(キセン)」
 「水の涸れた岸の土」
 「狭く長い川」
 「氿濫=水が湧き出る・湧き水」
 「氿泉(キセン)=横穴から湧き出る泉」・・・
 「汁(しる・ジュウ・シュウ・シウ)
  物質に混じっている液体
  飲食物の液汁
  おつゆ・吸い物・おかげ・なみだ・みぞれ」
 「啜汁(シルをススル
     旨いことにありついて
     不正利益を得るコト)」は
 「史記・魏世家・欲啜汁者衆」が出典らしい
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 「氻(ロク)=水の音」・・・「495ページ」には「水(みず・スイ)」は「氺(漢字の脚になる時の字→したみず)」とあり、「111ページ」には「冫=にすい=ニスイ」は「氷(こおり・ヒョウ)」で、源字は「冰」で、形象は「人+人=∧+∧」が上下に重なった形とある。
 「Λ=λ」はギリシャ文字の「ラムダ」である。「ラムダ→ランダ→乱打→(阿)蘭陀」である。
 「Λ」の逆文字が英語の「V=v=ヴイ→部位・武威」である。更にこれを横にしたら「く」で、重ねたモノが「く+く=《・≪」である。
 「<」は数学記号の
 「1<2=1は2よりも小さい」で、英語では
 「less than sign」である。
 「クク・くく」とは「掛け算の九九」で
 「九×九=八十一・八拾壱」である。
 「≪≫《》」記号は英語では
 「double bracket」とされている。
 「bracket(ブラケット)」とは
 「持ち送り・腕木・腕金・張り出し棚受け
  腕木で支えられた張り出し棚」
 で記号としては
 「二重角括弧」である
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 「冫=にすい=ニスイ」が
 漢字の脚になった時は
 「〓・=・ニ→冬の字のニの部分」で
 「冬=夂+二」の「二→ン・こ」の類字は
 「ン」と「こ」である。
 八卦の「〓」は「陽気+陽気」で「太陽」である。
 「三爻(サンコウ)」の「≡」は
 「乾(ケン・カン)」の象徴意
 「いぬい=戌亥=狗(犬)猪」で
 「自然は天」
 「性格は健(すこやか)」
 「家族は父」
 「身体部位は首(頸・頚)」
 「方位は西北」
 である・・・
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 𣿂=氵+隋
   スイ
   瀡・㵦=氵阝丨阜𠂇エ左月隋=𣿂
   水や米の磨(と)ぎ汁などに
   浸(つ)けて食べ物を
   ふやかす
  (柔らかくしたり膨らませたりする)
   調理法の一
  「滫瀡(シュウスイ)」
   ↓↑
 瀡=氵+遀
   スイ
   㵦・𣿂=氵丨阜阝𠂇エ左月辶辶遀隨=瀡

   ↓↑
 㶇=氵+横
   コウ・オウ
   氵木十艹廿一龷田由ハ黄黃横=㶇
   小さな渡し場
   人や荷物を対岸に運ぶ
   船の発着する所
   船で川を渡る
   筏(いかだ)
   同「𦪗」
   ↓↑
 汔=氵+乞
   キツ・コチ
   𣲁=氵丿一𠂉ト乙乞=汔
          乞食=こじき古事記 
   水が涸れる・尽きる
   もう少しのところで
   同「幾・危」
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 汕=氵+山
   サン・セン
   氵山=汕
   魚が水中を泳ぐさま
   水中に沈め掬(すく)い上げて
   魚を捕る笊(ざる・浅めの籠)状の漁具
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 潱=氵+壹
   氵+士+冖+豆
   ェチ
   異体字「洇・湮」
   洇水也・水流音・落水音
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 潱=氵+壹
   エツ・エチ
   氵土士冖一口ソ丷一䒑豆壹=潱
   水の流れるさま
   「潱馬潭(エツバタン)」
   明代(1368年~1644年)
   收魚税(漁獲量に応じた税)を
   徴収する役所の
   出先機関(河泊所・天下河泊所)があった
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 沛=氵+市=㳈
   ハイ・さわ・たおれる
   草木が生い茂る湿地帯
   豪雨・大雨・ドシャ降り
   水の激流
   沛然(ハイゼン)
   沛沢(ハイタク)
   沛艾(ハイガイ)
   沛公=劉邦
   沛=㳈
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 㳄=氵+欠
   セン・ゼン
   𣶛・𣶙=氵丿乛人欠次=㳄
   涎(よだれ)
   同「㵪・涎」
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 濔=氵+爾
   ビ・ミ・・デイ・ナイ
   𤁶=氵Tハ冂㐅乂爻爾=濔
   水が一面に満ち広がるさま
   同「沵・瀰」
   滲(にじ)む
 ↓↑
 沁=氵+心
   シン・しみる
   氵心=沁・・・必
   液体が少しずつ中に入り込む・浸透する
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 渗=氵+参
   シン
   しみる・にじむ
   滲=氵ム大丿彡参=渗
   液体が小さな隙間を通って
   少しずつ入って行く・また出て来る
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 沘=氵+比
   ヒ
   氵ヒ𠤎匕比=沘
   「泗沘(シビ)」=百済の都
   「沘江(ヒコウ)」=雲南省
 ↓↑
 泗=氵+
   シ
   氵+四=泗
   「泗水(シスイ)」=山東省を源とし
    淮河(ワイガ)に注ぐ
   「泗河(シガ)」=山東省濟寧(サイネイ)市
   鼻汁・鼻水
   「泗礁(シショウ)山」=浙江省東方の
    舟山群島に属する
   「嵊泗(ジョウシ)列島」の一
   「嵊泗=嵊(ジョウ)山と泗礁山」の頭字
   舟山(シュウザン)市嵊泗(ジョウシ)県
 ↓↑
 𥄳=罒(網)+氺(水)
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 浯=氵+吾
   ゴ・グ
   氵一𫝀五口吾=浯
   「浯山(ゴザン)」=山東
    日照(ニッショウ)市
    莒(キョ)県北部
   「浯水(ゴスイ)」
   「浯山」を源とし、東北流し
    濰坊(イホウ)市
    安丘(アンキュウ)市付近で
    濰河(イガ)に注ぐ
   「浯溪(ゴケイ)」=湖南省
    永州(エイシュウ)市
    祁陽(キヨウ)県
    詩人 元結(ゲンケツ、723年~772年)
       が居住
 ↓↑
 汅=氵+丂
   ベン・メン
   沔
   満々とした水が流れるさま
   酒などに溺(おぼ)れる
   節度を忘れて物事に耽(ふけ)る
   同「湎」
   「沔水(ベンスイ)
   陝西省
   漢中(カンチュウ)市
   勉(ベン・沔)県を流れる川
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 汃=氵+八=𣱺
   ヒン
   波が激しくぶつかり合う音
   「砏汃(フンヒン)」
   石に波が激しく打ち当る大きな音
 ↓↑
 氿=氵+九
   キ・キュウ
   おずみ
   穴から湧き出る泉・湧き水
   「東氿・西氿」=湖名、江蘇省
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 𣲼=氵+宄
   キ
   氵宀丿⺄九宄=𣲼
   細々と湧き出る水
 ↓↑
 㳃=氵+卆
   サイ
   淬=氵丿⺄九十卆=㳃
   焼いて高温にした金属を
   水などに浸(つ)けて一挙に冷やし
   焼入れする
   金属を鍛える熱処理法
   同「焠」
   水などに浸(ひた)す
   鍛(きた)える
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 汍(カン・ガン)=氵+丸=氵+九+丶
  「汍瀾(カンラン)」
   涙を流して泣くさま
 ↓↑
 汁(シュウ・ジュウ・しる)=氵+十
   水以外の幾つかの物質を含んだ液体
 ↓↑
 湁=氵+拾
   チュウ
   氵才扌人一亼口𠮛合拾=湁
   水がごぼごぼと沸(わ)き立つさま
   「湁潗(チュウシュウ)」
 ↓↑
 洦=氵+百
   ハク・ヒャク
   湐=氵一日白百=洦
   水が浅いさま・水の浅いところ
   浅瀬(あさせ)
   同「泊」
 ↓↑
 汦=氵+氏
   チ・ジ
   氵ノ𠄌(レ)乀氏=汦
   「汦河(チガ)」=河北省の川
   行き着く、行き着いて止(とど)まる
   同「坁」
 ↓↑
 汨=氵+日
   ベキ・ミャク
   氵日=汨
   汨水(ベキスイ)=湖南省
   汨羅(ベキラ)市で
   羅水(ラスイ)と合流し
   汨羅江(ベキラコウ)となる
   本字は「氵+日」
      「氵+曰(いわく)=汩」とは別字
 ↓↑
 汩=氵+曰
   コツ・コチ・イツ・イチ
   氵曰=汩
   乱(みだ)れる
   乱す
   汩=治水也(…汩本訓亂 如亂之訓治…)」
   乱れを治(おさ)める
   水の流れを安定させる
   治水(チスイ)
   同「淈」
   水が流れるさま
   水の流れが速いさま
 ↓↑
 汪=氵+王
   オウ
   𣳫・𣷪・𣵭=氵王=汪
   深々とした水が
   延々と広がっているさま
   水が溢(あふ)れるようにあるさま
   水や液体が溜まったところ
   水が溜まった池
 ↓↑
 況=氵+兄・・・壬=水の兄
   キョウ・コウ
   いわんや・ましてや]
   况=氵口丿乚儿兄=況
   様子・有様(ありさま)・状態
   他と比べる
   他の例を引く
   譬(たと)える
   「…以往 況 今甚可悲傷(師古曰況譬也)…」
   いわんや
   ましてや
  「況~乎」の用法
  「まして~は言うまでもない」
   益々(ますます)
 ↓↑
 泯=氵+民
   ビン・ミン
   冺=氵コ𠄌(レ)乀氏民=泯
   滅(ほろ)びる・滅んでなくなる
   尽(つ)きる
   「泯乱(ビンラン)」・混乱する
 ↓↑
 𣳵=氵+厽
   セイ・サイ
   なす・すくう・すむ・すます
   濟済𣺴济𣽱㴉𣸓=氵ム厸厽=𣳵
   舟で川を渡る
   難所を、難事を渡り切る
   互いに手を貸しあって乗り切る
   手を貸して救い上げる
   困っている人に手を貸して
   足りないものを補い合って
   みなと同じ状態にまでにする
   「救済(キュウサイ)」
   みなが揃う・きれいに揃える
   現河南省
   済源市を源とする古川名
   古くは
   渤海に注ぐ大河だったが
   上流で交差するように
   流れていた黄河
   濟水の川筋を本流としたため
   その名は残っていない
   「濟水(セイスイ)」
   長江・黄河淮河(ワイガ)
   と共に
   「四瀆(シトク)」と呼ばれた
   同「泲」=河南省
   日、止(や)む・終わる
 ↓↑
 浽=氵+妥
   スイ
   氵丿⺍爪爫爫女妥=浽・・・俀=イ+妥
   「浽溦(スイビ)」
   霧のように細かい雨で
   びっしょりと濡れるさま
   同「𩃃溦」
   水が濁る
   同「涹」
 ↓↑
 㴇=水+沝
   ショウ・ジョウ
   わたる
   渉涉𣥿𣻣=水沝=㴇
   川・沼・湖・海などの
   水のあるところを歩いて渡る
   渡り歩く・渡り歩いて見聞する
   関わる・関わり合う
 ↓↑
 淼=水+沝
   ビョウ・ミョウ
   水沝=淼
   一面に水が満ちて
   限りなく広がっているさま
   同「渺」
 ↓↑
 㴉=氵+亝
   セイ・サイ
   なす・すくう・すむ・すます
   濟済𣺴济𣽱𣸓𣳵=ム厸厽二亝=㴉
   舟で川を渡る
   難所を、難事を渡り切る
   互いに手を貸しあって乗り切る
   手を貸して救い上げる
   困っている人に手を貸して
   足りないものを補い合って
   みなと同じ状態にまでにする
   「救済(キュウサイ)」
   みなが揃う・きれいに揃える
   河南省済源市を源とする古川名
   古くは渤海に注ぐ大河
   上流で交差するように流れていた
   黄河が濟水の川筋を本流とし
   名は残っていない
   「濟水(セイスイ)」
   長江・黄河淮河(ワイガ)
   と共に「四瀆(シトク)」と呼ばれた
   同「泲」=河南省
   日止(や)む、終わる
 ↓↑
 渨=氵+畏
   ワイ・エ
   氵田𠄌(レ)乀丿畏=渨・・・隈
   川が大きく湾曲して
   山や崖の奥深くまで入り込んだところ
   同「澳・泦・汭」
   その山側を「隈」
   「渨灅(ワイルイ)」
   水が勢いよく沸き立つさま
   意気が高く沸き起こるさま
 ↓↑
 漶=氵+患
   カン・ガン
   氵口丨中串心患=漶
   はっきりしない
   ぼんやりして見分けがつかない
 ↓↑
 漷=氵+郭
   カク
   𤅝・𤅻=氵+郭
 ↓↑
 𤆁=泉+灥
   ショウ・ジョウ
   日白水泉灥=𤆁
ーーーーー
 ・・・???・・・
 アイもカワラズ、オナジことをヤッテいる・・・ハナミズが激しい

 古事記・漢字源の世界(1)
http://meisiki.bake-neko.net/kojiki.htm